はてなキーワード: ミラーレスとは
ただ、大手情報サイトでは忖度して絶対に書くことができない、買うべきではない明確な理由が一つある。
正直、このスマホに飛びつくのはライカブランドを身に着けたいだけのカメラのことなんててんで理解できていない成金じじいか、パトロンのクレカを自由に使える港区インスタ女子くらいだろう。
その理由とは、画角が35mm換算で19mmという点に尽きる。
カメラの光学的な構造をある程度理解できている人であれば、これがどれだけ無意味なことかわかるはずだ。
センサーサイズを大きくするメリットは、光学的なボケ味を得られることと、電気ノイズが発生しづらくなることで画質が上がることにある。
皆がアホのようにフルサイズカメラを欲しがる理由は、ほとんどの場合フルサイズでしか得られないボケ味に対する憧れと言っていいだろう。
それくらい光学的なボケ味とはセンサーサイズの大きさなくしては得られない最大のメリットなのだ。
しかし、35mm換算で19mmという画角はあまりにも広角すぎる。
基本的に、ボケ味というのは望遠側のほうが得られやすい。平たく言えば圧縮効果というものだ。
そして自然なボケ味を得られるのは、おおよそ30mmくらいの画角からだと考えられている。
フィルム時代の標準レンズが50mm単焦点だった理由は、明るさとボケ味、レンズのサイズなど全てにおいてバランスが良かったからといっていいだろう。
初心者が何も考えずにシャッターを切っても、ボケ味に溢れたフォトジェニックな写真を取ることができる、魔法のようなレンズだったのだ。
フルサイズと画角50mmのレンズはそれほどまでに相性が良い。
それに対し、たかだか1インチ(スマホに乗せるにはすごすぎるが)のセンサーに、超広角といえる19mmのレンズを載せたところで一体どの程度のボケ味が得られるというのか。
寄れない超広角ではボケ味なんてほぼ期待できないと言っていいだろう。
つまり、1インチを載せる意味の大半が失われているといっていい。
一般的なパンケーキレンズと言われる平たいレンズは広角がほとんどだ。
察するに、今現在の技術力では1インチのセンサーを載せつつもあの薄さに収めるには19mmが限界だったのだろう。
繰り出し型のレンズを取り付ければ良いだなんてことは誰でも考えつくようなことだが、スマホとしての厚み、重さ、そして堅牢性などを考えれば採用を見送らざるを得なかったことは想像に難くない。
だからといって19mmはない。
筆者は旅先の写真はフルサイズミラーレスを多用しているが、広角側に関してはもっぱらスマホで撮影している。
広角撮影は基本的にボケを気にしなくてよいし、光学的なことを考えなければ、スマホカメラの画質は気にする必要がないくらいまでにきれいになっている。
逆を返せば、広角側の撮影はセンサーサイズをそれほど敏感に気にしなくてもよいところまで来ているのだ。
もしこれが、換算30mmを超えてくるなら話は別だ。
1インチセンサーカメラの画角30mmは大げさすぎない程度の自然なボケ味を与えてくれる。
装備を軽くしたいときは、今でもRX100で代用することも多い。それくらいに信用できる組み合わせだ。
世界初は今作で果たされた。
次回作はズーム機能は必要ないので、レンズを1cmまで出っ張らせてもいいから画角30mm超えを叶えてほしい。
そうすれば18万7920円も、、、出せません。ごめんなさい。
最近の世界の流れで、2030年代に内燃機関を積んだ自動車の新規販売を禁止しようという動きが盛り上がっている。
ただなんというか、どうもコロナ後の経済対策をかねて強引に需要創出したいからだろうか、電気自動車=エコ=ガソリン車をなくすのが社会正義的な短絡的な思考回路が気になっている。
またマスコミ等の、1日でも早く電気自動車に舵を切らないと電動化による部品点数削減のあおりを受けて、PCやスマートフォンで電機業界がやらかしたように日本の自動車産業は壊滅するといったパニック的な論調にも違和感を覚えるので思うところを書きたい。
ちなみに筆者は非自動車業界のエンジニア、ただし工学部出身なので自動車業界の友人は多く、友人経由で業界の話はよく聞いている。
