長くなります。文章は書き慣れていなくて、ぐちゃぐちゃだけど、誰かが見てくれますように。
わたしは、小学1.2年生くらいから3歳上の兄から性的虐待を受け、小学校卒業あたりまで性的な目で見られていました。
まずはお風呂で性器や胸を見られ、触られるところから始まりました。
まだ幼かったので、それが性的なことだとは理解できませんでした。
兄は必ず、わたしがお風呂に入るとついてきて、そのようなことをしました。
何故かだんだんと怖い気持ちになって、お風呂に兄がついてきそうなときは、父親を呼んで3人で一緒に入りました。
ある日、兄と2人きりでお風呂に入ってしまい、「胸を吸わせてほしい」と言われました。
嫌だと言いましたが、何度も言われるので、応えてしまいました。
これは駄目なことなんだと察し、わたしは怖さと気持ち悪さを感じました。
何日後かにあったピアノの発表会の帰り道で、そのことを思い出して震えて動けなくなったことも今でも覚えています。
わたしは汚いんだ、と思うようになりました。
母にも心配されましたが、本当のことは言えませんでした。
しかし、兄がお風呂についてくるのが耐えきれず、 ついに母親に「お風呂にお兄ちゃんが入ってくるのが嫌だ」と打ち明け、お風呂に兄がついてくることはなくなりました。
小学2年生か、3年生の頃です。
わたしが和室で本を読みながら眠ってしまい、ふと目を覚ますと、兄がわたしの服に手を入れ、「(わたしの名前)、起きなよ、起きなよ」と言いながら胸を揉んでいました。
寝起きで上手く声が出せず、息が苦しくて、足で兄を蹴って抵抗しました。
ほんとうにこわかったです。
ずっと覚えてます。
うたた寝すらもできない、
気付かなかっただけで、今までも寝ている間に何かされていたのかもしれない。
兄と自分に対する嫌悪感と気持ち悪さ、不安、そして自分は汚れているという感覚でいっぱいになりました。
でも、性的な目では小学校卒業くらいまでずっと見られていました。
わたしは小学生の頃から胸が人よりも大きく、目立っていました。
小学校高学年くらいから、兄に「(自分の名前)は、胸が大きいよね」と言われてきました。
その頃、同学年の男子からも同じようなことを言われ始め、「わたしはそんな目でしか見られないんだ」と悲しくなりました。
普通は気にすることではないのかもしれませんが、兄とのことがあったため、妙に気になりました。
それから月日が経ち、兄は性的な行為や発言をすることはなくなりました。
なるべく、会話もしないようにしていたし、関わることも少なくなりました。
あれは幼くて、善悪の判断がつかなかったから起きたこと、性的な好奇心からの出来事だと思うようになりました。
兄は、その時のこともきっと忘れているんだろうな、と。
そう思うと、前よりは普通に接することができました。
兄から「一緒に寝てほしい」と言われました。
「一人だと寂しくてたまらない」と。
なんとなく昔のことを思い出して断ると、
兄は言いました。
「小さい頃みたいなことはしないから。」
聞いた瞬間に背筋がゾワっとしました。
やっぱり、まだ覚えてたんだ。
忘れてなかったんだ。
「絶対に無理だから」と言い、わたしは自分の部屋に戻りました。
この時、兄は笑っていました。
この人にとっては、そのくらいの出来事だったんだ、と。
そのとき、わたしは一生このことに縛られて生きていくんだな、と思いました。
兄の少し肩が触れただけで、目が合うだけで鳥肌が止まらなくなります。
自分はきたない、価値がない、知られたら気持ち悪がれる秘密がある、
自己肯定ができません。
もっと酷いことをされた人もいるのに。
しかし、そのこととは裏腹に、異性との距離感がわからず、どこまで性的なことに及んでいいのかもわからないでいました。
何故か、いけないことの区別がつかないのです。
むしろ、わたしは性的なことをするために生まれた人間なのだと思うようになりました。
兄との記憶や、兄の手や舌の感触を別の人で塗り替えたくてたまりませんでした。
こんなわたしが純粋に人を好きになるなんて気持ち悪いことで、本当は駄目なことだと思う。
中学生の頃に好きな人と性的な関係になってしまったり、高校に入っても何人かから同じ扱いを受けました。信頼していた男友達に襲われた時から、人を心から信用できなくなりました。2.3人とお付き合いしましたが、わたしは依存されやすいようで、いい思い出はありません。
