はてなキーワード: ご都合主義とは
というまとめが話題になっているけど、創作だろ、事実だろと言い合っているのもちらほら見られた。
個人的には、創作だろ、と思って、それゆえに途中からスクロールして結末読んだ。
たぶん、ちゃんと読んだら感動するんだろう。
なので内容については批判はしないけど、創作を事実として提示することについて感じたことをメモっておきたい。
もちろん、
創作だと分かっているよ、その可能性はあるだろうよ、でもさ、別にいいじゃん、書いてある事が良ければ
という意見があることも分かる。本当はどちらかというと、そのポジションでありたい。
「別にいいじゃん、書いてある事が良ければ」よりの考え方である根拠について。
昔、4日間の奇跡という小説を読んで文章あまり上手くないなあと思った。でも、最後まで読んでちょっと泣いた。
創作でも、文章や構成が甘くても、表現しようとするものが確かであれば評価されるべきだろうと思う。
2chまとめでも、イラスト描くようになって同じ趣味の彼女もできたけどイラスト勧めてくれた親友が亡くなった話とか、
風俗嬢を好きになって親友と一緒にAV出演の契約をさせられようとしている窮地を救う話とか、
ああいうの読めるし、いい話だなーって思う。でもゲーセンは読めなかった。
たとえば、あの話の導入部分で違和感を感じた箇所が二点あった。ちなみにこの違和感は4日間の奇跡の文章に感じたものに近い。
一つは、少女と喫煙所で会話をするシーン。もう一つは、イラストと口にした途端、少女が暗くなるというくだり。
細かくは書かないけど、どっちも不自然だった。(そしてそれ以降スクロールした)
些細かも知れない。でも自分で小説書いた事ある人なら分かると思う。
登場人物の立場だったら、どういう振る舞いが自然か、自分の好みやご都合主義が混ざってないか推敲する。
作者の偏好や、その状況の想像不足、物語の展開のため仕方なく不自然になってしまったシーン。
創作ならその不協和音を作者の稚拙さということにして、読み進められる。
ん?ここ作者の個人的な好みで展開しているよねってことも、その作者の傾向として許容できる。
だけど、それが現実にあったこととして語られると、その不協和音はどこで解消すればいい。
事実と言われれば受入れ難い展開も「事実なんだから」と否定できなくなる。「事実」にはその強要がある。
あの話は不協和音の方が強すぎた。その不協和音は事実というの名のもとに感性への受け入れを強要し、受入れ難いあまりに拒否感を起こさせる。
創作と知っていれば、作者の個性や技量ということにして看過することができたのに。
「そうとは言ってもあれは創作」と鷹揚に構えられないのは神経質なだけと言われればそれまでだが。
まあでも、他のまとめを押しのけてああいうのが盛り上がるのは、ギリギリ有り得ない感だからこそかも知れない。
JavaScript って生き物っぽいって思ったのがきっかけだった。
なんか菌?に遺伝子いれてたんぱく質を生産させるやつ? Function は菌の細胞膜で prototype は遺伝子で、だから prototype に全然関係ない違う生物の遺伝子を生きてる菌に入れちゃったり。そうすると全然ちがうたんぱく質が生産されたり。prototype にべべーっとコピーして追加するのなんてまさしくそれっぽい。
だってプロトタイプベースって、生き物しかいない世界じゃない?基本的に。インスタンスってのは生き物じゃない設計図があってそれにしたがって出来た生き物がインスタンスってイメージあんだけど。プロトタイプベースの世界にはそんな設計図も生き物じゃないものもないよね?なのにわざわざインスタンスっていうのに何か違和感?ご都合主義的なもの感じる。クラスは型で、インスタンスを実体だとかなんとかって氾濫してるせいかな。多分この辺の用語が JavaScript をわかりにくくさせてる気がする。
僕の感覚では、オブジェクトってのは生き物で、クラスベースってのは神が設計図に基づいて生き物を生産してる世界で、インスタンスベースってのは生き物が生き物を複製してる世界のイメージだ。多分、原始の生物はインスタンスベースみたいな世界で、海の中にうようよしてたんだろうな、とか。
オブジェクトじゃないものは、生き物じゃない死んでるたんぱく質や RNA の破片みたいな。それだけじゃなにもできないみたいな。それだけじゃ命がないから、生き物の殻に詰めるってのが JavaScript のコンストラクタのイメージ。
Perl の bless したらこれはもう命入ったよ生き物だからねっあとは勝手にしてねってのも、Python の名前空間さえあればなんとかなるよねってのも、JavaScript のハッシュさえあれば世界作れるよねってのも、みんなどこか似ている。ちゃんと OOP を理解できてるかは別としてもこの三つはわりとすぐやりたいことができた。昔 Java の本を買ってきて挫折したのにくらべたら、なぜかずっとわかりやすかった。(bless という命名はすごく洒落てる)
全然関係ないけど、Django の日本語リファレンスは何か萌える。ラクダ本の日本語訳はむかつくのに。
プログラミングを始めたばっかりの時は、なんだか難しい用語の意味を理解しないと OOP がわからないと思ってた。それは僕らの住んでる世界とは全然関係のないプログラミングの技術ってやつだと思ってた。
でも多分違う。
世界が動く仕組みさえあれば、あとは作り手に世界の成り立ちを抽象化する表現力さえあれば、世界は勝手に表現されていくし、動き出してく。たまたま僕らの世界はオブジェクトなもので溢れていて、プログラミング言語が進化すれば世界に似るのも当然だろう。いや逆か。プログラミング言語が世界に似てきたから、オブジェクトなんていう世界に似た概念が出てきたってことか。なんだか難しい用語ってのは、その表現の一部分の技術に名前をつけてるだけなんだな、と。例えば何とか歌唱法や何々画法とか何とかレトリックとかパースの取り方みたいなのと同じ。それは表現を理解する手助けにはなるけど、その意味を知る事がイコール表現力をあげることにはならないんだよね。これに気づくのに遠回りしすぎたなあ。
(知識を得るだけで、100% 還元される人もいるかもしれないけど、そんなのは一部の天才だけだと思う。殆どの凡人はそうはいかない。とはいえ、元の錬度が低ければ、コツをいくつか教わるだけでいきなりうまくいくこともある。ただ、それをまるまんま実力だと思うのは、どんな分野でも危険だ。恋愛テクニックやらを必死に読んでる連中が男女間の深い人間関係を上手くやれてるとはちょっと想像できない!)
