はてなキーワード: 民俗とは
昔の日本語の発音は違っていたというのは知っていたが、動画でその復元音声を聞いてみるとまた印象が違う。
ほとんど何を入っているのかわからない。古文法(かつ文語)というのもあるかもしれないが、おそらく話し言葉でもわからないだろう。
今話している日本語もきっと数百年後には不思議な発音法に聞こえるのだろう。
そう考えると、今ある日常がすこしだけ貴重に思えてくる。保存する価値が有るように思える。
小沢昭一氏が「流しの芸」や「客寄せ」、「見世物」、「厄祓い」、…、そういった民俗的な放浪芸のたぐいを収集、録音したCDがある。これもまた今となってはかなり時代を感じるのだが、おそろしく臨場感がある。今はその殆どがなくなってしまったが、当時は(すくなくとも取材された地域では)保存するとか考えるまでもない身近なものだったのだろうと感じさせる。
保存するにしても日常に寄り添いすぎて誰もとっておかないようなつまらないチラシ、パッケージ、謳い文句、宣伝歌の類が意外と生々しさを感じさせるんじゃないだろうか。
そういうのを保存している物好きはどのくらいいるのだろう。公的機関ではまさか保存すまい。
追記:
聞いてみたいという人がいたので、自分が見た動画を幾つか紹介します
古代語 From Proto-Indo-European 古代言語音声集 How Ancient Languages Sound Like - YouTube
日本語以外にもいろんな古言語が聞ける。8:01から上代日本語、10:01から中古日本語(これは多分↓の動画と同じもの)
朗読 源氏物語(Tale of Genji) 若紫1 平安朝日本語復元による試み - YouTube
金田一春彦氏指導の平安時代の発音復元。多分ブコメで触れられているもの。ゆっくりに感じるけどどうなんだろう。
100年前の日本人の声 - Japanese voice 100 years ago - - YouTube
100年前の録音音声。これも多分ブコメで触れられているもの。このへんだと普通にわかる。少し落語っぽいから落語にそのまま継承されているのかも。
「己の心と正面から向き合い戦う」
はて。そのようなことが一般的に可能なのでしょうか。
かつて(せめて治療のためだけにでも)それを試みたフロイトたちは今の惨状なわけですが。
世紀をまたいで残ったのは電マと性癖診断遊びと証拠不十分に終わった性的虐待裁判だけです。
正面とはどこにあるのでしょうか。観測者問題というのは、すくなくともこの部分では比喩として適当なほどに、存在します。
あるいは最近の言葉で言えば「認知バイアス」と呼んだほうが適当かもしれません。
で、もし幸運にも戦えたケースだったとして。あなたの言うように「余力」の振り向け先を選べたとして。
それが信仰であってもいいのではないですか?
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噛みあってるようであわねーなー、布教と伝承の話全然しないしなー、もしかしてなー、と思ったらやっぱり神道の人だった。
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授業でお守りを切らせようとした教授の一件についてはどう思ってるわけ?
