はてなキーワード: プライオリティとは
「どうでもいい同性」とはそもそも交流なんかしないよ。
「自称出会いが無い」のほとんどはやり方がわからないとかじゃなくてプライオリティが低いってことじゃね
例えば俺、
「結婚についてどう思う」って言われたら「いやーー したいんですけどねーーーw」って言うし
「彼女欲しいでしょ?」って言われたら「欲しいなあー でも出会いが無いんですよおー」って言う。笑顔で。
でも実を言うとモチベーションかなり低い。
ただ、そういう質問をしてくる人はそういうことへのプライオリティ高い人だから
価値観あわせた返事をするようにしてるんだよ。
そうすると機嫌が良くなるから。
年配の人とかに「結婚ですかー、ピンと来ないんですよねえ…」なんてマジレスしたら
一発で「あいつはおかしい」「覇気が無い」みたいな評価になるだろうし
女の子に「彼女、あんまり欲しくないかなあ…」なんてマジレスしたら
もー絶対に不機嫌になって陰口言われるかゲイだって言われるし。
ちょっとぐらい不細工でもチビでも要領悪くてもすぐ結婚しちゃうよ。
実例よくみかけるっしょ。
いやー、違うと思うけどね
「自称『出会いがない』連中はこれこれのことができてない」って指摘してるだけじゃね
「恋人欲しい人はこうしたらいいよ」というだけの話
俺は増田ほど色々付き合った経験もそもそも無いんだが、サシ飲みできる女友達はやっぱりいない。
既婚だからというのもあるけど、どうでもいい女の子とわざわざ仲良くなろうという気が年々薄れてるんだよねえ。
昔いた女友達ともかなり疎遠になった。大元増田みたいなマメなケアなんて1ミリもやる気起きねえ。
そんな暇あったら自分のことやるか男友達ともうちょっと建設的な交流をするわって思う。
そもそも、思わず仲良くなりたいと思うような女の子と知り合う機会が無い。女性がいない環境というわけじゃなくても。
ビジネス系のコミュニティだと色々変わった人いるんだろうけど、バリキャリ系は俺が苦手だから。
セックスしたいだけじゃ動機としては足りないんだよなあ。元増田みたいなタイプはファーストプライオリティがチンコなんだよね。
DeNAがついに新卒にも1000万円出しますよと言い出しましたね。
http://dena.jp/recruit/students/recruitinginfo/Engineer2012.html
業界に片足突っ込んでる自分ですが、この状況に良し悪しいう気は毛頭ないです。
ただ、ちょっと思ったこと。
これってもうレイヤーは違えど、武力紛争。
とにかく名うての傭兵たちを、高額報酬で雇い、企業間の戦争へと向かわせる。
キャッシュが潤沢にあって、とにかく勝利にこだわる事業戦略という意味では、悪くないとは思います。
問題1:傭兵は帰属しない。
傭兵を高値で雇っても、傭兵は部隊や国家に対する帰属意識が低く、報酬次第で敵側に寝返ることはざら。
そして、「自分がより強くなること」=「新しい技術を追求すること」が興味関心の中心として、そのドグマで動いている方も多いです。
そのプライオリティで動くとすれば、組織への帰属意識というのはどこかで限界が来るでしょう。
IT業界の巨人たちが、雇った傭兵たちをどう、「愛国者」にしていくかは、気になるところ。
会社と個人とのエンゲージメントがない状態で、報酬だけをフックにし続けるのであれば、きっとどこかで入社した新卒エンジニアたちは、
得たキャッシュを元手に、起業してスタートアップベンチャーの世界に飛び込んでいってしまうんじゃないか、そう思うわけです。
事実、最近のIT企業の新卒エンジニアは、内定期間中にそこの会社で知り合った同期入社のエンジニアと事業を興して、
そのまま入社せずに独立してベンチャーつくっちゃう、なんてこともあるようですし、
他にも、会社で大きなプロジェクト成功させて表彰された新卒1〜2年目の子が、
(ちなみに、その人は起業はしたものの、仕事がまったくとれず、相当苦労をされているようです…)
問題2:傭兵たちのキャリアと人生設計が狂ってしまうかもしれない。
さらに言えば、異常に年収が高騰してしまった傭兵たちは、次のキャリアをどうデザインしていくんだろうと、思うわけです。
たぶん、今は業界としてものすごく市場価値が高く、どの会社にいっても引きてあまた。年収もかなり保証された素晴らしい時期です。
しかも、年収1000万円という報酬設定も、これはとても妥当な数字です。
なぜかというと、大体5〜10年経験したエンジニアが独立して、フリーランス、SOHOエンジニアとなると、だいたいその周辺の数字が年収としてとれるからです。
自分の腕一つでがんばれば年収1本ぐらいいける実力がありながらも、そこはリスキーと割りきって年収を保証してくれる会社に居たほうが、かなり心穏やかになるはずです。
ですので、20−30代でそうした人生を送れることは、とても安心ができるかと思います。
じゃあ、その後の40−50代になった時のエンジニアとしての人生設計はどうなのでしょうか?
