はてなキーワード: トレーディングカードゲームとは
私自身の経験に基づけば、商品貨幣論は小さな集団では確かに成り立つ。
無論、歴史的な価値が生み出される経緯が商品貨幣論で説明できるとは思わないが、貝貨のように債券として機能しないものが存在していたことも事実である。
Twitterに書くには長すぎたので私の小学校高学年時代の経験を書く。
私が小学校高学年の時は珍消しゴムのトレードが流行っていて、各々の価値基準に基づいたレートで物々交換が行われていた。
香りのついた練りけしをはじめ、フィギュアのような消しゴムや、機能性押しの消しゴムも人気だった。
私は牛乳キャップを使ってコマを作るのが好きだったから、よく消しゴムを買っていってキャップと交換してもらっていた。
しばらくすると牛乳キャップには何枚かで消しゴムと交換可能な程度の価値があるという認識が学年中に広がった。
交換用に消しゴムを買うのにもお金がいるので私は作ったコマを牛乳キャップ何枚かと交換しだした。
私のコマは人気で、私がより多くのキャップを欲したこともあり、一番多いキャップを出した人とコマを交換することにした。いわゆるオークションである。
ところが牛乳キャップの入手手段は限られていたため、入札額にも限度がある。
すると持っている珍消しゴムを売りに出す人、新しいコマを買うために古いコマや作ったコマを売る人が現れ、牛乳キャップが珍消しゴムと交換する以外の価値を持つようになった。
元々コマに興味が無く、消しゴムに飽きた女子は好きな男の子に牛乳キャップを独占的にあげたりしていた。
しばらくすると、コマや消しゴムを牛乳キャップの形で保持する人が出始めた。学年内に流通しているコマや消しゴムは目新しい物の価値が高く、古くて見飽きた物は価値が下がる傾向があった。つまり飽きたなら価値があるうちに牛乳キャップに交換して持っておく方が良い。そうこうする内に消しゴムやコマのブームは去り牛乳キャップは交換券として機能しなくなったが、価値あるものと交換した牛乳キャップは誰も捨てなかった。
この時点で牛乳キャップそのものが貨幣価値を持ったように思う。
月日は流れ、自作カードのブームが来た。担任が自分で作ったカードなら学校で遊んでも良いという発言をしたためである。
UNOを皮切りに遊戯王やデュエルマスターズなど当時はやっていた各種カードゲームを学校で遊ぶため、私含め工作好きな2、3人がパックを手作りしてキャップと交換した。
トレーディングカードゲームの類はある程度枚数が無ければデッキを組む楽しさが味わえないため、かなり苦心してカードを大量生産した。パックで出たデッキに不要なカードはやはり牛乳キャップでトレードされ、各々デッキをくみ上げていた。なお、肝心の私は自分のデッキを顰蹙を浴びない程度に自作できるので、得たキャップの使い道は殆ど無かった。
またしばらくしてカードゲームに飽きた私は、パックを作りつつも今度はルーレットを始めた。キャップ工作が廃れ、毎日給食から供給されたことで大量に増えて消費先のないキャップを、大量に消費してやろうという考えだった。段ボールと画鋲で作ったルーレットでも中々中毒性があり、はまる人が出てきた。
大量にキャップを持っていた私はルーレット一回につきレートに応じたほんの少しの手数料を取って、掛け金の合計から足りない分は自分のキャップを出すという形にした。これが恐ろしい発明だった。ルーレットは全員負けることが少なくない上に主催者である自分は絶対に一定の手数料が入ってくる。キャップは消費するどころかどんどん増え、ジャンキーたちの要望により高レートルーレットの開催が増え、さらに儲かり、顧客は借キャップをし始めた。高利貸しや融資を募る人、親が儲かることに目をつけてカジノを始める人が発生し、授業の合間の休憩時間の教室は狂気のカジノだらけになった。
このあたりは最早脱線しているが、要は最初は消しゴムの交換券でしかなかった牛乳キャップが消しゴムトレード文化の衰退に伴い、消しゴムの価値を吸収し、それ自体で価値を持った訳である。
