最近思うんだけど、エホバとか創価レベルの大規模新興宗教って、これだけ熱心な人がいることに鑑みると、信じてる人にとっては素晴らしいんだろうな。
レントゲン撮影の時、医者の説明がいい加減で息を止めるタイミングがわからなかった。
結果的に思いっきり吸い込んでる最中に撮影されることになってしまったのだけど、これってかなりヤバイよね。
アメリカで起きたことを冷静に分析するとか、日本の状況にてらして考えるならわかるんだけど
意識高い人たちが心から残念そうにしてるのを見て「お前アメリカ人だっけ?」と思った
なんだ、リベラルにも主体性なんてないんじゃないか。アメリカリベラルのポチじゃないか
昭和安保闘争までのアカをルーツにする人たち(共産党、および分裂した過激な人たち)と
1970年のロックでリベラルなアメリカの幻想を追いかける名誉ニューヨーカーみたいな奴らに分類できるということだ
あの人達は結局日本という国をニューヨークにしたいだけの人たちなんだろうし
あまり支持が集まらないのはしょうがないんじゃないかなあと思う
本当に日本のことを見ていたら、アメリカを見て嘆いたり、自分たちの存続に危機感をおぼえるんじゃなくて
「自分たちは日本人の不満を掬えるだろうか。どうやって解決できるだろうか」と考えるだろう
ポスト宮崎とは「数年にいちどアニメ映画を公開してコンスタントにヒットを飛ばしてくれるアニメ監督」のことです。
社会で生きていく上で、多くの人に好かれるように、或いは嫌われないようにするのは大切なことだ。
でも八方美人が嫌いな人がいるように、全ての人に嫌われないように生きるのが無理だってことも、ほとんどの人は知っている。
タケモトさんは、俺たちマスダ家の隣に住んでいる人だ。
ちょっと露悪的な言葉遣いが目立つが案外度量の広い人格者で、ハロウィン大作戦での出来事は記憶に新しい。
「買いかぶるな。オレだって、嫌いな人間の一人や二人や三人や四人いる」
謙遜にも聞こえたが、タケモトさんはそう思われることを見越したように、とある人間について語り始めた。
「オレが、学生やってた頃の話だ。当時、オレが住んでいた町には、とある嫌われ者がいた。勿論、オレもあいつが嫌いだった」
「どんな人でした?」
「そうだなあ……控えめに言って、人に嫌われるために生まれてきたようなやつだったよ。非の打ち所しかない人物だ」
タケモトさんから語られる『あいつ』に関するエピソードは些細なものから壮大なものまで様々だった。
「あいつの口癖は『悪いけど』なんだが、そう言うわりに全く悪びれているように見えない。そうやって、あいつがやたらと使うもんだから、俺の住んでいた町では『悪いけど』ってのは、本心では悪いとは思っていないときに使う言葉として認知されるようになった」
そうして語られるエピソードによって、『あいつ』の人格は俺たち兄弟の中でどんどん形作られていった。
「あいつの言ったことで今でも思い出すのが、『自分がされて嫌なことを他人にするなっていうけどさ、大した理屈じゃないよなあ。他人に嫌がって欲しいから自分がされて嫌なことをするんじゃん』ってセリフだ。あいつの性格の悪さの象徴している」
なんだか随分とタケモトさんが雄弁に語るものだから、俺は案外『あいつ』のことを嫌っていないんじゃないか、だなんて思うほどだった。
弟がそんな邪推をしてみると、タケモトさんはそれすらも見越して語る。
「いや、間違いなく嫌いだよ。嫌いであることを忘れないために、悪感情を持続させるのさ」
そのときの俺たちは、タケモトさんのその言葉の意味をよく理解できていなかったんだ。