わたしは断れない性格なので、相手だけが悪いわけではありません。
もう、抵抗の仕方を忘れていました。
痛くてしょうがないのです。
初めても、無理矢理されて血がたくさん出て泣き叫びました。
今は優しい方とお付き合いしており、その人以外と性的な関係になることはもちろんありません。その人のおかげで、悲しい記憶も、思い出さない日はないけど、少しずつ薄れています。
本当の自分を見せたいけど、見せたら彼の負担になってしまうのではないかと。
母に「見送りに行かないの?」と聞かれました。
行けるわけがありません。
一刻もはやく離れたいのです。
母に、行かないと言うと
そんなに冷たいなんて。」
しょうがないの。
ごめんね、親不孝で。
本当に無理なの、
責めないで。
思い出させないで。
こんな娘でごめんね。
涙が溢れました。
部屋にこもって泣きました。
ここに書いてないことや、今までのことをひとつずつ思い出しました。
生きるのはすごく難しいです。
自分を大切にするのは、すごく難しいです。
わたしは自分を肯定できない代わりに、わざと明るく振舞うときの自分を愛します。
周りの人を愛します。
すごく長くなってしまいました。
ぐちゃぐちゃな文章でごめんなさい。
読んでくれた人がいたら、本当にありがとう。
そんな彼女の地元山口の某端っこの市に先日行ってきた、ライブも観劇もないのに
それ迄は年に1ー2度東京で会っていた
ある年に体調を崩し、東京に来られない話をされたので
同じ年の私は物凄い心配したのだ
たまたま2016年の冬に某凱旋公演が九州であり、コレで福岡に行けば良い
福岡に行った事がないからオールオッケーだ!と思い3泊4日の福岡
そして2018年春、ちょうど人気の博多座公演のチケットの良番が取れ
ちょうどモーさま(萩尾望都先生)とドジさま(木原敏江先生)の素晴らしい原画展を
開催しておりそれだけで福岡まで来た甲斐がある素晴らしい展示であった
ここまで書いていて友達山口の方なのに、山口県の話出てこないと思うけどちょっと待ってね
「私は下関側からも門司港を見る、彼女が普段見ている景色を私も見る」
海無し県の私には海峡など見た事も無かった
遂に山口県に行く事になった、山口県は宇部空港と萩石見空港がある(岩国もだが)
私は羽田から宇部空港に向かった、彼女は地元からレンタカーで迎えに来てくれた
好きな作品の二つが山口県を舞台にしているのでその聖地に行く目的もあった
<ここじゃラクダ親父にくびり殺されるとおもって逃げ出すよな、母ちゃん役立たないし
お姉ちゃんが活動的じゃなかったら弟共々あの世行くわ、例えテリブル東京でも
と思ったりしていた、しかしこれは見に行かなかったら出て来なかった発想だ
それまでは「シェルター行け」「民生委員に相談」「そもそも学校何してる?」
という思いが多かった、例の
「つけびしてー」
の方の気持ちまでわかるようであった
二泊三日で到着の朝9時から最終日の11時30分まで山口県の様々な場所を巡ったが
角島の大橋も萩明倫館も下関の日和山公園もどこも良い所であった
平家茶屋はあの値段で良いのか?1・8倍は値上げしても客来るぞ
たかせの川棚本店も値上げして良い、などあくどい事を考えていた
昨年も門司港に来たが素敵な街だと思う、関東にこんな街は他にあるのかな?
門司港から最後の目的である、萩岩睦美先生の原画展の為北九州マンガミュージアムに
萩岩先生のカラーイラストはカラーインクで描かれているので退色しやすく
展示は殆ど無かったらしいのだが、40周年記念で最初で最後との事
この為だけで旅費の元は取れる素晴らしさであった
そして思ったのだ
職場の同じ部署20人中3人しか山口県に行った事がないと話しをしていたが
・おじいちゃんの実家が山口県の光市だから子供の頃は行ってたよ
初めて2人で遊んだときから手繋がれて、びっくりして友達とは手繋がないと拒否して
何度目かのデートで映画見てたら手繋がれて、拒否できる雰囲気じゃなくてそのままにして
ラクーアスパ誘ってくれたけど、彼氏ではない人と温泉行きたくなくて断って
今まで全部割り勘だったから、都合の良い友達かセフレにしたいんだと思って割り切って遊んでた(ただデートするだけで体の関係なし)
分かりにくいわ!
