はてなキーワード: 歌手とは
いやじゃあああああああああああああああああああいやじゃあああああああああああああああああああ
別に金には困ってないんじゃああああああああああああああああああ
ただ女性に男性だと認識して欲しいんじゃああああああああああああああああああああああああああ
週末相変わらず振られた女性と二人で飯を食いにいくんじゃああああああああああああああああああ
彼氏と距離を置いているそうなのじゃあああああああああああああああああああああああああ
恋愛に疲れたそうなのじゃああああああああああああああああああああああ
恋愛に疲れているときに積極的に会いたい俺氏wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まともな男ならここで略奪するんじゃろうなあああああああああああああああああああ
俺は「女友達より女友達みたい」だから無理なんじゃなああああああああああああああああああああ
今日も好きな歌手の他愛もない話をラインしてきてるんじゃああああああああああああああああああああ
無視じゃ無視じゃっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ
嘘じゃ無視しないのじゃ
Yちゃんは演技はそこそこ上手いくらいだけど歌が抜群にうまくて、とにかくYちゃんの歌が大好きだった。
感情を乗せるのも本当に上手で、歌声は真っ直ぐで、私は涙が出るほどYちゃんの歌が好きだった。
この素敵な歌声の持ち主はどんなことを考えているのだろう?
どんな人生を歩んできたんだろう?
Yちゃんの歌声だけではなく、Yちゃんの人格にも興味が湧いた。
多くの時間をYちゃんに費やした。誰かにハマる感覚は久しぶりで、本当に楽しかった。
しかしYちゃんのインタビューやラジオを聴いたりライブのMCで話しているのを聞けば聞くほど、大嫌いになった。
人を下げて笑いを取るタイプで、とても苦手だった。
自分が良ければそれでいいという気持ちが丸わかりの傲慢さに愕然とした。
天真爛漫で明るいキャラで売っているからこそ、余計にその性悪な部分が際立って見えて本当に不気味だった。
人格込みで歌手やタレントを好きになりたい私にとってそれは致命的だった。
その性悪さが目につくようになってから、盲目的に可愛いと思っていたビジュアルは声優基準という低い基準で見ても可愛くはないということに気づいた。
ツイートは同業者にもオタクにも媚びたものばかりで、八方美人で気味が悪いと感じてしまった。
男性とのあからさまな匂わせツイートに気づいた時には本気で気持ち悪いと思った。
相手のファンを煽っているとしか思えないツイートの数々、態度、写真での距離感、全てにがっかりした。
あの綺麗な、素晴らしい歌声の持ち主が、こんな性悪なはずかない!
そう思いたかったけど、もう顔を見るのも歌を聴くのも嫌になった。
Yちゃんはこの先きっと、今以上に売れることは難しいのだと思う。
女性声優が年齢を重ねてから人気に火がつくパターンをあまり見たことがないし、いくつか大きな作品に出演してもあまり注目を集めていないのでこれからは維持していくだけ。
だから私のようにあの性悪さに気がついたとしても、炎上が起こるほどの力はYちゃんにはない。
そのことをとても悲しいと感じてしまう。
炎上してほしいわけじゃない。
ただ、炎上すらできずボヤ騒ぎで終わってしまうような小物ではないと思いたいだけではある。
そう信じたくなってしまう。
Yちゃんの人格がもし、ファンに見える部分だけでもクリーンで謙虚だったらと考えずにはいられない。
裏で何をやっていても何も気にしない。
Yちゃんのこと一回は好きになったから、アンチになんてなりたくない。
ただ、もうYちゃんのことを好きになることは無いと思う。
これからも人気のあるキャラクター、作品にだけ媚を売るの頑張ってね。
可愛さ余ってにくさ100倍。
大好きだったよ
【追記】
人気歌手、監督作品への批判を受けツイッター止める 自閉症の役者使わず弁解
https://www.daily.co.jp/gossip/foreign_topics/2021/02/06/0014059962.shtml
