はてなキーワード: 夏休みとは
JKの下着、または太ももは、我々の生活におもわぬ幸福をもたらしてくれる。
鬱々と日々繰り返される登校にうんざりとしている時、ふと目を上げればそこには逞しく、そして艶めかしく、スカートからはみ出た足を目にした時、確実に僕の脳味噌にはドーパミンが分泌された。
あれからというものの、僕はあの感覚を忘れられずに、階段を見つけるたびに女子高生は居ないものかと探してしまう。
これほどまでに彼女たちは私の生活に関わり、また私には多大なる幸福感を与えてくれる。
彼女たちを象徴するものはやはりその短いスカートや白いシャツ或いはセーターブレザースクバ等々、挙げればきりがない。
それらが彼女たちの清純さを感じさせ、またはそれらが彼女たちの特別感を醸し出させ、日々の生活に辟易とした者の欲情を誘う。
清純さを振りまけば処女信仰心を煽らせ、また流した汗は美しさへと昇華する。彼女たちの「日常」は我々にとっての「非日常」であり、その「日常」を共有することになれば大きなカタルシスがもたらされるのだろう。
当方高校生なので、合法的に彼女達の笑顔、立ち振る舞いや声を感じる事が出来るのだがもう気付けばすぐに化粧を覚え、男を覚え、酒を覚えてしまい清純さがまるで無くなる女子大学生と生活を共にすることになってしまう。
人類の女性はみなずっと制服を着て、後で振り返ればイタイことを真面目にかつ笑いながらやってて欲しいと思う平成最後の夏休み。
いままで5時だったのが7時になるとすると、それの2ヶ月版だから
いままで5月だったのが7月になるということ。もとの5月に導入されるとGWがなくなるが、少しすると学生は夏休みなる。そして夏休み中心の8月は梅雨。梅雨のお盆ならある意味雰囲気はあるかも。そして学生の嫌な夏休み明けには夏至。
小学3年生レベルの国語力があればインターネットでは十二分にコミュニケーションが成立してしまうし、ただ一発書きなぐって終わりにするならアルツハイマー症候群であっても問題ない。
恐ろしい所だ。
可愛いアバターの向こう側には裏声を必死に出しているオッサンがいるかも知れない。
夏休みの小学生だと思っていたやつがいい年こいたオバチャンかも知れない。
犬をアイコンにして日本社会を憂いながらストロングゼロの画像を定期的に貼ってる奴が未成年じゃないという証拠がどこにあるのか。
この世界は嘘だらけだ。
何が嘘松だ。
医療記事にすら嘘がならび、転職相談ですらアフィ目当ての嘘っぱち、あらゆる口コミサイトはやらせのオンパレード。
アマゾンレビューの中身は数珠だし、有名ブロガーのフォロワーはある日数千人単位で凍結される。
嘘を嘘と見抜けなければインターネットが使えないというが、それを見抜くための情報をインターネットで見つけようとしたら嘘の連鎖が大爆発でファイアーだ。
学研ムーを本気で信じる連中が本気で研究をして適当に出したオカルト本を本気で信じている奴の話を鵜呑みにしたらお前の前世も堕天魔法男爵少女聖騎士ヴァビロナイツのNO.13になっちまう。
🏋️♀️🏊♂️🏂🚴♀️⛹️♂️そのパワーをスポーツで輝かせよう!
ほんとニャね。みんないろいろマイルール持ってるニャ。
まぁ「言ってスッキリ」が女にはおおいのですわ。
なんで人間フルタイムで働かないと生きていけないようになってるんだろう?
毎日4時間だけ働いて後は余暇を好きに過ごす…みたいな生活にならないもんか。
サマータイムなんかやらないで夏は時短労働!バカンス!みたいになんないかなあ
その方がよっぽど経済だと思うんだけど〜
混んでる時に旅行するのも嫌いなので、特にやることもなく近所をぶらぶらしていたら終わった。
たった2日の休みだったが誰とも話さないのは結構メンタルにきた。
昨晩はnetflixで聲の形を見ていて、ますます人と話したくなってしまった。
今朝は、夏休み明けの始業式な気分で、とにかく喋りたくて出社したけど、
会社で唯一の話し相手は休み明けで仕事が溜まっているらしく慌ただしく働いている。
会社は学校じゃねえんだよの人が浮かんで、私はおとなしくなった。
なので、ここに書いて気を紛らわそうと思ったんだけど、寂しい人間だな。
今現在学生なのだが、夏休みの課題に読書感想文が出てしまった。
昔から読書感想文を書くのがどうも苦手で半分以上あらすじで埋めてしまうような子供だった。
なぜ嫌いだと感じるのか?