さらにカジノという、価値を物の購入以外で消費する文化が発生したことで、価値の維持に消耗品が必要なくなった(消しゴムやコマは消耗品なので、交換券としてのキャップが価値を持ち続けるためには常に新しく消しゴムかコマが存在する必要がある)。
つまり結果として、物々交換➝金の交換券としての兌換紙幣(貨幣)→金との交換の保証が不要な不換紙幣(貨幣)と商品貨幣論が実践されたように見える。これが私の経験である。
小学生程度の知性でこのありさまなので、当然長い歴史の中で小さなコミュニティにおいて商品貨幣論的過程で貨幣が価値を持つことは十分に考えられる。貝殻には装飾といった需要があったことを考えれば、貝貨が牛乳キャップ的過程で普及してもおかしくはないだろう。商品貨幣論でよく説明される金が扱いづらいから兌換紙幣が生まれたというような説明を用いずとも兌換紙幣が発生しうるという話でもある。
余談:
・毎日給食で供給されるキャップがあるにも関わらず、過度のインフレが起こらなかったのは、私のような銀行的振る舞いをする人やため込むのが好きな人がいてキャップをため込んでいたからである
・カジノ時代になると、資金が付きそうになったギャンブラー銀行家が他人の預金を使ってギャンブルをしたため、微妙に信用創造的なことも行われていた
・高利貸しがいる以上破産はするが、破産者には多少恵んでやるという暗黙の了解があったため、破産しても1、2週間程度で復活できた
今どうなってんの?
復活したい気持ちはあるが、寂れて大会が身内ばっかりになってるならあきらめる。
ちな俺のここ数年。
・パズドラTCG:面白かったけど、大会会場が遠かった。惜しまれて終了。
・PSO2TCG:プレイヤー同士が戦うシステムなのに「それPSO2じゃないよね」って突っ込まれてみんなで協力(w)して戦うレイドバトルしかなくなった。大会自体も全国的に少ない
・モンストTCG:新規絵は各弾に数枚。本家モンストに寄せたせいで4人対戦(w)そもそも公認大会自体無い。
不備あると思うから、ひとまず誰か突っ込める所は突っ込んでくれ
グランドマスターになるのはそう難しいことじゃない
課金して全てのカードを3枚ずつ所有し廃プレイヤー達が考察したデッキを試して傾向を掴み、あとは作業のように淡々とプレイするとグランドマスターになれる
トップランカーを目指すわけでなく、俺みたいなプアなプレイヤーだと結局は札束で殴り合っているのと変わらない
なんでそんな低い熱量なのにプレイし続けてるか?と言えば、やっぱりネタに走って勝っちゃったときの快感が大きいかも知れない
グランドマスターを維持している理由が、相手プレイヤーがハイランカーであればあるほどコッチがネタデッキであることを察してくれるからだ
相手も自分も「んなもん来るわけねーよwww確率何%よ?wwwww」みたいなタイミングでドーンッと決まっちゃうのが気持ち良い
まるでトレーディングカードゲームのコミックやアニメのように「くっ・・・俺は諦めない・・・!俺はデッキを信じるんだ!ドローッ!」と引いたときに起きる奇跡は何物にも変えられないんだ
午前6時40分に起床し、7時30分に家を出、仕事場へ向かう。
仕事場に到着したのは午前9時。
仕事をしていると、オタク仲間から「みんなで集まって秋葉原で遊ぶけど、お前も来る?」と連絡が来る。
午後15時30分、秋葉原に到着する。
オタク仲間たちは既に集合していて、トレーディングカードゲームで遊んでいるという。
トレーディングカードゲームに対する意欲が彼らほどない俺は、なんとなく気が進まなくて、彼らと合流する前に一人で同人誌ショップやボードゲーム屋に立ち寄る。
ボードゲーム屋では、入ってすぐに、見知らぬ背の低い中年男性に不意に話しかけられる。
「どんなボードゲームを探しているんですか?」
あまりに気さくに話しかけられたので、俺は当初、彼を店員だと勘違いしていた。