プログラミングで表現力を上げるにはどうすればいいんだろう。きっと他と同じだろうな。いい表現を沢山味わって、世界をよく観察して、どう成り立ってるかどう動いてるか、私達はそれをどう認知しているのか、考えることかもしれない。漫画家を志す人が美術解剖学を学んだり、優れた画家が絵筆で世界を生々しく描写するように、優れたプログラマは世界のなりたちをプログラムに写し取ったり、世界の仕組みを作る事が出来るのだと思う。
長くなったので、先に結論だけ書いておきます。
もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)
・人間の出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。
・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端。もったいない。
というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、
この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。
ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからん話ですがご了承ください。
◆ものすごく読みたくなる西尾維新「少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968
私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。
(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)
はてなベテランが小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
↓
僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
岩崎夏海にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
もしドラが新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
ハックルという安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、
自分の自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。
ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。
テーマも似てると思う。
少女不十分の少女はみなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、
あるいは、少女不十分の少女は岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである。
(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)
そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新の化物語をほめていたのが結構印象的だった。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951
しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語の面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。
多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、
化物語が自分の本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。
彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、
意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか?
彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。
この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。
ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会いが自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から、理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。
(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)
ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。
もしドラの成功後は、デュルケムの言うところのアノミー的自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)
「もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。
ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者の仕事で会って読者の仕事ではない。
むしろ化物語のヒロインが阿良々木暦に出会うことで、生まれ変わりを果たすように、
みなみもドラッカーにコミットしていく過程で自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。
経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカーに出会い、
そこから何でもいいから自分の物語に必要な何かを学び取り、自分を自分で救い、クソッタレた世界の中で生きていく。
そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。
私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。
先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。
(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)
「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)
作者がもしドラで成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)
おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。
正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。
時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブなイメージがつきまとう。
今大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。
ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。
大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。
ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。
あれは物語をカスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのものが茶番になっている。あまりにも若者を馬鹿にしている。
出版社がダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。
もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。
だから、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。
そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、
作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・。
結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください
良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う。
この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる。
「少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように
(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)
次はfateかPersona4の話をしたいと思います。zeroじゃなくてstay/nightの話ね。
本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、
正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4とfate stay/nightにまかせる。
ヘテロの男が女を見て、抱きたいと思うのは、生物として当然の反応だし、ヘテロな男なら多かれ少なかれ、そういう感想抱くだろう。
そして、自分が抱きたいと思ったから、「いい女だ」と表してるわけで、自分がヘテロで、この異性が気に入りました、と言っているに過ぎない。
対して腐のそれは、自分がホモでもないくせに、勝手にホモに幻想を抱いて、他人をホモにして、そのシチュエーションを楽しんでいるだけだ。
どうでもいいけど、ガチのセクマイさんでも今どきまだこんな考え方したりするんだ。
まるでホモセクシュアルは生物として不自然だし危険みたいじゃん。そうなの?
妄想上のホモがあまりにもご都合主義なのがイラつくってだけで、「安全」とかはちょっと違うよね。
少なくとも前者は、自分自身について晒している。自分はヘテロで、こういう異性が好きで、性欲を抱いています、と。
対して後者には、一貫して自分がない。男二人と3Pするとでも言うなら、自分が出てくるが、そうじゃない。
行為の最初から最後までを、勝手にホモに仕立てた自分以外の人間に受け追わせて、自分はそれを想像してワーキャー言ってるだけという立場。
ずるいし、悪質だし、セクマイとしてはより馬鹿にされていると感じる。
「自分自身について晒している」から何かが免責されるってこと?
欲望について語ってる時点でオノレの性癖晒してるんだからそんなんどっちも同じじゃん。
っていうか、ヘテロ男が妄想上に「再現」して性欲を抱く女は間違いなくヘテロ男のいいように感じて喘ぐようにできてんじゃないの?
これって相当身勝手なわけだけど、「より悪質」とかってどうして言えるの?
要するに「自分がより馬鹿にされていると感じるのでこっちの方が悪質です」って言ってるだけじゃないの?