家に帰ってからも、弟は『あいつ』のことが気になって仕方なかったらしい。
怖いもの見たさなのか、『あいつ』のいる町に行くと言い出した。
タケモトさんの話を聞く限り、とても俺には興味が湧くようなものではなかったが、こうなったら弟は止められない。
そして、弟一人に行動させてロクなことにならないのは容易に想像できる。
仕方なく、俺が付き添うことを条件に、『あいつ』のいる町に行くことを了承した。
最近とある趣味の集まりの二次会で一人の参加者の子供の話からインターネットリテラシーと主張の話が始まった、その内容は
「子供が反戦ヘイトスピーチをTwitter上で展開して、それが学校の裏掲示板だかいうものに個人情報と一緒に転載されて教員に知られて今相当危ない」
というものだった、その参加者は今周りの行動にピリピリしているのが酒が入りながらも伝わってきていた。
子供の事と言いながらもいつ周りに飛び火するか今のインターネットでは全く読めないと言っていた、学校側と協議した策として次の事が決められたらしい
3つともそれぞれ親や子供自身に負担がかかる事になっている、そもそもの要因は子供だからと自分は思いつつもリテラシー教育を満足に受けてない以前に悪用すらしかねない輩の影を見て考えを変えることとなった。
この集まりの参加者全員がどこかインターネット系の仕事をしている為かこういう問題には敏感になっていた、そもそも子供が悪いという発端からインターネットリテラシー教育の体制が整ってないという所から
最終的には「一度はやけどを負ったほうがリテラシーの大事さがわかる、俺達もそうやってきただろ」と酒が入ったテンションで言われても困りものだったが。
実際問題として現在のインターネット上の炎上案件はリテラシー教育として「インターネット上に完全な秘匿性はない」という事を頭に置いてないというのが第一に尽きる気がする、自分の自己満足のためにコンビニが閉店に追い込まれてしまった高校生のアルバイト店員がアイス棚に入ってみたなどという事件からこのような事例が広まっている気がする。
そもそも、今までは水面下ではあったがここまで拡散するべきじゃないという事例として扱われていたのかもしれない。
しかし、今はこのような犯罪まがいな行為を未遂でも行いTwitter等に流すだけでもすぐに個人情報が特定される時代であり中高生に限らず学生や若者には危ないということを片隅にでも理解して欲しいと思う。
実際にトラブルや炎上を経験するほうがはるかに有効とは思っているが当人の人生を考えようとは思ったがその時は「今が楽しい」という考えで今後何十年を考えずに動いた結果が昨今の炎上と言うことで筆を置かせていただく。
これまでも枚数は地味に減ってきてたのに、ここにきて大幅な改悪
何かって言うと「小分けにした」という名目での大幅枚数減
これまでは||||って感じでいっぱいならんではいってたと思うけど、
■■■■
こんな感じのパッケージングになった(袋の大きさは同じだけど、面積を稼いでる感じ)
■がココナッツサブレ5枚の小袋
サブレの面がこっちに見えてる感じ
残念だけどもうカワないだろうな
正当性を示すためには、他者から認められるようなものでなければならないのでは?!
承認欲求とか自己顕示欲とか、そういうものを含めて理解していたことは確かだ。
(すなわちこの役員からすれば俺が思っている大義名分は大義名分ではないということ)
てすてす
「以内」は等号を含むじゃん。
「以上」が「~を使って上」なら「以外」は「~を使って外」だから両方含むし、
「以外」が「以ての外」なら「以上」は「以ての上」で両方含まないんじゃないの?