しかしそうではないらしいということが、段々彼の話ぶりからわかってくる。
彼はひとしきり店内のボードゲームについて一方的に喋った後、「ラインを交換しませんか?」と言う。
俺は「すいません、ちょっと嫌ですね」と返して、彼から離れた。
店を出て、しばらく歩きながら、あの男性は色んな人にあんな風に話しかけて、連絡先を聞いて回っているのだろうか? と考える。
俺は少し悲しい気持ちになる。
彼らは既に混み合った店内でトレーディングカードゲームをプレイしていて、それで周囲の客は彼らに対して明らかに冷たい視線を投げかけている。
また別の客は「こんな混んだ店でカードゲームなんてやってるんじゃねえよ」とヒソヒソ声で話している。
カードショップの対戦スペースに移動しようと提案するも、「煙草が吸えないのが嫌」とのこと。
気まずいが、俺は彼らと過ごす。
夕方、彼らとカードショップを回り、飯を食い、別の喫茶店に入る。
オタク仲間の一人は、飲み物を買うのを惜しみ、何もオーダーせずに席に居座っている。
俺はずっとそのことが気になっていて、夜帰宅した後に別の一人とそれを話題にしたら、彼は「まぁ社会性のない奴らの集まりだからな」と言う。
それを聞いて、俺たちがオタクで良かった、とつくづく思う。
高校生の頃、トレーディングカードゲーム(TCG)に打ち込んでいた。
学校帰りや休日は、もっぱら友人と地元のカードショップに入り浸っていた。
ご存知の通り、カードショップの主要な客層は学生と無職とフリーターなので、自然と年上の知り合いができる。
毎週金曜日の夜にはショップで大会が開かれていて、終わった後はいつも皆で夕食に出かけ、23時ごろの電車で帰った。
大学生のマンションへ入り浸って、私の知らなかった漫画やアニメに触れて、趣味の幅は大きく広がった。
県外へ泊り込みの遠征に行ったり、無職の親類がショップへ殴りこみに来たりもした。
この時期は私にとっていわゆる青春というやつで、その後の人生にも少なからず影響を与えたんだと今になって思う。
その後、学生達は就職に伴って段々と顔を見せなくなり、無職やフリーターは就職したりしなかったり、私も進学にあたって地元を離れたため、その後の交流は自然となくなった。
進学した私はカードに触ることがなくなった。きっと私はTCGよりもショップの友人達の方が好きだったんだと思う。
今でもそのTCGをオンラインゲームで遊んでいるけれど、現物のカードを持って誰かと顔を合わせることは10年以上していない。
たまに大きな大会のカバレージを読むと、その頃の知り合いの名前を見かけることがある。その度に嬉しくなって、それから少し後悔にも焦燥感にも似た思いを感じる。
もしあのまま友人達とTCGを続けていたらと、きっとそういう気持ちがあるんだろう。
ところで私の学力は高校3年間を通じて真っ逆さまに落ちていった。大体アーテイからスクイーくらいの落差があると言えばおわかりいただけるだろう。
原因は明白で、持てる資源を全てTCGとそれにまつわる人間関係につぎ込んだからである。その後の人生に与えた影響は甚大であった。
つまり今の私の醜態の原因は全てwizardsにある。責任をとって欲しい。
テーロスを処分し損ねて500tixくらい損してる。返して欲しい。
今はpauperでデルバー組んでコツコツ資産を増やしている。chestが貯まるとうっかり開封してしまうので資産は増えない。
本当にしょうもない。
増田で珍しくカードゲームの話題が人気になってるので、何がどうなってるのか知りたい人向けにまとめとくよ。
「子供が妙にハマってるけど、コレどういうのなの?」という親御さん
「彼氏が凄く大事にしてるカードってどんな価値が?」というパートナー
ざっくり「池上彰の週間こどもニュースで聞きたいなぁ」と思ってる人向けね。
ものすごーくざっくり言えば、「ランダムに入ってる将棋の駒を揃えて、将棋をする」という感じ。
え?飛車角ばっかりにしたら強いじゃん!
