はてなキーワード: 家内とは
都内住まいでいまは在宅に仕事をシフトしたから、稼ぐことについては厳しくないけれど。
管理組合をやっているマンションでコロナウイルスの患者さんが今日でもう4人目。80世帯ぐらいの中層マンションだから、確率からすれば確かに出てもおかしくない。
でも独居のお爺さん、本当に辛そうだった。救急車に乗って行ったのを見送ったけど、たぶんお見舞いにも行けないしこれで私からすれば最後の見送りになるのかな。
それと、小さな一間で暮らしてたシングルマザーに娘ちゃん二人のご家族、一人で奮闘してた奥さんがコロナ疑いで緊急入院。
エレベーターホールで一昨日体調悪そうにゴホゴホやってたけどやっぱりか。
娘ちゃんたちどうするんだろう、家内がピンポンしてお家にいるのは分かったので、お弁当買ってきて、渡してあげたけど食べられているかな。
下の子はまだ歯もちゃんと生えてなくて一歳ちょっとだろうし、瓶詰の離乳食を温めて。
どこにも行くところ、無いよなあ。可哀想すぎる。こっちの身も危ないけど、どうにかしてやらないとなと思いながら、清掃のおばさんも来なくなったし、仕方なく買ってきた消毒液をエントランスに巻き、一日三回、エレベーターのボタンや出入り口の取っ手を拭く。
とはいえ私も家内もどちらかダウンしたら家事も育児も回らない。明日は我が身だし、外出控えたいけど身の回りで困っている人がいるのなら少しでも助けないといかんだろうし。
みんな、どうか、生き延びてくださいますように。とにかく、だいじに。元気に。
(センター試験で話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)
底本:原民喜戦後全小説 下(講談社文芸文庫)1995年8月10日第1刷発行
I
私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫の魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。
その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかに、もっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初「孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。
彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身の青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予で最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。
岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものをノートし、まず文体の研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。
それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。
私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのものを顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部に入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人と同棲した暁には、染料の会社を設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである。
日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線へ派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞の第一面、つまり雑誌や新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見たものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院で殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。
岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。
たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌に掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初の召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京で文化方面の役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズは役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。
既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活に飛込んだのだった。ところが、その相手は資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである。
II
