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はてなキーワード: 銀杏とは

2021-11-16

anond:20211116115231

銀杏は黄葉って言うんやで

一つ賢くなったな

銀杏紅葉の季節がやってきました。

銀杏って紅くないだろ黄色だろ。おかしいだろ。

2021-11-02

銀杏30個くらいたべちゃったけど大丈夫かな……

何個たべたらやばいんだっけ

2021-10-12

anond:20211011153609

銀杏をはじめて食べた時、もっと栗とか芋みたいな甘めの物だと思ってたわ

ギャップがあって今じゃ立派な嫌いなものリストベストテンに入ってる

2021-10-11

anond:20211011153609

子供の頃ブドウっぽい味を想像しつつ銀杏食べてえっ!?ってなったから前半はわからなくもない

大人だったらこれまでの経験からもう少し範囲を絞れるだろう

焼き魚から焼き鮭みたいに身がポソポソしてそうだなとか

銀杏は木の実だから甘くはないだろうなとか

2021-09-20

銀杏匂いを嗅ぐと思い出す

中学生の頃、好きな子がいた。

ある日、自転車通学だったその子が俺の目の前で派手にこけた。

すぐ駆け寄って「大丈夫?!」って聞いた瞬間、銀杏匂いがぷ~んと鼻に入ってきた。

落ちて潰された銀杏の実で滑ったらしく、「痛ッて… あ、大丈夫ありがと」という初めて交わした会話は、銀杏匂いで胸いっぱいだった。

あれから数十年。今ではその子が俺の妻だ。

…という展開はもちろん無く、あの時の一言を交わして以降は何も話さないまま卒業、今ではどこで何をしているかもわからない。

だけど今頃の季節、銀杏の潰れた匂いを嗅ぐと、いまだたまに思い出す。

銀杏のにおいは、俺にとって青春のかおりだ。

2021-09-18

台所に立ちながらふと思ったこ

輪切り、賽の目切り、銀杏切り、短冊切り

輪っかだったり、サイコロだったり、銀杏の葉だったり、短冊だったり

イメージがだいたいできるけど

ジンって何なん?

みじん?

インドネシア語っぽいよね。

ジンギリ

2021-08-27

anond:20210827143706

おじさんについてる奴、くっさい銀杏ですやん

(なお、チェリーボーイチェリーそもそも処女膜という意味らしい)

2021-07-18

ハートが作れない

若い子がよくやってる手でハートの形を作るやつ。

人差し指をアーチにしてハートの上の部分。中指は下に向けて45度くらいの角度。

どうも中指がまっすぐ伸びてくれない。

私がやると銀杏になってしまう。

枯れ葉マーク、って私はそこまで年寄りじゃないよ。

2021-06-21

心のありか

友達はよく東京の想い出話しをする。

大学時代を過ごした東京での記憶が、今も過ごしている地元の思い出よりも大事に感じるくらいに。

春は桜、夏は花火アウトドア、秋は銀杏並木、冬は雪、目の前にある風景を通り越して、東京でみた景色を思い出す。

きっとそれらを一緒に見ていた、学生時代の仲間のことも思い出しているだろう。

新幹線に乗ればすぐに辿り着ける場所にあるけれど、仲間とみた景色を上書きすることはできないだろう。

2021-05-04

銀杏おいしいー

揚げ銀杏?が安かったから2袋も買ってしまった

サクサク塩味うんま

2021-03-22

クワッカワラビーのゆーうつ

七、北十字とプリオシン海岸

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」

 いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急せきこんで云いいました。

 ジョバンニは、

(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙だいだいいろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。

「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸さいわいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。

「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫さけびました。

「ぼくわからない。けれども、誰たれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。

 俄にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛こんごうせきや草の露つゆやあらゆる立派さをあつめたような、きらびやか銀河の河床かわどこの上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射さした一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架じゅうじかがたって、それはもう凍こおった北極の雲で鋳いたといったらいいかすきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。

ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶すいしょうの珠数じゅずをかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈いのっているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬ほほは、まるで熟した苹果りんごのあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。