正直、壮絶だと思いました。
某転職媒体やハローワークに応募してくる40−50代のエンジニアたちの現状の苦労を聞いているだけで心痛む。
2−30代のころ フリーランスエンジニアで仕事は山ほどきて、自分のサイトや開発アプリのライセンスなどで
年収(業務委託費総額)が1−2000万円を軽く超える優雅な人生を送ってきた人々が、今となっては仕事のルートも減り技術力も低下し、
年収維持のために転職活動を再開し、そして求める仕事が「CTOやシステム開発部長職」とか。
もう上げてしまった年収とプライドを落とすわけにはいかなくなります。
しかし、このご時世、かつ若いスタートアップ起業家が会社を作り、自らの手で開発をすすめる会社が増えてきた中で、
そうした方々が受け入れられる場所を見つけるのも難しくなっています。
CTO待遇で入ったとしても、会社のカルチャーが肌に合わず、すぐに辞めてしまうこともあるそうです。
「年収=自分の市場価値」 という設定をしてしまうと、後々キャリアデザイン・人生設計としては恐ろしいことになります。
「年収=自分の市場価値」として勘違いしたまま、ずっと過ごしていると、
いつか「自分の年齢 と 自分の市場価値が 反比例していく」リスクと必ず向き合わねばならなくなるからです。
「自分の市場価値 と 自分の年齢 が比例していき、それを年収に反映させる」という仕組みそのものを
自分の力で創りだしていかないと、誰しもいつか経験する人生のダウンサイドで痛い目を見るでしょう。
アップサイドでいい思いをしているときほど、それは見えにくくなりますし。
そんなことを思った日。
この努力は僕が Google に来る為に Amazonを離れた2005年半ばも続いていた。でももっとずっと進化していたよ。 Bezos が命令を出してから僕が離れるまでの間に、 Amazon は全てにおいてまず最初にサービスを考える企業へと文化的に変化していった。外部の日の目を決して見ることの無いような、スタッフへの内部的なデザインも含めて、今ではそれがデザインというもの全てに対しての基本的なアプローチになっている。
その時点では、彼らはもはや解雇の恐怖からそうしているわけではなかった。つまり、もちろんビビってはいたけれど、ドレッドヘアの海賊 Bezos 様にご奉仕するのは日常生活の一部だからね。そうじゃなく、彼らはそれが正しいことだと理解したから、サービスを提供しているんだ。確かに SOA のアプローチには長所も短所もあるし、短所を書き出してみたら切りが無い。でも全体として、 SOA ドリブンのデザインというものこそが、プラットフォームを可能にする、これは正しいことだ。
これが、 Bezos が彼の指令書で企んだことだった。彼はチームの健康状態なんて興味もなかったし(今もそうかも)、使われている技術もそうだったし、結局の処のどう取りかかるかなんて結果ができあがるまで気にもしていなかった。けれど Bezos は、 Amazon 社員の大多数が理解する前に、 Amazon はプラットフォームにならなければならないということを悟っていたんだ。
だって考えてもみてよ。なんで一オンライン書店が、拡張可能な、プログラマブルなプラットフォームになる必要がある、なんてことを考える?。そうだろ?
