はてなキーワード: アメリカンとは
スヌープドッグのレシピ本の書評だけど、結構ひどいもんじゃん。
散々指摘されているようにスヌープはダイエットなんかしてなくてデビュー当時からスマートだし、
序盤で自分の知らない人物の手掛けたレシピ本を扱うって言ってるけど、全く知ろうともしてない。
塩にスパイシーな味付けをした程度で
期待が外れた、もっとジャンクに振り切ってほしいとかダメ出しをしてくる。
「素材を生かすという和食文化圏」ってのはそんなに偉いもんなの?
なんでこんなに上から目線でよその国の食文化をぶった切ってるの?
料理する前に手を洗うように、よその国の文化に触れる時は敬意を払えよ。
でまあそれはそれで別にいい。
でもこれをブクマカーの大多数が絶賛してるのはどう言うことなの?
なんて言おうもんなら両手に携えたポリコレ棒でボコボコにするくせに
「黒人のレシピのくせに健康的で期待外れ」って書評には拍手喝采か?
おいおいおい、しっかりしてくれよ。
もともとが1941年のブロードウェイ演劇作品。ニューヨークのブルックリンを舞台に、冒頭ではヨーロッパで戦争が始まったけどアメリカは平和でいいわねえという、奇しくも時事性が出てしまった感じの会話で幕が開く。1幕目は「ハリーの災難」のような死体隠匿をめぐるお話が中心。2幕目になってからは主に殺人鬼の兄の処遇をめぐるお話……でいいのかなあれは。
ブラックコメディだの安楽死だのという触れ込みだから、なんかそういう社会派な中身なのかしらと思ったら、どうも本来はパルプ・フィクション的なゴシックホラーのパロディ作品だったっぽい雰囲気がある。フランケンシュタインとアインシュタインのコンビとかいうどうしようもないダジャレも出てきたりするし。作品のタイプとしてはラヴクラフトの「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」あたりが近いだろうか。主人公が自らの家族の秘密を知ることで、自分も呪われた血族の一員であることを知ってしまい絶望するが実は……というあらすじ。アメリカらしいピューリタン的な価値観が色濃く残る社会での実は私生児だったぜヤッホーというオチは「緋文字」とかあのへんのパロディとして見てもだいぶ面白い。というかお前牧師の娘と結婚しようとしてるのに私生児で大丈夫か?
ただまあそのへんのアメリカ文学的な骨組みはコメディとしての演出で追加されたドタバタ劇でうまいことカモフラージュされてる感じがなくもない。まあ、呪われた血族ネタは今となってはクリティカルにポリティカルコレクト案件だし、作品の賞味期限的にも相当ギリギリな感じもするからね。精神病院収監オチなんて今時バットマンじゃないと許されないのでは(偏見)。
コメディとして見た場合、流石に古い作品だけあって笑いのテンポがのんびりしている感じがあるが、そこはまあ演出と俳優の力で追加されたドタバタ劇でだいぶ補強されている。まあ観客の大半はこっちを期待して見に来ているようなものだろうし。自分もまさかアメリカンゴシックホラー的なものが見られるとは思っていなかった。
2幕目で劇作家を目指すアルバイトの警官がメドレー一人芝居を披露する場面があるのだけれど、これがなかなかに見事。瞼の母から、こいつは春から縁起がいいわえで三人吉三、平手がどうとか言っていたからたぶん天保水滸伝、それとおそらく一本刀土俵入りと続けざま。演じているのはの嘉島典俊という人。ぐぐったら歌舞伎の経験も大衆演劇の経験もある人らしい。新橋演舞場という和風な舞台を生かした実にいいものだった。
「ぼけ酒」というのがキーアイテムとして出てくるのだけれど、飲むとボケるとかそういうのではなくて、梅酒の要領で木瓜の実を漬けた果実酒のことらしい。子供の頃によく飲んでいたというセリフがちょいちょいあって、そういやうちの親も梅酒を水でうすめたやつを昔はみんなジュース代わりに飲んでたと言ってたっけなあと思ったり。
サイゼのメニューがどう美味いと思ってるのか語って欲しいところ
ワイくんもおいしかった・すごくおいしかったしか、基本的に感想が無い人なの簡単でいいよ
チェーン店には行かないので名前は出したく無いけど高級店には別に行かないよ
Uberで2品で5千円くらいのお手頃な価格感のお店にしか行かないよ
丸鷄のディアボラチキン(悪魔焼きチキン)とか丸鷄のローズマリーのローストチキンとか
ポロ・アロスト(鷄の丸焼き)やポルケッタ(豚の丸焼き)などのグリル系が美味しい店が好きだよ
グリルも低温調理(基本はオーブンでじっくり火を通すのだけどお手頃なお店へ行ってるので低温調理でローストポーク出すところもある)も
クッッッソ面倒いのでもうこの時点で大好きだよ。一応、家にはスパイス各種あるけどする気がしないよ
香ばしくて脂が甘くて肉はしっとりしてるのが好きだよ
ラザーニャとかは好きだし美味しいなって思うけど特に感動したことは無いよ。ただ自分で作るよりは美味いよ(当たり前)
自分でラザーニャ作って食べる時はコマ肉叩いて作るよ。トマトソースは自分で作るけどホワイトソースは面倒いから買うよ
ラザーニャのパスタは自分で作る時と買う時半々だよ。もちろん既製品のが美味いよ
ピザはナポリピッツァをメインにしている店で食べるよ(そうじゃ無い店でついでに食べることもあるけど)
専用窯がある店で最低限水牛チーズを使っている店を利用するよ。でも別にカンパーニャ産じゃ無いとイヤとか無いよ
