はてなキーワード: ウトウトとは
すごくくだらないと思うのですが、密かに悩んでいて、恥ずかしくて旦那にも相談できない話をここに書き殴らせてください。
みなさん、寝てる時に尿意を感じて、夢の中でトイレを探した経験ってありませんか?
で、子供の頃とかは夢の中でそのままおしっこしちゃって現実にはおねしょしちゃってた経験がある人なんかもいませんか?
でもって大人になると夢の中でおしっこしないように夢が色んな工夫を凝らしてくるという事もありませんか?
私が聞いたことがあるのは『夢の中でおしっこしたくなったけど、トイレがめちゃくちゃ汚くて別なトイレを探し回っているうちに目が覚めた』とか
『トイレが長蛇の列で…』『便座が壊れてて…』とかパターンは色々あるけど、共通するのは何らかの原因でトイレが使えない、使えるトイレを探しているうちに目が覚める→現実のトイレに行ってことなきを得る流れ。
私もある程度大人になってから時折そういう夢で目が覚めたことはありました。
ところがここ数年、おしっこしたい時の夢に変化が現れ始めたんです。
毎回微妙に内容はちがうんだけど、似たような感じで、気付くとすでにトイレの便器に座ってる事が多い。
そして、ドアが透けてるとかドアがないとか、仕切りがほぼないとかでとりあえず丸見え。
さらにその時の自分は下着姿だったり水着姿だったり、ほぼ全裸に近い格好。
で、丸見えで恥ずかしいんだけど尿意が我慢できずチョロチョロとおしっこし始めると決まって男の人がやってくる。
私はめっちゃ恥ずかしいんだけど一度出始めたものがなかなか終わらなくていつまでーもおしっこし続けて、やっと全部出たところで目が覚めるんです。
でも現実でおねしょをしていることはなく、ただ尿意は本当にあるので『あぶなかった〜おねしょしてるかと思った〜』と思いながらトイレに行きます。
これだけならまぁ変わってるね、くらいで済む話なんですけど、なんかこのパターンの時の夢の中の私が、恥ずかしがっているわりに少しその状況を楽しんでる感じがして、それがとても自分で許せなかったんです…。
『なんだこの夢の中の私、変態じゃん』と起きてもちょっとモヤモヤしてました。
で、昨日、昼食後の仮眠でまたそのパターンの夢を見たのですが、今までで一番生々しくて…
ほぼ全裸で催した私がトイレを見つけたら、子供用のおまるみたいな小さい便器しかなくて…ちょっと迷ったけどどうしてもしたかったので腰を下ろしておまる風の便器に跨ってチョロチョロ出し始めたら
ハリポタのスネイプ先生みたいな人(起きてから思い出すと風貌が明らかにスネイプ先生なんだけど、夢の中ではただの知らない人)がやってきて
ちいさなおまるに跨って長々とチョロチョロおしっこしてる私を冷たく見下ろして『おい、いつまで小便してんだよ』みたいな事を言ってきて、私はもう恥ずかしくて死にそうなんだけどおしっこは止まんないし、ほぼ全裸で二重に恥ずかしくて…
でもその一方でなんかすごい興奮状態というか、もうスネイプ風の人と私の一種のそういうプレイみたいになってるっぽくて、
最終的に私がおしっこ出し切るまで見下ろされ続けて、私多分ちょっといってました。なにがどういったのかは察してください。
いったところで目が覚めました。
直接的に何かされた夢でないのにただおまるに跨っておしっこしてるところ見られていくなんて、しかも夢の中でおしっこしちゃうし。
私は異常なんじゃないかとか、いつか本当におねしょしてしまうんじゃないか、もしくは本当にいってしまう、または寝言で喘いだり、どこかをいじったりしているんじゃないかと思うと迂闊にウトウトするのも怖くなります。
ネットで検索しても私と同じような人の話を見つけた事がないし、現実では誰にも言えなくてついここに書いてしまいました。
ちなみに、幼い頃からちょっとエッチなことを考えるとクシャミが出ます。毎回ではないし、連続で出ることはなくて、エッチなことを考えると10回に1回くらいの割合でクシャミが出るって感じで、これはネットで調べたら少ないですが同じような人がいる事がわかりました。
余談ですが太陽や照明などの光を見てもクシャミが出ます、これは結構当てはまる人いると思いますが。
医者に「肝臓あかんくなってるで。酒やめやな。」と言われてやめて1年と3ヶ月ぐらいだった。
無気力になった。
正直、酒依存してたんじゃないかってぐらい酒(焼酎)が大好きで、毎晩毎晩飲んでたので、仕事を早く終わらせる目的が仕事終わりの一杯だった。
ただ、依存症なのかな?と思ったけど、普通に酒を見えない所に置いておくことでやめられたのでそこはよかったし、別に「酒飲みたい」と焦がれたこともない。というより、普段ニコニコしてフランクな感じの医者に真剣な顔で多少怒りを含んだ言い方で言われたのがかなりショックで「酒飲みたい」とその医者の表情や言葉を天秤にかけた時、医者の言葉のほうが重かったのかもしれない。
