はてなキーワード: 進化論とは
他の増田が挙げてくれたけれど、「心臓の動き」みたいにトライが成功する/しないで即生死に結びつくものは沢山あって、生死1ビットの生だけが子世代に受け継がれることを指して進化論と関連付けてる。
だけれど個体が1世代の中で取りうる選択肢は極めて限定的、そして次代に継げる情報も限定的。
なのに人類は2000年(大体100代)ぱかしでチャリオットからM1エイブラムスまで進化させたのっておかしくね? って話だから進化論の範疇で語ってもよかろ。
>マミーの自称にフェイクを混ぜたがきみは突っ込めずに引用した
(あれ、「MIT卒じゃなかったっけ?」と思った←これも記憶)
貴兄は
と述べてらっしゃいます。恐らくマミー石田本人の実像はそうなのでしょう
ただ、当方が問題視しているのは、正確には「マミー石田個人の意志を離れて広がった(誤解された)マミー石田的な現象」です
俺以外でこう述べた人たちも同じような認識だったのではないかと思います
https://anond.hatelabo.jp/20190812143403
https://anond.hatelabo.jp/20190502092039
逆にいうと貴兄は余りにもマミー石田個人に近すぎて、その後マミーの手を離れて2ちゃんねるで勝手に広がった学歴差別ブームと完全に切り離しているのでしょうか
嫌韓厨は悪漢の自認などしてないとの説も、そういう側面はあると思いますが、先にも述べたように2ちゃんねるを中心としたネット世論は、本気もネタも混然としたところがあります
嫌韓厨の中核は当人の主観では大真面目な「ネットde真実」の人たちでしょうが、ある程度まで嫌韓世論が広まって以降は、無自覚のうちにも差別による優越感を得たくてやっている層、ネタ的に消費している層も混ざっていたと思います
嫌韓ネトウヨの主張のなかには、「弱者に配慮なんかしなくて良い」「被差別者は公然と笑い物にしてよい」という、人権思想や人類みな平等という考え方への嘲笑があります
そういう価値観を最初にカジュアルに広めたのは誰か? さかのぼってみたら、当方の記憶ではマミー石田じゃないかなあ、と思ったわけです
くり返しますが、これはもはやマミー本人が志向していた所とは離れた広がりでしょうけれど
たとえばダーウィンが「生物学としての進化論」を唱えたら、ダーウィン個人の意志を離れて、社会的弱者が淘汰されるのは正しいという俗流解釈の社会ダーウィニズムが広まったような例もあります
>そうじゃなくても「女に好感を持たれた」っていうのはかなり嬉しいから。
自分も、そういう進化論的説明を前提に書いてるのかな、とは思ったが、それにしても、その直前までコスト/ベネフィットの合理的な判断で人間関係を語っているのに、急にこの部分だけ本能を理由するのがなんかモヤっとする。
付き添いでキリスト教の教会の礼拝に何度か参加したのですが、どうしても考えが相容れなくて困っています。
牧師にも直談判していくつか疑問をぶつけたのですが、細かいことだと言うのみでほとんど答えてもらえませんでした。
私個人としては不可知論(神や真理には人間はたどり着くことができない)であるが、世界は決められたルールによって動いていて科学的方法によって真理に近づくことはできるという立場(信仰?)です。
キリスト教のメインの主張の1つは、「旧約聖書・新約聖書が聖典である」ということであると思います。
福音派の聖書が全て正しいという主張を信じるなら、普遍史(聖書が叙述する内容に基づくキリスト教的史観から構成された世界史)が妥当だと思えますが、科学的な歴史(宇宙論、進化論)とは矛盾しています。世界五分前仮説などを持ち出せば(聖書には叙述トリックが用いられているとすれば)説明がつきますが、人類を騙すように世界を創造した神は、嘘のない聖書をもたらすとは思えません。
逆に聖書はストーリーであって字面とは違う本質を理解しなくてはいけないという主張をする人も多いですが、どのように解釈すればよいかのコンセンサスがとれるように思えません。
精霊によって正しい解釈は得られるという主張もありますが、霊感が得られたのか単なる思い込みなのかを区別する方法については語られず危険です。
教会で行われているのは、現代の常識に沿って聖書を解釈して活用しているようでしたが、もはや個人の思想を聖書の記述よりも上位に置いているように感じられました。
実際、「神は正しいので、戦争は間違っていると神は考えている」という主張をしていましたが、戦争は間違っているということの正しさについては語られませんでした。
変なことは教えていないと牧師は語っていましたが、もし聖書から真実を学べるというのなら、現代の常識と違う変なことこそを教えなくては意味がないのではないでしょうか。
また、牧師や信者の発言は、聖書に書いてあることそのもの、聖書を読んでいる人の間でコンセンサスがとれているもの、独自解釈のいずれであるかの区別がなされず、すべて同等の確度で成立する(あるいは自明の真実である)かのようになされていました。
さらに、説教の中で「この話を神様が今日私にするようにおっしゃいました」という主張がなされましたが、牧師には特別に神の指示があるのでしょうか。
この発言を許すと、神の名の下でのテロリズムを否定することも難しくなりますが、特に誰からも反論が出ていないようでした。
牧師に尋ねたところ、教会の上層部がこの発言を許したから間違えていないという答えを得ましたが、納得がいきません。
私のような素人の思いつくような疑問に対しても、過去の事例などを教えてくれず、信仰すればわかるが説明は難しいとの答えが返ってくるのみでした。
すでに我々は答えにたどり着いているので批判に対応する必要がないというスタンスのように思われました。
嘘も方便という東洋哲学的な思想も理解はできるのですが、キリスト教では嘘をつくことは良くないという教えのようでした。
もし相手を幸せにするためなら騙してもいいという考えで嘘の理屈を話していたとするならば、詐欺として訴えるのが妥当だと考えています。
科学史上の発見で、「この科学者がいなかったら発見されていないであろう法則、事実、理論」みたいなものは存在するのかという話
たとえばニュートンの万有引力とか、ダーウィンの進化論とか、アインシュタインの相対性理論とか、個人的には、もし彼らが生まれてこなくても、後にだれかが同じ発見をしたんじゃないかと思うわけですよ。科学を表す言葉に「巨人の肩の上に立つ」ってのがあるけどまさにその通りで、ノーベル賞レベルの天才だってみんな膨大な先行研究の上に一つ積み重ねた個人に過ぎないから、他のだれかでも同じ発見はできたんじゃないかと思うんだけど
そういうのが通用しない異能みたいな科学者っているの?先行研究を何段も飛ばして天才的な閃きで重要な発見をした科学者っているんだろうか。その個人がいなければ間違いなく現代でも未発見だろうっていう法則とかってある?