http://anond.hatelabo.jp/20131030094105
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ヒトには「意味」という宿業が備わってしまっているので、その宿業を適宜ぶち込むためのゴミ箱概念として「宗教」って便利だし必然じゃねーの、という感じ。
別の言い方をすると。ヒトは因果応報の病にある、つまり元増田 id:oramuda のように善行には善果が発生する、と。
それは一部正しい場合もあるが、例外も多数存在する。巨視的になればなおさら。ならばその因果のミッシングリンクを仮想の因と果でうめることは、便利だし必然じゃねーの。おれが何でこんな思いを。祭祀を万全に行わなかった祟りだ。おれはこんなに頑張っているのに何故報われない。極楽に行ける。我らは生きている。なぜか。第一原因があるから。
そんな感じ。
一理あれば一害あり。私法家は個人平等の極端に捗りて社会の秩序を害し易く,公法家は権力相関に偏重して世運啓発に伴ふことを怠るは,各 其(の)専らとする所に於て免れざるの弊なり。唯 此の二元素 相 調和して始めて国家法制の美を成すべしと雖,我邦 維新以來 社会の改新を謀るの急なるより,明治立憲の法度,或は専ら私法家の理論に偏傾したる跡なきにあらざるが,豈に後世史家の浩歎する所ならざるを知らんや。
我(が)国は祖先教の国なり。家制の郷なり。権力と法とは家に生れたり。不羈自由の個人が森林原野に敵対の衝突に由りて生れたるにあらざるなり。氏族と云ひ国家と云ふも家制を推拡したるものに過ぎず。権力相関を指摘するの呼称は異なりと雖,皇室の嬖臣に臨み,氏族首長の其(の)族類に於ける,家父の家族を制する,皆 其(の)権力の種を一にす。而して之を統一して全からしむるものは祖先教の国風にして,公私の法制習慣 之に由るにあらざれば,解すべからざる者 此々 皆 然り。之を要するに,我(が)固有の国俗法度は,耶蘇教以前の欧羅巴と酷相似たり。然るに我(が)法制家は,専ら標準を耶蘇教以後に発達したる欧洲の法理に採り,殆んど我の耶蘇教国にあらざることを忘れたるに似たるは怪しむべし。
耶蘇教以前の欧洲の文化は希臘(=ギリシャ)羅馬(=ローマ)の盛世 之を代表す。当世の史料,素より富胆なり。之を詳にする難きにあらず。況や如今 法制史の大作,クルチウスの希臘(=ギリシャ)に於ける,モムセン及(び)イエリングの羅馬(=ローマ)に於けるあり。専門の士にあらざるも之を窺ふに易きのみ。古日耳曼(=古ゲルマン)に到りては僅(か)にタシタスセーザルの記傅に由ると雖,方今ワイツ以下 古独(=古ドイツ)法制 探究する者少なしとせず。而して耶蘇教以前の古(日?)耳曼(=古ゲルマン?)の制度は,期せずして希臘(=ギリシャ)・羅馬(=ローマ)と其(の)跡を同ふするを発見するときは,耶蘇教の欧洲に入らざりし以前は汎く印度・日耳曼(=ゲルマン),人類に通ずるの主想ありしこと知るべきなり。
欧洲固有の法制は祖先教に本源す。祖先の心霊を崇拜するは其(の)建国の基礎なり。法制史は法の誕生を家制に見,権力の源泉を家父権に溯る。然れども何が故に家父権は神聖なりやと問はゝ,之を祖先教の国風に帰一せざるべからず。祖先の肉体存せざるも,其(の)聖霊,尚(なお)家に在りて家を守護す。各家の神聖なる一隅に常火を点して家長之に奉祠す。是れ所謂 家神なり。祖先の神霊なり。事細大と無く之を神に告ぐ。是れ幽界の家長にして,家長は顕世に於きて祖先の霊を代表す。家長権の神聖にして犯すべからざるは,祖先の霊の神聖にして犯すべからざるを以てなり。家族は長幼男女を問わず一に其(の)威力に服従し一に其(の)保護に頼る。
一男一女,情愛に(由?)りて其(の)居を同ふす。之を耶蘇教以後の家とす。我(が)新民法,亦(また)此(の)主義に依れり。之れ我(が)国 固有の家制にあらざるなり。是れ欧洲固有の家制にあらざるなり。欧土の古法は祖先の祭祠を同ふする者を家族と云ふ。家神は其(の)子孫にあらざれば之を守護せず。各家に其(の)神あり。之を絶滅することを忌む。家運の恒久を顕するなるべし。共に同一の神火に頼る者を家族と云ふ(古語家族とは神火を同ふすると云義なり)。後代,或は家長権の及ぶ處(=ところ)を家属とし,必(ず)しも血縁の因のみに限らざるの制あり。然れども,民法家が我(が)国に行はんとするが如き家とは,一男一女の自由契約(婚姻)なりと云ふの冷淡なる思想は,絶(え)て古欧に無き所なりとす。婚姻に由りて始めて家を起こすにあらず。家祠を永続せんが為に婚姻の礼を行ふなり。茲(=ここ)を以て,古法は娶らざるを禁じ,叉 子無きときは婦を去ることを認め,或は他姓の子を養ふて家祠の断絶を防ぐ,皆 古欧の家制は今の家制と其(の)主想を異にし,祖先教に本源することを証するものなり。之を我(が)国 非耶蘇教の習俗に照応するときは相似たる者あり。欧洲は,彼の宗教行はれしより,独尊の上帝は人類の敬と愛とを専有し,子孫また祖先の拜すべきを知らず。於是乎(=ここに於いて?)孝道 衰ふ。平等博愛の主義 行われて民俗血族を疎んず。於是乎(=ここに於いて?)家制 亡ぶ。而して個人平等の社会を成し,個人本位の法制を以て之を維持せんと欲す。フュステル・ド・クーランジ(ュ)は法制史の大家なり。