新し物好きなので2010年代の日本で市販された電気自動車である三菱のi-MiEVや日産のLeaf、トヨタのMIRAIは乗ったことがある。
残念ながら、テスラはレンタカー代が高すぎるのでいまだに乗ったことがない。
・電気自動車が必ずしも内燃機関を積んだ自動車よりもエコであるとは限らない。
・内燃機関を積んだ自動車が電気自動車に置き換わることが即部品点数減になるとは限らない。
・パソコンの自作のように簡単に自動車が作れるようになって新興国のメーカーにすぐに置き換わられることはない。(スマートフォンのHuaweiのように、研究開発能力の高い企業が台頭してくれば話は別)
Well to Wheelって言葉がある。ざっくりいうと、化石燃料を油田から掘り出して、自動車のタイヤを動かすまでのエネルギー効率がどれくらいになるかという話である。
例として、最新のガソリンエンジン車と現在の日本で最大の電力源である火力発電所の電力で電気自動車を駆動させた時を比較してみる。
議論の単純化のために、ガソリンや、発電用の重油やLNGを精製するまでの効率は一旦無視する。
現在、市販車の中で熱効率が最も良いガソリンエンジンはリーンバーンエンジンだが、一番効率の良くなる回転域で熱効率40%程度である。
それに対して、2020年時点で最も効率の良い火力発電所やリチウムイオン電池の効率は下記のようになる。
送電ロス:3%
0.6*0.97*0.9*0.9 = 47%
日本にある火力発電所のなかで、熱効率60%を達成しているものはまだ少数であること、リチウムイオン電池の特性は経年劣化することを考える。
発電効率が50%、充放電効率が80%に低下してしまえば、エネルギー効率は0.5*0.97*0.8*0.8=31%まで悪化し、内燃機関に効率の上で勝てなくなる。
現状の発電所の電源構成をとる限り、電気自動車にエネルギー効率上のアドバンテージはない。
火力に代わる安定的なベース電力といえば、現状原子力の比率を上げるしか選択肢がないわけだが、果たして社会的なコンセンサスが取れるのだろうか?
余談だが、電気自動車にはエンジンの排熱が存在しないので冬場の暖房効率が悪く、ものすごく早く充電量が低下する。
(レンタカーで電気自動車を借りたときに、上記現象を経験して効率の悪さに驚いた。)
逆に、下り坂などでのモーターの回転を利用して充電できる回生充電という内燃機関にない特徴があるので、この辺りは一長一短か。
自動車の動力が内燃機関からモーターに代わると、エンジン、トランスミッション、ブレーキの油圧機構等が不要になり、
現在5万点といわれる自動車の部品点数が1万点程度に減るのではないかといわれている。
代表的なGPUメーカー、NVIDIAの最新GPUであるGeforce RTX3090のTDP(熱設計電力)は350W。
10年位前まではハイエンドモデルのGPUでもせいぜい200W以下であったことを考えると、世代が進むごとに熱問題が深刻になってきていることがわかる。
実用的な自動運転が実現可能なレベルまで性能を上げていけば、冷却用の機構部品が新規に必要になるのではないか?
例を挙げるならば、プレイステーションが新しい世代になるごとに冷却機構が大げさになっていくように。
一昔前にはバックモニター程度にしか使われていなかった車載カメラ。最近では自動ブレーキやドライブレコーダーの普及によって1台の車に複数積まれるようになってきている。
これに加えてドアミラーがミラーレス化されたり、自動運転が進歩するとさらにカメラやセンサーの台数は増える。
ちょっとしたドライブレコーダーでさえ、1つ1つのチップ抵抗やチップコンデンサを部品1つとカウントしていけば、トータルの部品点数は100を超えるだろう。
こうした車載電子機器の増加は、同時に電力や信号を伝達するためのワイヤーハーネスの増加も引き起こす。
少し考えただけでも上記2点のように部品点数が増加する要素が考え付くのだが、本当に自動車の電動化がすすめば劇的に部品点数は減るのだろうか?
