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はてなキーワード: 死にたいとは

2022-07-06

別にここに限らず死にたいとか無理とか言ってる奴ら

そんなこと言ってる連中の8割方は、

基本的に体が健康から

 

体が健康なだけでどんだけありがたいことかわかってねえだろ?

喘息の発作を心配しなくていい

強迫神経症パニック障害心配がない

全身アトピーで皮膚がボロボロドロドロになる心配をしなくてもいい

腰痛に苦しめられていない

白内障緑内障の症状がない

これ全部満たしてるだけでお前らは勝ち組

ふざけんな

いかげんにしろ!!!

2022-07-05

不登校 バイト 大学進学 うつ病

 今現在不登校に悩んでいる中学高校生の中にも死んでしまいたいと思って日々の時間が過ぎていくのをただ待っているだけの生活を送っている人がいるかもしれないけれど。地獄のような生活から逃げ出したい一心自殺を考えている人には、少しだけでも楽しいと思えることができる日が来るのを待っていてほしい。どうか自殺へと行動を移さずに、今も流れ続ける時間を忘れられる方法で一日を過ごしてほしい。

そんな思いで書いています

 成人して数年、久しぶりに一本の煙草を吸ったらいろいろな記憶が蘇った。あの頃までは元気になんでもできるような気がしていたのに、ある時をきっかけに学校へも通えなくなった。

 時を遡ると、高校入学した15歳のころ。ある程度の学力がある人々が集まっていた高校なのに、私のクラスはいじめがあった。被害者はNくんとしておこう。Nくんは比較的活発なグループからまずいじめられはじめ、もともと彼が仲良くしていたおとなしめのグループからいじめられるようになった。彼がいじめられる姿を見て、情けない姿を皆が嘲笑うようになった。私はそこに存在するただの傍観者だった。

 時々、私は彼と帰った。Nくんは太鼓の達人が大好きで、放課後ゲームセンターで上手なプレイを見せてくれた。彼は確かに挙動不審なことが多かったが、それでもいじめられる理由にはならないはずだった。私はその中で、彼がいじめられ続け精神的に追い込まれ部活も行けなくなったこと。勉強も手につかなくなったことを知った。それでも私は彼とたまに帰宅する程度の仲を保っていた。

 このころ、母が国指定難病罹患してしまった。そして私は最低の行為をしてしまった。うつ病の薬のこともあり記憶にもやがかかっているが、自分が最低のことを母にしてしまたことは覚えている。

 体調を崩し脱衣所で四つん這いになったままの母に、私は「何してるの? 大丈夫?」という声をかけながら、心の中では私だって忙しいしつらいのになんで家事をしてくれないんだろうと母を責めた。もちろんそれは口に出さなかったが、それと同じくらい非道言葉を母に投げかけた。

「体調が悪いふり?」なんて、今考えるとどうしてそんなことを言ってしまったのかわからないほどの言葉を投げかけたのだ。当時私は母が何に苦しんでいるのかつゆ知らず、難病のことも知らされておらず気を許せる友達もいない戦場のような高校必死に通っていた。

 母はまもなく入院となり、それが信じられなかったのかもしれない父は私には何も教えなかった。家庭から笑顔は消え、父は仕事、私は学校へ通い夜は二人で家事をするという無機質な日々だけが続いた。

母が数か月後家に帰ってきたとき彼女は骨と皮だけのような姿になっており、帰ってきて階段を上がりきった途端にリストカットするような素振りで「死にたい」と何度もつぶやいていた。私は綺麗だった母が幽霊のようになってしまたこと、悲壮感に溢れた声にもならない声で言ったことに大きなショックを受けたことは覚えている。

数か月後、母は元気になった。朝に起きられるようになり、私の朝ごはんを作ってくれるようになるまで元気になった。抜け落ちていた髪も、青々と茂る夏の木々のように生えそろった。

 朝ごはんを食べ終わり、自室に鞄を取りに戻って登校しようとしたある日、私は階段下りながら涙を流してしまった。すすり泣く私を母が見つけ、その日は学校を休んだ。思えば、この日が私の不登校と出不精のはじまりになってしまった。今思うと、知らぬ間に心にダメージを負っていたのだと思う。

 この数か月前から、授業を聴いていても何も頭に入らず、自分がひどく落ちこぼれたような気がして意気消沈していたのを覚えている。数学テストでは一桁の点数を取り、頭の良い生徒ばかりの高校ではあり得ないほどの点数を取った私は、周囲から馬鹿にされた。盗み見られたその点数を見て。Nくんをいじめていた悪魔から「あたまわっるいね馬鹿なっちゃった?」と言われたことを、今日煙草を吸いながら思い出した。