 そして島と十字架とは、だんだんしろの方へうつって行きました。

 向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火きつねびのように思われました。

 それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼あまさんが、まん円な緑の瞳ひとみを、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るのを、虔つつしんで聞いているというように見えました。旅人たちはしずかに席に戻もどり、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語ことばで、そっと談はなし合ったのです。

「もうじき白鳥停車場だねえ。」

「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」

 早くも、シグナルの緑の燈あかりと、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄いおうのほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車だんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。

 さわやかな秋の時計の盤面ダイアルには、青く灼やかれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。

〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。

「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いました。

「降りよう。」

 二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口かいさつぐちへかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫むらさきがかった電燈が、一つ点ついているばかり、誰たれも居ませんでした。そこら中を見ても、駅長赤帽あかぼうらしい人の、影かげもなかったのです。

 二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏いちょうの木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅はばの広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていました。

 さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を、肩かたをならべて行きますと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある室へやの中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の輻やのように幾本いくほんも幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原かわらに来ました。

 カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌てのひらにひろげ、指できしきしさせながら、夢ゆめのように云っているのでした。

「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」

「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。

 河原の礫こいしは、みんなすきとおって、たしか水晶黄玉パースや、またくしゃくしゃの皺曲しゅうきょくをあらわしたのや、また稜かどから霧きりのような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚なぎさに行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮ういたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光りんこうをあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。

 川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖がけの下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。そこに小さな五六人の人かげが、何か掘ほり出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈かがんだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。

「行ってみよう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。その白い岩になった処ところの入口に、

〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物せともののつるつるした標札が立って、向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干らんかんも植えられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。

「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきの尖とがったくるみの実のようなものをひろいました。

くるみの実だよ。そら、沢山たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中に入ってるんだ。」

「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」

「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから。」

 二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚には、波がやさしい稲妻いなずまのように燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻かいがらでこさえたようなすすきの穂ほがゆれたのです。

 だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴ながぐつをはい学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴つるはしをふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中むちゅうでいろいろ指図をしていました。

「そこのその突起とっきを壊こわさないように。スコープを使いたまえ、スコープを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない。なぜそんな乱暴をするんだ。」

 見ると、その白い柔やわらかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣けものの骨が、横に倒たおれて潰つぶれたという風になって、半分以上掘り出されていました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄ひづめの二つある足跡あしあとのついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました。

「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡めがねをきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。

くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿のみでやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔むかしはたくさん居たさ。」

「標本にするんですか。」

「いや、証明するに要いるんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠しょうこもいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい。そこもスコープはいけない。そのすぐ下に肋骨ろっこつが埋もれてる筈はずじゃないか。」大学士はあわてて走って行きました。

「もう時間だよ。行こう。」カムパネルラ地図腕時計うでどけいとをくらべながら云いました。

「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」ジョバンニは、ていねいに大学士におじぎしました。

「そうですか。いや、さよなら。」大学士は、また忙いそがしそうに、あちこち歩きまわって監督かんとくをはじめました。二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のように走れたのです。息も切れず膝ひざもあつくなりませんでした。

 こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれると、ジョバンニは思いました。

 そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、間もなく二人は、もとの車室の席に座すわって、いま行って来た方を、窓から見ていました。

2021-02-28

500gのご飯は、1.5合のお米を炊けばいい。

3日はひな祭りだけど、

すし太郎ちらしずしをつくろうかな。

穴子を安売りしてくれないだろうか。

レンコン銀杏も。

2020-12-26

中野さら無駄に停まる

中野駅は、千葉から三鷹市を結ぶ総武線や、山梨大月まで伸びている中央本線の中継点になっている。ふだん通勤新宿駅阿佐ヶ谷駅あいだ(つまり総武線のほんの一部区間)を毎日行ったり来たりしているだけの私には、中野は少しイラッとさせられる駅だ。停車時間がいつも長いからだ。中野駅電車がいったん着くと、ドアを開けたまま、再び走り出す気配すらない。思い出したように電車が再び走り出すまでの間、乗客列車の中で押し黙っている。

