https://anond.hatelabo.jp/20210718192945
なんでもかんでもフェミニストのせいだから許される、と思ってンのかな。白饅頭に課金してそう。 / “京都アニメーションの性暴力について” #増田 #釣り— ワッシュ (@washburn1975) July 19, 2021
嫌いな白饅頭に牽制したいがために「キチガイツイフェミを装った反フェミ」のフリして投稿、自作自演だったのが真相のようだ。
そんな事のために「こんな会社燃やされて当然」とかわざわざ書いたのかと思うとゾッとする。
参考までにこのワッシュって奴は金田淳子のバキ道レイプ描写批判の時にも「カネジュン先生が全面的に正しい!これを叩いてる反フェミのオタクほうがおかしい!!!」とツイフェミ絶対守護るマンになっていた。
今週のバキ道をちゃんと読んだんだけど、カネジュン先生の言ってることも本当に真っ当です。勇次郎の悪行は悪行として描かれているし、傷ついた人の防衛反応もリアリティを持って描かれているけど、そこにある有害な男らしさへの憧憬が指摘されている。 https://t.co/tzAMcVgeMj— ワッシュ (@washburn1975) July 16, 2021
オレたち漫画ファンは、ちょっとおかしな描写があったりしたら、容赦なく叩くじゃないですか。それこそ新條まゆの鉄砲とか、鬼龍おじさんが廊下を練り歩いたりとか。でも性暴力の描き方についてちょっと批判的なことを言う人がいたら、なぜか自分たちが「殴られた」「放火された」と言い出すのね。— ワッシュ (@washburn1975) July 16, 2021
最近のkanoseさんって車椅子クレーマー伊是名夏子の件でも「伊是名夏子が絶対に正しい!熱海駅職員が悪い!!!!」ってツイートしてて、随分香ばしい人になっちゃったんだなと思った。
なるほど、自分で考えられない層に人気なのか
自分だけじゃなくて安心した。途中から何が何だかわからなくなって、ブコメ見たらみんなわかってるっぽい感想で自分の読解力のなさに不安になってた。
みんなのコメント読むに各所に映画要素が散りばめられてるっぽい?こういう構成って何かのオマージュなのかな。映画ほぼ見ないし、小説とかもあまり読まないので全然わからなかったよ。そういう構成があるということすら知らなかった…
シャーロック・ホームズの方は映像化されまくりだけど、モリアーティの方って見ないよな。
自分はシャーロキアンじゃないのでモリアーティのこともさっぱり分からないけども。
アルバート兄さんが生き辛そう過ぎてかわいそう。家族と根本的にソリが合わないのはキツイよね。
いや…煽ればそうなるやろ普通に…
現状でも不満ばっかりだが、野党はさらにその上「国民は怒っていますよ」と言いながら俺の希望をガッツリ毟り取ってるので、与党ってより現野党に席渡したら物理的に国政ひっくり返す以外に生きる術なくなるから、どうにか崖に捕まったままで居させてほしいからどうか次総選挙も政権交代なしでお願いします
そんなことは知ってるけど
糖質の見本がなんか言ってら
GレコのGの閃光みたいなの。
完全にメンヘラが躁鬱の隙間を縫って無理やり鬱状態を突破するように組み上げてきてる。
陽キャが作った「名ばかり抗うつ剤」は聞いても鬱のときには聞かないんだよな。
陽のあたる世界との壁がかえって深まるだけ。
メンヘラが自分の腸の中で組み上げて尻穴から絞り出してきたような「抗うつソング」だけが本物。
そういうの知ってたら教えてほしい。
ハッキリ言って、最近死にてえ
ポリコレとかニュース激怒マンは人種差別系とかフェミ系とか、隠キャおじさんが気に食わないものを叩くときに使う表現だから、ウンコバックドロップには当てはまらない
隠キャおじさんはウンコバックドロップされてた側なのでウンコバックドロップには人一倍怒ってるぞ
隠キャおじさんの怒りは「正当な怒り」だぞ
ポリコレとかじゃないんだぞ
いやー、「竜とそばかすの姫」、実質的な「ラブライブ!スーパースター!!」の第一話でしたね! 作品としての出来はラブライブの100分の1にも満たないですけどね(素人の雑感です)!
