はてなキーワード: 原爆投下とは
それに普通の市民を爆撃してみたって何の役にも立ちはしない――引き合わんよ」と京都市への投下には反対した。
記者会見でルメイは「戦争はソ連の参戦がなくても、原爆がなくても、二週間以内に終わっていたでしょう。原爆投下は、戦争終結とはなんら関係ありません」と答えている。
しかし晩年の1988年には、著書で「原爆を使用せずに戦争を終わらせることができたとしても、私は、原爆投下は、賢明な決定だったと思います。なぜなら原爆投下が降伏交渉を早めたのです」と語り、
原爆投下は、上陸作戦前に日本を降伏させ、百万のアメリカ兵の命を救った(=ダウンフォール作戦を決行せずに済んだ)というアメリカ合衆国連邦政府の公式説明を支持している
もちろん原爆投下を回避する道が完全になかったのかと言われると、そんなもん誰にもわからん。けど、その「誰にもわからん」ものをもってして「原爆投下なんてする方が悪い」と簡単に言ってのける人は、正論言ってりゃおれ正しいと思ってる正義マンでしかないなーと思っちゃうな。
いらない? だって誰も原爆投下がオーバーキルでなかったなどとは主張してないのに、「オーバーキルだろ!」って突っ込みを唐突に入れてるからさ。そこでその突っ込みを入れる意図は? くらいの意味で「で?」と言ったわけだが。。
日本が原爆投下時期に降伏したのは、原爆が理由ではなく、ソ連首相スターリンの「日ソ中立条約の破棄と対日宣戦布告」によるもの。もともと日本はソ連を通じて終結工作を続けていた。そこに想定外のソ連参戦に困惑した。
戦争終わらせるためなら、一発でよくないか?2発、しかもそれぞれ違うタイプの原爆投下する必要、あったのか?
しかも当時日本は、まぁまだ国体を……とかぬるいことは言ってたが、講和への道を模索していたんだったかな。ちと記憶が曖昧ですまんが、たしかソ連を頼ってずっとその交渉を続けていってたんだったかだ。ポツダム宣言前のもう切羽詰まっていた状況では、条件次第で日本は降伏も飲んだ可能性はある。
が、結果はどうだったかというと、ソ連にもアメリカにもそんな意思はなく、ソ連は領土欲丸出しで攻めこんできて、アメリカは講和および少しでも日本にいい条件など与えるわけにはいかないということで、完膚なきまでに叩き潰すことを選んだわけだ。
まぁそれが結果、日本のポツダム宣言受諾に繋がったのは間違いないことではあるが、さて、原爆投下は戦争を終わらせるため、犠牲を最小限にするため行われた行為なのだろうか。すこしは疑問浮かんだりしないかい?
原爆ゆえに戦争終結が早まって犠牲者数が減ったというと見方は事実というよりも推測ないし解釈。もちろんほぼ合っていると考えられる。連合国側も当然それを意図していなかったはずはない。(ベルリン攻防戦だけで百万人くらい死んでいる)
では、原爆投下が良い事か残酷な虐殺だったかというと、それは価値判断であって、上記の「原爆ゆえに戦争終結が早まって犠牲者数が減った」と相互背反ではない。(あれかこれかどちらか一方だけではない)
つまり、原爆投下は一般市民に対する残虐な無差別殺戮であり、その一方で、原爆ゆえに戦争終結が早まって犠牲者数が減ったという面もある、ということかと。
ゆえに、原爆投下が残虐行為だったからといって原爆で戦争終結が早まらなかったということにはならないし、原爆で戦争終結が早まったからといって原爆投下が残虐行為ではなかったということにはならない。(相互背反ではない)
https://buzzap.jp/news/20200619-fnn-sankei-fake/
1 捕.ホロコースト否定論
2 一.江戸しぐさ
7 二.アジア解放
9 投.白人至上主義
控え
・日ユダヤ同祖論
ホロコーストはねつ造であるという言わずと知れた世界的に有名なトンデモ論。ちなみに国によっては否定するとこの論を唱えると逮捕されるので要注意。できれば他のトンデモ説もこれと同様に法律で取り締まってもらいたいものである。
江戸時代には傘かしげ(傘を指したまますれ違うときには傘を傾ける)、時泥棒(アポなし訪問、約束の5分前に到着しなければ死罪)などのマナーが普及していたが、明治政府の虐殺により失われてしまったというトンデモ論。これの恐ろしいところは小学校の道徳の教科書で取り上げられたり、ACのCMで放送されたことである。
南京大虐殺はねつ造であるというトンデモ論。犠牲者の数については意見が分かれているが、虐殺そのものがあったことは否定できない。しかし、自称愛国者達の間で固く信じられている。愛国者であるなら、正しい歴史を学んで国の恥を晒すようなまねは止めて頂きたい者である