そんなんセクマイ関係ないよね。単なる主観だもん。
いまの若者が著しい差別意識に基づく競争環境の中で生きていることは周知の事実。この社会的事実の
下で憲法14条は成り立つのだろうか。良識の問題として考えても、はなはだ怪しいものがある。これが成り立つと
いう意見の人はこう言うだろう。確かにいまの若者社会には様々な著しい差別がある。しかしそれはせいぜい学生
の間までだ。学生の間は色々な差別意識をもって切磋琢磨しても、社会に出ればみな平等になる。だから憲法14
条は成り立つのだ、と。しかし、これはあまりにご都合主義的な意見ではなかろうか。感受性豊かな若い時期に差別
意識を植え付けておいて、後でチャラにするから君たちは社会的に平等だ、などというのは、とても良識的とは思え
ない。やはり憲法14条は一生にわたって差別のないことが前提になっていると考えるべきである。これを考えると、
蛇足だけど。
自分の気持ちを言外に汲んで欲しい、というのはまあ無理。大抵の男は女と違ってそんな訓練積んでない。
この元増田も、もう一人の元増田も、付き合っている相手の気持ちを「汲んでいる」とは到底言えないでしょ。
相手の気持ちを見ているんじゃなく、自分の気持ちだけを見て、ネガティブな憶測とか決めつけで独り相撲を取っている。
そもそも「彼が何を考えているか分からない」というのがスレの趣旨だし。
「男は鈍感、女は敏感」なんてのは女の側のご都合主義な妄想。男からすれば女こそ、男の気持ちも知らずに非理論的で勝手な事ばかり言ってる生命体だ。
男だって空気を読む力ぐらいある。ただ男の読む「空気」と女の読む「空気」は完全に違うもののようだから、そこを理解していない男女が勘違いを繰り返していがみ合う。
しょせん「IF」の話なので、今となっては正解は不明なのですが。
pixivと絵師との利害が一致している範囲のグレーゾーンの創作は権利者を立てない限り消さないという方針で動いているように見える。
建前をどう掲げるかはともかく、そういった首尾一貫した論理を持ってしまった時点で「隠れルール」の運用者として失格なわけで。
もし今回カオスラウンジが「ネットで非難を集めている」という理由でBANしたら、「炎上させればアカウントBANにできる」という前例を作ってしまい、
これも同じ話の逆の側面で、「ネットで非難を集めている」なんて理由は公にする必要はないはずで、そうであれば前例にはならないわけです。
とにかく臨機応変、風を読みながらご都合主義に運用できるのが「隠れルール」の最大のメリットですから「カオスラウンジ切り捨て」方向でも、指摘のような点は障害にはならないかと。
まあ、ご都合主義でやる以上、隠れルールを上手く運用するには「ぶれてる」ことをなるべく隠しつつ、常に顧客多数派に「よく分からん方針だけど、俺たちの味方なのは確かだな」と思わせ続ける有能さが必要な訳ですが。
「ご都合主義」って言われても、わりきって、がんばるのだー。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20110702/p1
スロウハイツの神様は本当にいい物語だとは思うので、この記事を読む前に読んでほしい。
この記事を読むと、この記事を読まずに読んだ時とおそらく得られる体験がおおきく変わってしまう。
逆に言うと、この記事を読むならば、もう原作の方は読まなくていいんじゃないかと思う。
どっちか片方を選択しないといけない。
作者は他のプロ作家と戦いながら、こういうネタバレ評者とも戦わなければいけない時代。大変だな。
映画好きな人ならわかると思うけど、別にあらすじを知っていても
一部のトリック的な部分はともかくとして、
核の部分はやっぱり読まないとわからないし、ネタバレ読んでても感動できるものは感動できる。
そういうもんです。
だからどうぞ気にせずブログ記事を読んだ上で本も読むといいよ。
ちなみにこの部分の記述を読んで
すべて物語というものには差別構造がある。ある人物を「主人公」としてクローズアップし、特権化し、その人物の悲劇を人類最大の悲劇であるかのように描くというどうしようもない欺瞞の構造。
その構造そのものを鬼頭は批判する。それはリアルではない、物語のなかで端役としてどうでもいいように死んでいくだれそれにも、実は何十年かの人生があり、かれが死ねば泣き叫ぶ家族があるのだと、そう告発する。もっと想像力を働かせろ、物語が切り取っている部分が世界のすべてではないのだと、そう思い知れ、と。
あまりにも「正しい」告発である。わたしはうなずくことしかできない。その通りだからだ。しかし、同時に、人間は「愛という名の差別」から自由になることはできないこともまた事実なのだ。
わたしたちは物語を通してその登場人物に愛着を感じ、その人物を「特別」にしてしまう。ほかのどうでもいい脇役、端役に比べ格段に重要ないのちだと錯覚してしまう。決してそうではないはずなのだと、理屈ではそうしりながら。
物語にひそむ、この「愛」、この「差別」は、本質的にどうしようもないものだ。どれほど批判されても、わたしたちはこの構造から抜け出すことはできない。これは人間の「愛」の限界でもある。わたしたちは、物語的に理解できない百万人の死より、物語として理解できるひとりの死のほうを哀しむ生きものだ。わたしたちは物語を通してしか世界を把握できない。
そして――『スロウハイツの神様』は、『ぼくらの』とは対照的に、物語を称揚する。物語の魅力、その迫力、ひとを天上にまで導くその圧倒的な力の賛歌をうたい上げる。物語は素晴らしい。それはひとの人生をも変える力をもっている、ほんとうに素晴らしくまたうつくしいものなのだ、と語りあげる。
そして辻村はそれをひとつの物語のかたちで表そうとする。この物語の最終章のもつ怒涛の迫力はどうだろう。わたしは思う。あまりにも不自然だ、こんなことがあるはずはない、と。しかし、その一方で、わたしはまた思う。これこそ世界だ。このようにありえないことがじっさいに起こる場所、それが世界なのだ、と。