ともかく、 Bezos が気づいた最初の大きなポイントは、本を売り、出荷し、色々とやる仕組みが、素晴らしいコンピューティングプラットフォームに再利用でき得るということだ。だから今、彼らには Amazon Elastic Compute Cloud があるし、 Amazon Elastic MapReduce があるし、 Amazon Relational Database Service があるし、その他たくさんの aws.amazon.com で見つけられるサービスを持っている。しかもこれらのサービスは大成功した企業のバックエンドを努めていたりもする。 reddit なんか僕のお気に入りだね。
もう一つ、彼が理解した大きなポイントは、常にいつでも正しい、そんなものを作ることはできないということだ。これは Larry Tesler が、ママはこのくそったれサイトを全く使えないよと言ってのけたりでもした時に、 Bezos にピンと来るものがあったんだと思う。誰のママのことを言ったのかははっきりしないし、そんなことは問題じゃ無い。問題は、誰のママだろうとそのウンコサイトを使えないってことだ(訳注:アドバイス thx !)。実際、僕自身、そこで5年ほど働いていたわけだけど、あのサイトは胸がザワザワするくらいひどいと思う。でも僕はその気が散るようなサイトに慣れてしまって、トップページのど真ん中あたりの数万ピクセルに集中できるようになったんだからね。
とまあ、実際の処 Bezos がどうやってその理解、一つのプロダクトで、全ての人にとってふさわしいものを作り上げることはできないということに、たどり着いたのかは定かじゃあ無い。でもその方法は問題じゃ無くて、彼は理解してるってことが重要だ。実のところこの現象には正式な名前だってある。そう、それはアクセシビリティと呼ばれるものだ。コンピューティングの世界で最も重要なものだ。
君は思うかも知れないね。「はあ?つまりそれって、目が見えない人や耳が聞こえない人のあれ?あのアクセシビリティ?」ってね。まあ君だけじゃないと思う。とにかく世間には、アクセシビリティってものを正しく理解していない、君みたいな人たちがいっぱいいっぱいいるんだから。ただそこにたどり着いてない人たちがね。だから、アクセシビリティを理解していないのは、目の見えない人や耳の聞こえない人や手足が不自由な人やその他障碍のある人の責任じゃないように、君の責任じゃない。ソフトウェアが(この場合アイデアウェアといった方が正しいかもしれない)何らかの理由で誰かにとってアクセシブルでないというとき、それはソフトウェア自身の、あるいはアイデアの伝え方そのものに責任があるんだ。それがアクセシビリティの失敗というやつなんだ。
人生における重要なその他もろもろと一緒でさ、アクセシビリティには邪悪な双子がついている。小さいときにパパとママの偏った愛情で見捨てられて、今や同じくらいの力を持つまでに育った宿敵って奴がね(もちろんアクセシビリティには宿敵はたくさんいる)。それはセキュリティだ。一体全体こいつらが仲良くやっていること何てあるかい?
でも、僕は主張したい。アクセシビリティは実際の処セキュリティより重要だということを。だって、アクセシビリティを0にダイアルするってことは、何のプロダクトも持たないってことさ。セキュリティを0にダイアルしたって、そこそこのプロダクトを持つことはできるだろう? Playstation Network みたいにさ。
まあつまりですね、僕はみんなが分かってくれないんだったら一冊丸々この話題で本を書くことだってできるよ。分厚くて、僕が働いてた会社のありんことピコピコハンマーのエピソードで一杯の面白いやつをね。でも僕がこの話を公開しなかったら、みんなが目にすることも無いだろう。そろそろまとめに入らなきゃ。
Google がうまくやれていない最後の一つは、プラットフォームだ。僕らはプラットフォームを理解していない。僕らはプラットフォームを自分のものにしていない。みんなの中にできている人はいるだろう。でも、そんな君はマイノリティだ。辛いことだけれど、これはこの6年で僕にはっきりと感じられた。僕は競争相手のプレッシャー、 Microsoft や Amazon や最近じゃ Facebook なんかが、僕らを一斉に目覚めさせて、ユニバーサルにサービスを始めるのを期待したりもした。アドホックな、中途半端なやり方じゃなくて、多かれ少なかれ Amazon がやったようにだ。一度に全てを。マジで。偽りなしに。今その瞬間から最優先事項として扱うというように。
でも、そうはなっていない。10番やら11番めくらいのプライオリティだね。いや15番かも?。知らないけど、とにかく低い。真剣に取り組んでいるチームもいくつかあるけど、多くのチームは考えてもいない。一度もだ。ごく一部の人々がちょっとした規模でやっているだけだ。