以下感想(ネタバレあり、パンフレットは売り切れていたため未読です)。
なんなんですかね、あの序盤は。三幕構成でいうなら、第一幕が終わるまでの部分がとにかくひどい。ひどすぎる。監督氏も僕みたいな正社員経験のない四十手前の人間にいわれたくないでしょうが、あえて申しましょう。冒頭開始からの35分は10分程度に短縮できます。
劇中で主人公の幼少期と、母親の死のシーン、幸せな生活の終わりが描かれますが、プロットにおいてどうでもいいし、とくに母親の死のシーンなんて、死ぬほどどうでもいい。心底どうでもいい。
プロットに関係ない部分は省きましょう。劇中でも描かれましたが、母親がすでに死んでいることを伝えたいのなら、画面に遺影を写すだけでかまわないのです。「見知らぬ子どもを助けるために、川に入って死んだ」という事実は、シナリオの進行になんら影響をもたらしませんから、シーンごと削除すべきでした。
序盤が冗長すぎるせいで、この映画の主題がぼんやりとしかわかりません。インサイティング・インシデント(物語のつかみとなる事件)をおこすことに失敗しているため、観客が映画に集中することができないのです。
この映画はなにを描きたかったのでしょうか? 仮想空間での冒険を描きたいのか、仮想空間と現実世界とのギャップを描きたいのか、母親の死の克服、学校での人間関係、恋愛にまつわるエピソードを描きたいのか、主題がまるでわかりません。もし全てを描きたいというのであれば、つまらないことはやめろといいたい。
映画は積み重ねではなく、省略の美です(数えるくらいしか映画観たことないです)(素人の妄言です)。
劇中で描かれる仮想空間は、一言でいうならよくわかりません。なんのためにつくられたのか、それを使ってなにができるのか、いまいちよくわからないまま映画は終わります。しかし限られた上映時間のなかで、わからないことをわからないまま置いておくという決断を下したことは評価できます。
問題は仮想空間の描写が古すぎるということです。監督氏のネット認識は、「電車男」あたりの時代から更新されていないのではないでしょうか。
劇中で登場した仮想空間は、よくわからないスキャンシステムにより、現実の姿を反映したアバターを生成し、乗り込むというかたちになります。仮想空間には50億アカウント以上の登録があり、一種のインフラともいえる規模です。現実世界の姿のまま活躍している人間が一人も確認できないのはおかしいとも思いますが、劇中の人間にはそんな発想はないのでしょう。
しかし、どうも仮想空間の描き方というか、劇中で描かれたネット空間の概念自体が古いとしか感じられません。ネットの世界なんて、しょせんは現実の延長線上でしかありません。監督氏はネットと現実は切り離された世界だと思っていらしゃるのでしょうか。
仮想空間で主人公は竜(とある登場人物のアバター)と知り合いましたよ→竜が困ってますよ→でもアバター同士でしか面識がありませんよ→現実での顔を知らないため、オンラインで顔出しチャットしても、自分のことをわかってくれませんよ→だから全世界に素顔を晒すって、論理としては破綻していませんが、その発想の爺むささに腰を抜かしました。
劇中にはおもに二人の悪役が登場します。仮想空間の自警団長(間違った表現だが、そうとしか言いようがない)と、竜の中の人のパパです。
両者は悪役としてまさに力不足です。びっくりするほどうすっぺらく、たいした思想もないのに悪逆非道をつくすさまは、令和の時代に出てくる登場人物とは思えません。
まずは自警団長を紹介しましょう。彼は事実上の無法状態である仮想空間において、企業とスポンサー契約をかわし、自分の正義において悪を裁く役割を担っています。「TIGER & BUNNY」に出てくるヒーロー的な存在といえばわかりやすいでしょうか。
彼の必殺技は「ネットに素顔を晒しちゃうぞビーム」です。なんなんすかね。読者の皆さんはなんだと思います? 警察的な役割を果たすのであれば、わざわざ仮想空間でバトルするのではなく、現実側でアプローチする(主人公サイドはそうしていた)とかしたほうがいいと思いますが、これ以上紙幅を割くのはやめておきましょう……。
もうひとりの悪役である、竜の中の人のパパ氏を紹介しましょう。彼は自分の子どもに暴力を振るう最低パパです。しかし、劇中では主人公に立ちはだかれ、主人公の「にらみつける」に気圧され、敗走することになります。
この描写はおかしいとしか思えません。彼は日常的な暴力に慣れ親しんでいますが、主人公ににらまれただけで、腕を振りかぶったままの状態でおびえ、尻もちをついて、家に逃げかえってしまう。いったい彼はなにをしたかったのでしょうか?
