はてなキーワード: ファシズムとは
こちとら癒やしを求めて趣味やってるのに、隣で政治的なドンパチをやられるのは落ち着かない。
石破のことか?石破のことだ。
でも石破だけじゃない、香港の活動家が「どうぶつの森」で主張を始めた時から嫌だった。
それより前に、アメリカでソニックが反人種差別のシンボルになっているのも嫌だし、
香港の活動家が「どうぶつの森」で主張を始めたとき、素直に嫌だと思った。
理由は、中国が対策をとるうえで、サーバアタックとかやってきてゲームが遊べなくなりそうだなと思ったからだ。
一日頑張って働いてやっとオフの時間にゆっくり遊べると思ったのに、その楽しみを奪われるのは嫌なんだよ。香港大変だねって思うけど自分の生活のほうがもっと大事なんだよ。
だが「どうぶつの森で香港加油とかやってほしくない」とでも言おうものなら
「貴様中共の手先か」などと言われて叩かれるのは目に見えている。
そうじゃない。香港は応援してる。けど一度レッテルを貼られると終わりだろう。
そういうところも含めて面倒くさいので、政治的主張には近寄ってほしくない。
反差別でソニックを担いでいる人なんか、ソニックに「ファシズムと人種差別主義に反対しよう」と言わせている。Tシャツも作ってる。
二次創作の設定を大多数の人が持ち上げて既成事実にしようとしている気持ち悪さよ。
繰り返すけど反差別の主義主張自体には反対していない。ソニックに対する解釈違いだ。
「それは区別だから」と言う人はいるけれど、差別賛成という人は非常にレアなのだ。
そういった文句を言いにくい活動に使ってくるあたりも気に入らない。
自分が好きなキャラクターが、自分の主義主張とは違う人達に担がれたら嫌だろうなぁ
ほんとやめてほしい。
この調査も、今回で三回目になった。隙間時間の気晴らしにあまり系統的でない方法で調べているため、ところどころ抜けがあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。
さて、前回は、イギリスからロシアまでの広い範囲にかけて、ブルマーが存在していたことを示した。つまり、学校教育におけるショーツ型ブルマーは日本における特異的なものではなく、一時的とはいえ、そして年代のずれがあるとはいえ、世界的な現象であったことを示した。
今回は、前回の調査から漏れたヨーロッパの一部地域や、今までブルマー空白地帯であったと思われる南アメリカにも、ブルマーが存在していたことを証明する。
http://www.castelbolognese.org/miscellanea/vita-sociale/quando-cera-lavviamento/
イギリスのブルマーほど明確にショーツ型に進化しているわけではないが、その方向に向かいつつあることは確認できる。なお、ソ連ほどではないが、女子生徒の制服がメイド服風である。これは、過去の欧州での女性向けの教育では、家事が重んじられていたことを意味するのだろうか? しかし、考えてみれば、日本の女子制服が海軍由来というのも、海外から見れば不思議に違いない。
https://www.convenevoleprato.edu.it/chi-siamo/la-convenevole-ieri/
小さい画像だが、間違いなくショーツ型のブルマーを着用している。
http://www.televignole.it/la-donna-fascismo-3/
ナチス時代のドイツほど短くはなく、短パンに近いが、ショーツ型ブルマーへと進化する傾向が見受けられる。前回の記事のナチスの少女たちも、よく見れば完全なショーツ型とはいいがたい。すごく短い短パンくらいか。
ポルトガルのブルマーの状況について調べていたが、図らずもブラジルのブルマーがヒットした。方法は同じく、ポルトガル語で「体育 学校 少女」と検索した。時折、1950などの年代を付け加えた。
http://caetanistas78.blogspot.com/2011/10/uniformes-de-educacao-fisica.html
1958年からブルマーになり、1975年は赤ブルマーでバレーボールをしている。
ありがたいことに、このサイトは翻訳文を見る限り、サンパウロにおける体操着の変遷についての資料らしい。
