はてなキーワード: 普通にとは
その会社は将来性がないとか、好きなことだけで就活進めてるとか、言いたい放題。
「どうしてもその会社に行きたいなら自分たちを説得しろ」とか言うけど、こちらの主張と相反する答えを持っててはなから変える気ない相手を納得させるのってほぼ不可能じゃない??
将来が心配とか口では言ってるけど、レール敷こうとしてる感が見え見えで、反吐が出る。
仮に本心から言ってるのだとしても、普通に成人だし自分で選ぶべきことだし、干渉しないでほしい。
親って株主みたいなものだし多少口出す権利はあるとは思うけど、さすがに過干渉すぎだし理想押し付けられる側としても辛いからやめてほしい。
国会議員クラスは難しいが、地方議員なら普通にアポを取れば会ってくれるよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240427031516
gryphon 面白く読んだが2点。「…付託されたが、その後本格的な審査…ない」は議会が駆引と日程で動く以上あり得る話で「付託」時点で一定水準の議論と推定可能か/米上院(各州2議席)等「平等選挙原則」は前提にせずとも可
平等選挙原則の話はあとに回す。議会が駆け引きと日程で動くのであれば、付託は政治的取引の結果と解することもできるような気がするというのはともかくとして、確かに議会の駆け引きの結果たなざらしにされているという可能性はある。そこで、先の2008年提案をもう少し細かく読んで見た。
https://dserver.bundestag.de/btd/16/098/1609868.pdf
よく読むと、この提案は、基本法や関連法規の改正を連邦政府に促すべきだという「決議」の提案であり、基本法改正の条文を並び立てる案ではない。条文も具体的な制度設計も伴わない提案を一定水準の議論と言って良いのか。だから賛否も問われずにたなざらしにされたのではないだろうか。以下の文章以外は、提案の理由(いわゆる「世代間正義」の実現が主のようだ)が長々述べられているに過ぎない。
II. Der Deutsche Bundestag fordert die Bundesregierung auf, einen Gesetzentwurf zur Einführung eines Wahlrechts von Geburt an durch Än- derung des Artikels 38 des Grundgesetzes und erforderliche weitere gesetzliche Änderungen, insbesondere im Bundeswahlgesetz, vorzulegen. Für den Fall, dass die Eltern sich in der Ausübung ihrer Stellvertreterposition in Bezug auf das Kindeswahlrecht nicht einigen können, wird die Bundesregierung aufgefor- dert, eine einfache und beide Eltern möglichst gleichberechtigende Regelung zu schaffen.
連邦議会は、連邦政府に対して、基本法第38条と他の必要な法律の改正、特に連邦選挙法の改正を通じて出生時からの選挙権を導入する法案を提出するよう求める。両親が子の選挙権についての代理権行使[の方法]について一致できない場合のために、連邦政府には、簡単かつ両親双方に可能な限り同権的な規則を作成することを求める。
ちなみに、Wikipediaドイツ語版(https://de.wikipedia.org/wiki/Familienwahlrecht)を見て知ったのだが、2003年にもほぼ同じ提案がされている(https://dserver.bundestag.de/btd/15/015/1501544.pdf)。
こうして経緯を調べてみると、議会の妥協ゆえにたなざらしにされているというよりも、5年経って具体的な案も詰められなかったというのが現実であるように思われる。
「国会で」とか「政府で」という枠を外して学界に目を転じると、確かにドイツ人らしく(?)真面目に議論されているみたいだ。前回の調査局の報告書には、数は少ないながらこの問題を直接的に取り扱った論文がいくつか引用されていた。彼らが議論しているのは基本法の定める民主国家原理に反するのか、それを促進できるのかという点である。問題は、そうした真面目な議論をきちんと踏まえた上でドイツ人ができなかった(ように見える)平等選挙の原則に反しない提案を考案するどころか、子が3人だから私は4票(吉村氏)などと賛成派のドイツ人も避けようとしている発言をしてしまっていることだ。
