はてなキーワード: 鎖国とは
もし日本が本当にポリコレにうんざりするような国なら、匿名掲示板が「ババアの嫉妬」「若い女性が年上の男性と結婚するのだけは女性の人権/権利/自由」「ホモソ文化男の批判は絶対に名誉毀損!(法知識ゼロ)」「フェミニストはテロリスト」みたいな明らかな有害男性性のホモソ投稿で溢れるわけないんだよな
欧米の真似してポリコレ疲れとか男性側の差別も解消しろとか言い出す馬鹿がいるから草だよな
やっぱジャッポスの低脳リテラシーじゃ情報の取捨選択は難しいかーとなってる
欧米並みの男女平等社会になりつつあるならバランスをそろそろ取るべきだとかの意見もわかるんだが、
でも当の欧米からは日本は女性蔑視や男女差別のひどい国、まるで60年前のようだとか今の日本はおじいさんがまだ小さかった頃のイギリスに似てるとか散々言われてますよね
日本が女尊男卑とか女性優遇がいきすぎたからそろそろ男性にもアファーマティブアクションをとかポリコレ疲れとか言い出すのは60年早いってwww
若い娘が20も離れた男を連れてきたら普通の男なら心配するでしょうが、オスの性欲が許されるかどうかの心配ばかりして女性の心配すらしないバカオスだらけ
こんな議論してるゴキブリがいるなんてポリコレ疲れするような社会では有り得ない光景だよな
当たり前だけど
外人が日本語でストレートに日本の悪口言うと変なキモい人が大量にやってきて「国に帰れ」「日本に来るな」「○国人は○○」みたいなただのゴミ差別逆ギレクソキモ低脳コメントで埋まりますからね
日本人は馬鹿なので、英語は読めないくせにわざわざ日本語でちゃんと言ってくれる希少な存在の声を潰すことには余念がないし
怪しいSNSコンサルは日本スゴイを脳死連呼する外人情弱ビジネスを勧めまくるし
バカならせめて人の話は素直に聞けばいいのにそれすらできないアホザルの群
室町時代も江戸時代も、当時の人はそう呼んでおらず、後から付けられた名前だ。
なのでこれらはより大きな時代にまとめられるだろう。
終戦で一旦時代を区切るのは、なんといっても国の主権が天皇から国民に移るためだ。
国の中心が変わると社会が大きく変化する。
歴史の大きな流れとしては、武士の時代から天皇の時代、国民の時代へと変わっていく流れとして理解されるだろう。
明治維新から終戦までの時代は、俺なら「帝国時代」と名付ける。
鎖国から解き放たれ、天皇を頂に据え世界に挑もうとした時代に相応しい。
そして終戦から現代を超え未来まで続く時代は、正直俺にも分からん。
まだ知らない未来の出来事によって名前が付けられる可能性もあるので
その時代が終わった後でないと、名前を付けることはできないのかもしれない。
何か思いつく名前はある?
大日本帝国陸軍は、まず、捕虜や民間人のレイプで有名なんだ。レイプした婦人の数を競って笑い合ったりしていた話が今も残されてるよ。
そもそも戦争を始めたこと自体が非常にバカなのだが、長い時代の鎖国で日本は教養も遅れていた
ほとんどの男を赤紙で軍人にしてただろう?陸軍の教育は今の自衛隊のような小さな規模で行われたものではなかったんだ
日本の多くの人はまともな教育もないまま陸軍や天皇万歳のもとにわーくにが世界一で、天皇の元には神風が吹くから全てはうまくいく、必ず風のおかげで勝てる、色々めちゃくちゃな戦争教育されていったんだよ
そして戦後なんだが、上の世代は焼け野原で、陸軍の亡霊みたいな奴もたくさんいた
アメリカはさっさと復興してもらって日本を軍用基地にしたかったので、国民の民度が落ちるのは承知でそいつらを排除始末はしなかった
いちから組織を作ったり権力者を育てたりするより一応日本人を軍や集団として機能させたノウハウがあるバカな支配者やバカな軍人にそのままやらせた方が復興が早かったから
そのバカは、高度成長期や戦後の時期復興の時期に援助や補償をもらって、ひたすら煽てられてバカが矯正されないまま高い給料をもらい、ブランド品を買い漁り、海外旅行に行きまくり、役員になり、勝ち組になってしまった
バカの作ったテレビや雑誌は差別だらけ蔑視だらけセクハラパワハラだらけの気持ち悪いものだったけど、それを見て育った層もそのままそれが普通だと思ってバカ二世になっちまった
終わってる国なのね
朝鮮王国は江戸時代、日本とは通信使の往来で儀礼的な国交があるという認識だった。基本的には鎖国(海禁)政策をとっていたので、対外貿易は清朝に対する朝貢が基本で、日本との貿易も対馬藩を通してのものだったから、政府として日本の政変に関与しようという動きはなかった。明治維新後、新政府が朝鮮と国交を結ぼうとしたとき、朝鮮は江戸幕府を正式な政府と認めていたからという名目で、それを倒した薩長政権は非合法政権であるとして相手にしなかった。これに苛立った明治政府がいろいろやったことが後のあれやこれやにつながっていく。
清朝は、もともと「王道を実践すれば周辺の蛮国は朝貢してくる」という態度だったので、積極的に周辺国の内政に関与する姿勢はなかった。特に日本に対しては、「明の頃には朝貢してたけど、その後、明朝にたてついて戦いを挑もうとしたときから国交は断絶してる。商人が非公式に貿易に行ってるようだが、政府としてはそれは積極的には認めていない」という認識だったので、そこで政変が起こっても、基本的には関係ないよという感覚だった。