そう、そういうこと。
トランプ(詳しい人はプレイング・カードとも呼ぶ)は、52枚+ジョーカーがセット。
トランプのエースの上に、スーパーエースとか作っても別に買わないよね?
でも、商売として継続的にカードを買ってもらいたい会社は、どんどんカードを作る。
とういことは、前よりも強いとか、前と違うとか、前よりも面白そうなカードが出るわけだ。
どうなるか。
飛車じゃなくて、竜王だの、自在天王(どこにでも行ける駒)だのが出るわけだ。
良くあるのが、同じカードは4枚までよ、とか。
あと「商売なんだからカードはどんどん強くなる」って言ったけど半分は嘘で、やり方もある。
最初期はカードを作る方も慣れてないので、トンデモなく強いカードがシレッと出てたりする。
(マジック・ザ・ギャザリングやってる人にBlack Lotusについて聞いて後悔してみよう!)
そういう時、公式大会では強すぎるカードは禁止ね、とか言われる。
仲間内でワイワイ遊ぶ分には良いんだけど、対戦ゲームとしてやるならバランスとるよ!
この「対戦ゲーム」と「商売」をバランスさせるのは、とってもムズカシイ。
どんどん新しいカードを追加しても、単純に強いだけじゃ飽きが来る。
そこで、新しいルール用のカードを追加して、古いカードに新しい役割を!みたいなのもある。
ただ、そういうルールの追加は、フクザツにムズカシクなり、ワケガワカラナイことになってしまう。
そこで、長く続いているトレーディングカードゲームには「リセット」がつきものになる。
例えば、マジック・ザ・ギャザリングというカードゲームは、
一番最近出た基本セットと、
物語性の強い(カードの解説文を読むと物語が想像できる)拡張セット2つで、
自分のデッキ(自分用の山札)を作るのが、「スタンダード」というルールになってる。
毎年基本セットが出るけど、拡張セットとは発売時期がズレてるので、
おおよそ2年毎に、使ってるカードの総入れ替えが起こるって言われると、伝わるだろうか。
これを指して「リセット」と呼ばれることもある。
使うカード総入れ替えだしね。
まあ、後ろ暗くは無いけど、世の中やっぱカネだよね、という。
「今後強くなりそうなカード」とか「いま人気のカード」は高くなる。
リアル株取引だってそうだけど、欲しい人が多ければ高くなり、要らないとなれば安くなる。
(もはや美術品として投資の対象になってるBlack Lotusみたいなカードもあるけど)
すると、だよ。
対戦相手の超強いデッキは、もしかしたらリアルマネーで10万円を軽く超えて揃えたカードたちかも。
相手のそのカードたち、いきなり使えないってなったら、どんな気持ちかな。
……やっと遊戯王の話になるんだけれども、
「遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム」は、漫画やアニメの人気もあって発展してきた経緯がある。
炎上には、大きく3つ原因がある
公式から「次からこうするよー」と発表があったわけではなくて、リークっぽい情報が出ているだけ。
「今後なんかあるかも」
「次は大きく変えようと思ってる」
みたいな、いわば「遊んでるユーザーさんの意見を取り入れつつ、変えていくよ」みたいな感じじゃない。
「遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム」は、あんまりユーザーの話聞かない(と感じる)出来事が多かった。
なんだよイッパイお金も使ってるし遊んでるのに急に商売の都合で変更しなくても。
実は「人気カードが使えなくなる」には「人気の戦法が使えなくなる」も含まれる。
カードゲームの醍醐味は、組み合わせの妙で勝敗を決するところにあるんだけれども、
遊戯王は、様々な「モンスター」を「召喚」して、戦わせるという形を取っている。
この「召喚」方法、アニメタイアップの意味もあって、主人公たちがよく使う。
「遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム」では、
自分のデッキ(山札)以外に、エクストラデッキ(拡張山札)も使う。
たいていは、拡張山札に、モンスターを山盛りにして準備しておく。
アニメの主人公たちは、この「エクストラデッキ(拡張山札)」から、モンスターをモリモリ召喚して勝つ。
