まあ、脳のfMRIとかはもちろんとったんだろうが、大変だね。
澄み切った空気、芸術的に雲がたなびく隙間に、全てに光を与えながら昇りゆく太陽。建物からでも全身に伝わる威容。
鳥達が呼んでいる。愛らしい声で仲間と命を確認し、時の流れの中、精一杯唄いさえずっている。
ひと呼吸する間に無数が死にゆき、その芸術を以て偉大なる作品を終わらせる。
またひと呼吸する間に無数が生まれ、鳴き声を以て凱歌を歌いだす。
鮮烈な自由が呼んでいる。等しく照らす太陽と共に、空を見上げる仔羊らを。
夜明けを見るたびに思う。「絶対に死にたくない」と。
この大気を打ち震わせる躍動、流転する生命の泉にどれだけの命が泳いでいると言うのだ。
正義や神など、関係ないではないか。我らと共にあるのは、この澄み切った空気に等しい、冷たく純粋な愛・・・水のように心地いい楽園のみ。
冷えすぎて火傷を起こす生命もいるが、俺はこの温度が実に心地いい。最高だ・・・落ち着く。
狂おしい!何故死なねばならぬ!
この冷えた生命の泉から何故出なければならぬ!安寧など欲しくない。
眠りのように暗く暖かいのが「死」ならば、まだ俺は眠りたくはないのだ!泳ぎたい。もっと果てまで泳ぎたい!
この生命の泉にある無数の命、喰らいあい、愛し合う崇高なる理想郷。愛おしい・・・この世界の、その最果てまで俺は泳ぎたいのだ。
喜びに満ちた俺の心を、いつも澄み切った風が優しく撫でてくれるのだ。冷えて純粋な愛を惜しみなく与えてくれる、母のように。
安寧などここからは見えはしない。生命でできた星の地平線で、無数に泳ぎ回る恋人達のみ。
時間が足りない。叡智を、愛慕を、秘された石碑を、愛人達を、全てを堪能しつくすには時間が。もっと時が。
まだ死にたくない。とめどなく純粋な光よ、原初の愛よ!もっと俺に!祝福を。喜ばせてくれ!包み込んでくれ!!
安寧などいりはしない!まだまだこれからだ!
頭いたすぎてやばい
もともと謎の頭痛+全身痛が小さい頃からの悩みだったんだけど、今回は特にひどい
頭の両脇になんかからしを塗りたくったかたまりを無理やり埋め込んでるみたいな…んで、全身にもそのちっちゃいのばらまいときましたみたいな。
本当は画面見てるの結構辛い、起き上がるのも苦痛だし、でも寝れないこの時間が苦痛だから寝ながらiPadでネットしてる。
病院にはこの前まで通院してたんだけど、やっぱり原因わからずに「痛みと付き合っていくしかないですね^^」的なことを言われ終了。何回目だろ?3回くらいは違う病院でこの言葉聞いた気がする。
痛み止めは効かない。何も対処法がない。昔は寝たら治ったけど、今は寝ても持ち越すことが増えた。今回はもう三日目に突入。というか、痛くてあまりよく眠れてないせいかな。
死にたい。いや、痛みが無くなるんだったら生きたいかもしれない。
でもさっき横になってたら頭ん中でなんか外れたみたいな感覚があって、手から力が抜けて、周りの空気?がぐにゃ〜っとなるような変な感覚があった。その時、あ、死ぬかなと思ったんだけど、やっぱりすごく怖かった。
でもつらい。えいやっとしねないものかなあ。
>なんで大学院に進学したの?
何で入ったのかと言われると、もう学部で就活する気がなかったから、としか言いようがありません。
いま振り返ると、モラトリアムの延長程度と思っていたんです。やる気のある修士の方に顔向け出来ません。
関係ある仕事したいけど、、あなたのまわりでみんながみんなそんなうまくいっていますか?