 体調が悪いと言って登校しなかったその日から、私は完全に学校に行きたくなくなった。もうすぐ高校二年生になるころだったのに、私は自宅でうつろに日々を過ごすのみだった。このあたりの記憶防衛反応によるものなのかほとんど残っていない。覚えているのは、今でも大好きな昔の映画を観たり、小さいころに観ていたポケモンアニメを見ながら昔は良かったなと思いを馳せていたことくらいだ。まるで老人のようなその生活を見た母は、私を精神科へと連れて行った。そこでひとまず一種類の薬を飲むようになり、だんだんと種類が増えていったあたりから私は昼過ぎまで起き上がれなくなった。

 こうして”立派”な不登校になった私は、デ・ニーロのグッドフェローズダニー・ボイルの(ユアン・マクレガー名前を出したほうが分かる人が多いかもしれない)トレインスポッティングを観たり、破滅的な思考をなんとか創作の中で味わい続け、自殺を耐えていた。

 結局、高校2年生の1年間はほとんど学校に行けなかった。

 詳しいことは知らないが、3年生に上がるころ担任から「3年生になると2年生のころのように不登校のままだと卒業ができなくなってしまう」ことを告げられ、私は仕方なく登校を再開した。

 正直2年生のころも同じようなことを言われて、もうどうせ進級もできなくて中卒不登校ひきこもりになってしま未来しか見えていなかった私は、4月から懸命に学校に通った。死にたいことを何度もほのめかす私を。父と母は応援してくれた。父は通勤用の車を私のために家に残し、毎日40分近く自転車を漕いで通勤していた。母は私を学校と自宅まで送迎してくれた。毎日だ。

 途中、休むときもあったが基本的には登校ができていた。Nくんへのいじめ常態化していたクラスいたことで脳にダメージがいっていたのか、相変わらず記憶が思うようにいか勉強はさっぱりできなくなってしまっていた。1学期、定期テストではひどい点数を取り、受験どころか卒業が危ぶまれた。担任から何とかならないかと言われたけれど、何とかなんてならないことは私が一番分かっていた。

 あのころどうしていたのかは分からないけれど、2学期からは死に物狂いで勉強をし、数学では及第点、1学期で0点に近かった世界史テストでは90数点を取った。とりあえず3学期もまた90点ほど取れれば卒業はできるだろうと考えて、3学期も同じくらいの点数を取った。記憶がうまくできなかったので、本当に反復の反復、さらに反復のような状態だった。(今では治った)

 大学ももともと目指していた高偏差値のところなんて行けるはずもなく、必死に受けたセンター試験を利用してそこそこの大学に入った。幸い、高校入学するまでに相当勉強していたのでほとんど勉強しなくても9割近く3教科は取れたのだ。それでも自分にとってはショックで、大学に入っても落ちこぼれた印象はずっとついて回った。

 心を入れ替え大学に通い始めたけれど、不登校の癖がついてしまっていて社会的生活に恐怖を感じていた私は、数か月で電車通学が苦しすぎて中途退学してしまった。

 今、その大学に入りなおしてそろそろ卒業を迎える。内定も得て、自分のやりたかった職業チャレンジできる未来が見えている。

 それでも、いじめを見て疑心暗鬼になっていたことの私の時間は帰ってこない。電車に乗って高校生を見ると、あのころ違う高校に通っていればあんな思いもせずに記憶障害のようなものに悩まされることもなかったのかもしれない、と思ってしまって稀に目に涙が浮かんでしまう。

 それでも時は流れ、日々は続いていく。あの頃は帰ってこないし、私もも20台中盤だ。物事に折り合いをつけられるようになり、バイトまでできるようになった。他人と話すのが怖かったくらいだったのに、今ではコミュニケーション能力も高いよね、と年齢が上の方々からも言っていただけるようになった。(バイトを通して苦手だったコミュニケーションを何度も何度も練習するつもりで磨いた)

 

 今、どうしようもなく不安になってこの日記を書いてしまったが、最近うつ病のような症状も収まりひきこもる頻度も減った。それでも時折、元気がなくなると数日ひきこもってしまう。大学生活だってストレートはいかなかった。体調を崩しひきこもった瞬間もあった。

 それでも父と母は私を理解してくれ、応援してくれた。父に関しては昭和の男だから鉄拳制裁を喰らって殴り合いのけんかになってしまたこともあるけれど、いつの日かを境にうつ病を抱えている私を理解してくれるようになった。遊びに誘ってくれたり、断っても体調が悪いなら仕方ないと理解してくれるようになった。

 うつ病の薬を断って、大学でのストレスからやせ体形だったはずなのに食にストレスをぶつけてしまって今では30㎏ほど増えてしまったし、今の体形の自分は嫌いだけれどそれでも毎日を楽しくは過ごせている。だからこそ、今不登校に悩んでいたり死んでしまいたいと思っている中、高校生学生の同じくらいの年齢の方々に伝えたい。

