はてなキーワード: リンチとは
SNS社会の宿命なので、一人ひとりが私刑をしようと思って発言してたりするわけじゃない。
車が発明されたから自動車事故で死ぬ人が増えた、ということと現象としては同じ。
車の便利さを享受する以上交通法規は守りましょう、というのと同様。
ネットが出来て誰でも気軽に発言やコミュニケーションが取れるようになる便利さを手放したくないなら、監視的な社会であることを受け入れて、より倫理的であろうとするか、私刑的にインターネット上であげつらわれることを無視・許容するしかないと思う。
色んな人がそれぞれ勝手に好きなことを言い放つことができる世の中に、もうなってしまったからねー。便利になったもんだよ。
例の監督やコーチのところにわざわざ出かけて行ってたこ殴りにしたりリンチした、ということであれば、それは確実に私刑だし暴行傷害に問われるべきだとは思う。
山口メンバーがお金持ちとはいっても2000万円払うことは簡単ではない筈。
いや、仮に山口メンバーの資産が100億円有ったとしても2000万円は2000万円だ。
何が腹立つと言って
テレビで被害者の親が「親としては決して許すことは出来ない」とか「(山口は)娘の気持ちに向き合って今後は…」とか言ってたこと。
それが親の言うことか。
「彼は2000万円というけじめを付けたので我々としてはもう忘れる」
「山口氏がよりよい人間になることを願う、いずれにせよ我々はもう関係無い」
せっかく忘れるためのけじめも付いたことを
「決して許すことは出来ない」とか言って誰の得になるのか説明してみて欲しい。
それで娘がよりよく生きられるのか?
そんなことはないな。
親のお前がなんか気持ちよくなるのか?
そもそも何かされて「絶対許すことが出来ない」とかいう人間はクズの中のクズだ。
まして相手が少なくとも詫びを入れていて、大金という形を作ったのに、
それを受け入れながらなお「許すことが出来ない」とかいう奴はクズ中のクズ中のクズだ。
クズをやってると周囲のことも不幸にするが、報いは何よりも自分に来る。
悪いことをしたら詫びる、金を払う、これが当然だし、
悪いことをされた側だってそういう形を付けられたら許して忘れるべきだ。
でなければ生きていけないではないか。
川谷とベッキー2人とも金を持ってるんだから、数千万を川谷の妻に渡して詫びを入れる。
川谷の妻はそれできれいに忘れて数千万をもって新しい人生に進む。
そしてそういう形を付けたなら世間も元妻もそれ以上その件で川谷やベッキーを憎んだり責めたりしない。
水に流す。
(これ以上のことが有るというなら是非反論をつけてみて欲しい。)
世間はあの2人をリンチする必要などなく、ただ川谷ベッキーがきちんと金と詫びを入れるのを促して見守ればよかった。
既に2000万円と詫びを入れて決着を付けている山口メンバーがここまで世間にリンチされるのは納得できないし、
詫びの当事者である被害者の親が「決して許すことが出来ない」とか言ってるのは呆れ返る。
じゃあどうすれば山口メンバーのことを許すのか。
「決着を付けてない余罪はあるまいな」という方向の追求ならわかるが、
既に2000万円払っている件でリンチされてるのは見るに耐えない。
さだまさしの「償い」とかいう歌を喜んで聞いている人間は変態性欲者である。
あの歌の根底にあるのは、人を殺した奴はいつまでも「事件に向き合って」後悔し続けるべきろ、という憎しみだ。
あれから建設的なもの受け取れるとすれば「保険にはしっかり入れ」という教訓ぐらいだ。
(あんな馬鹿なものを裁判で引用した不見識な裁判官までいるらしい。説教ぐらい自分の言葉でやれ。)
自分と関係の有ることでも「絶対許せない」なんて口走る人間はクズの中のクズなのに、
自分と関係の無い&既に決着済みのことをリンチして楽しんでる人間は救いようがない。
そもそも山口メンバーより山口メンバーの事務所の社長の幼姦ホモへの天誅を求めるべきではないか?
あのホモは今回の事件より遥かに支配的な関係の中でより幼い被害者相手により性的な搾取を繰り返したパワハラセクハラホモであると
やっぱりちゃんと法にさばいてほしいよね。
少なくとも俺は俺を殺した犯人を許すし、殺人衝動を与えてしまったことに申し訳なくすら思う。
でも日本のような国では俺のようにはなかなか思ってくれない遺族が多数だ。
うちの親はまさにそう。「法に任せずリンチして殺す」と譲らなかった亡き父を思い出す。
リンチじゃなくても、死刑や終身刑が妥当とされている。たしかに殺人のキャリアがある人間が社会復帰するのは一般人にしてみれば怖いが…うーんなんかやりようないのか。みんなが幸せに生きなおすチャンスってあるべきじゃない?