さて、平等選挙の話に戻る。アメリカの上院は人口にかかわらず一州に2議席である。しかし、このような例があるから平等選挙は必ずしも民主主義の前提ではないというのに私は強い疑問がある。
第一に、合衆国憲法の上院の議席分配については、アメリカ連邦制特有のものである。アメリカのような連邦制をとらない日本でこの例を出すことは不適切だろう。
第二に、アメリカの上院の議席分配が不平等であることは、当のアメリカ人も不満を持っている。たとえば有名な政治学者ロバート・ダールの『アメリカ憲法は民主的か』(邦訳が岩波書店からある)は、上院議員が人口に比例していない「顕著な不平等代表」であると述べる(邦訳58頁以下)。この仕組みは合衆国憲法制定時に諸州の妥協(いわゆるコネティカット妥協)で作られたわけであるが、そもそも、合衆国憲法は民主主義が大事にされる時代に制定されたわけではないというのが時代背景としてある。合衆国憲法が制定された時代には、不平等な選挙制度は普通に見られた。ダールは一例として、19世紀に存在した悪名高いプロイセンの三級選挙法を引き合いに出している。三級選挙法は、平等選挙を求める激しい非難を浴びながらもしぶとく生き残っていたが、第一次大戦の敗北と共に消え去ったのである。選挙権は与えるが露骨にユンカーと資本家の票を優遇するこの仕組みは極めて有名であり、今でも平等選挙の反対概念である差等選挙の一例として三級選挙法はよく言及される。今さら民主主義が大事にされていたわけではない時代にできた妥協として生き残っているものを引き合いに出すのは、民主主義者の行動としてはおかしなものだと思う。ちなみに、ドイツの連邦参議院(上院)は、ある程度の人口比例的に各州に議席が割り振られることになっている(また、そもそも連邦参議院はアメリカの上院ほどの権限はない)。
ケルゼンも言っているが、民主主義は人々の平等をもって本旨とする(古代のギリシアの民主政も突き詰めれば平等に行き着くだろう。民主政を表すもう一つの言葉はイソノミア(平等の法)である)。選挙権の平等は民主主義と切っても切れないのであり、ドイツ人が平等選挙に反しないように「代理」と言っているのは、ドイツ基本法(憲法)20条に抵触するのを避けるためだけではないだろう。もし平等選挙の理念を取っ払うのだとすれば、金持ちが結託して再び三級選挙法のような仕組みを導入されても文句は言えない。むしろ今般の眠たい提案よりも金持ちを守るための露骨な提案の方が議会を通りやすいだろう。平等選挙を引っ込めてはならない。
選挙権の平等に歪みを加えるような制度改正をしても、政治的影響力を増すのは「代理」する大人であり、子どもではないという現実を見るべきだ。若年者の「世代間平等」とやらを図りたいのであれば、方法は一つである。「代理」などという回りくどいことなどせず、選挙権の年齢を下げることだ。16歳、(オーストリアで検討されている)14歳、あるいはその下でもいいが、子どもが投票の意思表示をすることができるギリギリまで下げてみることを提案されたい(ちなみに私は、14歳くらいまでなら割とすぐにでも引き下げて良いのではないかと思う)。
(ついでに)
意思表示の能力がない子どもは排除されるのになぜ意思表示の能力のない人(たとえば重度な認知症の老人)が選挙権から排除されないのかという疑問を持つ人もいるらしい。理論的にいえば、確かに意思表示の能力のない人は選挙、つまり国家意思の形成に参与する資格はない(実は理論的にいえば子どもか老人かは選挙権の決定に直接関係するわけではない)。そうすると、なぜ2013年の法改正で成年後見人の選挙権が回復されたかという疑問がわきそうだが、後見はあくまで財産管理上の能力があるか否かの問題であり、政治的な意思表示の能力があるかとは厳密にいえば関係ない※。要は、現状、意思表示の能力のない大人を選挙権から排除する仕組みはないと考えなければならない(もっとも、実際には政治的な意思表示が一切できないなら投票所に来られまいし、投票所に来ても何もできないだろうが)。