 どうか諦めずに、つらい今は好きなことをして時間が経つのを待ってみてほしい。

 男だから泣くんじゃない、女だからはしたないことなんてするななんて声は無視してしまえ。男だって泣いていいし、女だって冒険をしてもいい。

 いつしか心に余裕ができて、何かができるようになるかもしれないから。

人生呪詛を吐く怪文書

人生やめたい。

就活は上手くいかないし上手くいったところで働いて成したいこともない。世の中で生きている人間がなんで生きていられるのか不思議でならないし、毎日多くの自殺者が出ているのも、さもありなんって感じ。最近寝ようとすると遺書文言を考える癖がついた。今すぐにでも死にたいところだけど、さすがに親より先に死ぬのはなと思ってとりあえず生きてる。親に借金もあるし。物価高の癖に給料はしゃばくて政治も終わってる。他国と比べてどうとかではなく現在進行形悪化してる国に未来なんてあるのか。そもそも生物は種の保存のために生きるはずなのに、人間はなんでこんな余計なことばっかするんだろう。野生動物みたいに何も分からないまま死にたい。でもこんな気持ちになったのも結局就活が上手くいかいからで、ただ現実逃避したいだけなんだよな。しょーもな

2022-07-04

私は嘘つきだった

嘘をつく癖があった。

一番最初に覚えてる嘘は、小学1年の時に親の財布から金を盗んで友達の家に大量のお菓子を買っていった時だ。

友達には知らないおじさんにもらった、と訳の分からない嘘をつき、不審に思った友達母親がうちのの母親に連絡してバレ、その日の夜に親父に顔の形が変わるくらい殴られた。

その他にもゲームでありもしないバグ技を友達にべらべらと喋ったりしてた。今思えばみんなが知らないことを披露して承認欲求を得たかったのだろう。今でも思い出してじたばたするくらい鮮明に覚えている。

