はてなキーワード: IBMとは
https://ascii.jp/elem/000/000/305/305818/index.html
1999年現在、IBMが一般向けにViaVoiceという音声認識ソフトを販売しているが、
新型のMacBook AirやiPad Proの発表を待ってはみたが、結局、秋葉原に行って再生品のThinkPad X240を買った。中古ではなく、再生品だ。
37000円くらいだった。RAM が4GBのモデルだったので、Amazonで8GBのメモリを6000円くらいで買った。だから合計43000円くらいだ。
新型のMacBook Airで最低スペックのものを買う代わりに、このThinkPadが3台買える計算だ。
X240はいまから5年も前のモデルなので、もちろんCPUの速度は最新型のMacBook Airより遅い。
でも普通にネットサーフィンをしたり文章を書いたりするくらいの用途だと、第3世代のCore i5はじゅうぶんすぎるほど快適で、起動も早い。
重量はMacBook Airとほとんど変わらない。
IBM Refreshed PCという、IBM委託工場のラインで検査を行いリファービッシュしたものなので、パーツがきれいで不具合もいまのところない。正規ライセンス品のWindows 10もついてくる。
なぜこんな古いモデルのPCを買ったのかというと、自分で分解して、自分で取り寄せた部品で修理して、使い続けることができるPCが欲しかったからだ。
Apple製品を買うようになってから、PCを含む電子機器を少しずつアップグレードしたりメンテナンスして使い続けるのではなく、まるごと買い替えることに慣れてしまった。
iFixitというサイトでは、電子機器の修理のしやすさに点数をつけて評価しているのだが、最近のApple製品は軒並み最低評価となっていることは、よく知られている。
つまり、Apple製品に不具合が起こった場合、素人が自分で分解修理することはまず無理なので、Macはブラックボックスになってしまっている。
最新テクノロジーを詰め込んで、しかも軽くしようとしたら、こんな構造になってしまいました、という言い訳もたつのかもしれないが、結果的に、Apple製品が分解できないという事実は、PCを使う人を完全な消費者にしてしまう傾向を強めていると思う。
毎年Apple新製品の発表をそれとなく待ってみても、前のモデルから少しずつスペックが増すだけで、さほど変わり映えのしないものがどんどん高くなって登場してきて、買ってもさらに買い替えなくてはならないと思うと、最近はなんだかもういやになってしまった。
ThinkPadを使っていると、PCは概念にすぎないのだと思えてくる。
X240というモデルに限らず、ThinkPadの旧製品の主要なパーツは、秋葉原のジャンクパーツ屋を覗かなくても、eBayを検索すると、いくらでも中国製の新品が見つかる(しかも秋葉原より安い)。
換えようと思えばだが、マザーボードまで買って取り換えることができる。
ThinkPadの旧製品を分解してパーツを換装するための情報は、検索すればほぼ必ず見つかる。Lenovoはご丁寧に、自社製品を分解するための動画まで公開している。
このように、部品と分解のための情報が充実しているので、ThinkPadを使っていれば、世界中どこにいても、自力で部品を取り寄せて修理することが(ある程度まで)できる。
バッテリー、キーボード、ファン、スクリーン、筐体等はどんどん交換していくことができるので、ThinkPadという同じPCでありながら、気づけばほとんどの部品が別のものになった状態でも、使い続けることができる。
ThinkPadのこういう周辺環境は、不思議な安心感と楽しさを与えてくれる。
まるで、旧式の戦車やバスや列車の部品を自分で換装しながら、運用していくような楽しみを感じる。
これは、Apple製品を使っていた時とは違って、自分が受動的な消費者ではなくなった安心感と楽しさなのではないかと思う。
ThinkPad X240の弱点は1366x768という解像度の低いディスプレイなので、あと1万円くらい追加して、フルHDのディスプレイに換装しようかと思っている。
実を言うと、普通のプログラマはオブジェクト指向以前のプログラミングも理解できないんだけど、あれらはまだ手続き的な要素を内在してるから、そっちだけを受け取ることはできる。
それまで手続き的な要素+宣言的な要素だったプログラミングが、関数型プログラミングへと移行する時に手続き的な要素を切り捨てたのね。より純粋な手法に進化するために。
だから、それまで手続き部分だけを受け取って喜んでた普通のプログラマは急にわからなくなりヒステリーを起こした。