今話題になっている原因は、このアニメの主人公たちが使ってきたモリモリ召喚の手段である部分を
「エクストラデッキから召喚できるモンスターを1枠にしよう(追加できるけど手間がかかる)」
と、大きくルール変更するもの(になりそう)だってところにある。
アニメの主人公たちは、新ルールでは、勝てないことになってしまう。
対戦ゲームとして大会に参加するために、ある程度強いカードを揃える必要がある。
ランダムパックを大量に買うのでも、一本釣りでお店でカードを買ったり売ったりするのでも、カネがかかる。
そうやってお金と労力をかけて揃えた自分のカードたちは、ルール変更や新カード追加で、弱くなったりする。
ある程度仕方がない部分もある。(エクシーズ召喚が人気になって、シンクロ召喚が下火、とか)
でも、「アニメや漫画の華である、大量のモンスターを一気に召喚して勝つ」
という部分を変更するルールに見えるけど、それほんとにやるの?マジで?
たかがカードゲームじゃないと思っていま粗雑に扱おうとしてる子供や彼氏のカードな、
わらしべ長者的に苦労に苦労を重ねて揃えた時価10万円超のお宝だったりするから、
ポンと100万円出せる富豪以外は、相手の価値観に合わせて尊重しといた方が良いと思うよ。
Magic: The Gatheringといまだに比較してDisられるの不遇よね
http://anond.hatelabo.jp/20170220012819
今回起こったのは、10年以上遊戯王の主役で有り続けた「エクストラデッキからの特殊召喚」を根本から揺るがし、取り返しがつかなくなったルール変更である。
遊戯王はモンスターを場に召喚して戦うカードゲームで、様々な召喚方法がある。その中でも主役級の位置を担う融合召喚、シンクロ召喚、エクシーズ召喚、ペンデュラム召喚、これらをまとめて「エクストラデッキからの召喚」と呼ぶ。昔は融合しかなかったのだが、世代が進むにつれて新しい召喚方法が生まれ「エクストラデッキからの召喚」とみられるようになった。
そして今回行われたルール変更とは「新しいカードで新しい召喚方法を使わなければ、エクストラデッキからの召喚を大きく制限するよ」という盛大なちゃぶ台返しである。
なぜデフレさせなければならないのか。それは、現在の遊戯王はインフレがいきすぎてしまっているからである。
トレーディングカードゲームにおいて、カードプールの増大と強さのインフレは不可分だ。カードプールが大きくなる(カードの選択肢が広くなる)ほど、今あるカードだけでも十分なデッキを組むことができてしまう。すると、新しいカードを買う動機が生まれてこない。新しいカードがちゃんと売れるためには、既存のカードよりも強く、でなければ斬新なカードでなければならない。そして遊戯王は「新しいカードは強くなければならない」という構造から逃れられず、インフレを止められない状態となっている。
その結果、アニメと違って、現実の遊戯王は1,2ターンで勝負が大方決まってしまうようになった。最前線級のデッキとそれ以外とでは深い断絶が存在しており、最前線級のデッキとまともに試合をしたければ、最低でも「即死技を出す能力」「即死技を止める能力」のどちらかを備えていなければ話にならない。このような高速環境では新たに斬新さを作る余地もほとんど残っていないので、新規カードはさらに強さに偏るようになる。これが何年も続いているのが今の状況だ。
数年前までは禁止制限リストに最前線級のカードを適宜入れていくことで代謝を促すことがまだ機能していた。しかしこの方式も限界が来ている。なぜなら新作のカードはどれも異常に強いので、特定のカードを禁止するという方式が現実的ではなくなってきているからだ。禁止制限リストは100種類を突破して久しい。
では、ルール変更はインフレを解決し、健全な環境をもたらすだろうか?残念ながらならないだろう。
最前線のデッキのなかには、本変更の影響を受けないグループが存在する。これらのデッキは「エクストラデッキからの召喚」をほとんど使わないので、ルール変更前と強さが変わらない(例: インフェルノイド)。となれば、他のデッキはそれらと互角に渡り合う必要があり、新ルールが高速環境に戻るのに、そう時間はかからないだろう。