憲法が成年(ここでいう成年とは民法上の成年をいう)に選挙権を保障するのは、成年であれば政治的意思表示の能力があるだろうという線引きを採用しているからである。こうした年齢によって能力の有無の線引きにするのは、一見すると確かに問題がある。子どもでも賢い子はいるし、大人でも愚鈍な人はいる。思考実験としては、年齢にかかわらずすべて政治的な意思表示の能力がある人をテストで判定し、テストに合格した人にみに選挙権を与えるということも考えられる。ただ、どのような方法でテストを組めば公正に政治的意思表示の能力があると見なせるかという問題が生じる。このようなテストを実際に恣意的に活用して実質的に黒人の投票権を奪っていたのがかつてのアメリカ南部諸州であったことを忘れてはならない。
結局、年齢によって形式的に線引きする方が、ヨリ問題はすくないように思う(年齢よりも問題を起こしにくい線引きの方法があったら教えてくれ)。あとはどこまで下げられるかを真剣に考えることだ。
なお、日本国憲法15条3項は、成年者には選挙権を与えなければならないとだけ言っており(公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する)、未成年者に選挙権を与えることを禁じていない。これは、ドイツ基本法38条2項が、「満18歳の者は、選挙権を有する」と定めていることと対照的である。年齢の引き下げなら日本では憲法改正など必要なくすぐさまやれることなのに、わざわざ憲法改正どころか民主主義の根本原理を改変するような提案をしてくるのは、何かおかしな底意があるのだろう。
※これは思いつきだが、禁治産者が選挙権から排除されていたのは、財産を持つ有徳の者にだけ選挙権は与えられるべきであるという制限選挙時代のBesitz und Bildungの観念に由来するのかな。いずれ調べてみたい。
なんかもう既に絶滅危惧種のうなぎ食いまくってる不謹慎ネタ感が出て来ている。
今は絶滅危惧種とは言え普通に食べられるからギリセーフだが、もっと本格的な絶滅危惧種になった時には、流石にうな重何杯分だ?とは言えないはずだ。
昨晩は胸の辺りをどつかれた。
夢のくせにそこそこ痛かったので驚いたし、本当に母が戻ってきたのかと思って怖くなった。
母はそれなりの頻度で夢に出てくる。出演権を与えた覚えはない。もう七回忌も過ぎているのにしつこい。やめてほしい。
やることは大体決まっていて、生前の様子と大体同じ。私が何を言っても馬鹿にする。自分が最優先で、私にも姫扱いを要求。たまに「おかあさん」と呼んでくる。私が自分のために用意した作り置きを食い荒らし、水回りとコンロに煙草の灰を振り撒き、私の服や部屋の至るところに排泄物をなする。過敏性腸症候群とアル中の合わせ技でゆるい便がよく手に付いていた。
彼女が金を出して借りた家に住んでいた頃は我慢していたが、今は当然ながら独り立ちしているし、夢の中でもそういう設定になっていて、私はわりとはっきり文句を言う。大体勝手に居座られている設定なので、早く出ていってくれとか、部屋のものに触らないでくれとか。やむを得ない理由が発生して二人で部屋を借りる設定の夢なら、せめて家賃は払ってくれ、約束した家賃が払えないなら今すぐ出ていってくれとか。でも聞きやしない。そういう女だった。夢に出るときくらい素敵な母親みたいになってもいいのに、無駄に再現度が高い。勘弁。
で、昨晩また出てきた。
おおむねいつも通りの居座られシナリオではあったのだが、へらへらして私を馬鹿にしているばかりだった母が、最後に珍しく怒りを込めた感じで私をじっと睨んできた。そしてどついてきた。
遺品や押し付けられた家具をごっそり捨てて引っ越しをするから、それが原因かな、と思った。
母が死んだ後、当時の賃貸は独りで住む広さと賃料ではなかったので、引っ越しをした。死にたての盛り上がりに乗せられて遺品を色々持ってきてしまったし、鬱をやっていたおかげでとにかく金が無かった。仕方なくありものを活用していた。解放されたはずなのにいつまでも亡霊がいるようで嫌だったし、家具は母がリサイクルショップで見つけてきたものが多く、普通にそこそこ傷んでいる。諸事情で引っ越しをすることになったので、ついでに整理してやろうと思った。収入も貯金も、幸い今の部屋に住み出した頃に比べれば多くなっていた。一人分の部屋をどうにかする程度なら自力で賄えた。
遺品はまとめて捨てる。家具も大物をいくつか買い替える。家電もだ。通販サイトで安く買ったものばかりだけど、私だけの新品だ。やっと私の生活が始まる、私はもうお姫様の不出来な召使いではない、そんな思いがここ数日何度も胸に去来していた。
だから昨晩の夢でも言った。私はもうあんたの召使いじゃない。そうしたら無言で手を出してきた。まあ、うん、そういうとこあったよね。わかるよ。という感じだった。