乗客の忍耐を承認と受け取ったのか、国鉄中野駅での停車時間を少しずつ延長しはじめたみたいだった。

2分間停車とアナウンスはいっているのに、それより長く感じる。たぶん自分が焦っているだけだろうと思い、最初の頃は気に留めなかった。数日後、やっぱり長いなと思って時計で計ると、5分を越えていた。それから日ごとに中野での停車時間は長くなっていき、20分を越えた頃にはさすがに乗客ほとんどが異変気づきはじめた。停車時間が2時間を越えた頃にはもう国鉄は隠すこともしなくなった。これから2時間停車する旨アナウンス流れると、乗客は全員降りていった。

中野毎日2時間電車を待つのはそれなりに大変だったが、しだいに慣れた。電車待ちの客をあてにした商売中野駅の周辺で増えて、時間を潰す場所には困らなかったからだ。駅前広場パブリックハンギングで人が首にロープをつけたまま落下するのを眺めたり、うずら園へ行ってお茶を飲んだり卵を拾ったりしていると、それなりにしのげた。

停車時間が2日間になったときには、もっと腰を据えて時間を潰さなくてはいけなくなった。それだけ時間があるなら歩いて阿佐ヶ谷へ帰ろうかとも思ったが、検問が行われていて中野から西へは自由に行けなかった。これほど長く乗客中野に留め置くことは疫病対策になにか関係があるらしかったが、詳しいことはわからなかった。

なんにせよ2日間は長い。食料を仕入れて寝る場所を探そうと思い、とりあえずブロードエイに行った。その名のとおりブロードエイはとても広く、20〜30mくらい幅がありそうな道路の両端にはかすかに黄色い葉を残す銀杏が並び、樹の下には雑多な屋台が出ていた。植木屋金物屋肉屋魚屋おでん、綿あめ、射的、大人のおもちゃ根付オーディオ用品、型抜き、スマートボール骨董品、ありとあらゆるものがあった。

道路脇にプロパンガスボンベを持ち込んでソーセージを焼いていたので、2本買った。真冬でも麦わら帽子かぶったおばさんが、ちぎった生のキャベツ、青い唐辛子と一緒に小さなビニール袋へ入れてくれた。この辺でどこか安く泊まれるところはありませんかとついでに訊くと、最近電車待ちの人向けにキャンプ場ができたよと教えてくれた。

キャンプ場はうずら園の裏手にあった。入口で受付を済ませると、カーキ色のテントと寝袋を借りた。米も売っていたので買った。調理場にたくさん積んである飯盒を借りて米を炊いているうちに日が暮れた。

暗くなると一気に寒くなった。このまま寝られるかどうかもわからないほど寒かったので、斜め向かいテント前でやっている焚き火にあたらせてもらった。そこにいたのは自分と同じくらいか少し上の年頃の男性で、柔らかい物言いのわりに目の奥の光が鋭かった。焚き火の上で沸かしていたお湯で焼酎を割って飲ませてくれたので、自分ポケットに入っていた南部せんべいを渡した。

これから毎回、西に向かおうとする度に足止めを食らわせるつもりなんですかね、国も呑気なもんですね、などと話し合っているうちに私たちは打ち解けた。国分寺に住むミヤシタさんというそ男性カメラマンで、戦場というよりは紛争地帯取材を専門にしているらしく、数年前、パキスタンからアフガニスタンへ入った時の話をしていた。自動小銃を持ち、黒い布で顔を覆ったタリバン兵士が乗るピックアップトラックについて村を、学校を周って子どもたちを撮影したこと。片目のない子、腿から膝にかけて爆撃の痕で肉がえぐれたままの子が珍しがって寄ってきたこと、阿片栽培関連の場所は一切撮影を許されなかったこと。暗闇の中で炎を眺めながらそんな話を聞いていると、自分東京にいることを一瞬忘れた。

テントに戻って眠りについたものの、寒さで目が覚めた。寝袋が冬用なのかどうかわからない。奥歯がガチガチ鳴るのを自分では抑えることができなかった。このまま横になっているのに限界を感じて外に出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。バラックトタン屋根が、木が、電柱が、金色紫色の混じった光から現れてきた。今日一日をどうするかはまだ決まっていなかった。