そうだ、ご都合主義かもしれない。やりすぎかもしれない。何かが過剰で、しかもべつの何かが過少であるのかもしれない。しかし――しかしそれでもなお、この物語は、わたしの心を打つ。ここで語られているものは、ある人間が生み出した物語が、ほかの人間の心を捉え、その人生を変えてしまうことはありえる、奇跡は起こる、という信仰だ。
その奇跡の瞬間、灰いろの生は輝きを取り戻し、彩りを増し、信じられないようなうつくしさでわたしたちを圧倒する。それをまえにして、わたしたちは思うのだ。ああ、生きていて良かった。生まれてきて良かった。
この世界は暗黒かもしれない。人間の宿命は絶望かもしれない。それでも、ここに一冊の本がある。一篇の物語がある。それははるか遠く、わたしをしらず、しろうとも思わないだれかが、それでもわたしに向けて放擲したメッセージボトルだ。それは長い長い旅の末、ついにわたしに届き、そしてわたしの生を変えた。
ああ、それはなんて素晴らしいことなのだろう。その「エウレカ!」の瞬間、わたしの世界は黄金の光に包まれる。エウレカ! わたしは見つけた。わたしはついに見付け出したのだ。生きる理由を。それは一作の、ただおもしろいだけの物語だ。しかし、その物語があるだけで、この世界の地獄のすべては許せる。
愛しているよ、とわたしは思う。この世界を愛しているよ。どうして愛さずにいられるだろう。このような物語を生み出したその母なる世界を。この物語が生まれえたというだけで、すべての悲惨、すべての苦しみは許される。それほどに、わたしはこの物語を愛している。
kaienさんには「ワールド・イズ・マイン」の感想を書いて欲しいと思った。
どちらかというと「ぼくらの」寄りの作品だと思うんだけれども、しかし「スロウハイツ」的な部分も感じる。
物語とか世界というより、人間そのものが大好きな人が書いた作品だと思う。
なので、こういう作品をkaienさんがどう評価するのか読んでみたい。
世の中で嫌われる人間の性質ははっきりしている。それはルールの内側なら何をしてもいいと考えている人間である。ルールに欠陥があるのは仕方のないことであって、その欠陥はモラルによって埋められることが暗黙に期待されている。ところが世の中には、公的なルールにさえ反しなければ完全に自由だと勘違いし、ルールに従っているという体裁をとっていればどんな醜い悪行をしてもよい、極力自分の利益を図ってよいと考えているヤクザ的人間がいる。こういう人間は、本来はルールに従っていてもその人格の醜悪さから嫌われて当然なのに、ルールに従っている者を嫌うのはおかしいなどと思い上がった考えをしており、自分を嫌う人間をルールの名の下に断罪するという卑劣な態度に出ることが多い。また、これと同様に、公的なルールの妥当性自体を検討しようとしない衆愚的な思考も罪である。これでは、一部の権力者が、自己の主観を、正義や現実性の名で覆い隠し、一般人に押し付けることになりかねない。場合によっては、権力者自体が巨悪であり、苛烈な法を有無を言わさず押し付けていることもある。これでは、順法やモラル以前の問題である。さらに、警察によく見られるように、確固とした人格がなく、自分たちのルールに従う人には優しくし、反発する人には、自己の人格を発露して善導するのでなく、徹底的にいじめるという矛盾的態度を示す者が実に多い。つまり、統一的な人格がなく、自分が好きな人だけ優遇し、嫌いな人はいじめるという、ご都合主義的な人格をしているのである。我が国の法の最大の欠陥は、ただ法の形式ばかりが完璧かつ用意周到に整備され、実際場面では、個々人がその法の範囲内で極力自己利益を図るように行動したり、人格的統一性がなく、相手に対する好悪で態度を変えるという日和見主義、八方美人的発想をしていることである。これでは法治国家として4,5流であって、とても世界に冠たる先進国などとはいえないし、子供たちの前で立派なことを大言壮語しておいて、実際の努力が偏狭な欲望と見栄を満足させることに費やされているのでは、あまりにも情けない。そもそも当の日本人自身が、机上では高邁な論議を尽くしながら、実際には実行に移さないとか、一定期間は実行してみるが、どういうわけか長続きせず、むしろ反動で高邁どころか徹底的に下劣になることが歴史的傾向としてあり、これでは日本国家以前に日本人自体がある種絶望的な人種であるというほかない。これを克服するには日本人自身が自己を反省すべきことに行き着くのであるが、現状は反省するどころか開き直っている日本人が多い(こういう人間に限って「学校からはもはや学ぶものは何もない」と嘯いているが、まったくもって何も学んでいない)。これでは、過去の高邁な議論は実を結ばず、すべて水泡に帰し、知的偉人たちの人生が無駄になってしまう以上に、日本人自身が単なる存在悪であることが証明されてしまったも同然であり、現代日本において正義が廃れ、社会が卑劣な人間の共同犯罪や阿鼻叫喚の物理的精神的戦争状態と化し、力で他を制した者こそが正義だという古代以前の未開社会に堕するのも蓋し当然である。ここまでくると、日本は北朝鮮や北アフリカの独裁国家以下の犯罪国家であり、日本自体存続に値するものとは思えない。日本の首相(もはや首領か)は今すぐにでも国際刑事裁判所の御世話になるべきではなかろうか。
このエントリーは三つに分けて考える必要がある
特にアニメが好きでもなく、知識があるわけでもないのに
畑違いの自身の知識だけで中身がないと断じてしまうのは、あまりにも幼稚だ
自分はお涙ちょうだいのドラマや惚れた腫れたの話が好きではないが
そうした話に感動する人もいる、場合によっては人生観が変わる人もいる
それを否定しないし、尊重する
自分が気にもとめない作品でも影で制作者の血のにじむような頑張りもあっただろう
あの作品は中身がない薄っぺらだ、あんな作品で感動する奴はたかが知れていると言ったらどうだろうか
さらに言えば
まどマギのようなオタク向けの作品以外でこうした論評を下しただろうか
このエントリーからはオタクに対して潜在的に見下しているものを感じる
最後に三つ目この人自身に対してだ
登場人物に感情移入できず、ストーリーもご都合主義のてんこもりで
うすっぺらに感じただけだった
それとも自分の感度が低すぎるのかなと書いてあるが
追記で謝罪するぐらいだから
