はてなキーワード: 影武者とは
日本語における母集団を全部確認できないので、自分の観測範囲だけになってしまうが、
(炎上させない限り、まともな回答がつかないなど)
思いつくままに仮説を挙げてみる。
仮説①:Googleなど検索サイトが日本語の対応に熱心ではない。
仮説②:https対応できない、サービスが終了したなどにより、良質なサイトが消えた。
仮説③:記事の質よりもアクセス数を重視しているので、質が低下した。検索サイトは質を考慮しない。
仮説⑤:短い動画が主流になり、難しい話ができなくなった。
仮説⑥:検索サイトの機能はより洗練されているが、自分の検索能力が成長していない。
仮説⑦:今のWebの機能が、情報をまとめるのに適していない。もしくは機能不足。
仮説①について。
Googleが日本語をさぼっていても、bingやDuckDuckGoなど別の検索サイトを使えば、仮に母集団に良質な記事があるのであれば、見つかると思うがどうも見つからない。
Wikipediaは信用ならないと言われ、確かに怪しい所はあるが、まだマシだ。
もっとも一般に求められている情報が変わってきたというのもある。
いかにネット上で盛り上がっていることに乗るか、という使い方をする場合だと、Twitterを検索するだろうし、情報の出どころを確認する、反対の意見がないか確認するといったことはしなくてよい。
そもそもニーズがないのだから営利企業は対応しない。日本の大学から新しい検索エンジンが出てくるわけでもない。
仮説②について。
デザインが古いなどあっただろうが、昔のWebサイトの方が質が高かったように思える。
仮説③について。
有料の記事についても、特に質が劇的によくなっているかというとそうではない。有料メルマガも同様。
どうせWebで読まれる記事なんて1日経ったら他の内容に興味を持たれて忘れられるので、それほど質は必要ないのかもしれない。
営利目的ではなく、趣味でやっている人は質を良くしようというモチベーションはあるだろうが、営利目的で質が関係ないならKPIに入れない。
仮説④について。
Webライターと言われる人が、元は出版社に勤めていたということがあり、Webが次世代の人を育てられなかったのだろう。
過剰にWebと親和性が高い人は、炎上させるなどグレーゾーンを攻めるのが生存戦略となっているし、
ある段階から、身の回りの地位は低いが能力が高い人を使うことになっており、自身で情報をまとめていない。(本を出しても影武者が書くなど)
SNSが広まって、多くの人がテレビで嫌われていたコメンテーターになった。
仮説⑤について。
スマホに移行したこともあるだろうが、言葉を尽くして人に説明して納得してもらう、というのができなくなった。
仮説⑥について。
検索サイトのヘルプで新しい検索方法が解説されているわけではないので、どうやって成長させるのか疑問がある。
検索能力を上げるための検索も、能力がなければできないとなると、どうするのか。
SEO的な能力を上げるのはビジネスになっているのでできるだろうが、インテリジェンスに近い検索は個人の試行錯誤でなんとかなるものなのか。
仮説⑦について。
togetterやはてブのような、記事のリンクを集めるような機能はあるが、論理的な結びつきなどを示さない。
かなり昔の話だが、思い返す度にモヤモヤする話をする。
概要はよくわからないが、友人がオンラインで自分でキャラクターを作って、他のユーザーと交流する?ネトゲみたいな物にハマった。
その友人は絵が描けないので、アバターになるキャラクターを描いて欲しいと頼まれた。
そのネトゲ?では他のユーザーと交流して仲良くなった絵師同士で相手の自キャラをお互い描いて交流したりするのが主だったようで、「他ユーザーさんがあなたの描いたキャラを描いてくれたからお返しを描いて」と友人に言われるまま描いていた(今思えばなんで私が影武者みたいなことしなきゃならんのだと思うが)
で、友人が仲良くなった人の中に現在も活動中のプロ絵師がいた。
その人の作ったキャラなども私は知らずに描いたりしていた。
ある日そのプロ絵師が結婚する、私にウェルカムボードを描いて欲しいと言っていると聞かされた。
でも私にしてみれば面識もない知らない人だし、プロの絵師として活動してるような人が「なんでこんな素人の絵を、しかも面識もないのに頼んでくるんだ?」と思い1度は断ったが、友人にどうしても私の絵がいいって言われた、お願いと言われてそれならと思って描いた。