其(の)古欧家制を解説するに序して曰く,人が「其(の)父,若(しく)は祖先を崇敬(アドレ)すると云ふの事(?)は吾人の信じ難き所なり。然れども是れ事実なりき」と。嗚呼,耶蘇教国に於きて耶蘇教人に孝道を説明するの難(し)き,此の一言を以て証すべし。我(が)国 未だ他教を以て祖先教を一洗したるにあらざるなり。然るに民法の法文,先づ国教を排斥し,家制を破壊するの精神に成り,僅(か)に「家」「戸主」等の文字を看ると雖,却(っ)て之が為めに法理の不明を招く空文 無きの優れるに若かざるなり。嗚呼,極端個人本位の民法を布きて三千余年の信仰に悖らんとす。而して一方に於きては,或は耶蘇教旨の我に行はるゝを欣ばず,強(い)て忠孝の国風を保持せんとす。哲学家は巧妙の弁あるべしと雖,法制史家の眼中に於ては孝道は祖先教家制の影なり。法制 先づ其(の)実体を亡(ぼ)し,教育行政は其(の)影の存せんことに汲々たり。史家は其(の)前後矛盾を笑なるべし。公法は権力相関の秩序なりとは,予が公法の講堂に出入せし人の聞(き)飽きたる説明なり。然れども,公法の研究は,期せずして復た此(の)原則に帰納せらるを得ざるなり。仏人フラフの近著,亦 権力相関の源泉に遡り,制度の変遷を詳(ら)かにせんとす。諸家 皆 其(の)本源を古の家制に帰す。家は家父権 之を統治す。家父は家属に対し殆んど無限の威力あり。後世の羅馬(ローマ)法家 之を夫が婦 及(び)子に対して天然に優れるの実力に帰せんとす。蓋(し)誤解なり。家父は夫 若(しく)は父たるの身分に由りて此(の)権を有するにあらず。権力の源泉は祖先の霊にあり。家を守護するの家神は家属を制裁するの威あるべく,子孫の祖先の霊に服従すべきは,之を顕世の代表者に移すことを得べし。古代「バーチル」の語,常に母の夫を指すのみならず,汎く有権者を呼びたる例なしともせず,亦,以て家父権は法の源たること知るべく,法は神聖なりと云ふ語の完全なる意味をも解することを得べきなり。耶蘇教の入りしより家父権 衰ふ。祖先の霊は子孫を守護するの責を免れ,父子夫婦 同じく唯一上帝の前に平等なり。祖先及(び)父を崇敬するは,神を侮辱する者なり。法は俗界の制 何ぞ神聖と称する事(?)を得ん。博く汝の隣人を愛せ,一視同仁の天帝は血縁の濃淡を認めざるなり。家制 豈(に)久しきを保たんや。家制 衰へてより近代国政の基礎を固ふするに到るの間,欧洲の社会,権力相関の中心を失うこと久し。是れ法度 弛廃し,豪族(が)割拠(し)優者(が)専恣(する)の世とす。僅(か)に其(の)社会を救ふたるものは耶蘇教の力 多しとす。「神聖なる羅馬(ローマ)帝国」は実に宗教の力に頼りて其(の)主権の名分を正し,人心を維持することを得たり。若(し)欧土にして急激の祖先の教法を棄て耶蘇教を入るゝことを拒みしならば,欧洲の社会は道徳法制 其(の)跡を絶ちしならん,後人の鑑むべき所なり。耶蘇教の希望する個人を本位とし世界を合同するは,欧土 尚 之を実践する能はず。家制を脱し族制に遷り,方今は国家を以て相(い)依り 相(い)携ふの根拠とせり。家制主義 既に及ばずとするも,国家主義を以て法制の本位と成すべきなり。史家は一躍 三千年来の家制を看ること弊履の如く,双手 極端個人本位の法制を迎へんとする我(が)立法家の大胆なるに駭(=おどろ)くなるべし。萬世一系の主権は天地とともに久し。其(の)由る所 或は祖先の教法家制の精神に捗るなきか。所謂 君子国の美俗は,祖先教を撲滅し,又,新教を容れず,唯 学校の修身教課書を以てのみ保維することを得るか,史学の一好試験なり。
(法學新報第五號 1891(明治24)年8月15日。『穂積八束博士論文集』(有斐閣,1943年)を底本とし,表記を現代語に改め,適宜 句読点 及び送りがなを補った。)
いろいろ面倒なのではっきりさせておくと、大学で民俗を専攻してました。隣接分野として文人&歴史&考古の教養は有ります。更に文人サブジャンルの宗教学に関しては「馴染みがある」「概説書、エッセイを読んだことが有る」程度です。
そのうえで、この増田はすごくいい疑問を持ってると思う(ウエメセ)。
これはそのとおりで、逆に言えば「宗教の教義が十分に煩雑で多方面にわたっていれば、それがたとえ非論理的でも教義内で無謬となり諸々の事象を教義で説明できる」っていう仮説があって。イメージとしてはユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学みたいな(こちらは両方とも論理の枠内だけど)。
なのでその場合は「はさみをつかえばおまもりを切ることができる」に対応する屁理屈なり禁忌なりが形作られるのだと思うよ。
宗教と政治が一緒にならないようになったりとかは宗教上の定義とほかの何かの定義が一致しないことに基づいてじゃないかなと思うんだけど
これも逆説的にそのとおりで。
言ってしまえば「政教分離」を是とする現在の日本の状況は、人類全体で見ればたいへん特殊なんです。
200万年前に人類が猿から別れて、その後どこかで「宗教」が発明された。
発掘で確認されているのは10万年前くらいなので、仮に10万年とするけど、
その後、9万9千9百30年間くらいずっと宗教と政治権力は同一だったわけで、
「あれ? これじゃいろいろまずいんじゃね?」と気づいたのがここ数千年(ギリシャ・ローマとかのピンポイントの特例を含む)、
