頭悪そうだなコイツ
今、寝室の隣の夫の部屋で、夫が誰かと通話してる。
まるで私と出会いたての頃のように。
一昨日も夫の話し声で目覚め、トイレ(夫の部屋の前)に向かうと、足音を聞いたのか話し声がぴたっと止んだ。
トイレを済ませ寝室に戻って数分すると、また楽しそうに会話を始めた。
一応隠しているつもりらしい。
昨日夫のパソコンをちょろっと覗くとアプリで若い女の子と通話した形跡があった。律儀にその子のプリクラの写真を保存していた。
夫には会話を聞いたことを言っていないので、一昨日も昨日もいつもと変わらない穏やかな日常を過ごした。
私自身も夫とネットで知り合い、通話しながら遠距離恋愛をしていたから分かる。
夫は話が上手い。男に不慣れな女の子ならコロッと落ちてしまう。私もそうだっから。夫の声のトーンから、女の子を落とそうとしているのは明確だろう。
それなのに、思っていたより冷静な自分に驚いている。
以前の私なら本格的に浮気が始まる前に牽制していただろうが、今は確固たる証拠を掴むまでは黙っておこうと思っている。
これではまるで夫が浮気をするのを待ち望んでいる見たいだ。
と言いつつも、こんな時間まで眠れないくらいは不安を感じている。
また何か進展があればここに書こう。
横からだけど、会社単位での達成より家単位での達成が容易な目的って何?
それが私的なもの(社会への還元が少ないもの)だとしたら、そんなものへの自己犠牲や、先祖が犠牲を払ったことが社会的に尊重される(=格差が維持され続ける)べきという結論の根拠がわからないんだが
特にマップが詳細に表示されない上今向いてる方角がわからないのに東に進んで北にとか言われてもわかるわけない
突っ切るだけの場所が広すぎて何かしなきゃいけないのかしたほうがいいのか困る
アイテムめっちゃ落ちてるの拾いきらないとなんか進みたくない主義
ディグダあと3匹見つからない、そもそももうひと月以上探してない
BW2のアベニューと通信と夢でいっぱいいっぱいになって未だにクリアしてないし
XYは頑張ったけどシトロンの街でヒーヒー言ったしジガルデはまだパーフェクトに出来ないし
ポケモンという不思議ないきものが好きだからこれからも買うしやるけど
プレイ時間もクリアまでは延びてるはずなのにトータルは減ってる
つらい
絶対損が出ない販売になっちゃうから営利目的だと思われやすい(二次創作で営利目的だとモロにわかるとNG)、二次創作してもいいよ、でも受注生産はやめてね、っていってる公式もある(あんすたとか)
そのへんもあって、避けた方がいいやろね
その「古き良き」ガチャ配信は有償ガチャかあるいは無償でもファンコミュニティの一員であることが他の形で担保されているようなもので、日常のプレイと地続きと受け取られるケースが大半ではなくて?
今回話題になったのは「企業に所属し営利活動として配信を行う者が、リセマラ緩和用の引き直し可能な無料ガシャを繰り返すことを主とし、許諾無く収益化していた疑いが高い」ケースでしてよ。
Vtuber界隈の空気は私も存じ上げませんけれど、P側の反発は利益目当てでリスペクト無く外部にコンテンツを利用されると感じたファンが抱く反感といったもので、最近の風潮というよりむしろ古典的な現象ではないかしら。タレントやマスメディアが雑な触れ方をなさった時に似ているというかVtuberもガワがアバターなだけでタレント商売ですものね。
オタクコンテンツ同士で距離が近く競合する面もあるためかより感情的な反発を表す層がある一方で、若年層を中心に双方に親しみがあり抑制的な反応を示す者もよく見受けられたように思いますわ。
ともあれ今回の問題はガチャ配信の是非以前に、営利的な利用をするにあたってコンテンツへのリスペクトがあると受け取られなかった──タレント活動に利用されるというマイナスの心証を覆す力がガチャ配信に無かった──ということではないかしら。元増田のお気持ちが一般ユーザーの動画・配信に向けたものであれば杞憂に終わると思いますわ。心証のスタート地点が違いますもの。
音声ガイドがあるから、ほぼほぼ機械の指示に従ってたらなんとかなるはず….
ただ心臓マッサージをしないといけないんだよな、人工呼吸はなしでもいいけど
人の生死に関わりたくないって気持ちはめちゃくちゃわかる。親兄弟ならまだしも、身も知らない他人のために、リスクを背負いたくないよ。医療従事者でもなければ、放置しても罪に問われりゃしないのに
不器用つうか容量悪いつうか、とにかく信じられないようなミスをしそうな予感がビンビンする
倒れてる人いたら大幅に道を変えるなりなんなりしてとにかくできるだけ当事者にならないようにする 山道で明らかに倒れてるとかだったら仕方ないが、そうでもなけりゃ絶対に避ける
そしてその辺での死者とかのニュースを聞かないようにする コギトエルゴスム、この世界は俺のものなので俺が知らないってことは存在しないってことだ
可能な限り関わりを減らして、できるだけ早く忘れる
そうじゃないですか?
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も