はてなキーワード: 饒速日とは
神功皇后は卑弥呼で、福岡の橿日宮から三韓征伐に出立し、公孫康が帯方郡を創設するのを支援した
それで帯方郡と交易できるようになり、さらに勢力をつけた
娘に壱与がおり、息子に応神がいたが神武ともよばれており、234甲寅年に東征
卑弥呼は248年に没し、壱与が筑紫島を治め、応神は近畿を治め、死後に古墳が築造された
日本書紀は神武東征を先に書いており、神功の三韓征伐が後なのだが、
先に三韓征伐の話が出ると、神武東征に帯方郡の援助が匂うので神話化しにくいし
女性が初代天皇なのはマズかったのかもしれない
気になるのは、天照の命で神武より先に東征していた饒速日が、奈良で神武に打ち取られたこと
いわゆる同族の争いだったかもしれず、天照=卑弥呼=神功皇后=豊玉姫ということになるのかも
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・渡来人が来て淡路島で鉄器を作り始める、饒速日の稲作広まる
・未亡人皇后が三韓征伐で大陸に進出、任那・伽耶を制覇
・白村江の戦いで新羅に敗北、百済人が移民してくる
・鮮卑の襲来で大乱、壬申の乱で法隆寺炎上、天皇自殺
・皇朝十二銭が廃れて宋銭や物々交換で経済が回る
・明が元と戦い、ポルトガル人は日本銀を明に運んでいく
・証券取引所持ちのオランダ会社が出島を建設、ポルトガル人を虐殺
・幕府が蘭学を禁止したら、蘭米英が戦艦でやってきて開国
・軍服を着せられて侵略戦争に進む、原爆落とされる
・津波、福島原発爆発
Permalink | 記事への反応(0) | 01:16
日向地域は中九州と違って鉄器製造文化がなかった
隼人地域、つまり熊襲の近くは不穏で人が住めなかったからだ
そこで中九州の国は、隼人の拡大を防ぐため、大陸の傭兵の部族である鮮卑を日向に入れた
鮮卑部族とは政略結婚も行われ、一大勢力となった
この混血の部族はのちに近畿に東征した
先人開拓者の饒速日尊を死なせて天皇を名乗り、ヤマトの国をつくったと
日本海側の出雲国や越国をどうやって支配したかは別の話
古事記はおそらく鮮卑側が書いた神話なので、様々な内乱があったことは、ぼかされている
だから古墳から多くの頭蓋骨が出ても驚くことではないな
Permalink | 記事への反応(0) | 10:10
饒速日は日向から奈良に東征して稲作や鉄器製造を伝え
地元の豪族にも従われていたのに
突然、神武天皇がやってきて殺されてしまった
生き残った子孫の物部氏は飛鳥京の軍部幹部であったのに
いきなり聖徳太子と蘇我馬子軍に攻撃され敗北
殺した側に秘密があるとすれば
貿易利益を隠したかったか
仏像職人の水銀中毒を隠したかった
それを知る家系を消滅させたかったとしか思えないが
歴史まで秘密が多いなら陰謀論も必要ではないすかね
Permalink | 記事への反応(0) | 01:11