必死に血を流して実効が上がってきたのがここ数百年の話(プロテスタントとかイギリス国教会とかフランス革命とか。これも「別のより穏当な宗教」に置換しただけだけど)、
やっと成功例ができてきたのが大戦期からのここ数十年(共産主義、政教分離)。
といっても何百年後かの人類からは「21世紀のヤツらってまだ○○してたんだって」「やべーwww」と言われるんだろうが。
なので歴史=宗教=政治なのは普通で、上の「いろいろまずい」ってのは、あなたの言う「宗教上の定義とほかの何かの定義が一致しないことに基づいて」とほぼ同一なんだけど、たぶんまだ現生人類はベースが宗教=歴史=政治=パラダイムなので、色んな場面で宗教的感覚は染み出してくる、というのが俺の私見。
渋谷スクランブル交差点地下道入口へ登ることが禁止されてるのは? 禁止しないとやっちゃう人がいっぱいいるから。
何かが禁止された記録というのは、それをやっちゃう人が現実にわりといっぱいいたから。
というのが歴史学の基本的な考え方の一つです。
なんか読みやすい参考資料とかパッと浮かぶといいのだけど。プロ倫の解説書とかかなー。微妙か。
現役じゃなくなって久しいので、だれか現役の人頼む。
http://www.weblio.jp/content/%E7%A8%AE
>しゅ 1 【種】
>属の下位で、形態的に他と不連続な特徴をもち、原則として、相互に正常な有性生殖を行い得る個体群をいう。
>種はさらに主として形態的特徴から、亜種・変種・品種などに分ける。
>(イ)〔論〕「種概念」に同じ。
>マイヤーによって1942年に提案された、生物学では最も一般に用いられている種の概念。
>この定義では、同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば、それは同一の種とみなす。
>しかし、同地域に分布しても、遺伝子の交流がなされず、子孫を残さない(=生殖的隔離が完了している)ならば、異なる種とされる。
>たとえば、ヒョウとライオンを強制的に交雑することによってレオポンと呼ばれる雑種が生まれるが、レオポンはほとんど繁殖力を持たない。
>よって、ヒョウとライオンは同一の種ではない。
この通り、これら定義では「交配し子孫を残せる生物を同一の種である」としている
DNAの種類は、交配し子孫を残せない理由であって、種の分け方の定義ではないと考えられる
ダウン症の人が子孫を残せるかは知らないが
もし普通に子供を産める・生ませることが出来るなら別種としてカウントはされないだろう
調べた限りでは、種の分類においてDNAを基準にしたものは見当たらなかった
それがそれが分類学で用いられおり、どういう分類方法で、誰が発表したものなのかを教えてくれないだろうか
それによって自分の知識を正したいんだが
たいした理由もなく、テストデプトの動画をYoutubeでいくつか見ていた。
このバンドについての情報って日本ではほんとに少なくて、俺個人的に
名前はよく聞くが実際のとこまったく得体が知れない、という
状態でここまできていた。ライブ動画や劇団とのコラボにまつわるドキュメンタリー、
PVなど見てなんとなーくようやく把握できた感が持てた。
いわゆるメタルパーカッション系に分類され、同時期に活動していた
アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンと比較されることの多いバンド(?)だ。
でも改めて見てみると両者の共通点はそれこそ「メタルパーカッションを使ってる」
くらいしかないと気づく。ノイバウテンはやはりかなり「ロックバンド的」なのに対し、
テストデプトは「パフォーマンス集団的」というか、ポップさがまるでなくてやたらと
政治色の強い、なおかつ青くないブルーマングループ、みたいな。
そうそう、政治色というか「反◯◯主義」みたいな部分も特徴のようだな。
なにしろアルバム「ショルダー・トゥ・ショルダー」は「南ウェールズストライキ炭鉱労働者合唱団」との
ダブルネームだし。ただ、反資本主義的な方向性はソ連崩壊後の彼らの作品からは薄れ、
キリスト教以前のイギリスというテーマに傾倒してどんどんクラシックと民俗音楽が合わさったような
方向に行ってしまう。(末期のSPKもそうなんだがヨーロッパ方面のノイズの人ってなんでちょっとほっとくと
クラシックくさくなっちゃうんだろ)劇団「ブリス・ゴフ」とのコラボ「Gododdin」なんかが特にその
傾向が強い。
さてもっかいノイバウテンと比較するとテストデプトはバンドっぽくない。なんか「パーカッション主体の『楽団』」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%FC%CB%DC%A5%C0%A5%E1%A5%C0%A5%E1%CD%F8%B8%A2?kid=301536&mode=edit
8月末ごろから地味に続いている模様。作成者(id:perushaneko)が書き込み、もう一方の編集者(id:subuaka_nandesu4_4)が削除するという繰り返しである。