多くのチームに、彼らのデータと処理に対してプログラマティックにアクセスできるような、ちょっとしたサービスを提供させるのだって大変だ。彼らのほとんどは、俺達はプロダクトを作っているんだ、って思っているからね。そんでもってそのちょっとしたサービスなんてのはみじめなもんさ。 Amazon の教訓に戻ってリストを見てくれよ。そんで今すぐ使えるサービスを持ってきて見てくれ。僕が知る限りでは、そんなものはない。小ビンってのは便利かもしれないけどさ、そんなの車がいる時だけだろ?(訳注:この人、 Stubby という小瓶のビールと、 stubby という「ちょっとした・不格好な」という形容詞をひっかけてしゃべってます)
プラットフォームが無ければ、プロダクトなんて使い物にならない。いやもっと正確に言うならば、プラットフォームの無いプロダクトは、いずれ同等の機能を持ったプラットフォーム化されたプロダクトに、取って代わられる。
Google+ ってのはまったくまさに、エグゼクティブリーダーシップのとても高いレベルから(やあ Larry 、 Sergey 、 Eric 、 Vic 、やあやあ)枝葉の使いっ走りまで(やあ、君だよ)、全くプラットフォームを理解していないっていう良い例だ。そう、僕らはみんな、全く理解できていない。プラットフォームの黄金律ってのは、自分のドッグフードを食えってことだ。 Google+ プラットフォームってのは惨めなまでに後知恵だ。ローンチ時には一つたりとも API が無かった。そんで最後にチェックしたときには、僕らが提供してたのはわずかばかりのほんのちっぽけな API さ。ローンチの時、あるチームのメンバーが行進してきて僕にそれを説明してくれた。だから僕は訊いたんだ「でさ、これはストーカー用 API?」って。彼女はむすっとして、「ええ」ってだけ言った。いやジョークなんだよ…いや…ジョークじゃ無いんだ…僕らが提供する唯一の API は、誰かのストリームを読み出すだけ…。うーん、僕が間違ってたのか?
Microsoft はこの20年間ドッグフードルールで知られてる。この時代の彼らにとっての文化の一つなのさ。デベロッパにドッグフードを食わせて、僕らだけ人間のご飯を食べようってわけにはいかない。それは単に短期の成功のために長期のプラットフォーム価値を損なう行為だ。プラットフォームってのはまったく長期的な視点が必要なんだよ。
Google+ は脊髄反射の代物さ。 Facebook が成功したのは、彼らがすばらしいプロダクトを作ったからだって言う、まあ実に近視眼的なものの見方の結果として生まれたものだ。でももちろん彼らが成功したのはそんな理由じゃ無い。 Facebook は他の人たちにも何かをさせてあげられる、プロダクトの美しい集合全体を作り上げたから、成功したんだ。だから Facebook はみんなにとってそれぞれ違うものだ。 Mafia Wars に全ての時間を費やす人もいれば、 Farmville で遊ぶ人もいる。何百の、いや何千の、質の高い、暇つぶしができるってわけさ。つまり、みんなのためにふさわしい何かが必ずあるんだよ。
僕らの Google+ チームは、プロダクトを出した後のマーケットを見てこう思った。「おっとっと、我々もいくつかゲームが必要みたいだな。さっそくどこかと契約して、我々のために作ってもらおう」。これが信じられないくらい間違った考え方だってことが、君にもわかってきたかい?。問題なのは、僕らが、人々がほしい物を予測して、それを提供しようとしているということだ。
そんなことは出来ないんだよ。現実的にはね。確実にやる方法なんてない。もちろんコンピューティングの歴史全体を見渡せば、それを確実に信頼性を持ってできる人間ってのがごく数人いることにはいる。 Steve Jobs がそうだろう。でも、僕らの処には Steve Jobs はいない。悪いけど、いないんだよ。
Larry Tesler は、 Bezos が Steve Jobs じゃないってことを口説いたかもしれない。でも Bezos には分かっていた。全ての人にふさわしいプロダクトを提供する為に、彼が Steve Jobs になる必要はないっていうことを。インターフェースとワークフローこそが、人々が気に入り、安心感を得るものなんだっていうことを。彼はサードパーティの開発者にそれを可能にするだけで良かった。そうすれば、後の事は自動で進んでいく。
僕の言っていることが、あまりにも明白なことだろって感じているみんな(多かったらいいな)には申し訳ない。とにかくもうびっくりするほど自明なことなんだ。ただ、僕らがそれをやってないってことを除いてはね。僕らはプラットフォームを理解していない。プラットフォームを持っていない。アクセシビリティを理解していない。アクセシビリティを持っていない。これらは基本的には同じことだ。なぜならプラットフォームがアクセシビリティを解決するからだ。プラットフォームがアクセシビリティなんだよ。
男「悪い、その日は「南京大虐殺を考える会」があるから行けないんだ。
よかったら君も一緒に行く?」
女「えーでも私そーゆーのに興味ないしー」
男「なんだと!?興味を持たないこと自体が歴史修正主義に無自覚に加担して(ry
こういうことですか?わかりません!
