JKの下着、または太ももは、我々の生活におもわぬ幸福をもたらしてくれる。
鬱々と日々繰り返される登校にうんざりとしている時、ふと目を上げればそこには逞しく、そして艶めかしく、スカートからはみ出た足を目にした時、確実に僕の脳味噌にはドーパミンが分泌された。
あれからというものの、僕はあの感覚を忘れられずに、階段を見つけるたびに女子高生は居ないものかと探してしまう。
これほどまでに彼女たちは私の生活に関わり、また私には多大なる幸福感を与えてくれる。
彼女たちを象徴するものはやはりその短いスカートや白いシャツ或いはセーターブレザースクバ等々、挙げればきりがない。
それらが彼女たちの清純さを感じさせ、またはそれらが彼女たちの特別感を醸し出させ、日々の生活に辟易とした者の欲情を誘う。
清純さを振りまけば処女信仰心を煽らせ、また流した汗は美しさへと昇華する。彼女たちの「日常」は我々にとっての「非日常」であり、その「日常」を共有することになれば大きなカタルシスがもたらされるのだろう。
当方高校生なので、合法的に彼女達の笑顔、立ち振る舞いや声を感じる事が出来るのだがもう気付けばすぐに化粧を覚え、男を覚え、酒を覚えてしまい清純さがまるで無くなる女子大学生と生活を共にすることになってしまう。
人類の女性はみなずっと制服を着て、後で振り返ればイタイことを真面目にかつ笑いながらやってて欲しいと思う平成最後の夏休み。