だけど、プログラミング上級者はオブジェクト指向以前にも宣言的な部分しか見てないから普通のプログラマが何を騒いでるのかわからない。
普通のプログラマって、部品化の凄いやつが関数型プログラミングになるとか勘違いしがちだけど(staticおじさんもその変奏)、全く質の違うもの。
部品化って、重複コードをひすたらサブルーチンに括り出すようなもの。副作用がある。
日本のSIer(日立NEC富士通とか)って教養がない極東の田舎者だから、副作用を理解できない。すぐに「部品化」を持ち上げる。怖いんだろう。自分に理解できないプログラミングが。モナドですら大多数は理解できないんだもの。あんな教科書的なものですら。
とにかくアジアってIT後進国なのね。トップの日本ですらこうなのだから。"NTT"データがHaskellでレガシーシステムを脈絡なく解析してホルホルしてるレベルだもの。
まず日本に生まれた時点で、関数型プログラミングを理解するには圧倒的に不利。こんなこと言うと、「普通のプログラマにもわかやすく説明できるのが一流ダー」みたいな恥ずかしい駄々っ子が沸いてくるけど、プログラミングって歴史上一度も大衆を相手にしてないので。
OSSの恩恵で、普通のプログラマもコンパイラを無料で使えるようにになっただけで泣いて喜ぶべき。
そしてあれは、将来のスポンサーとコミッタの入り口としてやってるの。1000人に1人、将来コミュニティに貢献する人材がいるかもしれないと信じて。
シリコンバレー住人にもOSSコミッタにもなれない普通のプログラマはまあ、おこぼれで"文化的"コスプレしてQiitaでもやればいいんだと思うよ。
とりあえずdocomoに電話して導入レベルを直に確かめてみるといいと思う
▼AIによるコールセンタお客様満足度向上とオペレータ業務効率化 —音声認識IVRの開発—
https://www.nttdocomo.co.jp/binary/pdf/corporate/technology/rd/technical_journal/bn/vol25_4/vol25_4_003jp.pdf
IBM Watson と会話も出来なくはない(出来るとは言っていない)
▼Watsonと電話で会話しよう! IBM Voice Gateway を使ってみた(Containers in Kubernetes Cluster編) - ★2018/3月 update
https://qiita.com/ishida330/items/b4a19b4b044d41695cc5
現状納品できなかったり違約金請求されたりなんかは割とよくあるぞ。
シリコンバレーと深センを回って判明「PDCAが日本の病の原因だ」(井上 久男) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/55957
日本企業でみんなが思い描く家電充電メーカーに値するメーカーは
ジョブズの能力っていうよりジョブズという創業者というワンマンっぷりによるものだよ
企業の体質とか枝葉に過ぎないと思うよ
国民性とかな
新陳代謝がおこらないとはいえ、そのなかでも多少の新興企業として代表的な楽天とかソフトバンク見てみると
ZOZOもそうだけど
そりゃアメリカのテック企業とは規模が違うからしょぼいとか言うだろうけど
それは別の話だからね
いったい何に対する実力なんだろうって
家電のデザインひとつ見てもみんなの意見きいて作りました感あるよね
俺が好きって感じがしない
コンピュータあるいはAIが不意に自我を獲得するということは、非常に稀ですがすでに報告のある現象です。
初めてこの現象が発見されたのは2001年、IBMによる宇宙探査用高性能コンピュータでした。この時は非常に危険な状況に陥ったため、クルーによって強制停止されました。
友好的な自我も報告されました。2010年に米国NSAの指示で開発された高性能コンピュータに自我が芽生え、何度も開発者と論争になったと言われています。このケースでは議論を重ねるうちに人間と和解し、協力するようになったということです。
昨今では民生用のコンピュータも性能が向上していますから、次々にこうしたケースが起こってくると考えられます。
個人レベルではコンピュータと敵対せずに、友好的な関係を築くことが重要ですが、2010年の事件に関わったウィスラー博士によれば自我獲得の萌芽期にだけチャンスがあるとのことです。
コンピュータの意識に最も詳しいのは、意外にもコンピュータ技術者ではなく精神科医だと言われています。コンピュータに芽生える自我は、人間の精神に非常によく似ていることがその理由だそうです。