動力源が内燃機関だろうが、モーターだろうが自動車が自動車である限り車体の構造は大きく変わらない。
燃費向上のためには車体を軽く仕上げないといけないが、十分な剛性を確保するためには強くしないといけないので、相反する要求を満たすため、車体に使用される鉄素材に占める高張力鋼の比率は年々上がっている。
一般的に、高張力鋼は加工性が悪いので、より高性能な工作機械を新規に導入したり、プレスや溶接の手法を研究していかなければならない。
また、自動車の安全性能に対する各国の基準は年々厳しくなっているため、横滑り防止安全装置等の機構を新規に搭載する必要が出てきたり、様々な角度からの衝突試験に耐えうるボディ形状を設計開発しなければいけなくなったりで開発や試験の工数が増加しているため、世界最大手のトヨタでさえ車体開発コスト削減のために車種数を統廃合しているご時世である。
この現状に対して、パソコンの自作のようにモーターを買ってきて車体に乗せれば誰でも電気自動車メーカーをつくれる状況が来るのだろうか?
自動車開発のノウハウも資金力も不足している新興国の新興企業が、日米欧の主要メーカーに対抗できるだけの設備投資と研究開発が実現できるのだろうか?
可能性はゼロではないだろうが、通信業界におけるHuaweiのように、国家の資金と研究開発リソースをぶち込んだほんの一握りの企業しか台頭できないのではないだろうか?
コロナの影響で保育園、幼稚園、小学校などの運動会の日程が変更されたり、参加できる保護者の人数に制限が出てきたりいろいろな話を聞きます。
今まではパパママジジババでビデオカメラ、スマホ、デジカメなどを分担していた人も、今年はママ一人で撮影しなければならない人もいるでしょう。さらにその写真、ビデオを参加できなかった家族に披露しなければいけないなんてこともありそうです。
一人で撮影するためのノウハウを思いつくままに書くので参考程度にどうぞ
再生するときには家のテレビで見る事が多いと思います。ズームやパンが多いと非常に見にくい映像になります。ビデオの利点は音と映像が同時に出ることです(あたりまえですが)。会場の音楽や歓声はビデオが一番再現できます。手持ちでは無く、三脚に固定して、落ち着いた映像を撮りましょう。
我が子が全体のどこにいるかがわかる程度の画角で結構みやすい映像になります。周りの様子が映る範囲でズームを固定し、出場種目の最初から最後まで切らずに撮りましょう。リレーや徒競走なら最初から最後まで写るように。ダンスなら左右2~3人も一緒にうつるくらいでいいと思います。小さくてもいいんです。これが○○ちゃんだと画面で指させばいいんです。
人が多くあつまる運動会なら、背の高い三脚を用意すれば、人の頭越しに撮影できれば、後ろの方からも撮影できます。手前に障害物が無ければ、子供の背の高さくらいから撮影すると、表情がわかる映像になりますが、手前にお友達が入ると隠れてしまいます。動きを考慮して使い分けましょう。
俯瞰はビデオカメラに任せたら、子供のアップは一眼デジカメで撮りましょう。ダブルズームキットでもサンニッパでもよいのですが、望遠レンズは事前に練習しましょう。運動会以外で望遠レンズを使う機会がある方は問題ありません(鉄、ヒコーキ、鳥、ディズニーなど)が、そうでないかたは公園で子供を走らせて練習しましょう。ピントを合わせながら走る子供を撮るのは意外と難しいですよ。本番はピントを持って行かれる派手な背景や観客がいるので、さらに難しくなります。設定についてですが、ミラーレスなどでよくある顔認証はOFFにします。これをしないと、あっけなくグラウンドの向こう側のしらないおじさんの顔にピントが合います。AFは中央1点か5点にして、胸のあたりに狙いを付けます。AFが追従できる範囲で、できるだけ早い連写モードに設定して数打ちゃ当たるを目指します。
徒競走など順番に同じ動きをする種目であれば、練習もかねて友達の撮影もしましょう。
また、会場の大道具、小道具や、グラウンドの白線、ゴールテープ、バトン、先生達の様子も撮っておくと、あとでスライドショーをしたときに、NHKのスポーツ中継のエンディングのようにちょっといい感じになります。