その後、直接、もしくは友人を介してお礼の言葉など頂けるのかなと思っていたが、結婚式など終わってしばらく経っても何も来ない。
どうしてもと依頼してきたのは向こうなのに?と思いつつも、友人からは「結婚してるのは非公表だから、公表するまで何もしないで」と言われていたのでその通りにした。
後日プロ絵師のプロフに「既婚者」と書いてあったのを機にメールを送ってみた。
でも反応が無かったので別経由でメッセージを送ってみたところ返事を頂けた。
要約すると、
「あの時はありがとうございました、今も大事に全部飾ってます」と。
私は「そうですか、気に入って頂けたなら何よりです、お仕事頑張ってください」的な返事を返した。
もしかして友人は私の絵を自分が描いていたと偽ってたのではないか?とか
プロ絵師の反応が薄かったのは別に頼んでないけど友人が「私が」祝いたいからと無理にウェルカムボード描かせてやってと頼んだのではないか?と思い出す度モヤモヤしてしまう。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 139 | 11726 | 84.4 | 41 |
01 | 74 | 9862 | 133.3 | 59 |
02 | 40 | 13815 | 345.4 | 42.5 |
03 | 17 | 2876 | 169.2 | 51 |
04 | 10 | 816 | 81.6 | 68.5 |
05 | 16 | 4687 | 292.9 | 91 |
06 | 59 | 7149 | 121.2 | 42 |
07 | 49 | 6862 | 140.0 | 38 |
08 | 40 | 4504 | 112.6 | 42 |
09 | 84 | 9471 | 112.8 | 33 |
10 | 107 | 8567 | 80.1 | 38 |
11 | 125 | 12104 | 96.8 | 37 |
12 | 123 | 8070 | 65.6 | 40 |
13 | 129 | 11699 | 90.7 | 40 |
14 | 97 | 6332 | 65.3 | 32 |
15 | 124 | 8188 | 66.0 | 32 |
16 | 112 | 11218 | 100.2 | 43.5 |
17 | 89 | 8156 | 91.6 | 43 |
18 | 138 | 17964 | 130.2 | 38 |
19 | 134 | 21672 | 161.7 | 30.5 |
20 | 164 | 11248 | 68.6 | 32 |
21 | 110 | 11426 | 103.9 | 32 |
22 | 164 | 10300 | 62.8 | 32 |
23 | 123 | 13402 | 109.0 | 48 |
1日 | 2267 | 232114 | 102.4 | 37 |
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ある時、森之助の伯父で、先年村上家を出奔して武田家に仕えていた、相木市兵衛という者が塩尻峠を通りかかった。
市兵衛はその山奥で、鹿の背に乗せられ、猿たちに取り囲まれた赤ん坊を見つけた。
不思議に思った市兵衛は赤ん坊を拾って帰り、山の中で鹿に乗っていた子供ということで「山中鹿之介」と名付けた。
その赤ん坊こそ、長坂・跡部の追手と戦ううちに更科姫とはぐれてしまった、彼女の息子であった。
その更科姫は、はぐれた息子を探すうちに山賊の砦に迷いこんでしまい、彼らを打ち倒して親分の座に収まっていた。
しかも、その山賊の一味だった烏勘左衛門という者が、実は武田家と対立する上杉謙信の家臣・蓑田五郎であった。
二人は協力して馬場美濃守を討たんと、手下を商人に変装させて甲府へと送り込んだ。
ところが手下は早々に馬場美濃守に捕まり、一部始終を白状させられてしまった。
馬場美濃守は思案して、私の心底はこの中身を見れば分かると言って、その手下に「長持」を持たせて帰した。
手下から長持を受け取った更科姫がそれを開けてみると、その中から現れたのは死んだはずの森之助であった。
更科姫は、森之助との再会に驚くやら喜ぶやら。
実は、密かに馬場美濃守に助けられていた森之助は、それから馬場美濃守の影武者として活躍していたのだった。
このときすでに村上家は滅び、村上義清は越後へ逃れて、上杉謙信の家臣となっていた。
このまま武田に与して上杉と戦うつもりもなし、世を捨てて閑居しようと語り合い、