原爆は戦争の早期終結のために不可欠だったというトンデモ論。原爆投下はソ連への威嚇のための人体実験であり、決して正当化できるものではないのだが、アメリカ人達の間では広く信じられ、学校の歴史教科書でも取り上げられている。日本人でも信じている輩がいる
アイヌ民族はいない、もしくは先住民ではないとするトンデモ論。アイヌの人々が日本による弾圧や差別によって苦しめられ続けた事実を無視し、現代でも差別の正当化に利用される非常に害悪な思想である。南京大虐殺否定、アジア解放と並びネトウヨの間で固く信じられている。
第二次世界大戦は悪の枢軸国と正義の連合国の戦いであるというトンデモ論。日本軍やナチスの残虐行為は決して擁護できるものではないが、原爆投下、ソ連抑留など連合国も信じられないような悪行を重ねており、単なる正義と悪の戦いではないことは明らかである。また、東京裁判、ニュルンベルク裁判は連合国の悪事に一切触れず、枢軸国だけを糾弾する、事後法で裁くなどの無茶苦茶なもので、その実態は裁判ではなく報復としかいえない。
太平洋戦争は東南アジアを欧米の植民地支配から解放するための正当な戦争であったというトンデモ論。無論、これは大義名分に過ぎない。白人の植民地支配が残忍であったのも事実だが、日本軍の残虐行為も許されて良いものではない。東南アジアの罪のない人々が数百万人犠牲になったこと、現地の人々が戦後自らの努力で独立を勝ち取ったという事実を無視しており、余りに無礼である。日本軍が独立に寄与したというのはあくまで結果論であり、現地の人々の思いを踏みにじってはいけない。そもそも、フィリピンに至っては近い将来に独立が約束されており、この大義名分は一切適応できない。
薩長はテロリストであるというトンデモ学説。歴史”評論家”原○伊○によって唱えられた。何事にも正と負の側面があるにも関わらず、「明治政府は100%悪!江戸幕府は100%正義!」と極端な善悪二元論で歴史を唱えるのは御法度である。
白人がアジア、アフリカ、新世界を植民地化できたのは白人が優れた民族であるからだというトンデモ論。長らく植民地支配や人種差別の正当化に利用された害悪な説で、今でも信じている輩が少なくない。歴史を全体的に見ればヨーロッパが覇権を握ったのは比較的新しく、その発展も中国、イスラムの繁栄があって初めて成り立つものであることは火を見るより明らかである。白人の覇権には地理的要因も多く絡んでおり、白人崇拝は偏狭な解釈であるというしかない。日本人でも右翼・左翼問わずこの論を受け入れている者が少なくなく、日本人は朝鮮人・中国人よりも白人の遺伝子を多く受け継いでいるという新たなトンデモ論を生んだ。
・日ユ同祖論
日本はユダヤ人の失われた支族であるというトンデモ論。明らかに嘘と分かるもので、フィクションとしては面白いのだが、まれに本気で信じている輩がいるので笑えない。
昭和天皇が自らの意志で積極的に日米開戦を推し進めたというトンデモ論。左翼の間で固く信じられている。確かに軍部の暴走を抑えられなかった天皇の罪は重い。しかし、僅かでも日本史の知識があるなら、天皇は日米開戦には反対であったとうことは分かるはずである。東條英機が首相に任命されたのもそのためである
大正時代が短いのは天皇が知的障害者であったからとするトンデモ論。大正天皇は病弱だったが、多くの漢詩を残す、朝鮮語の学習に努めるなど教養のある人物であり、決して知的障害者ではない。天皇をどうしても貶めたい左翼にねつ造された。
余談
最後にトンデモ本を見分ける方法を紹介したい。しかしながら、このやり方は完全ではないため、結局の所大切なのは、ものごとを多面的・批判的に判断し、すぐ「AはBである」と決めつけない慎重さである。またトンデモ論を信じ、発信してしまえばあなたも共犯者になってしまう。情報の受け入れだけでなく、発信の際にも慎重になろう。
・著者の経歴を確かめる
博士号はおろか、大学の歴史科学科すら卒業していない著者もいる。また、学術論文を雑誌に発表していない著者にも要注意である。更にプロの歴史学者にも専門外の分野に手を出すものがいるため気をつけるべきである
例外もあるが、”~のウソ”、”~の真実”、”~の陰謀”、”反日”などの扇情的な見出しには要注意。
・参考文献がない、もしくは一般書ばかり
・出版社を見る
講談社、岩波、中公は”比較的”信用できる”かもしれない”。百○尚○先生御用達の幻冬舎などの出版社には要注意。ただし、原○伊○の明治維新非難は講談社で出版されたものである。