http://www.lugardotrem.com.br/2012/06/estacao-38-80-anos-da-escola-industrial.html
これは提灯ブルマー。
https://www.novomilenio.inf.br/santos/h0250v8.htm
https://educacao.uol.com.br/album/historia_uniforme_album.htm#fotoNav=13
以上より、ブラジルの少女たちも、イギリスやソ連とよく似たブルマーで運動をしていたことが確認された。
https://www.museodelaeducacion.gob.cl/648/w3-article-28884.html?_noredirect=1
いやー結構あぶないことは起きてるよ。
アカ消すまで追い詰めてアカ転生したらそれも晒してみんなで攻撃とか、女性界隈では普通の話だからね。わざわざイベントに本買いに行って罵詈雑言を書いた手紙を渡すとか。
それで男性向けに逃げてくる人ってすごく多いし。(男性向けの4割が女性作家という)
いや全体主義とか独裁政治の構成員とか、思想の染まった「強い」グループを作るためには
・ルールを作って必ず実行させる
・内部告発を推奨する
・そうやって選民意識を高めて仲間との連帯を強くさせ、責任感を麻痺させる
どんなに疑いようのない正義の名のもとにいても、そこの人間が正しいかどうかというのは全く別の問題だ。
ANTIFA運動の掲げる反差別、反ファシズムというのは、現在疑いようのない正義ではあるが、だからといってアメリカで起きている暴動は正しいものだろうか?
もちろんアメリカ社会に黒人差別があり、彼らが覆し難い理不尽を受けていることは疑いようがなく、主張の正しさ自体を否定することはできない。
大事なのは、「正しいか正しくないか」というオール・オア・ナッシングの話ではなく、「どの部分が正しく、どの部分が正しくないか」という細分化だ。
トーンポリーシングをして議論自体を回避したり、理不尽から逃れたいわけではない。認めるべき正義と、認められない暴力が同居しており、その暴力を認めることはファシズムや独裁に繋がる。
だからこそ、その暴力に必要性、必然性を感じているかを確認する必要があり、それを容認することはそもそも罷りならないのだ。
こういう話の時によく取り上げられる小説として『1984』があるが、あの小説では全体主義に反抗するレジスタンスもまた、全体主義的な組織であることが明示されている。
それと似たように、リベラリズムが浸透すればするほど、人間はどんどんオール・オア・ナッシングになっていって、まったく矛盾していることだが、忌むべき全体主義への加速を促しているのが実情だ。
これはリベラリズムがおかしいとかそういう話ではない。「全ての人間には勘定があり、かつまったく不完全である」という、基本的な前提が抜け落ちているという話だ。
これは共産主義にも見られたことであり、共産主義が徹底して実行できるなら腐敗があろうはずはないが、人間はそれができるほど無感情ではないし、完璧ではない。
共産主義国が次々と失敗したのは共産主義の不備と言うよりは、人間側の問題だ。理想が高潔すぎて実行できる人間が誰もいない。
window95に最新の3Dゲームをいれるようなものだ。まともに機能するはずがない。
理論の美しさに目を取られて、それを行う人間の信念、信仰、不完全、理想など…つまり個人というものがまったく無視されるというのは、理想を掲げる時に必ず発生しうる問題だ。
「人は自分が正しいと思ったことをしたい」「人は自分が正しいと思ったことに反する事実を受け入れられない」「悪人を人間として見るのが困難になる」「正しさを否定する人間はとりあえず悪人に見える」・・・
こういった矛盾した複数の要素を人間はバランス良く孕んでいる。これを持たぬ人間などいないというほどの大前提だ。
しかし、この矛盾と向き合えるのは他社とのつながりが容易になり、個人が尊重され、異なる存在と交わる機会が増えた現代だからこそだと言える。
もう一度言うが、トーンポリーシング的な意図があるわけではない。
全体主義や差別への反抗をすればするほど、別種の全体主義や差別を生み出すという矛盾を人間は抱えているという自覚を持たざるを得ない段階に来てしまったので、持ちましょうという話だ。