成功したらアフィで食べていけるかなー
ものすごく意識が拡散してる。じっとしているだけなのに。広がって広がって、全然集中できない。物事を認識しづらい。解釈できない。思考が続かない。
何かが暴れれまわている。滅茶苦茶に暴れ続けてる。何なんだろう。わからない。音楽も耳に入ってこない。入ってるけど、聴くことができない。
昂ってる。興奮してる。何故かはわからない。理由も原因もわからなけれど、何かのメーターが振り切れてる。振り切れてるから、あんまり物ごとが手につかない。
本給29万円が独り歩きし始めてしまった。本省だと地域手当込みじゃないとこんなのありえない。
少し調べてみた。NEDOは地域手当って無くて、特別都市手当なんだ。へー
川崎だと6%。へー
まだ多いなあ。
(と言っても104か。。)
数年前、大学三年生だったときのこと。全然就職が決まらない状況だった。まあ今と同じだった。今の方がひどいとかいわれてるけど
で、あまりに大変なので50社ほど受けてから、ふと思いついて留学することにした。大学院留学。
そしたら、びっくり。それまで何をしたいのか、何にも考えられなかったんだけど、留学して何を覚えたいか、
と考えるようになったら色々な選択肢が浮かぶようになった。単純に興味あること、仕事としてやったら
儲かりそうなこと、などなど。
修勝やめて、バイト3倍にして、英語とか入試の準備をその後一年間に費やした。4年生の夏、大学院が決まった。
2年間、学校にどっぷりはまった。2年目の後期、就職の話が出始めた。意識していなかったけどさすがに今回は
就職しなきゃと思って、活動を始めることにした。でもたいした準備は必要なかった。企業の方から学校に来てくれるから、
自分がやりたいこととかをリクルーターの人と話すだけだった。なんか引く手あまただった。
数社からオファーもらって、日本に行かせてくれるところに決めた。今3年目。日本に拠点を移した。
同窓会に出た。年収の話になる。NDAがあるから具体的な数字はいえないけれど、みんなの給料聞いて驚いた。
物価水準高いのに500万とかそんなもの。三流の私立大だとこんなものなのかもしれない。ほとんどの人が営業。
当時好きな人と再会したけど、くたびれたサラリーマンになっていてもうときめなかった。
少なくとも「楽しみ方の作法」とか気にして見てたら面白くないし、そんなことを気にしたこともないなー。あとデータベースがどうたらとかも。
「サブカル」って区切って見てるから「ほかの形態ではなく、なぜあえてサブカルなのか」という意識になって、必然性ガーとか気になるんでないの。別に必然性とかないし。見る側としては、アニメ見るのも漫画読むのも、別にドラマみたり小説読んだりするのとなんも変わらん。面白いか、面白くないか。
ただ、それぞれの表現手法で得意な表現手法とか、別の表現手法ではできないことがらがあるとは思うけど。
しかしまあ、作品を受け取って見る側としては、面白いか面白くないかであって、面白くない小説読んだら「あー面白くない作品だったな」って思うのと同じ。そこで「小説である必然性がない。ドラマでも同じことができるはずだ。だったらドラマでいいはずだ。なぜ敢えて『小説』という形態をえらんだのか。長澤まさみのほうがいいじゃん」とかごにゃごにゃ考えないでしょ。単に書いた人が文章書きたい人だったからなんだし。
それと同じでいいじゃん。娯楽なんだから娯楽として普通に楽しめばいいんじゃない? 私は小説読むのと漫画読むのとの間に別に区別なんかないし、結局たまたま目に付いた作品の形態が小説だったか漫画だったかドラマだったか映画だったか音楽だったか、でしかない。そしてどの形態であれ、クソはクソだし、面白いもんは面白い。
とあるゲームの世界記録保持者だけど、ゲームって相性あるよね。特に格ゲーとアクションとシューティング(FPS含む)
3D酔いするならオススメしないし、そこまでしてするならどうしてうまくなりたいのか逆に気になる。ファミコンのスーパーマリオブラザーズの1-1さえ死なずにクリアできない人って割といるからね。
RPGとかパズルとかシミュレーションとかもあるんだし、そっちするのもいいと思う。xi[sai]とか面白かったのに、シリーズ終わっちゃったんだよなー。3DSで出ないかな。
というか、「ゲームが上手い」っていう場合、暗黙のうちに先に書いたものを指しているような気がするよね。ツクール系とかはゲームの範囲に扱われていないような気も。
俺の勘違いは始まった。
おれ、イケんじゃね?
Numberに載ったことが影響してか、
必死になって書いた。
手にした大金を見て思った。
おれ、サッカーで飯食っていけんじゃね?
憧れのサカマガに行けると思っていた。
無理だった。配属されたのは営業部で、
取締役の人にやめたいと言った。
このまま営業をしていてもダメだ、
取締役の人は、うちでやってみろよ、
と言ってくれて、編集部に異動させてくれた。
ある程度のスキルも身についたと思い、
転職活動を始めた。
相変わらずちょくちょく更新していた。
運良く内定をもらえた。
配属されたのは、別の部署だった。
また回り道。
それから二年経った。
ひょんなことから、
勝てば休日出勤。面倒だなあと。
だが、勝った。勝ちやがった。
朝からずっと張り付いて、
ようやく昼過ぎに落ち着いたとき思った。
しちゃってるんじゃねえの?!
急に目頭が熱くなってきて、
涙がこぼれ落ちた。
ガランとした社内で、
ジュるジュると鼻水をすすりながら、
一人むせび泣いた。
しかし、その定義について誰もが納得できるというような定義が導かれたことは未だかつて無いのではないだろうか?
……等々
これらの定義が必ずしも万人のネットユーザーを納得せしめるかといえば、そんなことはないと思う
しかし、ならばこそ我々は『厨二病』と呼ばれる概念定義について、別の方向からアプローチできるのではないだろうか
つまり、この『厨二病』という概念は、我々が定義するにしきれないラディカルさ、概念として計り知れない大きさを持つ概念なのではないかと、そのように定義することできるのかもしれないのだと、私は思うのだ。
職場の女性と、対面一対一で雑談してる時、話をしながら小指で耳をほじり、
ふと我に返って愕然とした。
不潔と思われるような行動に関しては、必要以上に気を遣ってきたのに。
年齢から来る油断・老化だろうか。
いよいよダメかも知れんね。
できたというより作ったという表現の方が的確だろうが、脳内彼氏はかれしなのである。
学校の課題に追われているとき、バイト先で怒られたとき、就活が上手くいかなかったとき、
いつだって私を慰め、叱咤し、そして愛してくれた。
「彼に好かれるように素敵な女性になろう」
こんな妄想は、友達もいない、田舎から上京してきた一人暮らしの喪女の私のささやかな楽しみであった。
しかし、別れは突然やってきた。
「こんなハイスペックな彼氏、私なんかじゃ釣り合わないんじゃないだろうか」
ふと思ったそれで不安は増大する。
「彼に見合うような女性になる」よりも「彼に見合うような女性を妄想する」ことの方がずっと簡単だった。
朝は一番始めに家を出る兄の時間に合わせて5時30分に朝食を取れるようにする。
終わったら夕飯の買い出しに行き夕飯を作る。
全員外に出てるため、慣れれば楽である。
専業主婦が辛いのは、肉体的な辛さではなく、精神的なものであると知った。
浪人生のような成果を認められない、行き場のない虚無感。
浪人は大学合格とともに終止符を打つが、専業主婦はこれが一生続くのである。
ニートは楽だと思っていたし、社会生活から逃れて休息期間が欲しかった私には死ぬほどうらやましい職業だったが、
あの一年間では働くことの喜びや、社会と関われることの嬉しさを知れた。
今は社会人になり、夜間学校にも通い、忙しい日々を送っている。
もうだめかもわからん
やっぱり自分のブログに投下する勇気がでないので初めて増田に投下してみる。
[コラム] 「好きを貫く」ことと大企業への就職 - http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070402
大企業で働くということ - GoTheDistance - http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20070503/1178198680
を読んで、概ねほんとそうだな〜って感じだけど、
多分これに直感的に全部当てはまる!って人も全然違う!って人もいないんじゃないのか。
人間ってどちらの側面も備えているものだと思うし、考え方が変わる人もいると思う。
とりあえず、大企業に勤めて8年目になる俺なりに、考えなおしてみた。
Yes.
悔しいことに今の会社に入ってから気づいたけど課題解決型の仕事は合ってると思う。
新規創造型の仕事をしたし、させてもらえるいいポジションではあるけれど、
やればやるほどセンスがないなぁ、無理だなぁと思う。
俺にはトップに立つ仕事は無理だけど、トップを横で支える仕事が向いてる。
どちらかというと Yes.
好き嫌いやこだわりが細かくないというか、全てのことに好奇心ありすぎなんだよ俺。
なので好き嫌いを考える前にとりあえず全部やりたいと思う。
だから人に対しても好き嫌いを感じるより前に、こんな考え方をする人がいるのかぁ、世界って広い!って思う。
苦手を克服するのは苦手だと思うけど、結局好奇心のほうが勝つのでなんとか頑張ってる。そんな感じだと思う。
学生時代なら全然Yes. 今は気持ちはYesだけど体力的にNo.
これはなんというか今の会社のワークスタイルに慣れてしまった感が本当に否めない。
持久力はなくなってしまったなぁ。。
他社とか行った友達見ると、死ぬなよ、、と思ってしまうと同時に俺の仕事超ぬるいなぁと思う。
No.
自分がとても頑張った仕事でも、名前が載ることはないに等しい。
あと大企業ならではだと思うけど、入社8年目にもなるのにプロジェクトリーダーとかやったことないぜ!
いつまでも下っ端。プロジェクトの舵取りは俺がやってても、リーダーは別の人。
あいつらリーディングじゃなくてコンヒュかけまくってるだけだぞ現場に。
他社の友人たちがどんどん肩書きとかもらって自分の裁量であれこれやっているのを見てると
羨ましいというのを通り越して、
他社に転職とかもう無理なんだろうなーと人生諦めてしまう感じがする。
すごく熱をいれてやったプロジェクトでも、
プレゼン自体は先輩がやる、とか
その後の経過は知らされない、とかしょっちゅう。
で、知らないうちに、自分が思い描いていたコンセプトと違う方向性に決まってて
そんなプロジェクトしらんわ!ってなる。
せっかく顔が繋がった他部署や外部の人との関係も、
プロジェクトが終わると続きづらい。
だって続くための仕事を発注する裁量がないし。もう慣れたけど。
なので、最近今後も何かしら続いておきたいという人とはSNSの連絡先を交換するようにしている。
名刺交換をする機会が多いのは、今の部署の特権なのかな。
政治的行動は好きではないし苦手だけど
責任感は強いほうだと思う。
昔だったらNo, 最近は居心地の良さに慣れてしまったんだろうYes.
昔だったら体力あったから短期決戦大好き!
今は、、ちょっと避けちゃうかも。
No.
大嫌い。
Yes.
No.
嫌いだけど、ルール作らないと効率的に仕事回らないから作る側に回らざるを得ない。
Yes.
仕事失敗してもきっと誰かがカバーしてくれるだろうし。(っていう気持ちで仕事したことはないけどな)
Yes.
うーん、いるにはいるかも。
それでも、何も考えなくてもっていうのは言い過ぎだとは思うが
専門外の職場に異動してもなんとかなるっていうのは大企業ならではなのかな。
意味はあるとおもうけど、無用の仕事を生み出しているとも思う。
なのに、本当に忙しい部署にはなぜか人がいないっていう。
Yes.
似たようなプロジェクトが他部署でもやってるなんてことはザラ。
同じ会社なんだからもっとオープンにしようよーと思うことしばしば。
明日には決めてほしい内容でも
平気で1週間とか待たされる。まじでふざけんな。
ペーパーワーク80%といっても過言ではない。
最高で8人の偉い人のハンコが必要な承認案件に関わったときはマジでアホかと思った。
これ書いてて思ったのは、入社当時とは明らかに考え方が変わってるな〜ということも確実にあって
そこについては、いいことなのか悪いことなのかまだ判りかねています。
染まってきちゃったのかなぁ。
何で嫌ってるの?と問われたから答えただけで、普段ソーシャルゲームを批判したりはしてないですよ。
えげつない重課金が自分らの趣味(MMOなりFPSなり)に影響しそうになったら重課金モデルの問題点を話題にはするし、その過程でソーシャルゲームの話が出てくることはあり得るだろうけど、なんの突拍子もなくソーシャルゲーム批判するのはよほどの暇人だと思います。基本的に違うジャンルだからきっかけがないかぎり接点がない。
Twitter でソーシャルゲームの批判したこともないかな。pixiv のアマチュアにソーシャルゲームの製作会社がありえない低価格で依頼してるというような話題について話したことはあるくらい。大体自分の好きなもの主張するのに他を叩くメソッドを選択するなんていい大人のすることじゃないし、効率が悪いです。
指摘されてるパッケージ販売型の行き詰まり感ですが、これはネットゲーマーも同じように考えてるんじゃないでしょうか?ネットゲーマー間では昔買ってたタイトルを買わなくなったという話を良く聞きますし、自分もそうです。
この問題はソーシャルゲーうんぬんというよりも、ネットや派生する情報戦略を生かせてるメーカーとパッケージを問屋に卸して終わりの時代から卒業できないメーカーの対比になると思います。
行き詰ってるパッケージ販売型は全くオンライン関係ないタイトルならまだしも、オンライン謳ってるタイトルでも、売ったら終りなメーカーがある。
パッケージ型販売だとタイトル先行というかネームバリュー先行というかそんな感じですよね。これがネットがベースのゲームだと参入コストは低めか 0 で、欲しいサービスができた時にお金を払う。これに慣れてしまったユーザーが、パッケージ型販売から遠のくのは当たり前かと。
ゲーム業界外だと、パッケージ販売型の問題点はサービスを売ることで改善してます。ソフトは低価格や無料のバージョンもあって、企業向けのサポート付きが有料といったやつです。オンラインを使えるゲームにも同じことが言えます。
一方で、殆どオンライン要素がなくてもこれだけ良く出来てるなら買ってみようかな、ネットでとても面白いプレイ動画を見たからやってみようかな、Twitter で話題になってるから・・・と言ったタイトルはたまーにあるので中身と戦略次第だとは思います。少なくとも有名タイトルが、新作だというだけで義務感で売れる時代は終わってるでしょう。
任天堂やサードがそれぞれ独自に頑張っていたのはたしかにそうだと思うんですけど、完全にライト層向けのゲームと、
完全にゲーマー向けのゲームの両極端しか無くて、その橋渡しを担うようなゲームがあまりなかったように見受けられるんですよね。
市場のデカさに目が眩んで、PS2時代の癖で「客層の嗜好なんて関係なくデカイところにゲーム出せばある程度売れる」みたいな
雑な売り方しかやってなかったように思うんですがね。
ついてる客がPS2時代後期の客とは全く違って、むしろPS1やPS2初期のパラッパとかああいうゲームを買ってたような層向けの