「スマホは広角を補完すべし」
机の向かいの人を撮るくらいの距離感で綺麗な写真が撮れるのはスマホの特徴です。昔は写真を撮るときは「さがってさがって」とやっていましたが、そうしなくてもちょうどいい画角になるスマホは広角のスペシャリストです。
静止画もビデオもいけるスマホは便利ですが、運動会ではあくまでも補助的な使用にします。動く被写体を撮るにはやや力不足の事が多いです。撮影中にLineが来て中断されても残念です。
広角レンズを生かして、出番の前後の子供達を撮ったり、食事(今年はないかも)の様子をとったりしましょう。ここで注意です。スマホはつい縦で持ってしまいますが、横に持って撮影しましょう。スマホだけで見る場合はよいのですが、PCのモニタやテレビで見る場合は横のほうが無駄がありません。静止画も広角レンズは横でこそ活きてきます。
はっきりいって、同じ背格好、同じ体操着の子供は親でも区別がつかない事があります。靴と靴下を派手にして、目印にしましょう。白い靴下なんてもってのほかです。女の子であれば髪型もわかりやすくしましょう。
あ、まだ言及いただいてたんですね。何となくこの話は終わったつもりでいました。
一番動体撮影に向いていたのはキヤノンの一眼レフと白レンズ(70-300mm f4〜5.6L)ですかね。屋外で撮る分には元増田に書いたとおりAPS-Cの方が有利だと思って使っていました。当時動体撮影に一番向いていると言われたCANONの一眼レフは7D MarkⅡでしたが、自分の撮る動体のスピードでは秒10コマは要らないかと思い、EOS 80Dで撮り続けていました。
連写しまくって、正直打率はよくありませんでしたが、一番良いタイミングでピントを合わせてシャッターを切らない限りいくら連写能力が高いカメラでも良い写真は撮れないと思いました。
α6600もいちおう動体撮影重視の選択なんですよ。CANONのEOS-Mシリーズに一時期手を出しましたが、良いのは小型軽量なのと手元のCANONレンズが使えることぐらいで、AF性能は噂に違わぬアホでした。(私が使っていたのはEOS-M3までなのでその後進化していたらごめんなさい。)
ソニーは瞳AFなどの性能に定評があったので、同じAPS-Cミラーレスならソニーにした方が良いかなと思ったわけです。一度E 70-350mm F4.5-6.3 G OSSをレンタルしてスポーツ撮影に挑戦しましたが、動体追従性能は素晴らしかったです。構図がいまいちだったり水平が上手く取れていなかったりする写真があったのは自分の責任ですが(^.^;
ソニーのフルサイズ機に白レンズを付けてバンバン動体を撮っている人を見るとカッコ良いとは思いますが、無理して重い機材を持って、結局モチベーションが落ちるのでは意味がないと思うのは間違ってますか?
まぁソニーの場合フルサイズ機でも本体はさほど重くないと思うので、本体だけ買って、使用頻度の低い高級望遠レンズを必要なときだけレンタルすれば良いかも知れませんね。
写真を撮ることをメインにしている人と行動するならば、フルサイズ機と大型高性能レンズを使ってなんぼかも知れませんが、写真に興味のない人と一緒にツアーで旅行したりするとあまりにも本格的な機材はかえってヒンシュクものだったりします。以前出張のときに職場のEOS Kissを持っていったら「カメラが本格的すぎる」とビビられて逆にびっくりしました。
「機材のせいにして無駄金を使うのはけしからん。どうせなら撮りたいものに合わせてベストな機材をそろえろ」と言うのは正論だと思いますが、増田さんがおっしゃってるのはやはり写真マニア・カメラマニアの理屈だと思います。
今は「写真なんてスマホで撮れば良い」という人が世の中の多数派です。ガチで撮るとき用の機材と、周囲に圧迫感を与えない機材を分けるのもありかと思います。
私はちょっと不精してα6600程度の小型軽量機でお気楽スナップから動きモノ写真まで全部撮れれば良いなと思ってしまったんです。
別に増田さんとケンカしたいわけじゃないし、同じ写真好き・カメラ好きでも何を重視するかは違うと思います。