「シャンデリア」のヒットで知られる歌手のシーア(45)が、監督を務めた映画「ミュージック」に関する批判を受け、ツイッターを止めた。同作で、本当の自閉症の役者ではなくマディー・ジーグラーを配役した事への批判に直面していた。
自閉スペクトラムだったら最重度の役をアスペルガーの役者が演じても大丈夫なんだろうか。
そして、あらゆる病気や障害についてこのルールを適用するのだろうか。
いずれにせよ、フォレストガンプも作ることはできないだろう。
Adoはこの曲で初めて知ったので別にどうという気持ちはないんだけど、ひとつ引っかかるのは、この曲作詞作曲してるのはAdoじゃなくてボカロPのsyudouって人なんだよね。
うっせぇわが反感買いまくってるのは、歌詞の解釈の是非はともかくとして「社会人の苦労を知らねえJKがイキってんじゃねえよク〇が」みたいな感じだと思うんだけど、実際に歌詞を書いた人はいい年した(多分)大人であり社会の苦労を知ってるわけだ(多分)。
「大人」が「大人」に対する反感を歌った曲を女子高生に歌わせたことで、別方向のリアリティは増しているから路線として成功してるとは思うんだけど、こういう「大人」からの批判が歌手の女子高生に集中してるのを見るとなんだかなーって感じ。
勿論この曲を歌うことを決めたのは女子高生本人で別に強制されてるとかない以上、曲に対する批判が歌手自身に向かうのは当たり前なんだけども。
まあもっと本音を言っちゃえば中高生がイキッたような歌詞は中高生が書いてるからこそ趣があるのであって、実際に書いた人がいい大人でしかも大真面目だったら「あ、うん……(スッと距離を取る)」みたいな反応になってしまう。少なくとも自分はそう。
個人が受ける印象は解釈論でしかないからどうでもいいが、批判と中傷の違いはわかっているか?
批判は対象の良いところと悪いところを分けて、検討を加えて評価する事。つまり物が対象。
中傷は根拠のない事を言いふらして、他人の名誉を傷つける事。つまり人が対象。
敬意の有無は関係ない。例えば丁寧な物言いだったとしても、人の名誉を傷つける発言だったらそれは中傷になる。
歌は人じゃない。だから歌には人種もないし、何かの宗教に入ってるなんてこともない。まぁ当たり前だわな。だから歌に対する批判は批判でしかない。歌手に対する批判は、名誉毀損すれば中傷だ。
発言っていうのは基本的に自我の延長線上に存在するわけだが、今はメディアが発達しすぎて容易に発信できる。これが一番の理由。
発信する前に発言内容を一考すれば良いだけの話だが、多分不可能だ。職場に必ず嫌なやつが一人いるのと一緒だ。みんなそれが出来てりゃ日本の自殺率はもっと低い。
君に出来る事は、異常発達したメディアと距離をとって、それらが自分とは別の存在だという事を認識する事だ。
実際彼らは自分と今後顔すら合わせない他人だ。スピーカーから出る音が耳障りだと思ったときには、スピーカーから距離を取るといい。
するようになった、というよりもできるようになったが近いかな
週5勤務のうち4日は在宅勤務で1日出社なので、日常生活でお金を使う機会が極端に減った。
減った出費を挙げていくと以下の通りで、1年間で貯金に回せるお金が80万くらい増えた。
スーツ、Yシャツ、スーツ着るときの肌着、スーツ着るときの靴下、革靴
と消耗品の買い替えは出社が5分の1になったので必要なくなった。
それが在宅勤務は3食自宅でとるようになり、朝食以外の2食は自炊なので、食費は減った。
在宅でスマホをwifi接続にしていると毎月1G以内で収まるようになったので、
タバコは吸わないが酒を飲む。
でも、外で酒を飲む機会が極端に減った。
会社の飲み会がゼロになったことに加え、夜の街クラスターもこわいなぁと思って家飲みになった。
酒代はかなり減った。
月に1-2回は参戦していたライブが全部なくなったので、チケット代・グッズ代と遠征費がほぼ0円になった。
オンラインライブは2回くらい視聴したけど、あれはやっぱりダメだ、現場の空気が感じられない。
たしかに80年代と90年代の断絶はものすごく、なんなら価値観が00年代以降を真ん中に置いて90年代の感覚は逆側にある気がする。
昔のテレビとか見ると、80年代にブリブリの衣装で踊ってたアイドルが絶滅して90年代は女性歌手の多くがスーツ着て歌っていたことが今考えるとなんかすごい揺り戻しだなと思う。