はてなキーワード: キレイとは
食べ方がキレイな男とつきあえばいいじゃん
私もかなり似た状態ですが、休みの日はSNSに載せるための写真を撮ろうとネタ集めに奔走しております。そこそこいいカメラを買い、たとえ一人であろうと花の名所や絶景スポットに行き、カフェではいかにもSNSに映えそうなスイーツを写真に撮ります。
「盛ってる」「痛い」と言われればそれまでですが、パソコンの前にずっと座り込んで他人様の投稿だけ見ているよりはキレイな風景を見られたり美味しいものを食べられたりしてるので、まだ良いのかなと思っております。
「友達や彼氏・彼女がいないとイヤだ」とか言っているとずっと行ってみたいところにも行かずじまいになりそうで怖いので、極力一人でも行動するようにしています。端からみてどう見えるか知りませんが少しでもご参考になれば幸いです。
下着(トランクス)って毎日替える必要ある? ーー anond:20180909201028
ひとり暮らしは他人の目を気にしなくていい気楽さがある分、忙しいときなどには荒れてしまいやすい。
荒れ具合を確かめるためのバロメータのひとつがリソックス・リパンツの発生だ。
洗濯していない下着を裏返してもう一度着るなどという屈辱。なんとしてでも避けなければならない。
そんな覚悟とは裏腹に、生活はもっと荒れていくことがある。リパンツが頻発している状況で、急な呼び出しが入った。行かねばならないがクサイ下着を履いては行けない。そのようにしてレンジパンツは発生する。洗剤をつけて揉み洗いしたのちよく絞り、レンジで一分加熱したのちに振る、というのを繰り返すと現実的な時間で健全なパンツが手に入る。これがレンジパンツだ。洗剤で洗ったのだから原則キレイなはず(と自分に言い聞かす)。ただしこれはオススメしない。その日俺はレンジ皿直置きを躊躇して、そこらに落ちてる段ボールをちぎり、パンツを載せてチンした。ユニットバスで頭を洗ったあと戻ると、あれっ何だか煙いぞ… これは湯気じゃない! キッチンは白煙で満たされていた。俺は全裸でガラス窓を何度も叩いた。開かない! 開かない! 開かない! 別の窓は力押しで開いた。煙が外に流れていく。窓が開かなかったのはなんのことはない、鍵がかかっていただけだ。パニックの中では鍵を開けようなどという単純な発想も吹き飛んでしまう。俺は真の恐怖を味わった。パンツ一枚のために。素っ裸で畳に横たわって思った。こんな生活は改めなければならぬ。煙が出たのは、段ボールを留めていた樹脂テープが過熱して発火したからだった。消化するとき取り落としてしまったので、ビニール床には焦げ跡がついていた。パンツは無事だった。
A. 各洗濯行為のハードルは干すことになる服の総量に比例して大きくなるのです。あるポイントを越えて生活が荒れると、洗濯周期というものは消滅します。「洗い物が干されないままに再び洗濯される」これもバロメータのひとつ。他のバロメータ、ライトなところでは「料理をしなくなる」。進行するとゴミが出るのを嫌がり買い食いさえも億劫になって発生する「毎食が外食」。
今まで知らなかった
ウンコしたあと、そのまま使うんだね
トイレットペーパーで拭く文化で育ったあと、ウォシュレットを導入したから「ケツを拭いたあと更にキレイにする装置」という認識でいて、ぶっ放したあとに拭いてそのあと使ってた
そうするとウォシュレットを使ったあとに水分拭いたときにまだ紙にウンコがつくことが多かった
ウンコした後そのままウォシュレットを使うと、そのあと水分拭いたとき全然紙にウンコがつかない
そうだったのか
考えてみたら、そりゃそうだ
そういう仕組だったんだ
すぐにウォシュレットすれば簡単にウンコ落ちるから、そのあと拭いてもウンコがつかない
なんで20年も誰も教えてくれなかったの
紙の節約にもなるし、ケツ穴へのダメージも抑制されるし、いい事ずくめじゃないか
たぶん殆どの人は「何を当たり前のこと」って思うんだろうけど、俺は知らずに不幸な人生を20年も歩んでしまった
なんともったいない
休みにあたってわかったこと、休んでる間にわかったことを備忘録変わりに書く。
1. 休職までの流れ
2か月ほど、1~2週間おきに通院。薬をもらった(ハンゲコウボクトウ、ルネスタ1mg、スルピリド)