私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに、満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇のほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。
私は妻の遺骨を郷里の墓地に納めると、再び棲みなれた千葉の借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃である。サイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである。
私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉の借家へ移った時のことである。私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。
私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラと千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴムの長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。
「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。
「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、
「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。
その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。
私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日、八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋の小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好がおかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋の小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。
目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたとそっくりの写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。
冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥は簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。
翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真が満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。
その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体で台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである。
そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服の青年が歯医者に挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年も助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。
それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後の消息であった。その後私の妻の病気は悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。
その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客の歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅の作品の暗い翳を思い浮べるのであった。
伝統的に「夫婦」と呼ばれてきている関係性について、事実婚や同性婚、ステップファミリーからポリアモリーに至るまで、あらゆる多様性を社会的に是認すべきとの意識が──おそらくは電博の広告代理店がらみであろう──逆に「多様性を認めなければならない同調圧力」とも受け取れる風潮にまで高まるにつれ、最近では夫を「旦那(さん)」「(ご)主人」「亭主」、妻を「奥さま」「家内」などと呼ぶことも憚られると聞く。なんでも、知り合いの知り合いのアメリカ帰りのフェミニストによれば、それらには主従関係が含意されているから、代替として日本でも「パートナー」と呼ぶべき、と提唱しているらしい。
確かに、男尊女卑は良くないし、近代の女性解放運動や婦人参政権運動には敬意を抱きつつも、だかしかし現実の我が国の日常会話で唐突に「ところでお宅のおパートナーさん最近お見かけしないわねえ」などと切り出そうものなら、日米パートナーシップ協定のことなのか夫婦関係のことなのか混同されるリスクも相まって、こちらの気が触れたのではないかと勘繰られても文句は言えまい。