http://twitter.com/hokusyu82/status/21463201782
共産主義だって労働者の生活向上のための手段であって北朝鮮のような生活水準政治体制になってでも共産化しろなんてのはいまどき共産党員の中にすらいないんじゃなかろうか。
様々な価値観・利害の人と共闘するのが通常の民主主義である以上、目標の優先順位を論じるのはあまり意味ないように思う。特定の政策が各自の目標を実現するのにふさわしい手段かどうかってのを問う方がいいはず。某右翼リフレ議員についてはリフレ政策を実現することで修正主義者の影響力が高まるかどうかと景気回復で排外主義に傾きにくくなるかどうかというのを考えて判断すべきなんじゃなかろうか。公務員改革についてもみんなの党・上げ潮派の影響力が強まるかどうかとインフレ景気回復で財政健全化・民間企業社員の待遇改善が進んで公務員人件費削減圧力が減るかどうかあたりを考えて判断すべきなんじゃなかろうか。個人的には左翼勢力がリフレ政策を主導して景気回復を国家主義新自由主義の手柄にしないのがいいと思うが。
役に立つとか立たないとかではないっつーか。。
まーでもどうでもいいか。。。
君は元の記事みても合理的な感じの人よね。
こうだからこうだ。っと組み立てをしてるものね。
俺もそうだった。今もそうだけど。
多分だけどね、世の男は子どもに対して、もともとそこまで興味が無いと思うのよね。
どうしても子どもが欲しいってあんまり聞かないし。
俺も当然そうだった。ただ嫁が欲しいと言うしさすがにそろそろか?
という所で作ったわけ。それだけ。
生まれてみても、いまいち実感無し。
「へー・・・、この子が俺の子なのか。。すげーなぁ」くらいなもの。
意識が変わったのは笑い出したころかな?
・・・可愛い。
そこからは一気に考えが変わっていった。
ただただ可愛い。なんなんだこの生き物はって感じ。
子どもと何かを天秤にかける?
金銭的にどうだ?遊ぶ時間がどうだ?
そんな物と比べるようなものじゃない。
ただただこっちは無償で愛し続けるわけ。そうしたくなってしまう。
なんか知らんが、プライオリティのてっぺんにあの子はいきなり鎮座した。
本能なのかな?良くわからんが自分にとってはそれでしか説明できん。
もちろんイラつくこともある。でもあっちが笑うとそれだけでKO。
まったく理不尽極まりない。
子育ては人生の第2ステージなんだと思った。生活も意識もがらりと変化したから。
生まれる前は想像出来なかったよ。
なるほど、人の親になるとはこういう事なんだとわかった。
んで第3ステージは孫が出来た時なんだろうというのもわかった。
異常に幸せそうで他の親孝行なんぞ馬鹿馬鹿しくてやってられん。
というよりむしろ、孫の顔見せる以上の親孝行は存在しないとすら思う。
小さな嬉しかったことを書き出したら書ききれん。
長くなったし、こんな所で終わる。
問題は2つあって、
のが主だと思う
たとえば僕は高校でそこそこまじめに勉強した内容だけでいまの基礎知識の大半が完成している。
現代文、古文、漢文の基本的な知識、微積分、ベクトルなど入門的な数学の知識、
簡単な炭化水素までの化学知識、ニュートン力学、電磁力学などの古典的ものから、
核物理学の入門までの物理の知識まで教わった。歴史についても日本史・世界史の概要、
民事・刑事などの法律に関する基礎知識まで通り一遍を高校までに学んでいる。
英語についてもせいぜいTOEIC600レベルだが高校までの知識で学んでいる。
もちろん勉強の仕方とかプライオリティのつけ方などアンドキュメンテッドなものもすべて
高校までで完成している。
ようするにちゃんと高校で勉強していれば大半の知識は十分なんだよ。
むしろレジうちなんか中卒で十分なぐらいだ。