はてなキーワード: 最初とは
ホラー嫌いだし
多くの女性が性的表現や性犯罪描写が嫌なのってこれに似てると思うんだよな
ここで俳句の解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアルで相談した方がいいよ。
…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト(文脈)に依存する芸術だからだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力をもつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会(特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。
それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和の俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。
「ここで昼餉(ここでひるげ)」
初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わずか17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこちの公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。
ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)
「真赤な夏の/花佇つゆゑ」
最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初ののんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。
もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。
一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くその花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ、向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任に適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的に楽天的で天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。
二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかったからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから、人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈・深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩、創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反の用字である。
結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。
そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的な俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的に俳句はもっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語+感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用に物語調で独特だ。一般的な俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか。
まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。
会話が成立していないようだね
弁当と給食のどちらがいいというそんな話だ(これはディベートの定番問題)
論点があるならば登場人物がいるはずだが、それは元増田と俺か?それとも君と俺か?
題材となる論点は何だ?
具体的に言ってみ
君はしていないよ
主張しているならば「元増田はアニメの話をしている一方で、俺はそれに対して加害性ある発言をしている」これは論点ずらしではないのか
と言えるはずだ
にもかかわらずそれを一切言わないで「ゴミ」「くそ」としか発言してこなかった
これで主張していると誰が言えるんだ?
その終盤に来て友人という概念の難しさに直面している
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自分の友人はどちらかというと「人が良い」感じの人が多い
そういう人が好きだし、そういう人と遊ぶのが好きだから、結果的にそうなっている
もっと言うと、みな知り合った当初は「人が良い」且つ「趣味が同じ」ような人たちだったんだけれど
趣味というのは移り変わるものであるから、いまはもうみな「趣味が同じ」とは言い難い状態になってしまっている
また彼らは人が良いため、移り変わった先の趣味でまた新たな友人を見つけ、
これ自体はまあ、いいなー羨ましいなーとは思うが、取り立てて問題にするほどではない
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そして次に語るべきは自分についてである(いま隙が生まれたから)
また趣味もどんどん変になっていっている
最近はクルマ関係がアツいのだが、シミュレータだとか、ラジコンだとか、クルマ趣味の中でも更にマイナーな方面に突き進んでいる
カメラも趣味なのだが、これも何故だか中華レンズにフジフイルムでなんか変な鉄塔とか撮ってばかりいて
キヤノンでポートレートだとか、ニコンで風景写真みたいなメインストリームではない
どうしても真面目になれないというか、ガチれないというか、
ここは自分の弱さでしか無いと思うのだけれど、真剣に取り組む事ができないのだ(怖いから)
だから、一人で、浅瀬で遊んでいるのだ、ずっと
言ってしまえばこれは孤独のグルメであって、独りで静かで豊かなので、
それ自体は悪いことだとは思っていないのだが、
それでもふと、淋しいな、と思うときがあるのだ、特にGWみたいな長期連休では
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こうなったときに、もう、困るのだ
やんなっちゃうのだ
VRChatとかやっているのである
原神だか幻塔だかよくわからないMMOとかをやっているのである
それぞれが楽しそうに、それぞれの友人たちと過ごしているのである
自分といえばもう、シミュレータ機材の話とかをしたいわけだから、
それとなく話題を振ってみたりもするのだけれど、当たり前だがなんにも起こらないのである
なんやねんこいつ的な空気にならないだけむしろありがたいのである
それでいて去り際に「そっか、じゃあ今度僕も麻雀やってみようかな」とポツっと言ってみると物凄い食いつきなのである
一緒にやろうよ!やるなら教えるよ!である
とりあえず雀魂インストールだけしてみようよ!きっと楽しいよ!である
本当に本当にありがたい話である
===
さあ、困った
結局のところは
『てめえはてめえでシミュレータ友達を作るために努力したらええやないか、
に尽きる話だとは、思う
思ってはいるのだ
思ってはいるのだが、その、要するに、
ラーメン発見伝でやっている人とはどうしても温度感が合わないので、
孤独のグルメの人を探しにいくことになるのだが
基本的に、孤独のグルメをやっている人は、いま現在、孤独である
そして殆どの場合、彼らは、孤独であることが好きで、孤独をやっている
そうなるともう、付け入る隙がないのだ
彼らは彼らで、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなのだ
独りで静かで豊かで……
だから、孤独のグルメ同士で友人関係を築くというのは、実はかなり難易度の高いことであって、
ただでさえコミュニケーション能力に難のある自分には
なかなか現実的でない、ような気がするのだ
こうなってくると、『じゃあ僕は一体なんなんだ』という話になるのである
GWで多少暇をしたくらいで寂しがっている僕は一体なんなんだ、という話である
僕は一体なんなんでしょうか
僕は一体なんなんでしょうか
===
そんなこんなで堂々巡り(言うほど堂々巡りでもない)を続けているうちに
なんだかもう、色々と面倒くさくなってきて
一回吐き出したほうが良いか、と思って
ここに色々と書いている(初めて匿名ダイアリー書いています たのしいね)
そうやって書いてはみたものの
結局答えらしい何かは見つかった気がしないので
今日のところはとりあえず雀魂のインストールだけしておこうと思う
そのようにしようと思う
第三者が関係するのはお互いの主義主張に明確な齟齬が出たり、どちらかがそれこそ論点をずらした会話をしだしたときに意味が出てくる
仮に俺と元増田が話していて(この状況がまずない)俺が論点をそらすために人格否定に走ったとする
じゃあそこに第三者が論点ずらし論点ずらしと言ってきたところで、やじ馬の合唱でしかない
君は討論をしている人に向かってヤジを飛ばすだけの観客に対して何か誠意ある対応をする必要があるか?ないだろ?
そもそもお互いに何かを論じて意見を交わしているわけでもない一方的な主張しかしていない状況で、何が論点なんだっての
お互いに論じていて、それをずらすなら論点ずらしは成立するが、その前提すらない状況でずらしも何もない
「飯をカレーにされる」とあるから、カレーを作ってるのは奥さんだよね?
奥さんの作ってるカレーを途中で別鍋に移して自分用カレーを作るのは拒否されるということならば、カレーを作る日は最初から増田が調理担当になればいいと思った。
なにかを得たければ、なにかを我慢しなくてはならない。
お前とは話してないんだよなあ。
もしかして本人なの?
他人にコストを押し付ける前に、元増田のに対する最初のトラバを読んでこいとしか言いようがない。昔の5chでいうクレクレの教えて君かよ
これは男女ともに言えることだが相手は数年後に何の興味も持てない肉の塊になる可能性もある
家に居てかさ高くないサイズがいい
身長なんかより、普通に働いて稼ぐ、キレない暴言吐かないモラハラしない借金や隠し事しない、まともな倫理観を持ってることの方が末永い人生の安寧にはよほど重要
なんなら160㎝ぐらいでもいいと思える