お前の感度はクソ低いよバーカ
エヴァも見たことないのでセカイ系なんぞ知らんがなという20代ですが、セカイ系について思うことを整理。言葉自体は聞いたことが相当前からあったのですが。定義自体捉え違えている可能性があるので、あまり情報の正誤にはこだわらないよう。
なんかこういう定義っぽいのを聞いたとき、僕が最初に思い浮かんだのはワイルドアームズ2ndだ。
WA2は国家が複数存在するので、国際法的な問題が、現実問題としては考えられる。
実際そういう問題があることはゲーム中でも仄めかされ、そういう問題があるかのように序盤は話が展開していく。
ただ、プレイすれば分かると思うが、結局それはおつかいゲームの壁として用意されたかのようにシンプルな問題に矮小化され、お遣いを済ませば国交は自由ですよーというわけで自在に領空を飛べるようになる。
これは社会をある程度提示しているケースだが、ドラクエなんかはもはや国境なんぞ存在せず、作中登場人物そのものが超法規的とも言うべく行動を「ゲームだから」という理由で許されている。空だって飛び放題、ツボだって割り放題、女湯だって覗き放題。
つまり、「僕が世界を救う」という題目においては社会がどうあるべきかなんてのは考慮のうちには入っていない。社会ははじめから捨象されているのだ。
そういう意味で、僕はセカイ系をRPG系とみなせるのではないかと思う。ドラクエはセカイ系として扱うには異色かもしれないが、WA2以降、WA4あたりは根性論的セカイ系RPGと言っても差し支えないと思う。
と思ったのはGガンダムのガンダムファイト国際条約を聞いてからのこと。ガンダムファイトをすれば当然家屋がぶち壊れるわけだが、ガンダムファイト中はそれらの損害について弁償しなくていいというではないか。なるほど便利な条約である。
こういったセカイ系が社会を捨象しているのは、やはり現実=社会はストレスだという共通認識が得られているからではないだろうか。細かいことはいいんだよ、という具合だ。
そういう話を進める上で邪魔なものをすべて消去していった結果セカイ系が生まれ、さらに日常的生活を押していくと空気系になるのではないか。
部活や学校生活は、めんどくさい社会とは切り離された別社会であり、このごろ厨二病を発病する人も多かったのではないか。
部活のそれを描くにしろ金銭問題なんかはとことんクリアされ、学生のうちの挫折がないように見える(実際の学生生活は挫折が一度くらいはあるものだが)
というわけで、まだ社会の選別を実感しない、格差の現実に直面しない高校生活というのがなんだかんだでセカイ系の究極なんじゃないかなどと妄想。
んん?よくわかんなくなってきた
友達に「おい、俺まだやってないのにネタバレすんなよ」
自分が先に進んでるけど友達がやってないってところについては
聞かれない限り黙ってるのはマナーでしょ。多分。
それぐらいは中高生当時でも弁えてたよ。
以上の意味で、僕個人としては上に列挙した理由のユーザにネタバレを配慮する必要はないと考える。
これから購入しようというユーザがだいいちプレイ動画を見て判断しようということも、
あー、プレイ動画を見て買うかどうか決めるって視聴者が居るのか。
最初はふざけた奴だなと見ていたが、「よくよく考えたら無理じゃね」
「あれ、ネタバレ禁止してんのになんでコメで助け求めてるんですか、とんでもないご都合主義ですね^^」っていうケースにまま遭遇し、吹っ切れた状態。
ネタバレ禁止って言う動画ではネタバレ的なことは書かなければいいんじゃね。
まず、プレイ動画の最初に全部のネタバレを載せるようなケースもあるが、すでにクリアしたユーザーにとってそれすらもただの復習でしかないんだよね。
投稿者が初見だからっていうのはもっともらしい理屈だが、それならなぜネットに公開するのだろう。コメントを反映させる律儀な実況者もいるが、ネタバレされないという保障はない。また、無自覚にネタバレしてしまう、ということもあるだろう。
だから、私個人としては、投稿者に配慮したネタバレ自粛の場合、投稿者が先にすべて録画し終えたものを公開するほかに防ぐ手段はないと考えている。つまり見てくれているユーザーの意見を反映しようと思うなら、ネタバレは覚悟しなければならない。
また、同じ見ているユーザーに配慮しろというのはもっとおかしいことは、他の増田が指摘してくれている。
ゲームは見るよりやるほうが楽しめるものだが、見るということ自体がストーリーなり展開なりを体験することと同義。これはネットで見ることがなくても、友達の家でゲームしたりすればそうなるもので、友達に「おい、俺まだやってないのにネタバレすんなよ」なんてことがいかに愚かであるかはわかると思う。
以上の意味で、僕個人としては上に列挙した理由のユーザにネタバレを配慮する必要はないと考える。これから購入しようというユーザがだいいちプレイ動画を見て判断しようということも、ちょっと理解出来ないところがある。どのみちそういうソフトはユーザにとって優先順位が低いソフトなのではないだろうか。
また、脱線するが、プレイ動画には「ニセ既プレイ者」がたくさんいる。おそらくプレイ動画だけで済ませている人がろくに内容を理解せずにくっちゃべってるだけだと思うが、そういうのを考慮してもネタバレは防ぎようがない。
http://anond.hatelabo.jp/20110124160444
いや、俺がプレイ済みのゲームを、初見実況でしている投稿者が複数いて、ネタバレしないでね、と投稿者コメントに書いてるにもかかわらず、結構ネタバレコメが多いのが気になって。
最初はふざけた奴だなと見ていたが、「よくよく考えたら無理じゃね」「あれ、ネタバレ禁止してんのになんでコメで助け求めてるんですか、とんでもないご都合主義ですね^^」っていうケースにまま遭遇し、吹っ切れた状態。
適当にラノベのシナリオをまとめてみるけど、最近のラノベの方が恋愛要素多いよね。
ついでに昔のラノベの主人公は最初から強かったけど、今は無能力が多い。(代わりにヒロインが万能だったりする)
Lv9999の俺Tueeeeee集団が魔王とか倒す話。恋愛要素は薄い(アニメでカップリング要素が強化)。