>少なくとも、学部までは見聞深めるために色々見て回るやって回るのが当たり前とさえ思うけど、
>大学院に入る以上はある程度その専門を将来に活かす事あ目的であるべきだと思う。
>研究だってただじゃないし、それにどんだけ税金かかってるか。
>研究室によっちゃ博士に残らないのが当たり前な所があるみたいだけど、
>正直、就活やら授業やら、さらには修士論文を書くための時間を考えたら実質半年くらいしかまともに研究できないのに、
>修士卒のが圧倒的に待遇が良い、っていう就職先のためのロンダだってはっきり言うなら分かるけど(肯定は絶対しないけど)
>こういう、最初から就職するつもりだけどまじめに研究室に行きたい、って人の意味がよくわからない。
>最初から就活するつもりなら大学院なんて行ったって研究なんて出来るもんじゃないよ。
>だから、最初から開き直ってる回りの馬鹿と比べて、どっちか、と言っても正直どっちもどっち。
こんな言い方したくないんですけれど、あなたは優秀なんだと思います。
修士の学生はあなたのように思えるほどみんながみんな優秀ではないと思うのですよ、、こんな言い方でごめんなさいね。
どっぷり研究しても成果が残せないかもしれないというプレッシャーや、開き直って就活しても失敗するリスクに負けて…
最近普通にツイッターやフェイスブック、もちろん2ch上でも話題に挙がってるし、そろそろというところか。
FC2がアメリカにあるとはいえ逮捕者が出て来てる。無論、FC2単体での逮捕というよりSHAREやwinny経由だが。
また、ここ数日TBSからの削除要請が権利そのものがないコメント置き場にまで範囲を広げてる。
もはや、ひまわり動画の立つ瀬いや明日が見えなくなってきている。
そろそろ無に転居する時期か・・・
ニコ動有志が作ったぱらすて、SayMove!、ひまわり動画と続いてきたが今は無がある。
こうして同じ人間たちが寄生木をある程度使った後また別の寄生木に移る。
スーパークラウドもこうして様々な用途に使われ閉鎖してきたが実はMegauploadやyourfilehostの閉鎖も今の暇民が多分に影響してる。
残念なことに、ひまわり動画は今、この状態に非常に近い。
昨日一昨日までにTBSでひまわり動画が名指しで削除対象に挙げられた事が分かっている。
残念ですが、御臨終でしょう。
さいきん元気ないけど悩みかかえてない?
仕事のことだったらひとりで抱え込まないでね。
なんでも相談すること!
月曜俺会社来ないと思ったのかな。
どう返信すればいいだろ。
こういうのって早く返した方が良いよね。
任期の問題。
衆議院かつ閣僚かつその政府が続いたとしてもせいぜい4年、二期続いても8年。
しかし大臣職で8年も続いた人は極めて少なく殆どいないと言っていい。
更に4年続いた人もそれほどいないため、大臣職は所詮省庁のお飾りだと言われても仕方のないほど
その在任時期が少ないため、官僚に舐められるのだ。
いかなる政治政権であろうと大臣職、少なくとも司法を扱う法務大臣や国事を守る防衛大臣は他のお飾り大臣職と異なり長くその象徴でなければならない。
そのため少なくとも4年は同じ人が大臣職にいなければ威厳も発言力もないに等しいのも当然だ。
であれば、政治家が官僚に舐められないためにもいかなる失言があろうと犯罪を冒さない限りは大臣職を4年全うするべきだ。
そうしなければいつまで経っても官僚に舐められることになるだろう。
へ~じゃあ「周りに責められるから/自己嫌悪に陥るから」子育てしてたんだ?
大変だね。
仕事で例えるなら「評価されるから/自己嫌悪に陥るから」仕事するってのはわかるけど、
子育てもそんなもんってこと?
仕事にしても、評価とか気にせず仕事を楽しめるほうが幸せだと思うけどなぁ..
まぁ全く違うタイプなんだろうね。
お前ここ数年ずーっと同じ事繰り返し書き込んでるよな
「何でも一人で出来て凄いね」
違う。そうじゃない。
一人じゃないと何も出来ないのが正しいんだよ。
自惚れているわけじゃない。
人を信用できないわけじゃない。
ただ、人に頼る勇気が無いだけ。
ダメな奴だと思われるのが怖いだけ。
騙し騙しで上手くやっている様に見せているだけ。
心も体もとっくの昔にボロボロになのに、
今更止めるのが怖い臆病者。
ただそれだけ。
さすがに嘲笑ったりすると人間関係に支障が出そうだけど、あんまり関わらなければいいんじゃないの?
俺のまわりの奴等は繋がりまくって、その下らない繋がりを表面上で嘲笑うことすらできない、否定できない
私はFacebookもLINEも使っているけれど、ぜんぜん使いこなしていない。今のところTwitterは使わずに済んでいる。
ネットにゴミを発散して何がしたいのか。ばかばかしくてやる気がしない。
平成生まれなのに、昭和の香りがするとかなんとか言われてしまうけど、気にするものでもない。
あいつはSNSに消極的なやつだから、とレッテルができてむしろ気持ちが楽になる。
SNSでコミュニケートするよりも、読書でも運動でも、やりたいことをやったほうが有意義だと思う。
自分の人生たのしく生きるためには、自分がつぶれてしまったら元も子もないよ。
もともと私が根暗な性格だから、そういう風に考えるのかもしれない…
それに、SNSでのつながりがどれくらい大切なのか疑わしい。
いざという時、頼ることのできる相手へは、SNS以外の連絡手段があるんじゃないか?
連絡ための窓口の1つとして、SNSに参加していることは損ではないだろうけれど。
過剰反応してしまったのは、私の母が主婦をバカにしてろくに子育て&家事していなかったせいだと思う。
旦那の母(義母)は専業主婦の鏡のような人で、旦那は母を純粋にしたっている、のが羨ましい。
ああ、なるほど。
バスでも起こりうる、ってことを失念していた。
凄い。やる気。やる気に溢れた凄い人だ。尊敬できる。しかしちょっと難しい部分があって、
「~でまで」という表現には「電話ゲーをするにはもっと適切な場所があり、電車の中でまでやる行為が理解できない」という意味が込められているものかと思われるが、電車の中以外で、電車の中以上に電話ゲーを行うに適した状況とはどのような状況なのだろうか。徒歩や自動車での移動中は大変危険であり、食事をしながら携帯を弄るのは当然下品な行為である。リアルタイムの動きを要求されるゲームを風呂場でやるのも難しいだろう。まさか業務時間中でもあるまい。そう考えると自宅に居る時間を電話ゲーに費やすことになるが、これは時間の価値において自宅に居る時間を電車で移動する時間より下に置いているということなのだろうか。いや、公共の場でゲームをすること自体が下品であるという思想なのかもしれないが、外目には電話機を触っているだけであり、もしかするとビジネス上重要な行為であったりあるいはたった一つの夢を実現するための準備なのかもしれない。人の電話機を覗きこむような人間が下品だのどうだのという意見を持つわけは無いだろう。
そう考えるとこの凄い人の夢はやっぱり電車の中が重要な要素を持つ…例えば人々を観察することによって新しいファッションを生み出そうとしている新鋭デザイナーかもしれないし、電車の車体設計のことを考えているエンジニアなのかもしれない。なんとなく納得してきた。良いデザインが出来ると良いですね。洋服なのか電車なのかわからないけど。
あらゆるネットが垣根を巡らせ
光や電子となった意思を
ある一方向に向かわせたとしても
"孤人"が
複合体としての"個"になる程には
今日、久しぶりに友人たちと飲んできた。歳が歳なので本当に久しぶりに集まった。
流れで自分の体調のことを話した。それを機にみんなも自身の悩みをぼやきはじめた。けっこう重い話もあった。
個室とっといてよかった。
生きてくのがめんどくさい。いや死なないけどさ。怖いじゃん。
生きてくために生きてるっていう意味のわからない状況にあると思うんだよね。
どうして呼吸してるんですかって聞かれて、「いやー、どうしてって言われても...」って答えるしかないのと同じで
どうして生きてるんですかって聞かれてもなにも答えられない感じ。
少なくとも、なにか楽しいって思いながら生きたいじゃん。
それがないんだよね。結局考えちゃってさ、無意味だよねって思うんだよね。
例えばさ、誰かのために生きるとかさ、なにかをしたいから生きるとか、そういうのがあったらまだ違うと思うんだよね。
残念だけどそれもない訳。むしろ取られちゃったっていうのが正しいかも。
そりゃあさ、もっと若い頃はさ想いを巡らすような人もいたしさ、「こういう研究して世界を救う!」なんて思ってたりしたよ。
でもさ、その人は俺の手の届かないところに行っちゃったしさ、研究だって自分より優秀な人がたくさんいるなかで自分の価値なんてあるわけないじゃん。
その人に言われたぜ。「君ってただのいい人だよね」
なにも産み出さないゴミってことだよね。なんかさ、そう思うと生きていくのもバカバカしいしさ、楽しくなんてないじゃん。ルーチン化した日々を消化するだけ。
さっさと寿命来ねーかなって思うわけだよね。
っていう感覚がどんどん広まってってるから、少なくともこの状態が長く続くことはないし、
周りでも少しずつ出てくるから、そういうの見逃さないように。
より正確に言えば、日本社会は彼を政治家にすることを仕組み上拒否できない。
最近、車いすの人と料理のお店で揉め事が起こったときに、強く感じた。
現状の法律がどうであるとか、法律にどう違反しているかではなく、それが正しいのか間違っているのかを話そうとした。
少なくとも、僕が見聞きしたネットではそうだったし、会社や知人もそうだった。
といった、「法律に違反しているから悪いのだ」という話にはなっていなかった。
まず社会的にはこうあるべきだろうという理想があり、それに対して法律がどうだろうか、という話になっていた。
だから、法律はその解釈を正義(制度趣旨)を念頭において、世の中に合わせて柔軟に運用される。
我々はそれを自然なことだと感じているし、法律が間違っていると考えることも出来る。
公職選挙法が具体性故に現状にそぐわない(時代に追いついていない)と考える人が多いが、
公職選挙法に沿わない現代は、間違って進歩してしまった(時代が誤っている)と考える人が少ないのと、ほとんど同じ意味だ。
これは、とても良くまとまっていてかつ、典型的な例なので、是非読んで欲しい。
法律の枠組みや、その会社が良いか悪いかではなく、その創業者の人間性で店に行きたくないと始めている。
もちろん彼(もしくは彼女)に悪気はないだろうし、不当に貶めてやろうという悪意があるわけでは無いと思う。
ごく自然に、「一私企業とはいえ社長なのだし、ほぼ公人だから、多少の揶揄は許されるだろう」と考えているだろうと思う。
厳密に法解釈すれば問題ないかも知れないが、さきに言ったように、我々は法律に縛られて何かを判断しない。
つまり、「自分の正義に照らして間違っている(不正義)のであれば、多少の揶揄は良いのだ」と考えてしまう。
素直に読めば、渡邉美樹さんはブラック起業の創業者で、その人間性に傾倒するのはカルト宗教にはまるのと同じで、
漫画のキャラクターでは悪役として描かれる「モズグス」とそっくりだと言っているわけだ。
これを、好意を持って解説しているとは受け取れないし、中立的に公益性のある情報開示ともやはり言えない。
「ま、有名税だろ。それに当たってるし面白いし」と、思ってしまう。
ブコメで袋だたきにあって大炎上するような構造なのにも関わらず、だ。
これがTwitterで「俺のクラスの渡邉と永守って、すげー気持ち悪い。モズグスそっくりだ」と
特定できる形で解説して、クラス全員で笑いものにして楽しんでいるとしたら、どうだろうか。
すなおに笑ってまとめを読んで、サイコパスやっかいだよな、狂信者はどの時代でもこまったモンだよなとコメントできるだろうか。
僕はそれは、やってはならない不正義だと感じるし、恐らく不愉快な気分になるだろうと思う。
つまり、ある役割、ある属性を持つと感じる人物に対して、我々の正義感は少し変質するのだ。
なぜ変質するかと言えば、情動を尊ぶからだ。トートロジーではなく。
具体的に言えば、電車が来ないことに対して、自分の友人を怒鳴りつける人はたぶん凄く少ない。
たとえ、その友人が予約をした特急が来ないとしても、いらだつ人はごく少数だろう。
でも、これが「駅員」などの「属性」が付くと、簡単にタガが外れる。
その駅にいるその駅員の責任で電車が遅れたわけではないのにも関わらず、「駅員であれば電車の運行に関して責任があるはずだ」と感じる。
その駅員は、その鉄道会社の一員で、つまり鉄道会社の責任は、「その駅員」にぶつけても構わないと感じる人は、そこそこ居るハズだ。
実際に怒鳴るかどうかは自制の問題で、ある会社に属している一社員を、ある会社と同一視する事は、そこまで特殊じゃない。
近所に住む53歳のおじさんを実名でネットにさらすことは不正義だと感じるが、
ワタミ株式会社取締役会長なら、少なくとも不正義ではないと感じる。
「ある立場にいる人は、ある責任を背負うべきだ」と感じているからだ。法律とは無関係に。
「ある責任を背負っていないのであれば、ある立場にいてはならない」と感じているわけだ。
(その思いにはもちろん個人差があるし、あまりにも突出していれば「モンスター」と言われるだろう)
これは容易に「その立場なら、これぐらいの責任を負うのが当然だ」にすり替わる。
そう、ネット上でも多く感じるし、実際に知人友人に聞いても、自分でもそうだが、
法律とは無関係に、ある立場に対して、自らの正義でもって責任を問いたくなるのだ。
企業のトップであれば、本人が知る知らないは別にして、その企業の責任を取って当然だ、と言いたくなる。
法律とは無関係に、ある立場に対して、自らの正義でもって責任を問いたくなるのだ。
従業員であればこの程度の責任を持って仕事に臨んで当然だ、と言いたくなるし、実際に言うだろう。
法律とは無関係に、だ。(もちろん企業は個人よりもずっと遵法精神を問われるが)
自分はこれが正義だから、法律はこうあるべきだ、この立場の人間はこの責任を負うべきだ、そう感じるわけだ。
そしてそれは、全員が一致しているわけではない。だから、議論になるのだ。
その議論の結果、各々の正義感をすりあわせた結果が、法律になる。
まったく逆の発想で言えば、法律に違反していないことは、社会的に不正義ではない、とも言える。
ある正義感を持ち、そのうえで法律に違反していなければ、「自分の正義は、他者の正義と競合していない」と感じる。
ある人から見れば「法律が不整備なだけで、それは不正義だ!」と感じることも、
他者には「正義なのだから当然法律で規制されていない」となりうる。
これは単に、世の中という漠然としたものが、何を不正義だと思うかにかかっている。
例えば、FX(外国為替証拠金取引)の証拠金割合は、自己責任論で言えばいくらでも良いはずだ。
でも「無制限のままで、良く判っていない人が取引をした結果、大きな損失を負うのは、社会的に不正義だ」と考えられた結果、
金融庁は取引の額の4%以上の証拠金を預けることなく取引することはいかん、と証拠金規制を行った。
でも、証拠金取引そのものを禁止するところまでは行かなかった。それは不正義だとはみなされなかったわけだ。
児童買春・児童ポルノ処罰法に単純所持の禁止を加えようとするのも、つまりは正義感故だ。
だが、誰の正義感だろうか。ネット上ではずいぶんと反対されているように見える。
世の中とは、なんだろうか。もちろん我々日本国民のことだ。
ワタミ株式会社取締役会長の渡邉美樹さんの正義感を、どう感じるだろうか。
彼は悪意を持って従業員を搾取しているだろうか。
ネット上ではそういう声はあまり聞こえてこないし、僕も違うと思う。
彼は、自らの信じる正義の基に行動しているし、当然その行動が正義だと感じている。
公職選挙法が世の中にそぐわない、時代遅れだと感じるのと同じように、
自らの正義が世の中と違った場合、時代遅れだと感じているわけだ。
それは、我々となんら変わりはない。
単に「正義」が異なるだけだ。
そして、そういった「正義」を是とする人達が多いからこそ、選挙に担ぎ出されている。
(分かりやすく言えば、例えそれが不正義であったとしてもなおメリットがあると思われているわけだ)
そしておそらくその正義は、投票率の高い人達にも正義だと見なされている。
東京都知事選で100万票を集めているというのは、選挙に行った人達の17%が、彼の正義を肯定したという事だ。
そんな立場は結局、「幸福であることは義務です」と書かれる未来になる。
我々は、自らが信じる道徳や正義感、社会のあるべき姿を信じて、それに沿った形で法律が整備されることを望む。
社会的に正しい事だと明記し、そういう社会になるように強制して欲しいと思っている。
でもそれは、国民一人一人がそう思っている。
厳密に法律を守れ、自らの権利を主張したいときには、相手の権利も尊重しろ、
ネット上で相手を揶揄しても醜悪なだけだし、裏付けなく広げるのはデマと同じだ、
そこまでは僕も言えない。
それが一個人の人権から言えばマズイ事だと理解できても、モズグス型とは面白いと思う自分がいるし、
経営者の立場が重いから情報開示だという主張は理解しても株主に手紙はマズイんでないの?と裏取りせずに考える自分がいる。
そして、自分の正義に関しては、周りに伝えていこうと思っている。
何かをするときには多数決をとって、全国民の多数決に代えている。
だから、自分の正義を託せる人に投票して、自分が不正義と思うことを正義だという国民の代表と戦って欲しいと思っている。
だから、自分と同じ正義感を持つ国会議員が、自分と同じ正義を信じる人達が増えて欲しいと思っている。
だから、僕は自分の信じる正義の基に、不正義は不正義だと声高く言い続ける。
渡邉美樹さんが選挙に通るのは、我々が法律よりも情動を尊ぶからだ。
だからこそ、日本社会の仕組み上、彼は不正義だと信じて選挙に行く人が多ければ、彼の正義は「世の中」では不正義になる。
即効性はない。報われるかも分からない。やらない理由は星の数ほど思いつく。
でも、投票しないことで口をつぐみ、白票を投じることで選挙を揶揄するよりも、ずっとずっとマシなハズだ。
僕はそう信じている。