痛くてビビって目が覚めて、とりあえず母がいないことを確認した。いなかった。本当によかった。
安心したら悔しくなった。絶対に自分からは手を出さないが、母が暴力をふるった時に限り向こうが打ってきた回数だけ返していいというルールを勝手に定めていたので、やられっぱなしで終了したのが勿体なくて堪らなかった。
今度夢に出てきたら今度こそ絶対に私の家から追い出してやるし、どつかれた分もお返しする。
だからもう来ないでほしい。
当たり前のことが感覚でわからないやつに一から理屈を説明してやると「そんな細かく考えてない」と言い出す。
みんなが感覚で何となく処理してることを説明するからそんな風になるのであって、それを感覚でわからない自分が悪いだけなのに、なぜか被害者面。
よく、「直感派か理論派か」とかわけようとする人がいるが、実際は物事を深く考えられない知能と直感の鈍さには普通に相関がある。
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ある場所の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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約7年くらい前、インターネットのとあるところに、ASDスペクトラム他の発達障害者や理解者、関係者のための、掲示板がありました。
リアルの現実では『軽度発達障害グレーゾーン』と呼ばれる人たちなどが、何千人も、ネットの海に潜伏していました。そして掲示板にたどり着いていました。
その、発達障害当事者・関係者向けのコミュ場所、掲示板も、もう終了してしまいました。
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小さな小さな、一参加者だったレモンむしぱん(旧ハンドルネーム)はブログを作りました。
https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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受動当事者なのに頭の中だけ、言語化が止まらない。生活を浸食する言語化。自分を許せない感情の分析で言語化。
苦しんでいるはずなのに救済をあきらめ続けることが止まらないこの国の軽度当事者たちの不可解さを言語化。
とり憑かれると生活を浸食される妖怪、それは妖怪ゲンゴカー。野良レモンに取り憑いて、今日も薄いペラッペラの言論を危なっかしく書き走る。
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発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいのでね。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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●ひっそりと趣味を続けて、ストレス溜まっても趣味を続けて、発散されて、安らげる。ここが羨ましい話。いいねぇ。
この場合は、私も一時期えんえん見てたけど、ソロキャンプがバズってしまって、承認されて、収入としても花開いてしまったけれども、近い世代の野良としては、羨ましいのはそこじゃなくて。もうかったところじゃなくて。
心のオアシスが、今でもいつまでもオアシスであり続けるところ。
私は、身体に限界がきて制限している趣味が発生している。私たち当事者たちは、限界が早めに来やすい。旅行とかの趣味はなるべく早く、気が済むところまで極めておいたほうがいいかもですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=3P8zMqCMYxs&t=211s (リゲイントリプルうんちゃらの宣伝も入っていましたが、野良はそんなの視界に入ってません。興味は無いでもない…)
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●子どもの支援の場合についての動画ですが、4つにまとめられていて、とても ❝とっつきやすい❞ ので揚げました。
大人の私たちも、悩みは多肢にわたって抱えます。あれがうまくいかない、これが満たされない、この相手にこれが通じないetcetcで、まず自分に原因を探すさいに、私たちは自分の生育の中でなにが足りなかったんだろう? と振り返ります。よね?
