はてなキーワード: スパスパとは
私の家が千代田区にある。
東京に住んでて長い人ならご存じだろうが、千代田区は路上禁煙である。
だが最近、ちらほらと電子タバコを車道の端で吸っている喫煙者様がいらっしゃる。
念のため言うと、千代田区の路上禁煙は歩道だけでなく普通に車道も含まれる。
といわんばかりにたばこを吹かしていらっしゃる方が点在していらっしゃる。
そして、そんな品のない方々の傾向としてドカタ系が多いようにお見受けされる。
ドカタ系の方は体力勝負なのに、体力の源となる肺を汚す嗜好物を
わざわざ他人様に迷惑をかけてまでお楽しみになっていいのだろうか。
ちなみに次点はタクシー運転手だ。車の中で吸うと匂いが定着するとはいえ
それでも外で、ましてや喫煙所でもない路上禁煙の車道で吸われるのはいかがなものか。
警察官や消防の方々がカフェでコーヒーを飲んでらっしゃるのに対して向けられる
これはまっとうで健やかな一区民からの疑問、かつ
電子タバコとしてタバコの葉を加熱して成分を摂取することによる
ただでさえ元から他人様に迷惑をかけるタバコを「電子タバコ」だから
セーフ、とまるで脱法ドラッグ(いまでは違法ドラッグであっただろうか?)
のような言い訳をしながら法的に禁止されている場所でたしなまれるのは
理解しがたく受け入れがたい。
と、ここまで丁寧にしゃべってきたものの、正直、
そこんじょそこらに禁煙のマークがあるのに罰金もまともに支払わず
と思うのだ。
愛煙家、禁煙成功者、嫌煙者、ぜんそく持ち、子育て世帯などなど、それぞれがそれぞれの最適を探して議論するのだから致し方ない。
しかし毎度毎度、これは良いあれはダメと意見が分かれているのでは状況が前に進まないのも事実だろう。
「歩きタバコ」
こいつだけはもっとみんなからバッシングされて良いんじゃないかと思うんだ。
自分が住んでる地方都市では、歩きタバコをする人間がすごく多い。今朝だけでもそこそこ通勤で人通りの多い場所でも5人は見かけたし、お昼時に至っては歩道を2~4人の男が等間隔に並んでみんなでスパスパしてたりする。昼ご飯を食べに歩いて5分程度移動するだけで、往路に5人、復路に5人、計10人の歩きタバコに遭遇するなんてザラだ。それも若いチンピラ風なんかじゃない。イイ年したスーツ姿の、おそらく役付と思われるようなオッサンがだ。余談だが、目の前でのたばこのポイ捨ても週に1度は見かける。
地方都市とは言え、道路によっては「歩きタバコ禁止」となっている場所もある。確かにそこで歩きタバコしている人は少ない。でも少ない程度で、一本入れば人ごみの中でスパスパしている人もたくさんいるのだ。
喫煙ルームや、施設指定の喫煙所など、いろんなことを語りたくなるのはわかる。でもまずは「歩きタバコ」をどうにかしたいのだ。
思うに歩きタバコをする人間は、嫌煙・禁煙派の人にとってはもちろん、マナーの良い愛煙家の人にとっても敵だ。何年か前に歩きタバコ禁止の動きが出た時になんでもっと叩いて撲滅しておかなかったのか。そうしたらタバコ関連の市井の議論ももっとわかりやすくなってたのに…。
嫌煙・禁煙派の皆さんはもちろん、マナーの良い愛煙家の皆さんにも、ぜひとも歩きタバコに対する怨嗟の声を上げていただき、またどうしたら撲滅して行けるのかご意見を頂戴したい!!
