はてなキーワード: 筑紫島とは
神功皇后は卑弥呼で、福岡の橿日宮から三韓征伐に出立し、公孫康が帯方郡を創設するのを支援した
それで帯方郡と交易できるようになり、さらに勢力をつけた
娘に壱与がおり、息子に応神がいたが神武ともよばれており、234甲寅年に東征
卑弥呼は248年に没し、壱与が筑紫島を治め、応神は近畿を治め、死後に古墳が築造された
日本書紀は神武東征を先に書いており、神功の三韓征伐が後なのだが、
先に三韓征伐の話が出ると、神武東征に帯方郡の援助が匂うので神話化しにくいし
女性が初代天皇なのはマズかったのかもしれない
気になるのは、天照の命で神武より先に東征していた饒速日が、奈良で神武に打ち取られたこと
いわゆる同族の争いだったかもしれず、天照=卑弥呼=神功皇后=豊玉姫ということになるのかも
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