# perushanekoperushaneko 2010/09/17 23:58 また消えていたので、復旧しておきます。コメントは後ほど。
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/09/18 06:02 「コメントは後ほど。」簡単でもいいのでここで述べてください。そうして後回しにすることが議論を回避する行為になります。
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/09/18 06:09 コメントを書ききれないのならリンクを張るという手もあります。コメントを後回しにしてキーワードを復旧することは、すなわち理由を述べずに復旧するのと同じです。
# perushanekoperushaneko 2010/09/25 01:45 更新しておきます
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/09/25 07:16 「更新しておきます」だけでは理由にならない。
# perushanekoperushaneko 2010/09/27 22:14 追記しました。
# perushanekoperushaneko 2010/09/27 22:16 内容を追記しました。
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/09/28 07:13 「追記しました。」「内容を追記しました。」復帰理由になっていません。
# perushanekoperushaneko 2010/09/30 23:38 更新内容があるので内容を書き足します。
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/01 06:34 復帰理由になっていません。前述したとおり、このキーワードは明らかに偏向しており(中立的でない)、使用者もごく少数(調べる限り「中韓を知りすぎた男」の中の人、コメント欄の「素朴人」氏、そしてid:perushaneko氏のみ)であり、他のはてなユーザーにとって有益といえないキーワードとして登録できない言葉(自分のペットの名前、自分で勝手に作った造語、自己紹介など、第三者から言及される可能性がほとんどなく自分だけにしかわからない言葉の登録は行わないようにしてください。)に値する(はてなキーワード作成・編集ガイドライン http://hatena.g.hatena.ne.jp/keyword/%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%82 %AD%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%83%BB%E7%B7 %A8%E9%9B%86%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3)。復帰するのであれば相当の理由を述べてください。
# perushanekoperushaneko 2010/10/01 21:23 ちょっと更新します
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/01 22:10 「ちょっと更新します」復帰理由になっていません。
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/01 22:17 はてなキーワード作成・編集ガイドライン」の「キーワード編集・削除時の責任」には 「キーワードの作成・編集・削除を行う場合には、その作業意図を他のユーザーに説明する責任を負います。特にキーワードの削除および復帰といったキーワードの存続にかかわる作業には、必ず説明を行う義務があります。」と書かれています。 id:perushanekoは「更新します」と述べるだけでキーワードを復帰するのは、作業意図に値する説明を述べずにキーワードを復帰しています。 id:perushanekoはキーワード編集・削除時の責任を果たしていません。
# perushanekoperushaneko 2010/10/06 22:32 こうしんしておきます
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/07 06:34 復帰理由になっていません。
# perushanekoperushaneko 2010/10/14 22:44 更新しました
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/15 04:00 復帰理由になっていない。
# perushanekoperushaneko 2010/10/21 02:24 更新中・・・
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/21 09:06 復帰理由になっていない。はてなキーワード作成・編集ガイドライン」の「キーワード編集・削除時の責任」には 「キーワードの作成・編集・削除を行う場合には、その作業意図を他のユーザーに説明する責任を負います。特にキーワードの削除および復帰といったキーワードの存続にかかわる作業には、必ず説明を行う義務があります。」と書かれています。 id:perushanekoは「更新します」「こうしんしておきます」「更新しました」「更新中・・・」などと述べるだけでキーワードを復帰するのは、作業意図に値する説明を述べずにキーワードを復帰しています。 id:perushanekoはキーワード編集・削除時の責任を果たしていません。