どうせ横文字を使うならdarlingとhoneyぐらいが洒落っ気もあって妥当な線だと思うが、何でもアメリカにならえではどうも釈然としない。第一、文化的多元度が高く、発した単語が一人歩きしがちなアメリカと違って、ここはハイコンテクストな日本社会なのだ、仮に字面に「主」が現れていようと、特定の宗教に語源があろうと、そこに女性を蔑む意図のない文脈であればどんな呼称を用いようが受容できる社会こそダイバーシティだろうに、とは個人的な偏見だろうか。
とはいえ、今後「ご主人」「旦那さん」「奥さま」などと呼ばれることに拒否反応を示す人が増えることも見込まれる。試みに類語辞典で検索をかけてみると、男性には「宿六」がヒットしたが、女性側に主従関係から独立したフラットな呼称は見当たらなかった。もっとも、男女の区別をしている時点でまだまだ私もフェミニストの標的になりかねないので、以後、男女問わず「宿六」の呼称を用いて行くべきかとも思う。
世の中に無駄なもの等ないというが、酔っ払いのゲロだけは無駄だと確信している。
飲んで吐くのが許されるのは程度が分からない若い人、100万歩譲って社会人1~2年くらいまでだと思う。
いい大人が吐くまで飲むのは本当に人間としてとても恥ずかしいことと、いい加減自覚してほしい。
そしてそのブツを放置すれば、遭遇した人の一日をたちまち不幸にするトラップ型の戦争兵器だ。
つまりこの平和な日本で地雷を設置したといっても過言ではないと思う。
トイレで吐けばセーフとか、酔って体調が悪いのだからしょうがないだろうという問題ではない。
一応前提として、酔っ払いが吐くのと、一般的に体調が悪くて吐いてしまう人とは扱いがまったく違う。
病人や体調が悪い人はどこで吐いてしまっても気の毒で心配の対象である。
体調を崩しやすい子供や病人が具合悪くて吐いてしまうのはしょうがない。
誰も自ら好き好んで体調を悪くするわけではないし、普段から予防を心がけても胃腸炎になってしまったりするからだ。
それは酔っ払いのと同じ掃除だとしても、誰もがなりうるし、しょうがないものだと許容できる。
しかし、飲んで吐くやつはどうだろうか。
飲まない、もしくは吐かない程度に抑えるという簡単なことで調整できるはずだ。
確かに世の中にはそれが簡単ではない人たちもいるかもしれないが、
普通に正社員で会社勤めしているような大人ができないわけないだろう。
簡単にできるのに、それをわきまえずに平気で『不幸』をまき散らしている。
いくら稼いでいようが、地位の高い人だろうが、すごい功績を残したやつだろうが、
吐くまで飲むやつは平気で他人を犠牲にし、思いやりがない。これは真理だ。
そういうやつは「人間として」信用できない。
残念なことにあまり自覚がなく吐くまで飲んでいる人がいるかもしれないが、
そういう人たちはまず、他人のゲロを片付けるボランティアでも5年くらいしてみてほしい。
常日頃から自分が出す100倍の人数分は片付けているという人であれば、納得はできないがこちらも理解はしよう。
お金をもらって片付ける人たちはいるが、そもそも積極的に汚す人たちがいなければ必要最低限で済むはずで、
そういう意味で社会に逆貢献しているのが許せない。汚す奴が片付ければいいのだ。
にも関わらず酔いつぶれてそのまま寝て、あろうことか記憶をなくしてその贖罪を怠り、繰り返すということが本当に腹立たしい。
また、吐くまで飲むやつは、酒造メーカーが飲んだくれを吐かせたくて酒を造っているとでも思っているのだろうか。
きっと小学生に聞いてみても「みんなでおいしく飲んでほしいと願っていると思います」と答えるはずだ。
一緒に食べる料理もだ。
酒と一緒に苦しそうに吐いてもらいたい!と心を込めて作っている料理人がいるとでも思うのだろうか。
使われている食材を作った人たちもだ。
直接知ることはないにしても、本当に思いやりがない。
お金を払ってるんだからいい、トイレで吐けば迷惑がかからないという話の問題ではないのだ。
例え直接迷惑をかけてないにしても、他の行動、習慣、決断でもそういったスタンスは表れているはずだ。
きっと自分が気づかないうちに誰かに見透かされて信用をなくしたり、いつか大きな失敗につながる。
それでも、そんな吐くまで飲むやつでも身内であれば、家に帰ってくれば保護するしかあるまい。
しかし、それは捨てられた子猫や、迷子の子供を保護する感覚とは違う。
とはいえ最初のうちは、そういう日もあるし、誰だって失敗はあるしとあたたかく家に迎え入れ甲斐甲斐しく介抱する。
でも段々気持ちは変わり、「今回は酔いがさめるまで断固として家の敷居を跨がせたくない」という気持ちになるが、
「大事なお金や貴重品をとられたり、警察のお世話になってしまったりしては後々面倒になる」と考えるようになる。
いやといやを天秤にかけて、家に入れるほうが総合的な被害の期待値が少ないと見るから家に入れるようになるのだ。
それも通り越して、「もう後々面倒になってもいい。いい機会だからどうにでもなってくれ。」となるとドアにチェーンがかかっている事態となる。
かなり重篤だ。
うちの家内は、多少小言をいうくらいで許してくれているようだし大丈夫と思っている人がいたら要注意だ。
過去に1回でも酔っ払った時のゲロ掃除、ゲロを吐いたトイレの掃除をさせたことがあるなら、普通の人であれば少なくとも多少根に持っている。
「飲んだら乗るな」という言葉が日本全国に周知されてて久しいが、
いいか、吐くまで飲むな!
「husband」と「主人」に関するつぶやき(2019年分 その3)
うわ
おまけに「主人」なんて訳してる
husbandのことかな?
ただでさえ、なんだクズヤロウの話かよ!💢ってなったのに
ガッカリすぎる— Fレド猫2号 (@ledneko2) 2019年10月9日
旦那とか主人とか嫁とか奥さんとか家内とか、自分の配偶者をそう呼んでる人見るとええーそんな男尊女卑な関係ですか!?って思っちゃう。そんなこと考えて呼んでないだろうけど。