食欲が減った。
肉が食べにくくなった。魚もそこまで食べない。
よく食べるようになったのはじゃがいもやれんこん、大根などの根菜と、トマトやナスなどのナス科の野菜と、卵になった。
それに食欲があれば肉なり、魚なり。どうやら自分は鯖が好きらしい。食べる魚は大体が鯖。
夜寝にくくなった。
というのも、酒をのむのはいつも寝る前だったので、ウトウトして寝落ちってこともなくなったし、寝る前に酒を飲みつつ飯も食うような生活だったので、夜に腹が鳴って仕方ない。
仕方がないからと腹の中になにか入れようと豆腐なんかを食べようとするが、あまり受け付けない。
なので、夕ご飯を8時ぐらいにして9時ぐらいになるようになった。
今日、医者に行ったら「だいぶ良くなってる。薬に頼らなくてよかったやん。」と言われた。
もちろん今後は程々にする予定だ。
この前、増田に投稿した記事がホッテントリに上がって、いくつかのコメントをいただいた。それをみていて思ったのは、ネットの世界には匿名の向こうに人間がいると認識している人と、記事をただのコンテンツとして認識している人の二種類がいるということだ。
匿名の増田が人間であることを認識している人は、それを書いている”人”に向けてコメントを書いている。
コンテンツと認識している人は”自分が求めていたことが書いてない”と文句を言い、あるいは自分の承認去って行く。
まぁそれはどっちでもいいのだけれど、そういうネットでの人の関わりを見て、そこに確かに人間がいるんだなと実感できる。テキストだけの関係は直接人の精神に触れるようなもので、そういうのを見ていると自分の他にもたくさんの人間がいるんだなと思える。
逆に現実で、たとえば街ですれ違う大量の人たちを見ていても、それが人間であるという実感がいまいちない。ただ、移動する障害物みたいなものだ。そして自分も移動する障害物の一部になっている。
近頃、毎晩実家の夢を見る。
夢に出てくる実家には普通に家族がいるが、そこにあるものは何もかもが実際よりも古くてボロボロだった。壁にあるカレンダーも、メモ帳も障子もボロボロで黄ばんでいて、穴が開いていた。テレビもなく、部屋は薄暗かった。
兄が癌でもうすぐ死ぬという話を夢の中で聞いた。それを聞いて、夢の中での自分は少しだけ不安に思った、と思う。
実際の兄は元気に仕事をしている。
自分は東京にある一人暮し用の狭いマンションの一室のベッドに寝ているのに、気がつくと実家の、かつて自室だった和室で寝ていた。金縛り状態だった。その部屋の障子もボロボロで穴が開いており、焦げたような穴の縁も鮮明に見えたのを覚えている。
部屋の外を、得体の知れない何かが移動していた。
手首から手が3つ生えているのを入り口の曇りガラス越しに見て、ああこれは夢なんだなと認識した瞬間に目が覚めた。
毎朝こんな調子で、起きたい時間より1時間以上も早く目が覚めてしまう。おかげで毎日寝不足だ。
現実と夢が混在していることもたびたびある。ベッドに入ってスマホをいじっているつもりだったのに、実際の自分は寝ているだけだった。
スマホは手元になかった。そうして目が覚めたときにどっちが現実かわからなくて一瞬混乱する。
さっきまで確かに、あるwebページを見ていたはずなのに、それが現実ではなかったのだから。
電車で運良く座れてウトウトしているとき、隣の席に座っている人が立って居なくなった気配がしたのに、気がついたらまだ座っていた。隣の人が降りたと思ったのが夢だった。
日に日に現実に近づく夢を見ていて、現実からは現実感が薄れつつある。
唯一人間の存在を感じるときがインターネットを見ているときで、そこで繰り広げられる論争を傍から見ているときや、Youtubeのなかで騒いでいる人を見ていると安心感がある。ここに確かに人が存在するんだという感じがする。でも、そこに自分は居ない。
おもしろいのが、例えば増田や他の匿名のインターネットで自分の体験を書いたときに、場所などを特定されないために多少のフェイクを入れることがある。
そうすると、投稿した後に自分の文章を読み返しても、本当に自分が書いたのか分からなくなるときがある。
たしかに自分がそれを書いた記憶があるのに、他人の文章のような気がしてくる。
基本的に増田は書いたら放置だけども、注目記事に上がっているのを目にするとものすごく違和感がある。
この違和感は、自分が現実に対して持っている違和感とよく似ている。
現実での行動も確かに自分の意識がやっていることのはずなのに、他人事のような気がしてくるのだ。