最後は「人間のせいで仲間の1人の中に眠っていた魔王が覚醒し、それを倒す」というかなりバッドエンドに近い内容。
神とか魔王とかテンプレ的な世界観を扱いながら、「人の心の闇」も同時に扱ってるのが魅力なんじゃなかろーか。
指輪物語のような正統ファンタジーに対するアンチテーゼとして生まれたが、現在では学園ファンタジーなどが流行った影響で正統ファンタジーの一派に含められてしまっている。
Lv99の主人公が世界を滅ぼす神と対峙する話。恋愛要素は薄い。
最後は「バリアがあるから神が襲ってくるんだ、魔王の力を得て竜族が作ったバリアを解除しちゃえ」というオチで、その後世界がどうなったのかは語られない。多分平和になったんだろう。
異端者を葬るブギーポップという多重人格を持つ少女を中心とした群集劇。恋愛要素は弱め、群集の関係を描く一環として描かれる。
全体的なテーマとしては「ハグレ者」として生きる人間、「ハグレ者」として斬られる人間のラインを語るような感じ。たぶん未完結。
1巻が一番面白かった。エンブリオまでは大体面白かったけど、そこから先はいまいち…。
世界を作り変える異能を持った少女を中心とした青春小説。主人公は無能力。
「男性向けハーレクインロマンス」という表現はむしろこっちの方が当てはまる。
世界を作り変える能力を持ってしまった、わがままなお姫様を満足させるために主人公たちがあれこれ立ち回る。
ハルヒが満足すると異能がなくなる設定のため、早々にハルヒの能力がなくなって話が動かせなくなって、無理やりライバルキャラを増やしたり展開を引き延ばしてる感が酷い。
http://www.amazon.co.jp/review/R92LAB0MXPIE0/
このレビューが的確。要するに困難に対してマネジメントを引用して解決するという形で、マネジメントの内容を紹介する青春小説。
ご都合主義すぎてマネジメントが胡散臭いカルトのようになってしまっているのはご愛嬌。マネジメントを除けば運動系部活の王道展開。
異能に取り付かれた少年が、同じように異能に取り付かれた少女が救済されるのを見守る青春小説。主人公は弱い。
男女論って感情論が多い。
モテなくて女性であるメリットを享受できなかったからフェミニストになった女性、
専業主婦って敵が多いね。俺は養える学歴でも立場でもないけど。
それお前の個人的な感情でしょ、と言いたくなる。
けっきょく自分と波長が合う人間と出会えたら最高で、社会も国家も国籍もどうでもいいもんだ。
自分の所為で誰かが自殺することになったとしても心は痛まない。
自分が裁かれる立場にはなりたくないから直接他人に危害は加えない。
他人のために何で俺が犠牲にならなければならないんだ。
左翼な人は自分が権力闘争の負け組になったからマイノリティをダシにして再起を図ってるだけだし、
右翼な人は自分の生活がヤバいのはあいつらのせいだ、国民は団結してついでに私の生活を救ってくれって言ってるようにしか見えないし、
だってバブル景気とか経済が潤ってた時は日本の社会がどうとか誰かが北朝鮮に拉致されようがお前らどうでもよかったじゃん。
景気が悪くなって稼げなくなったから国防だ外国人参政権だ言い出すご都合主義が笑えるよ。
社会問題になったのは自分が同じ危険に巻き込まれたくないからで、被害者の名前を覚えてる奴なんかいないだろ?
酒とツマミを口にしながらこの間の20代銀行員の自殺生中継を見ていた奴いるだろ?
俺は生き残るけど俺と俺の身内以外は死んでもいい。
絶対に俺は生き残ってやる。
kamayan
webであまり語られない事実として、山本夜羽音さん周辺は3月以前からずーっと継続的にロビー活動してました。山本さんが怒った(叱った)相手は、12月の13日頃から都議会並びに都条例に関わろうとしました。だから山本さんが怒り叱るのは当然。イデオロギー問題じゃなくて、信義と対議会戦法の問題。
rawan60
kamayanさん
都条例に反対する立場の市民が、いつ、どのような形でかかわろうとするかは大前提として自由。自分たちとは違う団体だから共闘できないとする表明もまた自由。そのような前提を無視して邪魔者扱いして排除するという異様な行為があればイデオロギーや人格さえも問われることになる。彼らのいう戦法に従わなくてはならないという意識が条例反対者全体に共有されていたのでしょうか?それがないなら「信義」などというのは後出しジャンケン。戦法の上手いヘタは、それこそ別の問題でしょう。
kamayan
いやいや、この活動に現場で関っている人間の数は実際のところすごく限られているのだから、その現場にもし関りたいのなら、先達の邪魔をしないようにしろ、というのは当然だと思いますが。
七誌
>昼間のような歴史修正主義者や山本のようなご都合主義者についてはしっかりと批判し
緊急ネットワークの根来氏と昼間・山本両者の間で和解がなされようとしているこのタイミングで、こうした批判を上げる意図が分かりません。レッテルを貼って協調の機会を壊そうというのですか?残念ながら一連の行為は利敵目的の分断活動でしかありませんよ。
>都条例に反対する立場の市民が、いつ、どのような形でかかわろうとするかは大前提として自由。
自由ではありません。議会や議員という相手がいるのだから、彼らに迷惑がかからない様に注意を払うのは社会常識として当然の話です。そもそも相手に迷惑をかけて心象を悪くしておいて、自分の主張を聞いてもらえますか?そんな訳ありません。
blog主さんは残念ながら傍若無人と自由を履き違えを起こしています。今までもその様な履き違えた者達のために、最前線で頑張っていた市民や議員の足を引っ張る、いわば「味方を背中から撃つ」行為がたびたび行われていた事実をまずは直視すべきでしょう。「味方を背中から撃つ」行為は誰からも批判を受けます。今回、緊急ネットワークがそれをやってしまったため、批判された。ただそれだけの事です。しかし現在彼らもそれを反省し、今後に生かそうとしています。今回のエントリはそんな緊急ネットワークの背中を見事に撃ってますよ。blog主さんは石原慎太郎ではなく、味方を撃つのがそんなにお好きなのでしょうか?