シゴきたくないよぉに見えた
早かれ遅かれ、そういう時期は来る
俺の時は18くらいだったか、
逆に来ない人生の方が恐ろしい
ロボスーツもぐりと超時空エンジン同時にやろうとおもって一応性交したけどスーツ強化って意味では失敗した
一度も脱出しちゃいけないっつーことだったから事前に住人外してATK屋つめこんで100Fのぼるってのがやれないと思い込んじゃってたから、デフォの住人のまま100Fいっちゃった
ちなみに100Fまではそれなりにスムーズだったけどまさかの99だか98Fだかで主力二人のうち片方(魔法・回復担当)を油断して死なせてしまった
でもまあもうひとりが強いから大丈夫だろうと思ってたらアイテム神2クソ強かった
どうしようと思ったけど奇跡的に無敵のジオシンボルがあったからもうひたすらそれにおんぶにだっこで勝てた
無敵なかったら勝てなかったし100Fの苦労が無駄になってたな・・・
その後銀河ブレードのレアにもぐってたらレジェンド銀河ブレード盗めたからそれにもぐってまけんよしつなねらってるところ
うーんしかし返す返すロボスーツ強化に失敗したのが悔しい・・・
うーんエトナ編のバール倒せるかなー
蒼きウルときいて最初に浮かんだのはシャドウハーツの主人公ウルだった
王立宇宙軍の続編とかあったんやね~
まだまだ自分のしらないキーワードが出て来るところ、ほんと面白いな―
そりゃちょっと表面にふれたくらいで全部を知れたなんて思っちゃいなけどさ―
すっごくよく使われてて、マスコミの皆様はなんの違和感もないようですけど絶対おかしいですよ。
ヒット飛ばせるアニメ監督がでてくると「ポスト宮崎」「ポスト宮崎」と連呼なさってますけど、全く意味がわからない。
この言葉をつかってくるのは、大衆向けの情報番組とかニュースサイト。
何をもって「ポスト」なの?
ありえねーだろ。
素人が見たって駿は唯一無二の才能だろ。
この先絶対塗り替えられないとはいわないけど、ちょっと想像できないよな。
てか、金額だけ取り上げて「二人目の駿になれ」っていってんの?
「ポスト宮崎」という言葉を投げられた監督はどなたも困惑しているのではないかな。
だって何をもってして自分が「ポスト宮崎」と目されるのかがわからないでしょうから。
大体アニメ監督だけじゃないですか?
駿ほど他を圧倒するような記録を持ってる人がいないからかもしれませんけど。
まあ、百歩譲って「アニメにおいて監督の名前で客が呼べる人」という意味なのかもしれませんけど、
そこに「宮崎」って名前がついちゃうと、変な意味が不随する気がする。
たしかにアニメーションというジャンルで表現しているってのは同じだけど、
オリジナル作品を作ってるのに「他者の名前+ポスト」って言われるの意味わかんないでしょ?
弟子でもないのに。
特に目指しているわけでもないのに、ポスト宮崎呼ばわりってなんなのよ?
追記
「ポスト宮崎」でどんな記事がひっかかるかなと思って、ググってみたらまーあるわあるわ。
それを見たら、あーなんだって思った。
まだ一般的には認知度の低いアニメ監督を取り扱う記事を読ませようとするだけに使われてる言葉だと。
それで、この意味わかんねえ言葉にイラついてるのは自分だけじゃないことにも気が付いた。
>「ポスト」には、継ぐ、的な意味はもともとそんなに無いです。
辞書をひけばそうなるってことはわかる。実際ひいたし。
でも使われ方としてはそれだけで収まらなくなってると思う。
最近の新海誠のトークショーでの受け答えを見てもらえればわかるけど、
質問者はともかく、新海誠は「ポスト」という言葉が駿と同様の作風を求めるような意味を持ってると解釈したんだと思った。
<新海誠監督>“ポスト宮崎駿”に「過大評価」 同じ方向では追いつけない…
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161112-00000008-mantan-ent
『君の名は。』大ヒットで新海誠も“ポスト宮崎”!? 細田、庵野……“ポスト宮崎”といわれたクリエーターたち
http://news.livedoor.com/article/detail/12052203/
「ポスト宮崎駿だと思うアニメ監督ランキング」というアンケートが取られたこともあるらしい。
>1位:宮崎吾朗、2位:庵野秀明、3位:細田守、4位:押井守、5位:大友克洋(6位に新海誠も)。
著名な監督名をあげただけの気が遠くなるような結果だ……
2ちゃんなんかでもポストは誰か探るようなスレがあったみたいだ。
そんなに駿的作品を求め続けるなら、人工知能駿でも作ったらどうですか。
もしかしたら、駿が化けてでてくれるかもしれないですし。