この感覚は去年の年末辺りから徐々に進行中で、どこまで行くのか興味がある。と、自分のことすらも他人事に思って観察している。
元美少女から言わせてもらうと、愛らしい外見という表面上のことだけ楽しめて羨ましいなあって思う。
帰り道すれ違いざまに自転車に乗った男に胸を触られて泣きながら交番に立ち寄ったこともあった。
それが嫌で一時期登校拒否もした。
社会人になって混んでない電車の椅子に座ってる時だって、ついウトウトしてしまったら隣のおっさんが太もも触ってた。
バスに乗った時だって2人がけの席に座ってたら隣に座った挙動不審な人がチンポ(ポロン)したりした。
仕事では取引先の男性に笑顔で接してたら周りのおばさん達に嫌われて嫌がらせされた。
ほとんど喋ったことのない近所のデブス主婦から変な言いがかりつけられるようになったり。
ある程度歳を取っても愛らしい顔のせいで接するお客様から子供扱いされ、私と同じことを言っただけなのに男性が言わないと信じない。
こんな風に書くと性格のせいじゃ?って反論が来そうだけど今回書いたのはほとんど、もしくはまったく接したことのない人達からされてきたことです。
人は見た目が9割っていうけど魅力的だからこそ狙ってくる天敵も多いの。
だからずっと警戒しながら生きてきたの。
顔がわからないネットの世界って本当に気楽。(でもプロフィールに女と書くとちょっかい出してくるウザい奴は必ずいるけどね)
もちろん私以外の多くの女性でも同じようなことを経験してる人はたくさんいると思う。
だからVR美少女のおじさん達が楽しんでるのはいいとは思うんだけど、一方で「可愛らしさ」っていうわずかな長所まで奪っていくのか...と思っちゃって微妙な心境。
こういう話は最近バズりやすいし、私への加害者も一部の変態男性とか一部の心身共にブスな女性だけで全ての人がそうだとはまったく思わないけど、美少女になるなら美少女の苦労もちょっとでいいから理解して、「冤罪だー!」とか「誘ってる方が悪い」とか言わないような人達でいて欲しいです。
「性犯罪?絶対に許せない」「見た目で判断することは良くない」とみんなが言ってくれる世の中ならもっと周りの人達を信頼できて美少女が怯えながら暮らさなくても済むと思うのです。
24時間スーパーで割引シールのついた食品を買いながら明日の献立を考える。
帰宅したら家族が散らかした部屋を片付け、朝ごはんの用意をしてから家族が入浴したあとの風呂を追い炊きして入る。
働いて帰ってるからお腹はすいているけど、そこはバナナとヨーグルトで済ませる、
間食にスープジャーに詰めて持って行った野菜スープがあまっていれば、それでもいい。
のど飴をがりがりかじりながら本を読み、湯をすする。
眠くなったら歯を磨いておやすみなさい。
明日の晩御飯と自分用のスープは何にしようと思いながらウトウトする。
ダイエットならセロリのミネストローネが一番良いのだけど旦那は嫌いらしい。
旦那のだけ肉団子のトマトスープにして、私はセロリをいれようと思う。
トマトスープだからあとは白身フライでも作って、米も研いでおく。
こんな毎日はわりと大変だけどやってみればあっさりルーティン化できた。
それにしても何で痩せないんだろうなあ・・・。
午前三時ごろ腹痛。
いやに腹の上の部分が痛いなと思いながらウトウト。
午前五時、再度腹痛強くなり目覚める。
再びトイレに向かうが何も出ない。
これは胃痛なのではと疑い始める。
昨晩の夕飯を思い出す。
しめ鯖に集中線を描きたい気分になった。
もともと魚介類が大好きなのでいつかやるだろうと思っていたのでアニサキスではと言う疑いにはすんなり辿り着いた。
パソコンを起動して症状を調べてみる。
症状だけ見れば完全に合致している。
痛みにはどうやら波があるようだ。
午前六時。
普段より早く起床しているため、痛みはあるが暇といえば暇になってくる。
妻子はまだ眠りの中。
パソコンは起動している。
そうだ、オナニーしよう、と思った。
そのときに気づいた。
果てるその瞬間。
痛みが明らかに減ったのだ。
胃には時折激痛の波がやってきているし、汚れたものを始末しなくてはいけない。
しかし少し冷静になった頭の中で、ああやはり射精の瞬間というのは脳内物質が出ているんだなと改めて実感したのであった。
これは便利だと思う反面、日に数発しか発射できない霊丸みたいなものだとも思った。使用するタイミングを見極めなければならない。
今は胃腸科の待合室にいる。
やはり痛みには波があるようだが、痛みが引くときは結構引いてくれるので果たして本当にアニサキスなのかと少し疑問に思ったりもしている。
追記
アニサキスいた。
思いの外太いケーブルが口から胃に向かっていったけれど、麻酔の力なのか想像ほどは苦しくなかった。
いい経験になった。