正直ルックス、収入、育ちよしという条件で割り勘男子でも好きになれるかもって思って何度かデートしてたけど全然心動かない
今まで女の子はお金出さないで系の人しか周りにいなかったし、学生の時の苦学生の彼ですら少し多めに出してくれたのに甘えてしまい感覚がおかしくなってしまった
とりあえず返事は後でいいと言われたけど、これから仕事でも関わるしなんて言えばいいんだ
落としたい女いるならせめて少し多く出してくれ!
付き合う前に旅行さそうな!
御三家って一番に行けるほど頭が良くなかった人が頭以外で獲得できるブランドを身に着けようとしていくところ、
高齢者が苦手だ
外出先でいわゆる高齢者と思われる外見の方に接近されてしまうとなるべく失礼にならない速度で離れてしまう
電車内で遭遇した際は席を立ち(座席に座ってたら体裁を繕うために席を譲るという姿勢で)友人と一緒などの理由で離れられない場合はなるべくそちら側に意識をやらないようにして息を浅く少なくしてしまう
どうしてこうなってしまったのか
おそらく幼少期から思春期まで続いた祖父祖母による虐待が原因だと思うのだが、それにしたって特定の個人(故人)に対する心象がここまで全体の印象に影響を与えるものだろうかと自分でも不思議に思う
上記反応にあてはまらない唯一のイレギュラー存在として母方の祖母が健在しているのだから、もう少し世の高齢者全体に対して当たりが柔らかくなってもいいのではないかと考えた
こんな事言ってるが正直今までは苦手でも別にいいか、くらいに考えていた
自分たちを愛し支えてくれる義両親なら老いていっても祖母のようにイレギュラー存在として受け入れられるだろうとのほほんと構えていた
が。
状況が一変した
私は子供を産んだ
幼い乳幼児を連れて外出するとまぁーいく先々でさまざまな高齢者に話しかけられる
我が子に向けてかわいいねかわいいね元気にねお母さんもがんばってね とにこにこしながら話しかけてくれる
そしてその声かけに対し私は、深々とお辞儀をし(引きつった笑顔を見られないため)吐き気を堪えながら消え入りそうな声で「ありがとうございます…」
正直ここまでひどいとは思ってなかった
うん、その通り。これは下品じゃないよ。
私は髪が長いのが好きで、昔からずっと伸ばしている。髪型は黒髪のストレートロングだ。長さは腰の上くらいまである。これ以上長いと気持ち悪がる人がいるらしいので、その程度にしている。それでも十分長いとは思う。
ある日、私はツイッターのタイムラインで流れてきた画像に目を疑った。
「これ私じゃん」
それは黒髪ロングの女を後ろから撮ったものだった。当然顔は見えない。しかし、持っているカバンとか着ている上着とかがどう見ても私のものだ。
とても驚いたしショックだったし腹が立った。勝手に撮られたのだ。
その後、ツイッターでロングヘアというキーワードで検索したら、ゴロゴロ盗撮っぽい画像が出てくる。「ちょっとブレちゃったけど」とか「いいロングヘアがいたけど場所が場所だったから撮れなかった」とか「今日は豊作」とかコメントされているのもあって、いやそれ明らかに盗撮だよね。
そして、ポニーテールにした自分の画像も見つけてしまい更に落ち込んだ。
だけど、自分の欲を満たすために、他人の髪を勝手に撮るのは許されない。少なくとも私は許さない。
何とかならないのだろうか?自意識過剰かもしれないが、電車で自分の前とか横に立ってスマホを持っている人を見ると警戒してしまう。
ロングヘアからどんどん辿って行って、関連するハッシュタグを調べたりユーザーを調べたりしたら出てきますよ。圧倒的に電車での画像が多いです。ホームで待っている人の後ろ姿や、電車の中でスマホを見てたり眠っている人をうえのほうから撮っているのも多い。
今調べた中に、女子高生らしき女の子の髪の毛の盗撮っぽい画像に、撮ってほしそうだから撮ってあげた、というようなツイートが添えられていて、怒りにふるえました。
写真をとるのはもちろんいけないが、なぜ他人を盗撮してツイートで晒すのか?
そして、嫌なら髪を切ればいいじゃんという趣旨のコメントをされている方、本気でそれを言っているのですか?髪を伸ばしていたらそういう性癖の人に盗撮されても仕方ないと本気で思っているのですか?