野良のように、医療からは検査診断以外のなんの分析もご指導ももらえない境遇の当事者は、自分で自給自足しようと孤軍奮闘して人生がほぼ終わるわけです。自分で調べても、ネットで聞いても、振り回されるばかりなのですが、私たちに不足している栄養分(お勉強)にはだいたいこういうものがありますよ、と可視化されるだけでも不安感は違うものなのです。
それでもね、私たちに必要なのに、無い栄養分が4つもあるなんて、多過ぎるかもしれませんね。日々の日常を回すときに、念頭に置いておける限界は、せいぜい1つか2つでしょ。世の理不尽は底知れませんね。
ちなみにこの4つがそろうまでも、1つ1つがブームになりながらそろってきた歴史があります。発達障害が世に知られてくる20年以上前からメンヘラさんたちの治療に応用行動分析、次に自閉の療育にティーチ、そのさいコミュニケーションするためのツールとしてぺクス、今はSSTが流行………? 書店に本がいっぱいある感じですね。
(動画URL、取っといて無かった)
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ふーん。野良は ❝いやいや過激な実験ですねぇ……❞ と感じて苦笑いするだけで済みますが、済まないかたは、動画再生は無理しないで。
少なくとも、野良の生活圏内で、この治療に近づく手段は無い。それに想像力の獲得が短時間だけ、でも考えようによっては命懸けの治療を一般化することは、今はまだ現実的に考えづらいですよ。
ASD傾向の人は、ASD持ちの家系にも生まれるんでしょうが、一般の普通の家系にも普通に生まれます。それが、こんなお幾ら掛かるか分からない治療が必要であることも現実的に考えづらい。保険適用にするとしても、日本人たちは同調圧力という気質も強い。治療をするように社会が強いることにならないように、成人してから標準以上の知能指数で考えて自己決定でする法整備も必要。成人するまでに、養育者が療育する自信が無いとか、難しいとか、そういう事情は別問題として、横に置いておいて議論されなくてはならないという意見を私は持つよ。
「治療に出資してやるからここに署名捺印しろ」とか、犯罪しろとか、利益を貢げとか、服役しろとか、加害者の加害を受け入れて従えとか、そういう悲劇も問答無用で制裁されて欲しいけど、問答しないと法整備されないのよね~。
私は『永遠の『宿題』の提出』(ブログ参照してね。)問題の自説を持っている。治療していざ、張り切って思考した結果が、必ず『永遠の『宿題』』の正解を出せるものでなければ、脳をリスクにさらしただけで、本人の人生はなにも変わらない現実にしかならない。
大人の当事者たち自身も自己努力をするけれど、多様性を社会が受け入れてくれる気があるなら、たとえば貧困や二次障害のメンヘラを傍観する見守りするだけじゃなく、今の社会の『永遠の『宿題』』の内容をどーにか議論することから始めていただきたい。
(動画URL、取っといて無かった)
はじめて読んだミステリ……?は中学生の頃に読んだ白夜行だった(ミステリじゃないかも)
ミステリは推理をしないで読む派だけど、たまにトリックにあれ?って思い浮かぶ事があるけど大体外れる
作者である阿津川辰海の高校の女先輩がこんな小説をお前が書いてる事が気持ち悪いと言ったのは正しいし、群を抜いた物凄く頭の良い作者が書いた小説とも思えない(他のミステリ作家の作風の方が余程スマートで知的に見える)けど、取り敢えず量だけはあってちゃんと読める事は読めるので買って後悔はない
蒼海館以外は凡作
犯人がまあまあ分かりやすいけど全部一定以上の質があり個人的に一番面白かったのは魔眼。逆に屍人荘が一番好きじゃない。
ミステリにありがちな物語軽視ではなく単純に小説として質が高い
でも他のシリーズは読んでない
屍人荘の殺人シリーズ、メルヘン殺しシリーズとこの作品は凄い勢いで読み進めたぐらい面白かった
このシリーズの作者が死んだのを知らずに読んでいた
一番好きなシリーズなだけに本当に残念だ……
イライラしそうなレベルのクソしょうもない会話とロジカルな作風とグロさが相まって独特な雰囲気ある
探偵役より脇役の方が大体賢くて推理出来るミステリって他にある?シリーズ全部好き
同じシリーズだからいつものノリだなって部分多いのに作品の雰囲気が全然異なるから凄い
最初の数ページで読み辛すぎて脱落しそうになった
トリックは死体が分割されていて明らかに持ち去られてる時点で偽装かな?って普通疑うし実際その通りだった
ただ推理にノイズが凄まじく多いので、俺のようなゆとりには古い作品は辛いなって感じる
あと何かカマホモっぽい
硝子の塔の殺人
あいつ多分絶対やるためにバイアグラ持ってきてるし多分コンドームも持ってそうなのもそういう事って話
でも他のこの本読んだ奴もそうだと思う
その可能性は既に考えた
今の所読んだ小説の中でもっともロジカルに話が展開してるように感じる
というかこれオタク向けじゃねえ?俺のようなにわか向けじゃなくね?