rawan60
>その現場にもし関りたいのなら、先達の邪魔をしないようにしろ、
それだけですか?違うでしょう。
七誌さん
>議会や議員という相手がいるのだから、彼らに迷惑がかからない様に注意を払うのは社会常識として当然の話です。
議会や議員に迷惑をかけたのでしょうか?クレームがあったのでしょうか?あったとして、それを昼間氏に責任を問えと向けられたのでしょうか?ぜひお聞かせ願いたいですが。
七誌
参加した同行者(J_A_Peazerさん)から苦情が出ている事実をまずは重く見るべきです。
@qianbianwanhua 突然失礼します。「女性表現者の会」は残念ながらマナーを守らない人たちの集まりで、とても評価できるものではありません。
自分はそれに巻き込まれて、ひどい目に会いました。http://bit.ly/etXzD3
http://twitter.com/J_A_Peazer/status/15461354123038720
J_A_PeazerさんのTLまとめ
都条例問題 「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」に同行した人、目撃した人からの苦言・問題提起。
「率直に言いますが、(緊急ネットワークの)行動はかなり問題のあるものでした」
rawan60
七誌さん
いいたいことが良く分かりませんね。
あなたは、私が「都条例に反対する立場の市民が、いつ、どのような形でかかわろうとするかは大前提として自由」という原則論に対して「自由ではない」といい、「議会や議員という相手がいるのだから、彼らに迷惑がかからない様に注意を払うのは社会常識として当然」といったのですよ。だから議員からのクレームがあったのか、またその責任を理不尽にも昼間氏が負わされたのかと聞いたのですよ。
例示されているのは、「緊急ネットワーク」内部の話でしょう。そこでどのような批判や反省がなされるかは、エントリーの論旨とは直接関係ないですね。
七誌
参加者当人からのクレームは無視ですか?現に「迷惑を受けた」と公言しているというのに。
また都議会民主党からはアポ無し面会が拒否され、その際受付にて押し問答を行った事も明記されていますが?これも立派な迷惑行為ですよ。
結局、貴方の主張は「都条例に反対する立場の市民が、いつ、どのような形でかかわろうとするかは大前提として自由」と掲げておきながら、批判やクレームは特定のものしか受け付けないというダブルスタンダードというわけです。「自由な行動」を標榜しておきながら、「自由な批判・クレーム」は認めないとはとんだお笑いです。自由と傍若無人を履き違えている事が良く分かりますね。
>例示されているのは、「緊急ネットワーク」内部の話でしょう。そこでどのような批判や反省がなされるかは、エントリーの論旨とは直接関係ないですね。
おやおや、緊急ネットワークと昼間・山本両氏の問題をネタにしておきながら、両者が和解すると見るや「関係ない」ですか。いやはや、ここまで来るとご都合主義も甚だしいですね。緊急ネットワークと関係が無いなら、このエントリ自体存在価値が無いじゃないですか(笑)
まあ、ついに貴方は自白してしまいましたが、結局ただの部外者が当事者間で決着のついた問題を掘り起こして、愉快犯的に騒ぎたいというのが本来の狙いだったようですね。呆れたものです。
rawan60
>参加者当人からのクレームは無視ですか?現に「迷惑を受けた」と公言しているというのに。
だから、そんな事実があるなら「緊急ネットワーク」内部で話し合って自己批判するなりしろといっているの。わからないの?
>その際受付にて押し問答を行った事も明記されていますが?これも立派な迷惑行為ですよ。
はあ……そうですか。あなたの脳内じゃ機動隊と衝突なんてのは空想の世界らしい(笑
わたしゃ、昼間氏や山本氏に無関係で理不尽な抗議が議員側からあった(だから彼らは名刺をさらしたりの行為に及んだのか)のかと聞いているのに何も答えない。
残念、そんな趣味はありません。
not
>七誌さん
確かに受付で押し問答が起きてますね。rawan60さんはちゃんとソースを読むべきです。
しかし、いざ民主党議員の方々の控え室についてみると、何かおかしい。秘書の方が、『前もってご連絡いただかないと……』などといっている。なんと、アポ無しだったのです。それなのに『こうして都民が来ているんだから……』と会って当然というような主張を繰り返します。#hijitsuzai
http://twitter.com/J_A_Peazer/status/14356814204248065
rawan60
notさん
読んでいますよ。その他の部分も含めて。
あなたこそエントリーと、一つ上のコメントをちゃんと読んでくださいよ。
not
そもそも「機動隊と衝突」などという常識外れの妄言を主張している段階で信用性ゼロです。
極論を振り回して自己正当化するのも正直みっともないですし、ますます信用されなくなるので、もう止めた方がよいでしょう。
やねごん
七誌さん
呼びかけ人のひとりとして、個人的な見解をのべます。もちろん、緊急ネットワークの「代弁」でもありません。
声明をちゃんと読んでもらえれば、おっしゃってることはすべて、声明文のなかですでに先取りして批判している論点だとわかるはずですが、簡潔におへんじします。
『緊急ネットワークの根来氏と昼間・山本両者の間で和解がなされようとしているこのタイミングで、こうした批判を上げる意図が分かりません。レッテルを貼って協調の機会を壊そうというのですか?残念ながら一連の行為は利敵目的の分断活動でしかありませんよ。』
「利敵目的の分断活動」うんぬんとおっしゃいますが、だれを「敵」とし、あるいは「味方」にえらぶかは、緊急ネットワークが主体的にえらぶことであって、あなた(たち)やわたしが決めることではありません。運動体や個人は、それぞれが複合的な目的意識をもって活動しているものであって、かりに「今回の条例改定反対」という目的が一致したとしても、それは複合的な目的のなかの「ひとつ」をある観点から切り取ったときに「一致している」ということにすぎません。したがって、「どこで敵対線を引き、だれ(どの団体)と協調するか?」をめぐっては、各団体・各個人において、さまざまに選択がありうるし、その選択は当の団体・個人が主体的に判断することがらです。
「緊急ネットワークの根来氏と昼間・山本両者の間で和解がなされようとしているこのタイミングで」というのは、あ・な・た・の・願望にすぎないでしょ? 「和解」は当事者団体(あるいは個人)間で双方の合意によって成立することです。「和解」と「協調」が必要であり可能であると判断すれば、わたしなんかが何を言おうと、緊急ネットワークは「和解」「協調」をえらぶだろうし、そうでなければ「協調しない」(あるいは「敵対する」)という選択肢もありうる。その選択肢をえらんだからといって、あなたから「利敵」行為だと責められる筋合いはありません。
たまたま目標の「ひとつ」が一致しているからといって、あたかも他者がじふんと「協調」すべき「仲間」であるかのように思いこんでしまうこと。この思いこみから、自己の期待にそわない行為を他者がとったとたん逆ギレして難癖をつけるという、ストーカーの典型的な行動パターンまでは、一直線です。気をつけましょう。
以上で id:kamayan さんへのおへんじとしても十分とおもいます。
kamayan さんは、「イデオロギー問題じゃなくて、信義と対議会戦法の問題」とおっしゃいますが、以上のべた理由で、これはあなたの願望の投影された「理解」にすぎないとおもいます。なにを「イデオロギー」と評価するかは、各個人・団体によって多様にありうるし、「信義」なるものが「先達」(と勝手に自己規定する者)から一方的におしつけられるならば、それは「信義」とよぶにあたいしません。
やねごん
id:rawan60 さん。
rawan60
やねごんさん
少なくとも「聞いている問いには何も答えず、自分の「運動の概念」以外は常識はずれにしてしまい、人を根拠無く嘘つき呼ばわりする人たちがいる」
ということは良く分かりました。
not
>やねごんさん
> 「緊急ネットワークの根来氏と昼間・山本両者の間で和解がなされようとしているこのタイミングで」というのは、あ・な・た・の・願望にすぎないでしょ?