でも身内なら夫、妻って呼べるけど、他人の配偶者を呼ぶときは困る。your husband! みたいなシンプルな日本語くれ!!!— おんもも(ちょむ) (@kitchom612) 2019年10月16日
何かあったときに起こる心配という感情が、解決すると迷惑をかけられたという怒りに豹変するのも日本独特な気がします。また敬語などのせいで対人関係を対等にし難いのも日本語の特徴でしょうか。主人とか旦那とか、奴隷か施しを与える立場の言葉が未だにさらっとhusbandに使われるし。— Hyattトヨタ不買 (@Jintonik2) 2019年11月15日
洋画で女優さんが「husband」って言ってる部分が日本語字幕で「主人」って訳されてて、ほんと嫌い— へずちん (@uZmVIWZ9lLpaB43) 2019年12月4日
「husband」と「主人」に関するつぶやき(2019年分 その2)
昨日 https://t.co/35O4nAmGna を見てたんだけど、ニコール・キッドマンが"my husband"って言ったところ字幕だと「主人」になっててキモ!と思った— まにちゃん (@maniwatori) 2019年7月9日
私未婚ですが
旦那 、主人反対派です。
対等な関係だと思うので
夫もしっくりこないので
〝ハズ〟と呼んでます。— 📚miwa📚 (@385miwa385) 2019年7月25日
"wife"と"husband"ならほぼ同列だと思うんですが、「家内」と「主人」(一応レディーファースト)だと明確に上下関係が存在する感じ。「愚妻」なんて言葉もある。惰性で今後も続くんでしょうが、いかにも後進国な感じ。— ジュタロー@つまらない話 (@jutaro2007) 2019年8月9日
あと海外ドラマでhusbandが「主人」「ご主人」と翻訳されてしまうのがなぁ。— 30🌈サイテー!ハイスクールにシーズン2を! (@3030tdg) 2019年9月16日
前RT 海外のドラマを見ていて、字幕、吹き替えで「主人」って訳されるの見ると、すごく引っかかる。「husband」っていってるのに夫ではなく「主人」って。— 三浦ゆえ@1/12本屋B&Bでイベント司会 (@MiuraYue) 2019年9月27日
わかる。英語だと他に言い様がないからmy husbandって言ってたけど、日本語で夫は耳慣れないし、主人とは絶対言いたくないから旦那って言ってる。当初は旦那様だったけどある時点で様付けに値しないと思ったから呼び捨てになりました。>RT— papiel (@pa_piel) 2019年9月28日
「husband」と「主人」に関するつぶやき(2019年分 その1)
奥さんとかお嫁さんとか旦那さんとか主人とかどれもしっくりこないのでwife、husbandって言葉を使ってます。たまにhusbandをええ感じの発音で言ったりします。— あっこ (@akko_osaka) 2019年1月29日
二言目にはダンナの悪口、世の奥さん達、なぜかそんなしょうもない存在を「主人」と呼ぶ不思議なならわし、主人は英語では the master。家内、嫁、旦那、亭主、、、時代に合わない日本語、せめて妻wife、夫husband、又は別の呼び方をすべき。— 松ちゃんJapan (@p5mtsmt) 2019年2月19日
こっち(香港)で中学生に「主人=husband」って説明したときも「字面も意味も完全にmasterなのになんで夫の意味なの……!?意味わからないし衝撃……。」みたいなリアクションもらったなぁ……。いい加減これに代わる常用呼称考えた方がいいと思うんだよね……。説明するこっちもいたたまれないし。 https://t.co/ALK37O1UpL— フランス語で猫の舌 (@kkggcc) 2019年2月20日
ちな、おなじアプリで日→英翻訳すると
主人→Husband
とでてくる( ´・ω・`)
(ご主人様はMaster)
(Google翻訳だと
主人→Master
ご主人様→Masterと出てくる)
日本語に適応させた結果だと思うけど 物悲しい— てく (@teikuuhikouki) 2019年3月16日
そもそも、女性が連れている配偶者(と思しき男性)を指す言葉で「ご主人様」「旦那様」が長く一般的であったことに、日本語そのものに染み付いている女性蔑視の根深さを感じます。
主人は英訳するとhusbandではなくmasterですし、masterの対義語ってslave(奴隷)とかservant(召使い・使用人)です。— ピルキュリアス🌻宇宙DJ🌸🧷🎅🎄 (@pillxpill) 2019年5月3日
まぁ英語圏の人に自分のパートナーのこと紹介するときは
my husband,〇〇
pls call 〇〇
っていうし、主人とか旦那とか言うのは違和感だわ、やっぱ— Rie rei RiL (@RiiiL111) 2019年6月16日
炊いた白米を食べていて茶碗のへりや米粒の表面から数ミリの小さい毛を見つけたことはないだろうか?
~ ←こんなのとか ^←こんな感じの小さく薄く細い毛だ
それは 手(甲側)の指の付け根より少し上にある産毛みたいな小さな毛だと思われる。
米を素手で研いでる時に指がそこまで浸かり毛が抜けているのだと思われる。
それでその毛と米が混ざり、炊いてる時にその毛のダシが出ているのである。
「米は自分で炊くし指が浸からないから無関係」という人もいるかもしれない。
いままで家内や知人や第三者が炊いてくれた米は素手で研いで毛が混入した可能性がある。
. .
…話は変わって、次は「人は知らず知らずにやられたら誰かにやりかえしてる」ということ。
なぜか?
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