「安全地帯から、他人を殴るのが本邦では最高の庶民エンタメ」ってだけの話だと思うよ。
安全地帯ってのは匿名でも不特定多数でもいいんだけど、いまの差別反差別の話で言えば「どうやら正論っぽい陣営」がそれに当たる。別段正論である必要はなく「殴っても反撃を受けなさそう」であれば必要十分なので、その時々で論者の主張が矛盾してるなんてことも起きうる。
セクハラしたり不祥事を起こした著名人を責難するのも全く同じ構造のエンタメで、相手が有名で責める側が無名だと反撃されないんで多数でリンチできるってだけの話。
過去のある時期オタクは社会的に害悪で殴っても良い存在だとされてたタイミングがあって、その頃はそれがエンタメだったけれど、今は社会状況が代わったってだけ。その殴られてきたオタクだって、リンチエンタメが大好きな日本人の一部なわけだから、別のシーンでは別の対象にリンチしてるだろうし、オタクのうちわでのリンチだって別段珍しくない。
どっちにしろ、反差別だのポリコレだのジェンダーだのは、この界隈において手元に転がってた棍棒でしか無くて、「安全地帯から他人を殴るのが最高のエンタメ」っていう心性のほうが本体だし、本体を自覚しないで論の整理をしたところでテクスチャを見栄えよくするだけの話でしか無いよ。
長すぎたので、最後の部分を分割。
とある、それなりに言動については信頼しているSF小説家が、ずいぶんと今回の件について批判的な言及をしていた。そのずらりとRTされてたり自分のキータッチで語られたツイート群の中には、オタク文化が、特にここ15年くらいの間は、差別的な言動や行動をよしとするようなものを内在していた、ということについて気にする形跡は、一ミリもなかった。その当事者性ゼロっぷりに、普段かなり反差別に近いツイートもしている人だが、ようするにそれは「「自分たちの世界」の外側で起きていること、アニメを見ながら実況ツイートしているような扱いなんだろうかな、と考えるととても残念な気分になった。敢えて、実名は上げないけれど。
話はそれるけれど、この小説家氏は、自分の仲間たちがかつて、とあるパソ通フォーラムでリンチしていた一人の参加者からその当時のことについて非難をされたとき、「あかん、こいつほんまアホや」と語り、それについて問いただされたら「おかしいことをおかしいと言って何が悪いんだ」というようなことを言い出した人のはずである。なぜ、そんなにC.R.A.C.の「それは差別ではない」発言に怒れるのかちょっと謎ではある。
それにしても、こんなツイートをRTしていたのには呆れてしまった。
https://twitter.com/kanenooto7248/status/987141171083227136
一人残らず!
そこまで言うからには、もちろん、一人残らずそうなった、という統計があるはずだろう。しかし、そんな資料が上がっている形跡はないしそもそもそんな統計はないはずだ。おいおい、トンデモはあなたのRTしたいものの中にあるんじゃあないのか? だいたいこの発言主は俺とそう年が違わないはずで、そんな俯瞰的な調査をするべくもないはずである。
この小説家氏に限らず、これをRTしているのを見かけた人の相当数が、オタクをひとくくりにして批判されることを蛇蝎のごとく嫌っていた。でも、こうやってひとまとめにされることは嫌ってないどころか大歓迎のようだ。
この小説家氏以外にも、何人か、この件で言及しているクリエイターを見かけた。クリエイターはオタク出身が多いだろうけれど、しかし一人残らず、とまで言えるかは微妙であったけど、相当数が表現の差別性をめぐって議論が持ち上がるとほぼ確実に「そんなのどうした」と切り捨てる側に立っていた人たちばかりである。それ以外のことでは割とリベラルな態度の人でさえそうである。そういう人が、「あれは差別でないなんてけしからん」「あらゆる差別をいけないといいたい」「自分の気づかない差別について提起されたらどんどん理解していきたい」などと言っているのだ。それはあなたが、フェミニズム運動家などの言説に対して取っていた態度である。自分で気づかないのだろうか?
余談ではあるが、後者の主張はすごい正論のように見えるが、相対化に明け暮れて問題点を覆い隠す格好のツールだ、と思う。こんなことを言っている人は、そのうちにあんな差別こんな差別と言い出した末にポリコレ疲れだと言い出す。このダイソーで買った商品名不明の電卓を賭けてもいい。2ch(当時)の人権板は、あらゆる差別をなくすための場だという名目で、部落差別の復活や地名晒しを行っていた場だった。
こんなていたらくの上で、オタクの差別性については雑だ雑だとケチをつけるツイートをRTしていたりする。そしてこの小説家氏はたぶん、相対的にちゃんとしている部類である。
そーいう閉塞感。
あとこれはさらに余談。
俺は野間氏は嫌いなんだけど、関わってる運動が形になることに関しては確かに上手いんですよね。
どれくらい中枢でかかわってたのかとか知らんので「運動を形にする」とまでは言わんけど、例えばしばき隊を軸にしたカウンターは反ヘイトスピーチ法に結実したし、SEALDsは最近のあの手の運動としては異例の存在。反原連だけはよくわからない。自分があんまり反原発じゃないからかもしれない。
そのへんのところは、ちゃんと考えた方がいい気がするんですよね。
というのも、野間を嫌いなあまり、政治的な立ち位置が狂って行ったオタクな知り合い、って何人か目にしてて、そういう社会運動の現状ってよくないなあと思うんですよ。
それまた閉塞感、というか。