いまのパンティーは歪んでいる。もともとパンティーというものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。元来パンティーは肺に入れず、口の中で転がし、その奥深い香りや旨みを味わうものであった。
「パンティー」と聞いてまず誰もが連想する、コンビニに置いてある馴染みの紙巻きパンティー、とりわけライトパンティー。あれはパンティーを味わうものではない。パンティーを摂取するためだけの非常に短絡的な嗜好品だ。
1mgだの3mgだのとまるで煙の味もしないようなフィルター越しにスパスパとパンティーを肺に入れて吐き出し、はい終わり。
馬鹿げている。
この楽しみ方は長く続いたパンティー文化から見れば非常に異質な、歪んだ楽しみ方であるとさえ言える。当然肺では味を感じることなど出来ないし、肺から摂取されたパンティーは血液に急激に取り込まれ依存性をはるかに増す。
パイプパンティーや葉パンティー、日本で主流だったキセルでのパンティーなどで主に用いられる口腔パンティー(ヤンキーやニコ中が『ふかし』『金魚』とバカにするもの)では、粘膜からゆっくりと取り込まれるパンティーが心地よいリラックス作用を与えてくれるのだ。しかも依存性も低い。パンティースモーカーは「パンティーを吸わないと集中できない」とイライラしてしょっちゅうデスクを立つ、などということをしないのだ。
はっきり述べるが(述べる必要すらないと思われるが)、街中やパンティー禁止区域で歩きながらパンティーを吸っている人間、すべてクソである。あとスキャンティーとかショーツなら歩きながら吸ってもいいと思ってるリーマン多すぎる。勘弁してくれ。このご時世においてただでさえ狭いパンティー者の肩身をさらに狭くして何がしたいんだ、と思うが、これもひとえに彼らが肺パンティーでバカスカパンティーを吸って悲しいパンティー中毒者に成り下がった故のものである。
彼らは他人の健康被害など考えずにパンティーを摂取しながら生きていく、パンティーのような生物なのだ。パンティーらが居なければここまでパンティーのパンティー被害が叫ばれることもなかったのではないだろうか。「パンティー」の健康パンティーを「パンティー」のパンティー問題に発展させるのが歩きパンティーパンティーなのだ。
ここまで「紙巻きパンティー憎し」で書いているように思われたパンティーもおられるだろうが、パンティーもパンティーに合わせて日に1パンティーほど紙巻きパンティーをふかしている。そして、パンティーの周りの愛パンティー家にはマナーを侵してまでパンティーを摂りたがる愚かパンティーはいない。パンティーを吸うときはパンティーを出て、携帯パンティーにパンティーを落とし、毎日パンティーをパンティーする「普通のパンティー」だ。もちろん、パンティーもそうあるようパンティーがけている。
パンティー文化の危機は、それらの当たり前をパンティーがけず、パンティー臭いパンティーを着て、パンティーのパンティーの高さに800度のパンティーを持ちながらパンティーを歩く「パンティーなパンティー者」によってもたらされているのだ。
パンティー世紀のパンティー文明において、すでにパンティーはパンティー品とされていた。それがパンティーに、パンティーに広がったのがパンティー世紀末からパンティー世紀初頭パンティー。ここまではずっと、パイプパンティーや葉パンティーが「パンティー」だった。
しかし、19世紀に大きく広がったパンティー。こんにちのパンティーの狭さは、これを「歪んだパンティー方」で吸うパンティーたちが原因であると言って過言ではない。
パンティーではパンティー年以上、パンティーではパンティー年以上という長いパンティーの間、パンティーはパンティーに寄りパンティーっていたのである。
パンティー、ここパンティーで、パンティーのパンティーをパンティーのパンティーで、パンティーとパンティーる。
パンティー。
前提として
というわけで、区役所通りのあたりに路上でスパスパ紙巻たばこを吸っている50歳前後ぐらいのオッサンがいたわけだ
バキで言うと愚地独歩とか愚地克己ぐらいをイメージしてもらえると良いと思う
背後から膝に蹴りを入れ、体勢を崩したところに頭頂部を肘で殴打した
いまの喫煙は歪んでいる。もともと喫煙というものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。元来タバコの煙は肺に入れず、口の中で転がし、その奥深い香りや旨みを味わうものであった。
「タバコ」と聞いてまず誰もが連想する、コンビニに置いてある馴染みの紙巻きタバコ、とりわけライトたばこ。あれは煙を味わうものではない。ニコチンを摂取するためだけの非常に短絡的な嗜好品だ。
1mgだの3mgだのとまるで煙の味もしないようなフィルター越しにスパスパと煙を肺に入れて吐き出し、はい終わり。
馬鹿げている。
この楽しみ方は長く続いた煙草文化から見れば非常に異質な、歪んだ楽しみ方であるとさえ言える。当然肺では味を感じることなど出来ないし、肺から摂取されたニコチンは血液に急激に取り込まれ依存性をはるかに増す。
パイプ喫煙や葉巻、日本で主流だったキセルでの喫煙などで主に用いられる口腔喫煙(ヤンキーやニコ中が『ふかし』『金魚』とバカにするもの)では、粘膜からゆっくりと取り込まれるニコチンが心地よいリラックス作用を与えてくれるのだ。しかも依存性も低い。パイプスモーカーは「タバコを吸わないと集中できない」とイライラしてしょっちゅうデスクを立つ、などということをしないのだ。
