はてなキーワード: 小遊三とは
一昔前までは、俺が知る限り関東地方の近郊住宅街には必ず一定の範囲で蕎麦屋があった。「更科」「砂場」「藪」などの屋号を受け継いだり、「長寿庵」のような「〇〇庵」という蕎麦屋が一定地域内に一軒は必ず存在していた。
実際には警察が逮捕した容疑者にカツ丼を振る舞うことはないが、20世紀の刑事ドラマや2時間サスペンスで容疑者が近所の町蕎麦屋から出前されたカツ丼を食って自供するとういうフィクションは定番ネタであった。
かつて各地域の住宅街に存在した町蕎麦屋は、麺類ならきつね、たぬきは当然としておかめ、天ぷら、カレー南蛮、鴨南蛮、など各種日本麺類を蕎麦でもうどんでも出前しただけでなく、ラーメン、タンメン、味噌ラーメン、五目ラーメンなど日式中華麺類各種は必ず備えていた。丼物は上述のカツ丼は当然として親子丼、天丼、玉子丼、カレー丼、牛丼がメニューにあった。カツライス(トンカツ定食)や生姜焼き定食、アジフライ定食なども安価だっか。黒電話で出前を頼むと若い店員がスーパーカブに乗って銀色の箱から麺類も丼物も定食も迅速に届けてくれた。ウーバーイーツとか現在の配達サービスより迅速で丁寧だった。
倫理観が終わってるから訃報を見てすぐ伊集院光さんのツイッターを見に行ってしまった。
三遊亭円楽さん。
あのタイミングで脳梗塞で倒れたのは本当に最後の最後で運がなかったというか、何もなければ師匠の先代圓楽とその世代の噺家たちの負の遺産である四団体並列の解消……というか円楽一門会と立川流の落語協会復帰を成し遂げて、将来的な落協と芸協の統一にもめどをつけられたのに、と思うと無念だろうなと思いますね。
元々、円楽一門の協会離脱は、当時の落協会長の小さんがおこなった理事会制度の整備などの改革や真打昇進人事を巡って、前会長だった圓生が自分に話を通してない、メンツを潰されたとブチ切れていたのを利用して、かねてから新団体の設立を目論み野心満々の若手幹部だった圓楽と談志が大物の圓生を焚きつけて離反させたってのが内幕で、その圓生が離脱1年後の79年にあっさり心筋梗塞で死んじゃったのと、圓楽と談志が新団体での地位を巡って仲たがいしてそれぞれ円楽一門会と立川流を作る形で離別したことで「落協・芸協と五分の新団体を作る」という当初の目論見は完全に失敗したまま今日に至るんだけど。
当代円楽は、先代が亡くなって襲名して以来、四団体の統一に向けてずっと動いてたわけですよ。それは彼が談志と歌丸に可愛がられていて、立川流と芸協(そもそも歌丸―小遊三―昇太と笑点一派の力が強い)の双方に影響力を発揮できる立場だと自覚していたからで、三遊派本流で先代圓楽と対立していた円丈・円窓(いずれも圓生の弟子で圓楽の弟弟子に当たり落協所属)に接近して「三遊落語まつり」を共催するなど関係強化を務めたり、芸協に客分として加入して寄席に出たりと外堀を埋め続けてたんですね。
その総決算となるはずだったのが円楽の七代圓生襲名で、つまりすべての元凶である圓生の名を継いで、その名前で円楽一門会の落協復帰もしくは芸協加入を宣言し、分裂を解消することが目的だったわけです。やっぱり序列のメンツの世界だから、「圓生が始めたことは圓生としてケリをつける」って建前が必要だったんでしょう。
「圓生」の名は先代圓楽の時代には政争の具にされて、圓楽が自分の弟子の鳳楽に圓生を継がせようとしたのに円丈と円窓が反発して、それぞれ圓生襲名に名乗りを上げるという異常事態が起こったことで留め名になってたんだけど、円丈と円窓の許諾を得るかその死を待って円楽が圓生を継げば、その禍根も水に流せる……って目論見だったんでしょうね。
で、円丈師が亡くなったのが去年の11月、円窓師はつい先日、9月15日に亡くなったから、何もなく健康だったらば上記のプランはつつがなく進められ、来年にはスムーズに圓生になれてたはずなんですよね。
大喜利が行われた。観客は多くない。
司会. 春風亭昇太. 大喜利. 三遊亭小遊三、三遊亭好楽、林家木久扇、林家三平、三遊亭円楽、林家たい平
出演者も間を開けての着席となった。
離れているからか、木久扇師匠のボケも滑った感じに、小遊三師匠の少しいやらしいネタもセクハラ気味に聞こえる。
絶妙な距離感、絶妙な間合いが、微妙な距離感、微妙な間合いへとなってしまっている。
なんかちがう
なんかちがう
わろえない
わろえない
時事ネタでコロナの話題に触れた答えが出るとドン引きしてしまう
1000%笑いに繋がることはないから
やっぱり、こういう考え方がどんどん浸透していくと、いろいろと窮屈になって、お笑いなんかはいろいろ厳しいだろうなあと思う。
「いや、人を差別するような笑いはレベルの低い芸人のやることだ。人を傷つけない笑いはいくらでもできる」という人がいる。
だが、そういうことをいう人が「たとえば『笑点』が」とか言い出すとげんなりする。
笑点で昇太師匠の「独身いじり」するのと、童貞を笑うのと、構造は全く同じだろうが。
童貞を笑うのがマッチョイズムなら、未婚の男性を「不完全」「人格に問題がある」という立ち位置でバカにして笑うのはどうなんだ。