上杉と戦う必要はないので、北条今川の押さえとなる諏訪ヶ原城を守ってくれないか、
と頼まれてしまい、恩人の言うことでもあるので、やむなくそれを引き受けた。
天下布武を唱え、腹心であった飯島摂津守及び家臣団五人衆、すなわち中居弾正、木村内匠、稲垣五郎右衛門、香取金吾、草薙武蔵らの離反も、その強大な力により押し潰し、今や鳥を落とす勢いであった喜多川右府が、突如、京にて薨去されたとの噂が、日の本じゅうを駆け巡った。
ある者は流行病によるものと噂し、またある者は家臣による毒殺とも噂しあったが、果たしてその真相は、右府の生死も含めて杳として判らなかった。
マスメディアが十分に発達した現代とは違い、当時は、重大な事件は全て人々の口伝えに頼らざるをえない。戦国武将達は、不確かな状況の中で自らの去就を決めねばならず、その対応如何によって、ある家は栄え、ある家は滅びるといった悲喜劇が、絶えず繰り返されたのであった。
ところで、右府のもとには、二人の有力家臣がいた。木村内匠と滝沢左近である。
木村内匠については、飯島の乱において仲間の謀議を主君へ密告した功により取り立てられ、右府からの覚えもめでたく、非常に権勢を振るったことは、既に述べた。(https://anond.hatelabo.jp/20160119162624)
もう一人の重臣、滝沢左近は、元は一介の素浪人であったが、右府に仕官すると俄に頭角を現し、今や右府の最側近として大いに活躍していた。
さて、両者ともに、この悲報に接したのは、京から遠く離れた土地であった。
その時、木村内匠は、右府の命を受けて城攻めを行っていた。梅雨空の下、城の周囲に幾重にも堤を築き上げ、増水した川の水を中へ流し込む「水攻め」を行うこと約1ヶ月、もはや天守は湖の中の孤島と化していた。
「ってゆーかさぁ、もうそろそろ落ちるんじゃね?」
そんなある晩のこと、勝ち戦への楽観が広がりつつあった木村陣営に、突如、右府逝去の激震が走った。京からも離れていたため情報が錯綜し、いつしか町奉行である東山越前守により弑逆されたとの誤報にすり替わっていたのだった。
突然の悲報に接し、大声を上げて悲嘆する木村内匠に、その妻、静御前は冷徹な言葉を投げかけた。
「殿さま!今すぐ京へ引き返して、逆賊、越前守を討ち滅ぼし、御館様の無念を晴らすのです!」
「よく言うた。それでこそ我が妻よ!」
木村は電撃を受けたように飛び上がると、すぐさま敵方と講和を取りまとめ、全軍を京へ向けて引き返し始めた。
一方、滝沢左近は、遠く関東にてこの悲報に接した。ただし、右府の側近中の側近であったことが幸いし、在京の東山越前守から直接、正確な情報を書簡で受け取ることとなった。滝沢左近は、俄に活発化した敵勢と対峙しつつも、手堅く京へ軍勢を引き返した。
実際のところ、この時点では右府はまだ逝去してはいなかったが、今で言うところのクモ膜下出血により、ほぼ危篤状態であったらしいので、死へ向かいつつあったというのが真相であろう。だが、意識を失う直前、右府は「余の影武者を立てて、死を三年間、隠すように」との遺言を、側近の東山越前守へ伝えていたため、先のような虚実入り混じった噂話を生む結果となってしまったのだった。こうして、両者が接した情報の確度の違いが、やがて両家の命運を全く違うものにしてゆく。
まずは木村内匠であるが、弔い合戦のつもりで軍勢を摂津と山城の国境、山崎まで進めたところで、東山越前守の軍勢と対峙することとなった。
「やれ、賊軍ども、なにゆえ京へ攻め上った!御館様に楯突くものは、尽く成敗してくれる!」
木村内匠、答えて曰く、
「傍ら痛いわっ!お前こそ、御館様の亡き後、政を私しようとする賊軍であろう!」
「何をたわけたことを!ここに、御館様はおわすぞっ!」
銅鑼の合図とともに東山軍が左右に割れると、その間から見覚えのある輿が進み出てきた。そう、それは右府の豪奢な輿であった。
「やばっ!御館様!」
突然の状況に、木村軍は戦わずして敗走を始めた。更に間が悪いことに、関東より引き上げてきた滝沢軍が退路を断つ形になり、木村軍は徹底的に殲滅されることとなった。
ちなみに、東山越前守の機転によって引き出された輿であったが、その中には、既に意識のない主人が乗っていようとは、木村内匠は知る由もなかった。
こして敗退した木村内匠は、ひとり戦場より落ち延びると、ある禅寺でひっそりと出家して生き延びたという。一時は、かつて裏切った自分の主君であり、既に出家して名を改めていた飯島摂津守の元に、弟子として身を寄せていた時期もあったようであり、何とも皮肉な人生である。