たぶんこのままああだこうだ言っていても話は平行線だと思いますが、やっぱり私は小型軽量というのも一つの重要な性能だと思うし、そういう人がある程度いるからα7cは開発されたのだと思いますよ。
いや〜、ブクマ稼ぎが目的だとしても、なかなかここまで丁寧に書いてくださる方はいないですよ。書き込むにしても自分の好みを押し付けたり、こっちの対応や意見が気に入らないと、文句を言ってきたり…。正直あまり客層の良くないWEBサービスだと思っていますが、個人ブログに書くより、こっちの方がいろいろなリアクションが得られるのでここに書いています。
撮影機材の方針が定まらないのは、あっちこっちのジャンルに中途半端に手を出してるからですかね。旅写真でも食べ物でも何でも撮りますが、特に旅に関していえば忙しい詰め込みツアーに参加してしまうことが多く、ガチで三脚を立ててじっくり撮るよりも、いかに短時間で良い風景を撮るかの勝負になってしまってついつい雑に撮ってしまいがちなんですよね。自分で車を運転できればもっと自分のペースで旅をして、じっくり撮影できるでしょうが、何しろペーパードライバーなので突然車の運転なんてすると非常に危険です。
一番やりたいのは動体撮影で、競馬とか馬術とか水族館のイルカショーとかいろいろありますが、その割には年数回しか行っていないのでなかなか上達しません。昨今はコロナ禍で、競馬も無観客レースとなり、入場できないので当然撮影もかないません。また、戦闘機も撮影してみたいのですが、今年はことごとく航空祭が中止になってしまい、行くことができません。昨年は練習のため、せっせと旅客機撮影をしたのですが、無駄になっちゃいましたね。
動体撮影するならAPS-C機、風景とかをじっくり撮るならフルサイズ機と思っていますので、APS-C一辺倒ではなく、フルサイズ機も持っている方が有利だとは思います。が、フルサイズ機やフルサイズ用のレンズの値段と重さを見ると逃げ出したくなる代物が多くて、気持ちがふらふらしてしまうのです。
CANONも最近高性能なミラーレスフルサイズ機を出して来ましたが、ソニーの方がたぶん軽くて安いので、フルサイズ機買うならソニーかな…と漠然と思っています。が、レンズもろとも買い揃えないといけないのでフルサイズ移行には勇気がいります。
いちいち絶景スポットに行ったり見栄えのする被写体のいるところに行かなくても、お散歩写真のようなノリで面白い写真を撮るプロカメラマンもいますので、あまり構えずに日常を撮れる人を尊敬してます。
で、お前は結局どういうカメラが欲しいんだと聞かれると困るんですが、まずは手持ちの小型軽量機を使い倒した上で、将来的に機材(と腕前の)グレードアップが図れると良いなと思っています。
最初は増田にぶらさがってブクマを稼ぎたいだけだったのに、そんな話にも関わらずしっかりと耳を傾けてくれる姿勢に襟を正す思いでこれを書いています。
一応は20年くらいは写真を撮っていますが、自分はプロではないので、あくまでアマチュアの一意見として受け流してくれるとありがたいです。
増田の話を聞いていると、もしかしたら、まずは追い求めたい被写体を絞り込んでいくことから始めるのがいいのかなと思いました。
カメラというのは車と同じようなもので、利用目的によって様々なサイズや性能に特化したものが用意されています。
それをすべて詰め込もうとすればサイズも価格も膨らんでいく一方ですし、目的に沿って取捨選択ができてはじめてもっともシンプルで無駄のないシステムが構築できるのだと思います。
その上で、すこし精神論じみた話をしてしまうと、写真というものは、撮影者と被写体との関係性が絶対に写り込んでしまうものだと考えています。
同じ人を撮影するにも、同じ機材を使っても、撮影者と被写体との関係性でその写真は全く別のものになります。
親しい人であれば自然な表情が取れるでしょうし、心を許せていない人であればどこかぎこちない写真になります。
まずはその観点において、カメラという機材の存在感は無視することができません。
ストロボに大きなデフューザーをつけてでかい一眼レフを向けられれば人は緊張するでしょうし、アクセサリーのように自然に首にぶら下がったミラーレスが気づかないうちにシャッターを切ることができれば、何を意識するでもない自然な表情が撮れるかもしれません。