現実を直視せずに妄想に走っているようでは誰からも信用されませんよ。
@mangaronsoh 昼間さん、根来です。(略) 情報が錯綜し、亀裂を生んでいると思うので、よかったら会いませんか?DM送りますね。もし、今気持ち的に無理でしたらおちついてからでも大丈夫です。連絡先送ります。
メール頂きました。面談は問題ございません。子細は別途、ご連絡しますね
@johanne_DOXA こちらこそパニックになっていたようで周りへの配慮を欠いたことなどをお話できればと思います。急ぎませんので御仕事の差し支えない時でどうぞ宜しくお願いします
委細了解しました。知らぬ仲でもなし、対話していただけることは感謝しています。
やねごん
not さん。
ええ、引用されたやりとりは承知してますよ。承知のうえで、あのように書きました。
まず、そのやりとりのあった《文脈》をふまえることが大事です。
また、七誌さんが書かれた「和解がなされようとしているこのタイミングで」というのは、わたしたちが声明を発表した12月23日の時点をさします。引用されたやりとりからこの間の《経過》もあります。
これ以上の説明はしませんが、not さんには、《文脈》およびその後の《経過》をふまえて冷静に事態をみなおすよう、おすすめします。こうした《文脈》《経過》から恣意的に切り離されて引用された「ソース」なるものが、あなたが「直視」せよとおっしゃる「現実」そのものであるわけではありませんので。
やねごん
本声明の評価と直接関係のないコメントでしたので、Dachikan さんの書きこみ(2010/12/25 22:20)を削除しました。
以後、当面、このコメント欄は、承認制にします。つまり、書きこんでいただいたコメントは、あらかじめわたしが検閲し、承認したもののみが掲載されるということです。
kogemayo氏は個人の精神的自由を原理として掲げて、ロリペドだろうがなんだろうが個人の自由だしそのための不都合は社会が保障すべきって立場らしい。
だがこれはリベラリズムではなく、リバタリアニズムの自由原理と、リベラリズムの社会保障をどっちも欲しいという話で、まあそりゃ実に都合のいい話ではある。
しかしリベラリズムのいう「社会」というのは四次元ポケットを持ったドラえもんではなく、結局個々人が合意のもとに構成するものなので、税金を集めて公的機関を作って、というある程度の「個人の自由制限」が前提となる。
したがってkogemayo氏の論は成立しないわけ。
都合のいい時に出現する、つまり、好きなときに道具箱から出せる存在こそ楽しみだ。
例えば子供。産みっぱなしにしておいて、親でもない他人に育てさせて、それ私の子ですとやっちゃう。
現実はそんな単純じゃないし子供はおもちゃじゃないから、突然現れた親なんかになついてはくれないかもしれない。
人生の目指すところってこうじゃないのか?
楽しいって都合がいい事じゃないのか?
不幸な人がいるのはいけない事だ。おもちゃに人格はあってはいけない、人格があるから不幸になる。
人格が不幸をもたらすから、生みたければ生めばいい。本当の親が現れれば喜べばいい。
育ての親さん達は、本当の親が現れた事によるメリットその他もろもろをおもちゃにすればいい。
私が楽しく過ごす事によって不幸になる人がいる。
他人が勝手に振舞ったり私を傷つける行動に出たにもかかわらず幸福だとする。
楽しめないものか?おもちゃなのだから楽しめばいい。
パソコンをしながら
馬鹿にしていた。
そして、ついには婚約者にも断られる。
「死ぬわけじゃないって言ってるんだし、協力するだろ、普通。」
「ご都合主義、くだらない。」
そう思っていた。
先日、伯父が白血病にかかった。
突然の知らせに驚いた。
薬で治療をする、という事らしく、
本格的治療に入る前に見舞いに行ったりした。
その後、忙しくなり、なかなか顔を出せなかったが、
どうやら退院をしても良い期間と、
入院をする期間とを交互するような生活に入り、
安定してきたという話を聞いていた。
ところが急に耐えられないほどの痛みを訴え、検査をしたら、
唯一の兄弟である母が提供者となるべく、検査をすることになった。
そこで、医師より以下のような説明があったらしい。
骨髄移植には以下の2通りの方法がある。
・薬により血中の白血球数を通常の10倍ほどに増やした状態で採血(?)を行う方法
後者は薬の影響で数年後、自身が白血病にかかるケースがある、という事らしい。
そして、近年では後者が主流になってきているそうだ。
医師の話を母から又聞きしているので、情報が欠けているのかもしれない。)
テレビでタレントがドナー登録をカジュアルに訴えているような世の中なので、
恐らく医師の言ったようなリスクは非常に低い確率で発生するようなことなのだと思う。
しかしそれを聞いた時、
検査の結果、適合して伯父を救って欲しいという気持ちと同時に、
適合せずに母が安全でいて欲しいという気持ちが生まれてしまった。
仮に、母に代わって自分が行けるか、と考えると、
妊娠中の妻と、生まれてくる子供の事が浮かび、確実に躊躇している自分がいた。
まさに、鼻で笑っていたドラマの薄情な親戚そのものだった。
直接医師に確認をしていないので、情報が足りていない状況だが、
自分がそう考え事がひどくショックだった。
残念ながら母の血液では伯父に適合しなかったという連絡があった。