2020-12-12

[] #90-1「惚れ腫れひれほろ」

地球は回っている。

そして太陽のまわりを周っている。

いわゆる自転と公転ってやつだ。

これらが巡り巡って、太陽地球を照りつける箇所が変わってくる。

それによって気温が上がったり下がったり、明るい時間も増えたり減ったりするんだ。

その変化を俺たちの世界では“四季”だなんて表現するけれど、この言葉最初に考えた人はきっとロマンチストだろう。

または底抜けポジティブシンキングだと思う。

だって客観的に考えて、季節が変わったら面倒くさいことの方がずっと多い。

それを良い事のように解釈する人もいるけれど、実際は煩わしいことだらけだ。

夏は海で遊べるけど、それは暑いことの裏返し。

猛暑を誤魔化すための対症療法しかない。

秋の公園紅葉が綺麗だなんて言うけどさ、むしろ銀杏臭くて最悪だよ。

暑いんだか寒いんだかハッキリしてなくて、優柔不断なところもダサいし。

冬は雪が積もって特有の遊び場になるけど、そのせいで交通は不便になるし、家の雪かきとか手伝わされる。

その時にできた泥と混ざった雪の塊を見て、白銀世界なんていう奴がいたら俺は笑うね。

だけど俺たちに惑星の動きなんてどうこうできるわけもないし、グチグチ言ってばかりいられないのも確かだ。

だったら多少は前向きに考えるくらいが生きていくには丁度いいんだろう。

でも、変にこじつけるのはどうかと思うけれど。

例えば春は恋の季節とかって、別に春じゃなくてもいいだろ。

恋愛漫画を読んでる時のタオナケを見てると、つくづくそう思う。

“恋に恋してる”っていうのは、正にああいう感じなのかもしれない。

…………

「はあ~、今週の『君に読むトワサガ』だけど、ちょーエモーショナルよぉ~」

その日もタオナケの心はオールシーズン狂い咲き満開。

彼女植物プラントを維持するためには、恋愛漫画必要不可欠なんだ。

「マジたっとい、感じ入るわ……」

「それ先週も言ってなかった?」

「言ったかもしれないけど、それは今週言わない理由にはならないの!」

そして俺含む他の仲間達は一歩引いた場所から対応する。

これも、いつも通りだ。

だって俺たちには、こういう恋愛モノの良さがイマイチからない。

物語花形は結局のところバイオレンスだ。

惚れた腫れたで口ケンカするのが、切った張ったのケンカよりエキサイティングとは思えない。

「はあ……この良さが分からないなんて、あんた達はガキね。少しはシップー君を見習ったらどう?」

シップー君”っていうのは、タオナケが読んでる漫画の主要人物だ。

常に主人公を気にかけて理解共感言葉を投げかけ、爽やかなスマイル無料提供してくれる。

まあ“如何にも”すぎて、逆に珍しいタイプ恋人役だ。

そんな実在人物や団体とは関係のないものを持て囃し、挙句に見習えと要求するのは俺たちよりガキっぽくないか

それに、もし言われたとおりシップー君の真似をしても、それはそれで「あんたらキモいわ」って言ってくるだろう。

恋愛漫画モード”のタオナケは理屈の外にいる。

から俺たちはこういう時に、タオナケの粗熱がとれるまで放置するしかないんだ。

次 ≫

2020-11-27

長巻を抜きたる君はほほえみつ銀杏並木金色のなか

2020-11-18

誕生日、だれもおぼえててくれなかった。自分自分プレゼントを買うこともわすれた。でも、ある建物写真を撮った。はるか昔、私が高校に入った時、吹奏楽部の一員としてこけらおとしに出演した建物。あれから歳月はながれた。銀杏並木は大きく育ち夕日のなか空も道も金色をなしていた。

2020-11-11

ギンナン公害

通勤経路にイチョウの木があるのだが、この時期はほんとひどい。

ただ臭いだけなんだが、毎日そこ通らなきゃいけないのが辛いわ。

うっかり踏んだらウンコ踏んだのと同レベル被害が発生する。

 

ところで銀杏って書いてイチョウとも読むって知ってた?

俺は知らなかった。

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