ワイくんは、宅配ピザのナポリの窯のゴルゴンサルサとかフツーに美味しく食べれる人だけど(ピザーラは嫌いだよ。アメリカン風日本ピザじゃなくてフツーにブルックリンピザなら食べるよ)
それでも選べる時は薪窯でオーナーのバックグラウンド(○○の店で働いてた、各種団体の認定を受けている、規模の大小はともかく海外で賞を獲ってる、現地で修行した等)がわかる店を選ぶよ
繰り返すけど誰が食べても違うからだよ
とにかく低価格限定で美味しいと思うものについて書くならイタリアン離れちゃうけど
『リスカ 徳用チョコ 30本』が好きだよ。ほぼ、うまい棒がチョコ掛けされてるヤツだよ
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街中で、ふと目に入ってくる車。トヨタのエスティマという大型のミニバン。
教師として生徒を県外への遠征に引率することが多かった親父は、生徒がたくさん入るミニバンサイズが丁度良かったんだろう。
俺の成長と共に、親父は初代のエスティマ、そしてハイブリットのエスティマの二台に乗り継いだ。
俺が産まれるより前から乗ってると言っていたから、もう同じ車種に乗り続けて30年以上になると思う。
親父がエスティマを運転する姿を、そして運転する大きな背中を、後部座席からずっとずっと見てきた。
そのせいか、街中で同じ車種を見ると「親父が運転してるんじゃないか?」とごく自然に思うようになっていた。
小さな街だからか、事実3回に1回くらいの割合で、親父がハンドルを握っていた。
大学進学のために上京しても、エスティマを見ると親父と見紛う癖が続いた。
やはり都会は地元と比べて道が狭く、そもそもミニバンに乗る人が少ない。
だからこそ珍しくエスティマを見かけると、なんだか妙に胸が高まり、絶対にいるはずもないのに、「親父が横浜に来てるんだろうか」とついつい考えてしまった。
そしてすぐ、「そんなわけないか」と一人で笑った。
二年くらい前だろうか、親父は還暦を迎えた。
しかし退職をすることはなく、決められた時間だけ生徒たちに授業を教えるような、いわば時間講師の道を選んだ。
今まで土日祝日はあってないようなもので、常にどこかしらの遠征に出かけていた親父も、今や授業が無い日は庭の手入れをしたり、家の掃除なんかに精を出している。
親父は「退職金を使ってやりたいことがある」と言って、まず初めに家の浴室を改築し、風呂の浴槽を大きくした。
今までの浴槽はだいぶ狭く、基本体育座りでないと入れない程の狭さ。
お風呂に入ることが大好きな親父は、「とにかく足を伸ばしてお風呂に入りたい!」とのことで、以前の二倍くらいの広さにした。体の大きな俺でも悠々と入れるほどだ。
そしてもう一つ、親父は退職金を使って車を買い替えた。
ミニバンのエスティマから、同じくトヨタのセダン、クラウンという車種にした。
ミニバンからセダンになったことで、車の大きさはだいぶ小さくなり、同乗できる人数も減った。
子どもが大きくなり、家族でどこかに出かける数も減ったことも理由にあるだろう。
「ハーレーってあのバイクの?」と聞くと母は頷いた。独身時代からハーレーに乗りたいと思っていたらしい。
俺は驚いた。親父の口からバイクが好きだと一度も聞いたことが無い。しかもハーレー。なんてアメリカンなバイクを。
でもその話を聞いて、親父が教師として生きていくために、父親として生きていくために、犠牲にしてきたことの1つなんだろうなと思った。
飲み会に迎えに来て欲しいと連絡があり、十数キロ、30分程度の道のりを運転して、親父を助手席に乗せた。
親父はべろんべろんに酔っぱらっていて、何回も同じ話をループし、黙ったかと思うと、「どうだ?クラウンの運転は」としきり尋ねてきた。
俺は親父の車をぶつけたりしたらシャレにならないと、内心びくびくしながら運転していたから、しきりに「どうだ?」と助手席から訪ねてくる親父に若干イラつきつつ、「運転しやすいね」と愛想を述べた。
本当は緊張のせいで運転のしやすさなんて全く分かっていなかった。
親父は満足そうに頷いて、数分してから「どうだ?」とまた聞いてきた。
面倒くさくて「いい車だね」ともう一度愛想を言う。
「いい車だろ?」と親父は繰り返し、満足そうに頷いた。
後部座席から見る父親の背中はあんなに大きかったのに、助手席に座って目をつむる親父は姿はどことなく小さく見える。
大きく見えていたのは、決して俺が小さかったからじゃなくて、生徒たちを、そして家族の命を預かる親父の「責任」だったんだろうな、なんて思いながら運転した。
無事に家まで送り届けた翌朝、昨夜あんなに聞いてきたのにもかかわらず、親父は「クラウンの運転はどうだった?」と聞いてきて、流石にしつこくて笑った。
笑いながら「良かったよ」と親父に言うと、親父は満足そうに、また大きく頷いた。
親父が「じゃあ行ってくる」と言い、クラウンに乗り込む。
たかがそこのコンビニに行くのにわざわざ車に乗らなくても、そう思いながら見送った。
でもクラウンに乗り込む親父の姿がどことなく嬉しそうで、俺もなんだか嬉しい。
教師として駆け抜けてきた四十年間、父親として生きてきた30年間。
共に走り続けてきたエスティマ、お疲れ様。大きな事故なく走り続けてきてくれて本当にありがとう。
車間距離が近い節がある親父の運転を諫めつつ、走る喜びを感じさせてあげてほしい。安全運転でいつまでもいつまでも傍にいてあげてほしい。