薬を飲みながら会社に通うもやはり精神的につらく、医者に「死にたいと思ったこともある」と伝えたところ休職しましょうと診断書をもらった。
診断書には「抑うつ状態のため、~~~~1か月の休職を勧める」的な内容が書いてあった。(受付でもらう際に内容確認した)
次の日上司に診断書を渡し、引き継ぎのためもう一日出社したのち休職した。
上司とはそれまで仕事の進捗が良くないことや4月から忙しくなったこともあって何度か面談させてもらっていた。(あまり意味はなかった気もするが)
診断書を渡した時、何が一番しんどいのか、それを取り除けば休職する必要はないのではないか、仕事が合わないなら異動することもできるがどうか、等の話をしたが
一旦リセットしたい気持ちが強かったので休職させてもらった。異動についてはすぐ答えられず保留した。
妻も働いているので家事全般をメインにこなし、時々出かけるという感じだった。
通院も続け、ひとまずゆっくりしてください、とのことだったので言葉に甘えてそうしていた。
何もしていない状態をまずいと思うようになり、資格の勉強(会社から言われたもの、趣味のもの)をはじめた。
とはいってもたまにカフェで3~4時間本腰いれて勉強するくらいで、だいたい1日1~2時間ほどしかやっていない。
病院では少しずつ復職に向けて勉強したり運動したりしていきましょうと言われていた。
重曹やクエン酸を使うより素直にそれ用の洗剤を使う方が何倍も楽だった。
重曹・クエン酸はエコだのキレイになるだの調べればいくつでも情報がでてくるがいちいち希釈したりそのためのボトルが必要だったり面倒なだけだった。
料理はほとんどしたことなかったが、とにかくネットの信頼できるレシピ通り忠実に作ればだいたいのものは作れるようになった。
ポイントはレシピに忠実になること(時間や火加減、量など)と、信頼できるレシピを参考にすること(ハッキリ言えば、素人ママのレシピをあてにしない)の2つだけである。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20180819/1534658400
を読んでいてなんかちげーなと思っていた過疎出身36歳なんだが、俺の時にツッパリ、ヤンキーみたいなのはほぼなくなっていた。
ただ、東京ではチーマーがいて、IWGPとか見てて、都会怖いと思っていた。
社会的にはシートベルトが厳罰化されたのは90年代後半だったと思う。それまでは普通に酔っ払い運転とかしてたはずだ。
で、大学入った前後(2000年)にアメ村の客引きビルに行ってすげー強引な客引きとかにあった。ギャル全盛だったし、OCATでパラパラをギャル男が練習してた。
ぼったくりバーとか歌舞伎町がヤバいみたいな時代だったと思う。
だが、就職して東京に住み始めて(2007年頃)、ビクビクしながら初めて渋谷に行った時は、危なそうなヤツはいなくて、あれ?と思ったのだ。
だから、多分、東京とかがキレイな街になったのは21世紀になってから、小泉政権とか、石原都政になってからじゃないかと思うのだ。
「人の役に立つ」とか「夢を与える」って彼らは言うけど、本当にあるべき形はアレじゃないと思うんだよね。
ベーブ・ルースは手術を嫌がる子供にホームランしか約束できなかったけど、もしもアレが医者や研究者だったらもっと成功率が高くてリハビリも簡単な手術を生み出すことを約束できたんじゃないかな。
確かに、今すぐ現実の苦しみを根性論で乗り越えるのにはスポーツの方が役に立つのかも知れない。
社会や人生に希望を持たせられるのは、社会の発展に貢献できる人種だよ。
スポーツマンなんかじゃない。
スポーツマンは世の中に面白おかしいことを提供できるけど、それが社会を発展させることはないよ。
今の世の中は本当に社会に貢献している人をないがしろにしすぎだと思う。
野球選手より近所のコンビニでバイトしてるオッサンの方がずっと役に立ってるよ。
便所をキレイに掃除してくれるオバチャンの方がずっと皆を幸せにしてるよ。
そういう人達がさ、ただただ乱雑さで使い潰されて、社会に自分の居場所が有るのかないのか悩まなきゃいけない世の中は間違ってるよ。