幸い親が転勤族で1年に一回学校が変わっていたため、致命的に嘘がバレていじめられたりなどは経験したことがなかった。

中学の頃は少しは知恵をつけ、ここぞという時にしか嘘をつかなくなった。

その頃は中二病も周りにいっぱいいて、親に成績ごまかすとか、塾での自己採点の模試の点数ごまかしてクラスで1位になったりして優越感に浸ったりしてた。

高校の時、県内で上位の進学校入学体育会系部活に入り勉強との両立がもちろんできなくなり、割とサボった。

勉強もついていけないし、部活もきついしで週1とかで学校行くふりして漫喫に朝から部活終わる時間までサボったりしてた。

恋空とか流行ってて、少女漫画の僕らがいたにもドはまりして架空彼女が死んで海まで行ったとか匂わせSNSとかしてた。

友達は割といっぱいいた方だと思うが特につっこんまれもせず「ああ・・・」みたいな空気になってた。

高校落ちこぼれたが何とかセンター利用で私立大学入学

飲みサーみたいなところに入り、毎日酒浸りしてた。

人よりお酒が飲める方だったため、周りから評価されている気になり毎日ぶれるまで飲み、優越感に浸れてた。

架空彼女が死んだ設定も忘れておらず、ちょいちょい痛いやつみたいになってた。

そんな日々を送っていたらもちろん4年で卒業できず、留年した。

親への言い訳は僕らがいたか引用して、パニック障害電車に乗れない嘘でごり押しした。

借金もバレて、親に肩代わりしてもらった。

色々とボロボロだった。

家にいたくなくて週6でバイトしてた。

気づいたらバイトリーダーになってて、後輩もできて、みんなから頼られて承認欲求が満たされて気持ちよかった。

バイトしすぎて大事な実習に行けなくなったことが学校経由で親にバレ、怒られるのが嫌で逃げた。

とりあえず沖縄に行こうと思って電車に乗り続けて名古屋あきらめて漫喫泊まって次の日帰った。

めちゃくちゃ心配されてうやむやになってとりあえず卒業がんばろうみたいな感じで落ち着いた。

なんとか卒業してバイトしてた会社にそのまま就職した。

かなりのブラック企業で月300時間オーバーで働いてた。最初は楽しかったが、上司が変わって辛くなった。

会社に行きたくなさ過ぎて、2年目にマンションの2階から飛び降りた。

思いのほか痛くて、色々骨折して痛みで正気になりひき逃げにあった嘘をついた。

2か月入院して保険もおりないから親に肩代わりしてもらった。

その1年後くらいに会社をバックレて友人のつての工場で働きだした。

会社バックレたときは友人に心療内科に連れていかれたりして通院してた。自律神経失調症パニック障害と鬱の診断書が出た。

薬も1年くらい飲み続けた。

工場で働きだした当初は相変わらず嘘をついたりしてたが、本当のことを言っても誰も怒らないことがわかり嘘をつく癖がなくなっていった。

前職の半分の労働時間で倍以上の給料をもらえるようになった。

嘘をつくことも少なくなった。

自分ごまさないとかなり気持ちが楽だと知った。

仕事が暇でふと思い出して初めて増田文章を書いている。

人生何が起こるか本当にわからない。

死にたいと思ったことはあまりないけど、全て投げ出して誰も知らない土地かに逃げ出さなくて本当によかった。

と、ボーナス支給日前に思った。

安楽死したいと言いつつ臓器提供意思表示してない奴いてワロタ

やっぱりポーズだけなんじゃねーかよ

いい加減にしろ

死ぬつもりなら臓器提供意思表示ぐらいしとくだろ

死にたいアピールで人の関心集めようとするのやめや

ガキがママに構って貰う為にわざと泣くやつと一緒やん

社会はお前たちのママじゃないぞ

anond:20220703221827

ニートからただ眠ったり起きたりしてるよー

人間何もしなくても眠くなるし腹が減るし暑さ寒さは感じるし、十分寝たら目が覚めるんだよ

生きたいとか関係なく人間は生きるようにできてるんだよ普通

死にたいから心臓止まるのか?

2022-07-03

相談関係よく見るけど、いずれにしたって出会タイプが変わるだけで成婚率が上がるわけじゃないんだろなあって気持ち

マッチングで一回目のオフ会した日にありがとうございました、というコメントを送り、LINE登録してるなら何かしら送らないといけないのか!?という焦燥感に塗れたまま翌日翌々日とメッセージを細々と送ったけれど音沙汰なくなったのだが、たぶん恋愛経験ある人は「こいつダメだ」と思ったらすぐにバッサリ切れるのだろう

こういうのは回数じゃないと思うし、根本的に友達いない自分にゃ恋愛はまず無理だなと諦めた

相談所のほうがまずは対面でいけるのだろうけど、結局その後のやり取りはコミュニケーションだし、人付き合いのスキルが不可欠なのは間違いない

というわけで、疑心暗鬼になって人の気持ちを勘ぐるより、1人で過ごす時間を満たす方法を探す方が建設的であろうと、ぼっちの道を選択した

出来ることなら不慮の事故で早めに死にたいもの

理不尽なことは多いし、下手にやりがいだの尽くしてたら、つけあがって無理強いばかり悪い待遇でされるようになる。

とすると、自分立場を守るのが第一となる。でないと潰されるだけだ。

だけど、自分立場ばかり考えていると、失敗するリスクが高い案件はそのまま失敗する。だけど「仕方ない。死にたいのか?」

そもそも、そんな自分立場が脅かされるような立ち位置に行ってはならない。起業イノベーションだなんて界隈に近づいてはならない。

自分の今後をチップにかけ続けた丁半博打10連続勝てば1000倍になるだろうなんてのと何ら変わらん。ほとんどは丁半博打で何処かで失敗してすかんぴんになる。

イノベーションが生まれないのは当然のこと。昔の景気が良くて長期的視野で金を出してた日本ならあり得たけどもうそんな日本ではない。このままズルズル衰退する中でも自分の身だけは守るか、どこかで海外に出れるようにしておくのどちらかだと思う。

2022-07-02

ホッテントリの猫の漫画を見た

猫や家族迷惑かけずに死にたいよな

孤独死見守りサービス」で検索してたら悲しくなってきた

2022-07-01

めんどくさい

生きるのがめんどくさい

かける労力に対して得られるもの釣り合ってない

から生きるのをやめたい

仕事を辞めるとか、離婚するとか、縁を切るとか、

そんなのすらめんどくさい

から全部、自分の命ごと捨てたいんだ

もうこんなの要らない生きていたくない

残った寿命を誰かにあげられればいいのに

余命幾許もない子供かに寿命をあげて、

一言「ありがとう」って言われて死にたい

うそ一言だけでいい

仕事できない。死にたい

仕事くらいで死ぬなよとかいうけどやっぱり大事だしそこが駄目だと他でも大抵ダメな気がする。

生きてる意味

小学生のころからずっとぼんやり早く死にたいなって

思いながら生きてきて今年26歳

眠いお腹空いた、早く死にたいなくらいのテンションなんだけど、その死にたいなって思ってしま理由が、生物本能というか使命的なあれで、子孫を残すって目的があるのにそれを無視してる、というか達成出来なさそうな現状とか自我とのズレ?みたいなので、バグってるのかなって急に思ったので

反出生主義の考えなので全然本人は良いと思ってるのに、本能の方がいや違うだろって言ってきてる気がする

なんか上手いこと書けそうだと思ったのにそんなことなかったわ

また今日も目覚めてしまった

寝ている間に死にたいのに

生きてなんかいたくないのに

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