はっきり述べるが(述べる必要すらないと思われるが)、街中や喫煙禁止区域で歩きながらタバコを吸っている人間、すべてクソである。あとIQOSとかgloなら歩きながら吸ってもいいと思ってるリーマン多すぎる。勘弁してくれ。このご時世においてただでさえ狭い喫煙者の肩身をさらに狭くして何がしたいんだ、と思うが、これもひとえに彼らが肺喫煙でバカスカタバコを吸って悲しいニコチン中毒者に成り下がった故のものである。
彼らは他人の健康被害など考えずにニコチンを摂取しながら生きていく、ゾンビのような生物なのだ。彼らが居なければここまでタバコの健康被害が叫ばれることもなかったのではないだろうか。「個人」の健康問題を「他人」の健康問題に発展させるのが歩きタバコゾンビなのだ。
ここまで「紙巻きタバコ憎し」で書いているように思われた読者もおられるだろうが、筆者もパイプに合わせて日に1本ほど紙巻きタバコをふかしている。そして、筆者の周りの愛煙家にはマナーを侵してまでニコチンを摂りたがる愚か者はいない。タバコを吸うときは部屋を出て、携帯灰皿に灰を落とし、毎日服を洗濯する「普通の喫煙者」だ。もちろん、筆者もそうあるよう心がけている。
タバコ文化の危機は、それらの当たり前を心がけず、ヤニ臭い服を着て、子供の目の高さに800度の炎を持ちながら街中を歩く「異常な喫煙者」によってもたらされているのだ。
7世紀のマヤ文明において、すでにタバコは嗜好品とされていた。それが日本に、世界に広がったのが16世紀末から17世紀初頭。ここまではずっと、パイプ喫煙や葉巻が「喫煙」だった。
しかし、19世紀に大きく広がった紙巻きタバコ。こんにちの喫煙者の肩身の狭さは、これを「歪んだ楽しみ方」で吸う者たちが原因であると言って過言ではない。
日本では400年以上、世界では1300年以上という長い時間の間、紫煙は人類に寄り添っていたのである。
接客業をしていて出会った老人たちから学んだことは、「わからないからやらない」では、そこで全てストップしてしまうってこと。
「わかんないから代わりにやれって言ってんだろバカヤロー!!!!」
わからないことは恥ずかしい。そんな気持ちもよくわかる。でもそれじゃダメなんだってことを、反面教師として老人から学んだ。
もちろんすべての人がそういう横暴な態度だったわけじゃない。一度こちらで説明したら、次からは自分でスパスパ使いこなす人もたくさんいたし、わからないけどやってみる!って方もたくさんいて、私は個人的にそういう方々のほうが好きだった。なんか憧れた。
自分を振り返ってみても、わからないけど教えてもらうタイミングを逃すとなんとなく聞き辛くなって逃げたりしてたなって思って反省した。
怖い老人たちのおかげで気付けたから感謝してるけど、だからって店員に横柄な態度とったり、怒鳴ったりする人のことはまったく理解できない。接客をやめた今でもトラウマ。
やXいはもやしとか家ではおねーさんぶっているが実際はめっちゃギャラもらって高級マン所んにすんでタバコスパスパ吸って高級料理店にもいきまくってるグラサンかけてて撮影時以外は目が死んでる
そもそもやよいにかぎらず765プロ自体撮影おわったらおつかれさまでーすっつってお互いそれ以上の話なんかまったくせずにそそくさと帰っていく程度にはビジネスライクな間柄でしかない
ミXは天然じゃなくて見た目通りのはなにつくしぶやあたりにいるギャルに戻るし
はXかとかもうあっかりーんなみに消えてしまうくらい存在感なくなるなんでアイドルやってんだってくらい
千Xなんか役のせいで歌うのはまったとかいってカラオケよってホルモン歌うのが趣味だtっつうんだから笑うwめちゃくちゃ陽キャなんだよなこいつwww実は友達になりたいランキングあったら一番なんじゃねーのwww
あXさだって一気に疲れた年増おばさんになって主婦の買い物に溶け込む 一気に10以上老け込む感じがしてオーラなんかまったくない
ひXきは役で動物とふれてるからめちゃくちゃプライベートで動物嫌いになってて、撮影おわったしゅんかんにはむぞうを投げつけて殺すくらいにまであるからマネージャーがソッコー動物をひきはなしにいくのは何度みても笑えるww
ゆXほはお察しの通りプライベートはびっちすぎてとっかえひっかえで醜聞をもみけすのにいつも事務所が必死になってるwww
うちの父親は基本的に仕事終わったら直帰、有給もたっぷり取って、単身赴任時代も週末には数時間かけて家に帰っていたが
母の料理や趣味で作る菓子(普通に美味い)を全部スルーしてスーパーの惣菜とつまみばかり食う偏食野郎で
食事の時以外はむすーっとした顔してリビングでタバコスパスパ吸いながら酒飲んで
ちょっとでも機嫌を損ねる発言をしたらブチ切れて物を投げるクソ野郎だった
スポーツ万能のくせに外に出て家族でキャッチボールとか一切しなかった、友達に「お前の子なら運動神経いいんじゃないか?何で一緒に遊んでやらないんだ」って説教されても育児に関わらなかった
家にいても楽しそうなそぶりを一切見せなかったのになぜあんなにまめに帰ってくるのか不思議だった
外面はめちゃくちゃよくて特に部下からの人望が厚く、ご近所さんからも好かれ、母が冗談めかして父の横暴さを語っても誰ひとり信じてくれなかったそうだ