# perushanekoperushaneko 2010/10/29 00:38 更新しておきます
# subuaka_nandesu4_4subuaka_nandesu4_4 2010/10/29 06:43 復帰理由になっていません。
作成者(id:perushaneko)がさしたる理由も書かずに復帰しつづけているといった有様。議論になっていない。これはひどい。
西暦20世紀前半に行われた全世界規模の戦争に、当時の主要な"地域大国"が参画することになる。
日本(当時は、大日本帝国)も極東地域に位置し西太平洋地域の権益と利権と東アジア地域・シベリア方面への利権を有してあったため、これに国内の事情はさておいて否応なく巻き込まれることとなる。しかし、結果から言うと(周辺的な諸事情なども複雑に絡み)国際的な"血を流す政治(当時としては一般的なパワーゲーム)"に敗退することになる。
敗退(1945年の敗戦、ないしは終戦)後の日本は、連合国軍(後の国際連盟の平和維持部隊などの元祖)の占領統治をサンフランシスコ平和条約が発効するまでの期間受けることになる。
条約が発効当時、日本は日本国として再編されていた。当然それまでの大日本帝国時代の利権は組み替えられ変質を遂げており敗戦前の状況を制限するさまざま方法が、再編当時なされたことが、近年(西暦20世紀後半から21世紀初頭にかけて)、連合国主要国の公文書公開により徐々に明らかになりつつある。
これらに、日本ダメダメ利権(スキームとしては、日本<国家感・民俗・制度・その他>を貶めることでそのキックバックを受け取る利権構造が代表的なものである)は戦後の”ニュー・ディーラー”を主体とするGHQ民政局の主導する公職追放※で、敗戦前までは政権や政府の中枢から遠ざけられがちであったいわゆる"左派"の関係者(大きく言うところのフランクフルトシューレ関係者")によって『戦後日本』に強固に確立されていくことになる。
アジビラっぽい内容。真偽は自分にはよくわかりませんが、はてなサヨクの皆さんはどうお考えでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/perushaneko/
こういう人が書いてるという時点で内容に信頼が持てないです。
祖霊信仰は日本を形作って来た文化の一つだけれども、基本的にはただの民俗信仰の一つだし、そもそも弔い方なんか家によって違うだろ。本家に集まって酒盛りするのがお決まりの家もあれば、仏壇にろうそくともして済ます家もあるし、あるいは表向きは何にもしない家もあるだろう。
それを○○するものだとか全国的規模で画一的に決めつけなんかするもんじゃない。民俗信仰のあり方としておかしい。
いや普通は8月15日がお盆のメインの日だから。終戦の日とかさんざんテレビや新聞や学校でやってるからたまたまみんな知ってるだけで、民俗的にはお盆のほうが遥かに重要。
終戦の日なんて本来、直接の遺族以外には何の関係もない話だよ。現政府の政治領域の話で、どうするのが正しいなんてのは存在しない。
まあ、どのくらいの数のちょいケルオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかしちょいケルの童貞臭さを肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないちょいケルの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「the most relaxing feel」「iamge」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うイベント、「芸能山城組ケチャまつり」「Sound Horizon Live Tour - 領土拡大遠征」などの参加は避けたい。
あと、いくらちょいケル的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
ちょいケル好きが『JVC WORLD SOUNDS』もちょいケルだ!と言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ちょいケル知識はいわゆる「テレビまんがから流れてくる劇伴」を除けば、菅野よう子程度は聞いている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「Enya以前」を濃縮しきっていて、「Enya以後」を決定づけたという点では
ただ、ここで「Enyaの姉がClannadというアイリッシュ・トラッドグループに参加して……」と言ってしまうと、「エロゲーオタ超キモイ!」と彼女との関係が崩れるかも。