既存デッキを環境から強制的に退場させるという点で、このルール変更は事実上のスタン落ち(古いカードをまとめて使用禁止にすることで環境を強制的に代謝させる仕組み)である。しかしこのような場当たり的なやり方では、仕組みとして持続性がない。いずれカードプールは増大し、また現在と同じ即死ムーブが跋扈する状態になる。その度にグレートリセットを行うのだろうか?他のカードゲームの事例を挙げると、マジック:ザ・ギャザリングでは定期的にスタン落ちが行われるのだが、これは計画的に、少なくとも1年前には予定されているので、プレイヤーもショップも適切に備えることができる。
ルール変更は大きな傷跡を残すことになった。
電撃的に発表された変更は影響範囲が甚大で、多くのカードを紙屑化し、その価値を破壊するものだった。これは「遊戯王には高価なデッキが明日には無価値になる大きなリスクが存在する」という極めて悪しき前例となった。「業界トップのソシャゲーにおいて、突然既存のSSレアの価値がN相当になった」と例えればわかりやすいだろうか。今後同じことが起きないという保証は全くない。そのリスクはショップとプレイヤーに降りかかる。
遊戯王アニメが世代交代するたびに「エクストラデッキからの召喚」に新しい召喚方法が生まれ、「エクストラデッキからの召喚」は遊戯王の主役であり続けた。それが潰れたということは、これまで活躍したデッキのほとんどが、最前線のデッキのみならず、歴代アニメの主人公のほとんどのデッキまでが機能不全に陥ってしまったことを意味している。アニメ・カードゲームの両方に対して、過去積み上げたアイデンティティが否定されたということでもある。
アニメ面白いですね。彼らのデュエル、かっこいいですね。でも彼らがやってること、これからはルール違反なんですよ。
ルール変更はインフレを解決しない。大した意味もないくせに、失ったものは大きい。
遊戯王にとって、これは本当に取り返しのつかない事だった。
日本でも沢山出ている。
海外でも沢山出ている。
そしてレビューが沢山書かれる。
あんまり沢山あってどれをやればいいのか分からないからレビューを読む。
どれも決まって出てくる言葉が「ハースストーン」「パクり」だ。
まあそれはいい。
そんな事を今更考えても仕方ない。
よく出てくる言葉がもう一つある「レアカード」「バランス」だ。
確かにそこは自分も気になる部分だ。
カードを組み合わせて戦うゲームでいつも同じ組み合わせで戦っていては楽しくない。
強いと分かっている組み合わせがあるのにあえてそれを使わないというのも何だか茶番のようで楽しくない。
だが同時に思う強すぎるカードぐらいならいてもいいんじゃないかと。
レビューでよく見るフレーズのようなものに「レアカードが強すぎて課金ゲー(意訳)」という物がある。
強いデッキが1つか2つだけあってほかは皆弱いデッキというんじゃなければ良いんじゃないだろうか。
デッキの力じゃなくてカードの力で勝ててしまうというのは確かに組み合わせて勝つというカードゲームの面白さを奪っているのかも知れない。
でもTCGってのはトレーディングカードゲームだ。
キンキラのレアカードを友達に自慢しあう文化の中で生まれたものがTCGだ。
そういうのがあってもいいんじゃないかと思う。
出されたらずるいと感じるようなカードがあってもいいんじゃないかと思う。
トレーディングカードゲームは元々そういう俺はこんな凄いカードを持ってるんだぜと自慢する遊びだったんじゃないかと。
遊戯王の漫画でカードゲームが始まりだした頃の青眼の白龍が強すぎてバランスなんて滅茶苦茶だったあの状態もまたTCGの在り方として間違っていないんじゃないかと。
そう自分は考える。
なんだか皆ピリピリしすぎている。
強すぎるカードがいてもいい、レアなカードが強くてもいい、自分はそう考える。
でも強いデッキの数は絞られないで欲しい。
山本一郎氏と長田氏の対談の記事を見て気になるやりとりがあった。
長田氏:
でも海外の消費者団体の方とお話することがありまして,そこでですね,日本ではなぜ,ガチャが認められているんですか,不公平じゃないですか,って指摘されることがあるんです。
山本:
海外製のアプリでも,日本のソシャゲ成功事例をまねてガチャを導入している作品がありますが,基本的には賭博に該当する可能性があるのでNGだと判断するメーカーは多いようですね。
長田氏:
ほかにも,「お金を出せば有利にゲームを進められる」とか「ほかの人に勝つためには課金が必要だ」というゲームを出しているのなら,それは“無料で遊べる”と表記してはいけないのではないかとか,お金を出した人が有利なゲームは不公平のはずなのに,日本ではそれが認められているのはどうしてなのか,といったご指摘を頂戴します。
山本:
海外における「公平」の考え方と,日本のそれは異なりますよね。しかし,そういう話で言うならば,PCのオンラインゲームでは2000年代からやっていた「ゲームプレイ基本無料」って表記がそもそもマズいと思っていたんですよね。
これを見て海外ではガチャが規制されているのか!と誤解をした人も多かったようで、こちらの記事のはてブで何人かその趣旨のコメントをしている。
このやり取りの中で重要なのは、基本無料という表記の問題と不公平感についての文化の違いについてなのだが、山本氏の途中に挟んだコメントで趣旨が大きく変わって受け取られているように思われる。
ガチャについて、過度に射幸心を煽ったり誤解を招くような詐欺的な確率表記のような実態があるなら是正されるべきだとは思う。だけど、海外のスマホゲームの実態について変な誤解をする人が増えるのは残念なので、海外のスマホゲームのガチャの実態について書くことにした。
参考になれば幸いである。
AppStore、Google Playのトップセールスのランキングは、IPによってその国ごとのランキングが表示されてしまうが、以下のようにランキング情報をまとめてくれているサービスはゴロゴロある。
http://applion.jp/market/us/iphone/rank/gross/
上記はアメリカのAppStoreのトップセールスのランキングである。200位まで見ることができる。
傾向を見ると、アメリカで人気のジャンルは、戦争を題材にしたRTS、気軽にプレイできるパズル、そしてカジノ、となる。
スマホアプリ市場において、F2Pの先駆けになったのはアメリカであるが、ゲームでの課金形態は時間短縮や資源購入型の課金形態が主であった。
2012~2013年頃に日本製ゲームである神撃のバハムートのローカライズ版が配信され、トップセールスランキングで1位を取るほどアメリカで人気が出た。それ以降にガチャ機能を持ったゲームが受け入れられ始めた、と考えている。
以前知り合いのアメリカ人に聞いたところ、アメリカにもコインを使っておもちゃを排出する機械はあるが、チープでそれほどメジャーな存在ではないとのこと。
そうしたアメリカで、ランダムに商品を提供するガチャに相当する存在は何なのかというと、トレーディングカードゲーム(以下TCG)のパック販売である。
TCGの始まりは、1993年にアメリカのウィザーズ・オブ・ザ・コースト社から発売された「マジック:ザ・ギャザリング」とされていて、その後に世界中で大ヒットしている。
なじみの無い方向けに説明すると、マジックの場合、1パック買うと350円で15枚のカードが封入されていている。その中は、レア1枚、アンコモン3枚、コモン11枚、という比率で入っていることが保証されている。
当然同じレアリティでも強いカードと弱いカードがあるが、オンラインゲームやソーシャルゲームのガチャのように同じレアリティ内で偏りは無く、排出量は保証されている(はず)。
これを踏襲して、アメリカ向けのスマホゲームでガチャ相当の機能(ランダム性を持ったアイテム販売)が出てくる場合、"Pack"と呼ばれることが多い。
アメリカでは、スマホにおけるランダム性を持ったアイテム販売を規制するような法律は現時点では無いので、ガチャを持ったゲームも普通に配信されている。
カジノ系のゲームも、ガチャと同じようにランダム性を持って景品を提供するゲームと言えなくもないが、今回はカウントの対象外としている。
ガチャ的な要素があるタイトルは以下の通り。 (ちゃんとプレイしたことの無いゲームもあるので勘違いをしているタイトルもあるかも)
9位: Marvel: Contest of Champions
18位: Star Wars: Galaxy of Heroes
34位: Walking Dead
52位: HearthStone
53位: Jurassic World: The Game
57位: Knights & Dragons!