読書感想文を書くよう指導する教師やネットで書き方を紹介するHPの書き手は口を揃えて「心に残ったこと、自分に影響を与えたこと、自分の体験、これからどうしたいかを書け」と言う。
物語を読んで人生が変わった!と言える人間はどのくらいいるのだろうか?登場人物と似たようなドラマチックな体験をしたという人間はどのくらいいるのか?登場人物の真似をしてこれから生きていきたいと思う人間はどのくらいいるのか?
私はこの本に影響を与えられた、人生・価値観が変わったなんて感じたことは無い。
いや、もしかしたらそう感じていないだけで影響を受けている事もあるかもしれないが。
なぜ皆がみんな本によって影響を与えられた前提で『感想文』を書かされるのだろうか。
物語を読み終えて「あぁ、面白かった。」で終わる読み手がマイノリティなのだろうか。
そもそも本を選ぶ時に表紙やタイトルの感じから選んでしまう傾向にあるので、前評判なんて知ったこっちゃない。
世間は夏休みだが、私も今週は夏休みである。取引先は夏休みで全滅、有給消化させたい上司からぜひ休みなさいといわれ休むことになった。やったぜ夏休みだ。
なんてことにならないのは、私には休日遊んでくれるような友人など絶無であり、夏休みになったところで、その先にあるのは虚無だからである。とはいえ、夏休みとなったからには、一人だと分かっていても、虚無だと分かっていても、何かしたいと思うのがコレ人情である。
私は釣りをしてみたくなった。はっきりいって釣りはド素人である。昨日の夕方、ホームセンターに言って釣り竿と糸・ウキ・針がセットになった仕掛けを買ってきた。釣り竿は、その先端から仕掛けをつければそれでオーケーという単純極まりない代物である。900円だった。リールが着いたものも置いてあったが、使い方がよくわからないので諦めた。
今日、朝4時に起きた。クルマを運転して30分、漁港に着いた。この北関東の漁港はクルマで乗り入れができる。昨日ネットで調べておいた。少し曇っていてあつすぎずいい天気だった。釣り道具と、折りたたみ椅子をクルマから出して堤防に持って行った。行く途中、老人とすれ違った。真っ黒に日焼けした白髪の老人だった。完全にモーガンフリーマンだった。適当なところに、折りたたみ椅子を置いて腰掛けた。釣り竿を伸ばして仕掛けを先端に括りつけた。糸が風にまって手こずった。超熟という食パンを指で練ったものを餌として、針に付けた。竿をもって、針を海へ落とした。ウキは波に揺られていた。老人が自転車に乗ってこちらの方にやってきた。モーガンフリーマンだった。モーガンフリーマンは私の近くまで来ると、ターンをしてどこかへ行ってしまった。
こともあろうにウキの付近に小さい魚がたくさん集まっていて驚愕した。ウキが沈んだ。心臓がバクバクした。まさかパンで魚が釣れるとは思っていなかったから、釣り上げたときのことを考えず、バケツやクーラーボックスは何も持ってきていなかった。というか針の外し方がまずわからない。何もできずに固まっていると10秒ほどでウキが浮いてきた。針が外れたらしい。竿をあげた。魚が食べたのか針にパンはついてなかった。すぐに釣り道具を片付けて帰ることにした。今度はバケツを持って行こうと思う。モーガンフリーマンがまた自転車で近づいてきてターンしてどこかへ行った。
圧倒的劣勢、状況は刻々と悪化、打つ手はことごとく裏目に出る…
そういうヒリついたシチュエーションで、それでも冷静さを失わない登場人物が
1%の可能性を2%に、2%を3%にするために知力を尽くして奔走する
そして漸く見えた光明が不測の事態でさらに悪化し、それでも諦めずに
…という筋書きのフィクションが好きだ。
間違えても主人公が土壇場の謎パワーで必殺技ドン!みたいなものではなく、
きちんとロジカルな整合性を持った(すくなくともそう見える)プロットのもの。
それも、派手なアクションや立ち回りよりは、会議、根回し、裏工作を丹念に描くようなものが良い。
たとえば映画「オデッセイ」の原作であるアンディ・ウィアーの「火星の人」とか。
漫画だと「皇国の守護者」はすごく好みだった。ただこれは単に撤退戦好きなのかもしれない。
ノンフィクションだとクリントン・ロメシャの「レッド・プラトーン」みたいな。
ちょっと毛色違うけど数年前の大河ドラマ「真田丸」の後半、大阪の陣のあたりはしびれる展開が多かった記憶がある。
…「好きだ」といいつつあんまりそういう作品思いつかなかった。
もし「これ近いんじゃない?」みたいなやつがあれば教えて欲しい。夏休み暇なので読み漁る。