この多重録音過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の癒しポイントを彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力(ニューエイジ臭くなりがちなちょいケル暗黒部をできるだけスルーするという意味合いにおいて)」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなヒーリングミュージック(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ちょいケルオタとしてはこの二つは“音楽”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のちょいケルオタが持ってる自然への憧憬と、エリック・ムーケとミシェル・サンチェーズのオタ的なサンプリングへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもDeep Forestな
の二要素をはじめとして、オタ好きのする要素を音楽にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「Hallucinogenだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、このアルバムに収録されていた「Divine Moments Of Truth」がFlash作品となって大人気になったこと、
アメリカなら亜流が大量に発生して、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
ちょいケル界隈でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりちょいケルはアニメによく収録されているよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「地球少女アルジュナ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける原の思いが好きだから。
ガムラン使いてーと言ってAKIRAで先につかわれくそー!と思ってもアルバムに収録されている「逃走」で使っちゃうっていう所が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
クゥの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
宮崎アニメの久石譲だったらきっちり自分の音楽の枠内にしあげてしまうだろうとも思う。
なのに、若草恵に頭下げて東南アジアの楽器を取り入れた劇伴を作らせてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ原がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今のちょいケル若年層で生のそのままのブルガリアン・ヴォイスを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
菅野よう子よりも前の段階で、ちょいケルの哲学とか女性ヴォイス技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品が民俗音楽として大昔にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくちょいケル好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる「Zone of the Enders Beyond the Bounds - Theme from Anubis」でしかブルガリアン・ヴォイスを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
KOKIAの「声」あるいは「歌詞づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない祭を毎日生きる」的な感覚がちょいケルオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそテイルズ オブ イノセンスの主題歌はKOKIAや姫神以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というちょいケルオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ちょいケルオタの気分」の
源はKOKIAなどの女性ヴォイスにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。彼女がカネダーテツオーと騒ぎ出すか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうむき出しのエスニックミュージックをこういうかたちでアニメ劇伴音楽化して、それが非オタに受け入れられるか
ナカマーハシルーを誘発するか、というのを見てみたい。
サンホラとかルルティアくせーハルヒのキャラソンとかあればゲラゲラ笑いながら聞きてーなぁ。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。