はてなキーワード: カードゲーマーとは
横のカードゲーマーだが、なんかよう?
リアルのプロカードゲーマーの試合には全く魅力がないのに、なぜ遊戯王はウケたのか考えてみた。
・見た目が派手
・興味深いストーリー
この2つがリアルには無い。
キャラクターに関して、武藤遊戯と海馬瀬人の魅力をざっくり考えると
①カードゲームに熱意がある
②かっこいい得意な戦法がある
③宿命を背負っている
④見た目がかっこいい(好みによる)
⑤なんだかんだで勝つ
と、まあこんなところだろう。
理由は以下の通り。
①カードゲーマーならみんな持ってる
②カードゲーマーなら誰でもできる
発売前のカードを使ってリアリティショーをしてもらうというのはどうだろう。
まだ誰も持ってない、使った事のない、正確な強さなんてわかるわけないカードを使って
アマチュアプレイヤーでは出来ないシチュエーションで、なんならちょっと誇張気味の脚本も使って
頂上決戦じゃ無いと盛り上がらない?
プロレスみたいに、これを「世界大会」とか「タイトルマッチ」ってうたってしまえばいい。
そうだね。
本当に強いカードゲーマーの試合って、どこが凄いのかわかりにくいんだよね。あっさり負けたりもするし、イカサマ疑惑も出たりする。
だから、「強い」ってのはプロTCGプレイヤーの魅力にはなり得なかったし、なり得ない。
それならもはや競技的プレイは、勝って賞金や名誉を得たいプレイヤー以外には魅力的じゃないってことではないだろうか。
カードゲームに、競技性なんて要らなかったんじゃないだろうか。
【追記】
読んでいただいてありがとうございます。
テレビ番組は見た事無いけれど、プレイはまあまあした事がある。
ポーカーというゲームは運と実力が重要で、トッププレイヤー達は知的で情熱を持ち、
練習や知識の拡充に余念の無い人達だと想像するのは難しく無い。番組も実に面白そうだ。
本当は同じなのだ。
それはTCGの競技ゲーム性が理解されていないからだとも言える。
始まって20年以上経ち、配信環境や布教活動が整いつつある今でもこの有様だ。
もう、TCGを知的格闘技だなんだと言って売り込むのはある程度諦めるべきなんじゃないか。
・有吉eee
見た。面白い。
俺は「SASUKE」「オーディション番組」「ガチンコファイトクラブ」みたいなのを想像していたけれど
こういう、和気藹々としたものも人気の助けになりそうだなと思った。
ただ、個人の感想ではあるんだけど有吉が面白いだけな気がしないでもない。
有吉並みに面白い人を使わなければ意味が無い、のかもしれない。
・動画
まだやってるやついんの?笑
ゲームはワンパターン、露骨な主人公ゴリ押し、ターロループなどゲーム崩壊するメタデッキはシカトして主人公デッキが勝つためにゲーム環境を整えてるとしか思えない運営の動き、スタン落ちするも相変わらずの殿様商売で大コケどころかクソコンボクソデッキ増加による運ゲーが加速してるプレミアムスタンダード(笑)、今日発売のパックも再録8割とかいう完全にクソパックな上に新規カードはