はてなキーワード: 地動説とは
斬新な定義で笑いを誘ったまとめ「http://togetter.com/li/186846」から発展したまとめ「http://togetter.com/li/186951」にて
、天動説や地動説の問題(天動説は、現在では正しい)は、科学史ではよく言われることです(もう飽きました)。たしかあのNHK!でもやってた。
などとほざきやがるので検索してみた。
まず見つけたのがハックルさんの記事。http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081105
たぶん地動説のことは誰でも知ってると思うが、天動説もまた誤りではないというのは、意外と知らない人が多いのではないだろうか? この前テレビを見てて、そんなことを思った。
NHKに「爆笑問題のニッポンの教養」という番組があって、爆笑問題の二人がホストとなって、毎週さまざまな学者の先生と侃々諤々の議論を交わしている。この前それを見ていた時に、たまたま天動説の話が出てきた。それは、天文学者である小山勝二との対話でのことだった。
その中で、爆笑問題の太田光が何かの比喩として天動説と地動説を持ち出してきた。そうして、天動説を「誤ったもの」、地動説を「正しいもの」の例えとして論を進めようとしたのだけれど、そこで小山に「いや、天動説だって正しいんですよ」と否定され、その比喩はすぐに取り下げざるを得なくなった。
そうして太田は、今度はまた別の話題に話を転換したから、彼が「天動説もまた誤りではない」ということを知ってたか知らなかったかは分からなかったが、それでも、それを知らない人は意外と多いのではないかと、その時に思わされたのである。
地動説と天動説は、どちらが正しいとか間違っているという問題ではない。いや、とても厳密に言うと(それは主に美意識的な意味で)そういう問題になるのだけれど、とりあえず科学的には、そういう問題にはなってない。地動説も天動説も、どちらも科学的に説明できることなのだ。
長々と引用したけど、彼がこれを書くに至ったのはNHKの番組、『爆笑問題のニッポンの教養』のようだ。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20080325.html(京大SP)
あーこれは確かに11月に再放送やったのを見てた記憶がある。でも天動説云々言っていたかは覚えていない。誰か覚えてる人いないかなエロイ人。
http://anond.hatelabo.jp/20101018212339
はあ。なんか元増田を分析したようなこと言っておきながら、肝心なところは元の文章に即して判断するんじゃなくて主観なんだね。「国語の成績が悪い」って誰かさんたちに言われるよ。
たぶん、俺が、権威主義の使用を部分的に認めていることを「主観」だといっているのだろう。
とても勉強になる。
以下の点だが、
実際、もし、ガリレオが「それでも地球は動く」と言っていなかったとするならば、1.は
という、誰が聞いても支離滅裂な文章にしかならない。単に無根拠な断定をしているにすぎないからだ。
そんなに支離滅裂でもないのでは? 実際、言ってなかっただろうし。だが、地動説は正しい。
できれば、ガリレオを例に挙げるのではなく、元増田の文章に即して解説して欲しかった。
この両者の違いは「権威だから正しい」ということを(暗黙に)前提として論証の中で使っているかなっているかどうかだ。つまり、ここで「権威主義」といわれているのは、「権威だから正しい」ということに(暗黙に)依拠した(それなしでは成り立たない)論証のことだ。
それはわかっているつもりなのだが、「論証」といっても、元増田のしかない。
元増田が反駁しているのは、実際にどこかの誰かが書いた「論証」ではなく、元増田がデフォルメしたものに過ぎない。
実際に存在する論証を批判するのではなく、権威主義だと仮定した仮想敵のことを「権威主義だ」といって攻撃してもしょうがない。
だから、議論できる対象は、元増田の文章だけだ。
完全に間違い。元増田の最初1/3は、日本の教育システム(ここでは暗黙に高校~大学学部)についてよく言われる批判に反駁しているわけで、つまり「日本の教育システムは悪い」という主張を否定している。そこが読めてないからあんたはわけのわからん主張を繰り返すことになっている。
いや、元増田が「よくある批判」を否定しているのはわかる。だが俺は、その根拠として使っているものを問題にしている。
つまり、以下で元増田が言うような、
というような部分で、「大学がそれほど悪いものではない」ということに関する根拠として挙げられているのが、このノーベル賞の記事しかないのではないか? ということだ。
「それほど悪いものではないことを認めたくないのだろう。」という元増田の言い方は、「それほど悪くない」ということは事実である、と言っているようなものだろう? で、それが事実ならば、根拠を示して説得しなければならない。
それとも、俺が見落とした根拠が元増田の文章にあるのだろうか。(まあ、根拠とみなすかどうかの解釈の違いかもしれないが…)
増田がガリレオの例で言うように、ノーベル賞のは単なるマクラで、ほかに(日本の大学は悪くないという)根拠を提示しているのならいいと思うけど。しかし、マクラだけしかないなら、それは権威主義では。
よってこれは誤り。
1,2,3すべての論旨に影響がでるということか? なんて冗談だが。
ノーベル賞の話を抜いてしまったら、元増田の「日本の大学のレベルは悪くない」というのは、それこそ「単に無根拠な断定をしているにすぎない」ということになってしまう。
はあ。なんか元増田を分析したようなこと言っておきながら、肝心なところは元の文章に即して判断するんじゃなくて主観なんだね。「国語の成績が悪い」って誰かさんたちに言われるよ。
そして、「日本の教育システム」が「それほど悪いものではない」ということの根拠は、元増田の文章中では、この冒頭部分にしかない。
完全に間違い。元増田の最初1/3は、日本の教育システム(ここでは暗黙に高校~大学学部)についてよく言われる批判に反駁しているわけで、つまり「日本の教育システムは悪い」という主張を否定している。そこが読めてないからあんたはわけのわからん主張を繰り返すことになっている。
興味がないだけ。好きなように解釈して。どうでもいいです。
もしかしたら俺の読み間違いかもしれないが、俺は以下のように解釈した。
だーかーらー、それが読み間違いだと説明してやったのに。お前リンク元の記事をちゃんと読んだのか?
お前がレスしてる元記事は「『海外大の権威』が前提となっているならばその種の論法は権威主義である」ということを主張してるのであって、「元増田は『海外大の権威』を揺るがせた」だなんて主張してないだろ。
俺はこう書いた。意味がわからないのなら、例を出してやる。
太字の部分は「ガリレオ」という権利を持ち出している。しかし、1.は権威主義であり、2.はそうではない。
実際、もし、ガリレオが「それでも地球は動く」と言っていなかったとするならば、1.は
という、誰が聞いても支離滅裂な文章にしかならない。単に無根拠な断定をしているにすぎないからだ。しかし、2.は
となり、何の不自然さもない。これは、ガリレオが言ったことというのは単なる話のマクラで、論証として使われていないからだ。
この両者の違いは「権威だから正しい」ということを(暗黙に)前提として論証の中で使っているかなっているかどうかだ。つまり、ここで「権威主義」といわれているのは、「権威だから正しい」ということに(暗黙に)依拠した(それなしでは成り立たない)論証のことだ。
よってこれは誤り。
この愛よ、きみに届け。
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100117/plc1001171802007-n1.htm
新進党、自由党…。小沢氏が政党を解党するたびに闇に消えていく政党資金、次々に浮かぶゼネコンからのヤミ献金。そんな疑惑には一切答えず、「検察ファッショVS民主主義」にすり替えてしまう小沢氏の弁舌は見事である。郵政民営化の是非を「それでも地球は回る」とガリレオ・ガリレイの「地動説」にすり替えてしまった小泉純一郎元首相もびっくりの論理の飛躍ではないか。小沢氏の「鬼の目の涙」にすっかり騙され、「民主主義のために戦う」と息巻く議員が多数いたという。「民主主義と衆愚政治は紙一重」というのはホントですな。
情報強者って「真実を知っているもの」ではないと思うんだがねぇ。
その自治体、もしくは国から旨みだけを吸って逃げる事ができたものが、情報強者だ。
情報を知っていることで、他人よりも上手く立ち回れるから情報強者なのであって、結果失敗したのなら強者でもなんでもない。
むしろ、弱者。
コペルニクスが例で出ているが、天動説が常識の世の中で地動説を説いた、なんてのは情報強者でもなんでもない。
それは時に天才とか呼ばれる異常者なだけだ。
地動説と言う考えを人よりも早く知って、その価値に気付き、それで財を成したものがいれば、その人こそが情報強者だ。
人は縁が大事。
1人の情強がいくら叫んだところで無視されるどころか潰される。
情強はネットで強いかもしれないが、所詮社会では受け入れられない弱者なのかもしれない。
情弱は縁を作りやすい。たとえ烏合の衆であっても、集まりは強い力だ。
みんなで情弱を目指そう
みんな戦時中を思い出してほしい。
軍の暴走は誰も止めることも出来なかった。
マスコミはこぞって軍の勝利放送ばかり流していた。実際は負け戦だったのに。
情強は知っていたとしても、いくら叫んだところで、へたすりゃ非国民扱い。憲兵に連れて行かれることだってあったんだ。
縁を作ろうと誰かに話すものなら周りからあぶり出される。マイノリティでは縁を作るのも難しい。
ストレス貯めるより情弱の方がのびのび生活できるし、社会に受け入れられる。
極論かもしれないがこういうモデルをみると、今の社会にも当てはまることはあるのではないだろうか。
世の中は情強が有利というわけではなく、縁や、大多数に都合がよい情報を流す人が受け入れられる。
そいつらは情報強者が良いという考えは誤りでは無いのだろうか。
それならば情弱と煽っている人間は自分が社会的に受け入れられてない人間だと自ら認めているのではなかろうか。
※自分が考えている情強と情弱の定義がずれているようなので提示します。
組織の中で繋がりを持ち、成長出来るヤツは情強ではなく、縁が強い人間ということで。
批判は色々あるだろうが、情報強者が社会からハブられるという真実は変わらないよ。
コペルニクスが地動説を発見して情報弱者に発信したところでハブられた。
情弱が大多数の世の中でいくら情報強者になっても受け入れられない。
大多数が情報強者の視点に近くなって初めて受け入れられることだとおもう。
99人が情強になったとすれば、その集合はすでに情弱になってるんだよ。残り一人はその集合よりさらに弱い情弱なんだよ。
その点で言えば、確かに行き過ぎた情弱もまたハブられるかもしれない。
しかし、より弱い情弱は社会から法律で守られるのもまた真実でしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20091104121919
戦後には社会そのものが存在しなかったんだよ。そこに情弱が情強を認知するすべもなかったからハブりようもなく、また情強もハブられることもなかったんだよ。社会は新しくできた情強をハブるようにするシステムが出来ていると思うよ。
そして今は誰かが作った社会がある。その中で情強というものはハブられるように出来ているんだ。
矛盾と思うだろうが、個々にある社会という輪の中で情強が発生するとハブられるというシステムの原理は変わらないと思うよ。
では情強はどうすべきか。
別の大小様々な新しい社会を作って情弱を囲むことでしか生きることは出来ない。会社、宗教、学派、党、家族。
大きな視点から見ると情報強者になればなるほど、ピラミッド構造のように少なくなり、孤独になる。
神は恐れられて孤立しても問題は無い。
しかし、人間は別だ。孤独では生きていけないし、なにより寂しい。
たとえ貧しいとしても、周りに同レベルの情弱しかいないのならば幸せだ。
それでも幸せを捨てて情報強者になるならば、新しい社会を作れ。
情報強者はそこでしか生きていけない。そして社会が完成されればちやほやされるだろうがその社会ではあがめられて孤立する。
孤立した君は同レベルにある別の社会の情報強者との縁を探し始めるだろう。
その苦労を受けたいのであればどうぞご勝手に。
この文章という小さな社会が幼稚に見える人は「自称情強乙ですw」とでも笑っているだろう。
中傷している側にいたほうが幸せだろ?
君はどちらを選びますか?
> 何世紀かのちにやっと理解されるような難解な数学の理論を編み出したからではない。
何世紀かのちにやっと理解された難解な数学の理論って具体的にどのようなものがあるのでしょうか。
生前に理解されなかったとされるガロア理論も、数十年後にリューヴィユによって解明されています。
未解決問題が何世紀かのちに解決されることはありますけど、証明がきちんと書かれている理論で、
(数学者の間でも)理解されるのに何世紀もかかる理論は聞いたことがありません。
天動説を疑似科学として持ち出すような人というのが、私のことであれば。良く読んでとしか言いようがないです。
地動説が正しく、天動説が誤りであるってどこに書いてあるか、教えて欲しいですw。
天動説がデータを取っていたというのはその通りですね。私の言い過ぎでした。
そもそも、主題とは関係ない事かと思います。主題は、査読を拒否するか、否定するなら、きちんと論文の形をとって、査読者を集め、しかるべき科学の手続きを踏めという事です。その主題に置いては、天動説も地動説も確かに正しいですね。しかしながら、しかるべき手続きを取った結果、現代では地動説の方を一般的理論として取り扱うのが一般的かと思います。
まぁ、こうやって、議論を重ねて、誤解を解いて、指摘があれば反論して、それでも、残る物が科学かと思います。
という大元のタイトルに対して、
「これまでの経験から考えて、神に頼っても何もしてくれない可能性の方が高い」と信じるならば、実験と理論で説明せよ。
そうでないならば、保留して、汝が信じることを実験と理論で説明せよ。
たとえ、証明できなくても、実験を積み重ねることで、この方法では証明出来ないという事の証明になり、それはそれで、科学の1ページとして、輝かしくはない物の立派な科学の1ページだと。
私は科学をそのように思っています。
天動説云々は同意するけどね。
天動説を疑似科学として持ち出すような人をたまに見かけるが、教科書にあるから学校の先生が言ってたから地動説が正しいとか思い込むことこそ非科学的なんだけどね。
言いたいことはわかるけど、それはプロの間でしか通用しないよ。一般には、教科書にあるから、本に書いてあるから、立派な先生が言ってるから、だからきっと正しいんだろうと考える。そういうものでしょう?反証可能性だの論文だの、普通の人には無関係だもの。そこんところが問題なんじゃないのかな。
よくこういう勘違いあるけど天動説でも千年以上実用に耐える天体運動の予測ができてたわけで証明なしに正しいとされていたわけじゃない。観測結果に基づいて正しいとされていた。それに相対論的には絶対座標自体がないんだからどっちが中心でどっちが動いてるかなんか解釈次第でこれに反証可能性なんかない。どちらが実用的か程度の話。
天動説を疑似科学として持ち出すような人をたまに見かけるが、教科書にあるから学校の先生が言ってたから地動説が正しいとか思い込むことこそ非科学的なんだけどね。
「水は言葉を理解する」という命題は、「過去の水に関する実験結果は、全て水にかけた言葉と関係なく説明できる」ことから、間接的ではあるが、否定実験をするまでもなく容易に反証可能。
あくまでも、私見になってしまい、パブリックな科学論とはずれるのかもしませんが、私はこのセリフには同意できません。
なぜならば。
昔は、天動説が証明することもなく当たり前でしょう、と言われていましたが、今では、地動説の方が一般的です。
しかしながら、何百億年という単位で見た場合、実は、地球が太陽の周りを回っているというのはたかだか100億年程度の事で、あと200億年後には、別な軌道を描くもっと複雑な運動であったことが証明されないとは限りません。
地球が太陽の周りを回っていると考えるのは十分に合理的であり、天体観測上も問題なく。十分矛盾がない理論である。という事になると思います。
こういう考え方が科学であると思いますので、十分な考察と、十分な実験が無く、肯定することも否定することも非科学的だと私は思います。
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「水は言葉を理解する」という命題は、現在の科学の基本的な実験と、その命題を主張する科学者の実験に不備が見られることを理由に、「水は言葉を理解する」という命題を主張するにはデータ不十分。よって検討に値しない。
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言い方を変えると、査読を拒否するのに十分な理由がある。という言い方でもいいかもしれません。
という分には問題ないと思いますが、反証可能であるとするには、やはりそれも、データ不十分である。ほとんどの人が唱えている「水は言葉を理解しない」という命題もまた、査読を拒否するのに十分な理由があると思います。(他の実験とかいわれても、他の実験は他の実験で条件が違うのに、何か言われても困りますと。もっとも、必ずしもそうでもない事も分かりますけれども。きちんと、論文としての体裁を整え、どの論文のどの実験と、どの実験の結果を基に、どういう風に考察して、けっか、どうである。という条件をそろえてくれないと、査読することが不可能という意味:科学的というならば、そういうことかと。それ以外はディベートかと思います。)
既存の科学に、実験と理論で、新しい1ページを追加していくのが科学かと思います。であるならば、証明可能かどうか?という事は科学に値せず、証明することが科学かと思います。反証不可能な事については、現代の科学では証明・不可能と判断を保留した方がよいと考えています。
So-net blog:正己の異論・反論:アッシュの実験:同調しちゃう
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
多数者の利己主義 vs 民主主義 - OhmyNews:オーマイニュース
平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントをトラックで突破するときでした。
それまで何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。
それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、
結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。
そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。
みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。
そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
(中略)
さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、
「ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、
本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。
戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。
第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Japanese JoongAngIlbo | 中央日報
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯く
404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり
同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。
搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社と競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。
この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。
泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。
Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本
秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
例えば、ナチス政権下のドイツやスターリン時代のソ連やポルポト政権下のカンボジアで
空気読んで行動するってどんなことか考えてみよう。
「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。
すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」
この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、
マルティン・ニーメラー - Wikipedia 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia
原題直訳の「いじめっ子、いじめられっ子、そして傍観者」の方がインパクトも強く、また内容をよく表している。
何と言っても本書の特徴は、いじめの当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。
そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、
たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護と補償しかなされないが、
いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、
「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。
Amazon.co.jp: いじめの根を絶ち子どもを守るガイド―親と教師は暴力のサイクルをいかに断ち切るか: バーバラ コロローソ, Barbara Coloroso, 冨永 星: 本
ミルグラム実験とは、1962年、米イエール大学の心理学者、スタンリー・ミルグラムによって行われた人間の服従性を研究するための実験である。
実験は第二次世界大戦におけるホロコースト研究の一環として、1961年に逮捕されたナチス高官のアドルフ・アイヒマンの裁判を受け、
「アドルフ・アイヒマンとその多くの部下達は、単に上官の命令によって虐殺をおこなったのか。
彼等を共犯者と呼ぶことが出来るのか」という疑問に応えるべくして行われた
はてなブックマーク - asahi.com:「通報者の責任追及を」申入書 横浜市大謝礼金問題 - 社会
CiNii - 徳島県における人口密度及び学校の規模といじめ・不登校の発生率との関連
いじめと同調圧力 - サムガイズの日記〜You learn something new everyday !〜
大学側の調査に対し、
関与した学生らは「今までやってきたことがなぜ悪いのか」などと話したため
性質が根本的に違っている別理論と、ある理論のサブセットに過ぎない理論の話は別だろ。地動説で言うならば、「全ての惑星が太陽の周りを回っているものだ、とする説」と考えるか、「地球が太陽の周りを回っているものだ、とする説」とするかの差。広義の(科学・社会学分野における)ロング・テール理論は、狭義の(マーケティングにおける)ロング・テール理論の下敷きとなっているわけで、前者は後者を内包している。
まあ、後者は単なる性質の表現に過ぎなかった前者を元に、行動戦略として発展させ具体化しているわけで、単純に内包されているわけでもないが。
昔から歴史学者と地質学者は「見てきたような嘘を言い」と陰口を叩かれるわけだが、君のはそのさらに水割りという感じだな。しかも薄すぎる。
君がガリレオのことを言っているのだとしたら、彼が(たまには歴史に残る事実も語ったけど)実際はトンデモ科学の急先鋒だったということをどう踏まえるつもりなのかな? もしブルーノのことを言っているのだとしたら、地動説など彼の主張のごく一部に過ぎなかった(しかも科学を宗教の道具に使った)ことをどう踏まえるのかな?
科学の世界では、「科学とは何か」という定義すら科学の進歩によって否定されるものだ。史観で語るのは結構なことだが、過去の話を持ち出すのは嘘がばれないってだけで、その場限りのディベートでもない限り、あんまりためにはならないぞ。
判断が難しければ少数派に与すれば良いのではないですか?また、「文章力のない電波が多数に諭されている状態」であっても、少数派に与すれば、たとえ判断を誤っていてもネットイナゴにならずに済むのではないですか?どちらの状態でも、多数派に付く強い理由が見当たりません。
(中略)
はい。文章は誰かの為に書かれた文章である可能性が高いです。
言いたいことはわかりました。しかしあなたは自分が結局のところどういう主張をしているのか、自分で把握できていないように思われます。
たとえば天動説を頑なに信じ、いろいろなところで天動説の正しさを吹聴しまくっている人がいたとします。これに対してみんなが地動説の説明をしているとします。
ぼくはこの状況を「電波が多数に諭されている状態」であると迷うことなく判断します。そして、もし自分にうまい説明が思いついたら多数派に回って一緒にこの電波を諭します。
しかし、もしあなたがこの場に居合わせたとしたら、あなたはこれが「少数の為のテクストがネットイナゴに食いつかれて炎上している状態」かもしれないと考え(というかその判断を放棄し)、傍観者を決め込むか、場合によっては天動説を擁護する言説を繰り広げるでしょう。
なるほど、あらゆる文章は誰かの為に書かれたものです。そして、この電波の文章も、天動説の賛同者を増やすために書かれたものでしょう(そうでない場合もありますが)。そして、天動説が正しく地動説が誤りであるという、万に一つ、億に一つの可能性も否定しきれないのも事実です。したがって、あなたがこの電波を擁護したとしても、多数派を納得させうる根拠を提示したうえでのことであれば何も問題はありません。
しかし、あなたの言っていることからすると、この場合にあなたが電波を擁護したとしても(そして特に何もせず傍観者に徹しているとしても)、あなたはその場の状態が「電波が諭されている状態」か「ネットイナゴに食いつかれている状態」かをまともに区別せずに盲目的にそうしているにすぎません。そうである以上、自分の主義主張を持っていないという点で、あなたはこの電波にも劣る輩であると言わざるを得ません(もちろんあなたがそんな輩でないことぐらいわかります。しかしあなたの言っていることはこういうことです)。
ぼくが
あなたは「当該事象が「(略)」か「(略)」か」という区別をする意味をまったく考えようともせず、区別をする姿勢を放棄して、「そう言えなくもないかもね」レベルの形式的な側面のみを取り上げているにすぎません。
と書いたのはこういう意味です。あなたは現実との対応関係をよく考えず、言葉と言葉の形式的なつながりだけで議論を展開しています。だからそんな変な主張をするはめになるのです。