劇中ではあからさまな暴力描写はありませんが、パパ氏の爪が主人公の頬に引っかかった結果、劇中で血は流れます。暴力シーンを写せないのなら、暗喩で表現すればいいとも思います。パパ氏が子どもに暴力を振るう暗喩は見事でした。主人公にちょっと流血させただけで逃げかえるという彼のふるまいは、キャラクターとして説得力がないとしか思えません。
まずはじめに、筆者は高知県民エアプということをお伝えします。都会人に差別されて当然のいなかっぺ(ヘイトスピーチ)(不適切表現)として生をうけましたが、生涯を田舎で過ごしてきたわけでもありません。
しかし、そんな僕にもわかることもあります(適当に書いてるだけなので、後述の内容は多分間違ってます)。四国という保守的な土壌において、高校生の自由活動を許している、いきいきとした生徒が多い、主人公が遠距離から汽車通学していることから、主人公の通学先は県内有数の進学校だと推測されます。主人公のパパがなにかとカツオのたたきを話題に出すので、おそらく彼は県外どころか四国外からやってきた移民でしょう。高知県民はアホのように酒を飲みますが、飲酒描写はこの映画になくていいと思います。返杯という未開の蛮族の汚い習慣が出てこなくて、本当によかったと思います。
しかし、免許を持っている大人がいるなかで、車を使わずに河川敷を徒歩でぞろぞろと移動する高知県民なんて、絶対にありえません。この映画にたずさわるスタッフにひとりもいなかっぺがいないとは思えませんが、どうして誰も止めなかったのでしょうか?
いなかっぺは都会人以上に地球環境に優しくない存在です。高知県民に関わらず、いなかっぺはちょっとした距離を移動する際でも、必ず車を使います。いなかっぺの最大歩行距離は、駐車場からイオンモールの入り口ぐらいまででしょう。『東海道中膝栗毛』の時代でもあるまいし、大人の集団が徒歩で移動する? ありえません。
もっとも、劇中の世界は現実世界とは違います。劇中では誰も高知弁を操りませんし、そもそも劇中で描かれた仮想空間は現実には存在しません。ガソリンがリッターあたり1万円を突破している世界かもしれませんし、政府によって運転自体が規制された世界かもしれません。しかし、それなら登場人物が車を運転するという描写をしてほしくはありませんでした。
ああ夏だね、河川敷は涼しいや、気持ちいいからみんなで歩こう的な描写を平気で行えるのは、アーバンの空気を吸って育った人間だけでしょう。主人公一派は全員都会からの移住者かもしれませんが、違和感をぬぐうことはできません。
とにかくつまらない映画でした。脚本の出来がよろしくなく、なにをしたかったのかがわかりません。
前から思っていたのですが、監督氏は宮崎駿監督になりたいのでしょうか。監督氏はアニメーターとして例外にあたる才能をお持ちだとは思いますが、宮崎駿監督になることはできないでしょう。宮崎駿監督は例外中の例外にあたるお方だと思います。宮崎監督の御業は誰も真似できない。だからこそ、宮崎監督は天才と呼ばれるのでしょう。
監督氏には才はありますが、脚本を自分で手がけるのは、本当にやめていただきたい。監督氏は身の程を知り、自分に不得意なことをあきらめて、ご自分の頭の中にあるアイディアをまとめてくれるライターを雇うべきだと思います。