62位: DRAGON BALL Z DOKKAN BATTLE(ドラゴンボールZドッカンバトルの英語版)
66位: Castle Heros
72位: Brave Frontier (ブレフロの英語版)
89位: Marvel Puzzle Quest
100位中12タイトルなので、日本に比べると少ないがまずまずの数がある。主流であるというほどではないが、ガチャ機能も十分受け入れられている、といっても良いかと思う。
ガチャが日本の市場だけで受け入れられているって訳でもないし、またアメリカの場合だとカジノゲームのように文化によって形は違えど射幸性を持ったゲームが存在している、というのは覚えておきたい。
先ほどのサイトで他の国のランキングを見てみると、多少の順位の前後はあれど、上記のタイトル達がほぼランクインしていることも追記しておく。
中国・韓国ではランダム性のあるアイテム販売の規制が入っていることで有名な話だと思う。
中国については以下の「ガチャについての規制」の項目を読めば良い。
https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/07001588/china_mobile.pdf
日本と比べて中国ではRMTの文化が根強く、多分国の規制が入っていなければ、ガチャの景品が現実のマーケットで取引されてよりひどい問題になっていたことが推測される。
余談になるが、トレード機能を持つ日本やアメリカのソーシャルゲームは中国人のRMTの対象なることが多い。昨今の日本のスマホゲームでトレード機能が無くなってきたのは、これに対する対策という側面もあったりする。((代わりにいいアイテムを持ったアカウントが売買されたりしてるけど))
ただ、規制されても両国ともグレーゾーンを走るメーカーは多く、法に触れない形を取った確定ガチャやVIPシステムのような提供したりもしているのが現状である。
色々書いてきたけど、早い話が隣の芝はそんなに青くないって話。
「これを送ってください」「分かりました」→「いついつに届きます(メール)」「ありがとうございます(メール)」→「届いた(メール)」→「礼儀がなって無い。電話で謝礼して下さい(メール)」
確かに俺の礼儀がなってなかったのかもしれないがこれは酷くないか。
俺の中では「ありがとうございます(メール)」でもう終わった話だと思っていたわけで。この謝礼の要求って
って二重の強迫じゃねえのかと
前者って自分の礼儀以外は礼儀として認めないって事ですよね。どんだけ余裕が無いんだよ。指定してんじゃねえよ。トレーディングカードゲームのタイプ指定かよ。
これが「金足りねえぞ」なら分かる。だがこれは感謝をどう表現するかの話であって(さきに書いたように)俺は自分なりに表現したと思っている。それに対して「感謝足んねえぞ」ってのは、言ってみれば送ったお歳暮にイチャモン付けて「これ送れよ」って命令するものじゃないですか。もうこれただの売買・交換じゃないですか。
後者は論外ですよね
もう文面から卑しさしか感じないのでもう駄目だなこりゃと。なのでこちらは無視するという贈与しかないなぁと。俺も道理に合ってねえけどな
ドッドッドリランドに移行しとけ