変な家
でも不動産の間取り図で推理してくのは俺のような推理しないでミステリを読む人間でも思わずやってしまったから素晴らしい仕組み
殺戮に至る病
ラストも行為として物理的に出来る出来ないかで言えば出来るのかもしれないが、なんだかなあ
おまけ
死亡遊戯で飯を食う4巻
「都市は出生率が低い」というのもほんとかよって感じだけどな。
統計データとしてはそうだろうけど、普通に考えて子供ができた世帯は広い家が欲しくなって郊外に移住していくというだけの話だろう。
異性に好かれたことはあるの?
普通、若いってだけでブスでも言い寄って来る人の一人や二人はいたはず
その時に、とりあえずでも付き合うことができるかできないかが大きい気がする
拗らせる前に手を打っておかないと悲惨
何歳でもコンプレックスで拗らせてるのが1番駄目だから、安全そうな男性と遊ぶだけでも大事だよね 普通に恋愛は楽しくていい事なのに誰も好きにならず死ぬとかもったいないし
田舎勤務は悪いことだらけではない、田舎には田舎の良いところもあって云々
みたいに言われてるけど豊橋だと下手に結構な都会だからそういうのも多分より田舎な地域に比べたら少なそうな気がするんだよな
長々と書くまでもなく普通にみんな反対だろうし、事実上そういうことをやってる犯罪者がいるかもしれないことはさておき(もしそうだとしたら介護業界の景気はもっと良さそうなものだが)、現行法上も認められて無いでしょ。
20代後半の男。
自分や転職組の先輩や同期との会話を通して感じた公務員になって良かったこと、悪かったことを紹介する。
・緩い上下関係
もちろん常識的な範囲での先輩や上司への言葉遣いや挨拶はみんな心得ているが、前職のような厳しい上下関係はない。
お辞儀判子もないし、通りすがる度に正対して挨拶する必要もない。飲み会でも正座する必要はなく、課長すら自分の料理や飲み物は自分で取る。
・ノルマがない
前職のようにカード、定期、投信とノルマを課されることはない。事務処理の締日はあるが、遡って処理できるし間に合わなかったら来月付にすれば良いだけ。
前職は昼休みでも顧客が来れば対応したし電話も出なきゃ行けなかった。外食や外出も基本禁止だった。
今は昼休みは自由に外食や外出できるし、窓口に人が来ようが電話が鳴ろうが昼休みなら対応しない。
部署にもよるが、基本的に先輩たちは一年目から有給をほぼ使い切っていたらしい。
・先輩や上司が味方になってくれる
前職ではトラブルが起これば基本的に上司は顧客側に立って「お前は何をしたんだ!」って感じだった。顧客が大口なら尚更である。
今では怒り狂った市民が来ようが上司や先輩たちは基本的に自分の側に立って「そちらに不備があったのでは?」という感じのスタンスを貫いてくれる。正直こっちにミスがあったとしてもそれを事前に報告していれば「こちらに問題はない」という態度を取ってくれる。
・飲み会が多い。
盲点だった。先輩や上司は平日の真ん中でも朝まで飲んで青い顔で出勤してくることがある。痛風率高め。
・残業
残業は普通にある。電話や来庁者がいなくなった定時後に事務処理を集中して行うので仕方がない。ただ、自分で「この週は残業して事務仕事を片付けて、来週は定時で帰る」という様に管理できるので苦痛ではない。
前職では不祥事防止のため残業禁止で支店のみんなで一斉に退社していた。事務仕事もノルマもあるので残業禁止は普通にきつかった。
・研修がない
必要な仕事の知識、電話対応、全職場共通のシステムの扱いを一通り身につけてから支店に配属だった。
自治体は基本的に入庁式の直後に部署に突っ込み、新人も戦力にカウントして配置を行っている。初日から何もわからない状態で仕事をするため、知識0で市民対応をして市民をたらい回しにし怒らせてしまったり、書類を同姓同名の別の市民に発送してしまうミスもあった。ミスで詰めてくる上司や先輩がいないので良いが、何もわからない状態で周りと同じ仕事をしなきゃいけないのが大変。
まあ、俺は普通に「自分の意思で選べていることを証明するだけの能力がない人間の投票権は剥奪されるべきである」って考えだけどな。
代理人が勝手に複数人分の投票権を自由に利用しているだけではないことを証明できないなら、それは一人一票の原則に反するよね?