例えば結婚式の写真を頼まれたとき、大きな一眼レフを仰々しく首から下げておくと割と一般のゲストが遠慮して撮影を優先してくれることもあるでしょうし、小さいカメラだからこそ撮影することを意識させずにゲストの自然な表情を撮れたりすることもあります。
そういう観点から、増田にとってカメラという存在がどのように自分の撮りたい写真に影響を及ぼすのかということは考えてみてもいいかもしれません。
増田にとって、一眼レフをぶら下げたほうが自分の撮りたい写真にとって有利なのか、それとも小型のミラーレスのほうが有利なのか、撮りたい被写体ありきで考えてみてはいかがでしょうか。
もちろん、カメラを持つこと自体のストレスも重要です。物理的な重量やサイズ感以外にも、自分とカメラの溶け込み具合なんかも自分は大切な要素の一つだと思っています。
要するに、カメラを持った自分と、カメラを持っている自分を認識している被写体とが自分にとってどのような関係性でいることがベストかということを考えてみるのがよいのだと思います。
今で言えば生活のどこにでも溶け込んでいるスマートフォンも、カメラとしては優れた機材の一つだと思っています。
そしてもう一つ、被写体との物理的な距離感も大事な要素の一つです。
全く手に届かない被写体を意識もされないままに望遠を使って撮影するのか、それとも身近な存在を撮影することを意識されたままに撮影するのか。
好みの画角を決定づける方程式はどちらかというとシンプルで、被写体との距離感と、それに対して写真の中の被写体の占有率の2つで求めることができます。
遠い被写体を大きく写したければ当然望遠ですし、遠い被写体を広く写したければ広角、近い被写体をアップに撮りたければマクロ、近い被写体にも広い背景を入れたければ広角など、画角と最短撮影距離の2つが判断基準になります。
この辺りは意識して絞り込むことは難しいので、自分が撮影した写真を見返してみて、どの画角、どれくらいの被写体との距離感の写真が自分にとっていい写真だったのかを見返してみるのがいいと思います。
おそらくこの2点は画質を考えることよりも先に解決すべき問題だと思っています。
画質に対するこだわりは、そこまで被写体を絞り込んでからでも遅くないと思います。
そうすると、自分が撮影したい被写体に対してベストなレンズが絞り込めてきます。
ズームレンズは一見便利なように思えるのですが、1本でいろいろな写真が取れてしまうので自分の好きな画角に気づかないままで過ごしてしまうこともあります。
そこは割り切って単焦点レンズを使ってみてまずは理想の写真に対して自分の足で稼いでみるのもよい経験になるのではないでしょうか。
動体に対するピント精度はレンズよりも本体性能に関わってくるので、この辺はメーカーやそれこそ価格帯で異なってきますが自分には明確な答えを持っていので実際に使っている人の話を聞いてみてほしいと思います。(どちらかというと静物中心の撮影が多いので)
また、暗所に対する撮影はカメラとレンズ性能よりも、どちらかというと周辺機器で解決する場合のほうが多いです。
水族館なんかだと機材に制限があるので使えないことが多いのが現実ですが、そういう場合はそもそも撮影できないものなのだという割り切りも大事です。
それでも撮影したい気持ちがまさるのなら、それに特化した機材選びが必要になってきます。
いずれにしても、機材にはメリットとデメリットが常にセットになります。
その時、自分の都合よりも撮りたい被写体のために機材選びをできれば、そのデメリットはそれほど苦痛にはならないのではないかなと思いました。
自分が尊敬してやまない「決定的瞬間」という言葉を作り出したアンリ・カルティエ・ブレッソンも、今で言うミラーレスのようなカメラを常に懐に忍ばせては、数々の芸術的なスナップショットを生み出してきました。
彼は構図の天才でありながらも、被写体との関係性とはなにかということを表現した写真家の一人だと思っています。
すこし年寄りの説教じみた話になってしまいましたが、増田にとって写真がいつまでも楽しめる趣味であってほしいと願っています。