小遊三師匠は女性を徹底的に「性的欲望を満たす対象」として見ることで笑いを取っているようにしか見えないし、大月と秩父の争いは地方蔑視だ。
まあ、そもそも古典落語なんて、現代基準では結構な差別性をはらんだ笑いの世界なんだから、当たり前といえば当たり前なんだが。
出川哲郎の当たり企画に「出川イングリッシュ」という企画がある。
アメリカで、英語ができない出川哲郎が、片言の英語を駆使しながら街行く人に道を聞いて指示された目的地までいくというロケ企画だ。
必死に目茶苦茶な英語を駆使する出川に必死に耳を傾けて、思いのほか親切な人が出てきたりして、なかなかにハートウォーミングな企画だと思われているし、事実そうなのだろう。
「人を馬鹿にしていない笑い」として例に挙げる人もいる。
しかし、なぜこれがお笑いとして成立するかというと、有体に言えば、出川が常人の発想を超えたレベルの「バカ」だからだ。
それが証拠に、出川がトンチンカンなことを言うたびにテロップで強調されて、笑いを誘う仕組みになっている。
つまり、これは「バカ」を上から目線で笑おうという差別性がきちっと含まれている。
出川本人は誰もバカにしていないかもしれないが、番組と視聴者が協同して出川をバカにするのが基本構造だろう。
さて、ここで「『笑点』は差別的だから内容を改めろ!」とか「出川イングリッシュで出川哲郎を馬鹿にしてはいけない!」とか大声で主張する人たちがでてきて、しかも「私たちの主張に与しない人たちは遅れた差別主義者だ!」と騒ぎだしたらどうなるか?
みんな素直に「ああ、そうか。自分たちの中に潜む差別性に気づかなかったなあ。これからは考えを改めなきゃ」とは思わないだろう。
なんだか、うっとおしい住みにくい世の中になったなあ、と思う人も多いだろう。
○と文字数が合っていない。
他はみんな○に1文字ずつ当てはめているのに、それを無視してスタートップだ。
しかし、○が1文字というルールは明示されていないので、一歩譲ってこれはよしとしよう。
「大正ロマンス」
「不」→「大」確かに字の形は似ているが、違う字ではないか。
他のブコメの中には「歪」と解釈しているものがあったが、これはよい(もし笑点なら、ずる賢い小遊三師匠あたりが出しそうな答えだ)。
みなが「一喜一憂」「一長一短」「一朝一夕」などと書いている中で、線を書き足して「一日千秋」「十人十色」と答えているようなものだ。
さらに、「大正ロマン」は聞いたことがあるが「大正ロマンス」という言葉は聞いたことが無い。
自分の無知を疑ってGoogle先生に聞いたら、やはり「もしかして 大正ロマン?」と、俺がバカにされた。
これらは大喜利として許されるのか。
オートロックで締め出しを食らってしまった。引っ越してきて日も浅かったということと、疲労困憊で頭が回っていなかったことが災いした。近所のコンビニでちょっと買い物、と思って鍵もケータイも未所持だった。
とりあえず、エントランスのインターホンで部屋番号を端から押して応答を待った。しかし、入居戸数が極端に少ないのと、17時という微妙な時間なので誰からも応答がない。
マンションの外周をウロウロして、管理会社の電話番号を探すも、どこにもない。
じわ〜っと、嫌な汗をかいた。
そして思い出した。駅のそばには交番があったはずだ。
ワラにもすがる思いで交番へ駆け込み、「交番で聞くことじゃないのかもしれないですけれど…」と事の顛末を話した。
すると、ムネリン似のおまわりさんは真摯に聞いてくれた。奥から小遊三さん+高田純次さんのようなベテラン風のおまわりさんも登場し、管理会社の電話番号を調べてくれたり、管理会社の番号をマンションまで行って探してくれたり(私が見落としていただけで変なところにあった)した。
その結果、非情にも管理会社の答えは「解錠はできかねます」ということだった。片道1時間弱のところにある管理会社まで行けば鍵を貸してもらえるということだったが、営業時間は18時まで。現在時刻は17時55分。…無理だ。
すると、二人のおまわりさんは「じゃあ行って俺らがインターホン押せばいいか」と言ってくれた。ムネリンが「警察なら出てくれるということもあると思いますので」と付き添ってくれて、端から番号を押した。結果は私の時と同じだった。
気長に待ちます、いろいろお手数かけて申し訳ないです、ありがとうございますと言うとムネリンは「何もできなくて申し訳ない」と言った。ムネリンはチャリンコで交番へ戻っていった。
あと2時間も待てばさすがに誰か来るだろうと、締め出しの原因となった牛タンをもぐもぐ食べながら待った。すると、30分ほど待っていたところでいかにも親切そうな入居者の方が来た。黙って一緒に入るのも気が引けたので、「あの!鍵を部屋に置いてきてしまったので、一緒に入れていただいていいですか?」と言ったら、入居者の方はちょっとびっくりして「じゃあちょうどよかったですね」と言ってくれた。
部屋に戻ると、点けっぱなしのテレビが夕方のニュースを映していた。なんだか気が抜けたのと、締め出されたこと以上におまわりさんや入居者の方がいい人だったことで、なんだか涙が出てきた。