なぜかと言えば、これらは投票する人が自分の意思で選んでいることは証明されているからね。
代理人が勝手にササっと書き換えてないかを本人が確認できるようにする仕組みは必要だと思うけど。
逆に以下の場合は投票する権利を持ってないとみなすべきだと思ってる
・完全にボケてしまっていて今回の選挙における立候補者のマニフェストを把握できてない
・植物状態であり自分の意思を外部に伝える手段を持っているとは言えない
この場合は、代理人がイタコごっこしているだけである疑いを拭えないので投票権を持っているとみなすべきじゃない。
「自分の意志で投票先を選べる全ての国民が投票権を持つべき」だとは俺も考えているから、投票権の基準を15才ぐらいまで下げてもいいのかなとは思ってる。
でも「自分の意思で投票先を選べているとは言えない国民に投票権を与えるべきではない」とも同時に思っているんだよね。
なぜなら、投票先を自分で選べない人に投票権を与えると、その人の投票権を使って複数回の投票を行えてしまう人が出てくるから。
「組織票」って言われる行為は日本の選挙では完全に禁止されているはずなんだよ。
平気でやっているカルト宗教や中小企業もあるけど、あれは日本においては完全な違法行為で本当なら国家の基盤を根底からひっくり返す反社として無期懲役ぐらいにはするべきだと俺は考えている。
自分の意志で投票できない人が増えれば増えるほど、選挙があるべき姿から遠ざかっていくわけだから、もうそういう人達からは選挙権を取り上げてしまったほうが良いと思うわけ。
それにそうした方が、そういった人達も選挙のたびに自分の投票権を掠め取ろうとする不埒な連中の相手をさせられなくなって楽になるでしょ?
「自分の意志で投票ができるか」の下限が年齢制限なのもそもそもおかしい気はするんだよね。
なんとなく15歳ぐらいになればとさっきは言ったけど、これは俺がイメージする投票権の条件を満たせるのがそれぐらいからだと考えているから。
俺が考えているのは「他人に命じられるままに投票をしてはいけないことを認識できるだけの知的能力が身についている」かどうか。
子供の場合は親に「自民党が今度の選挙に落ちたらお小遣い減らすよ」みたいに脅されたとしても、そんなの無視してシレっと自分の考える投票先に入れる程度の分別がついてるかどうか。
人生が自動的にレールに乗っかったままの小中学生はともかく、高校生ぐらいになったら受験とかも通して自分の将来について考え出すだろうから、親にただ従うだけじゃなくなってると思うのでさっきは15歳にラインを引いたわけ。
老人や病人の場合は、ボケて介護の人の言いなりになってたらアウトって感じかな。
「自分の自由意志によって投票先を選んでいると言えるのか」がラインだから、酷い話だけど生まれつきそういうことが出来るだけの知的能力を持てない一部の知的障害者の人は一生選挙権を与えられないことになってしまうんだけど、まあしょうがないよね。
だってもしも選挙権を持った所で、本当に自分の意志で選んでいるのか、単に介護の人が入れて欲しい候補者を囁かされているだけなのか本人でさえ知覚できないんだから、もうそれは最初からないのと一緒でしょ。
うーん、改めてまとめてみたけど、やっぱいきなり「0才児に選挙権」ってよりは、「ボケた老人から選挙権を取り上げよう」からスタートするべきじゃないかな。
親が子供の分の選挙権を持ててしまうことについての問題を論じ始めたらどうやってもボケ老人と介護者の話に波及するし、そこで二正面作戦になったら議論なんてまともに進まないよ。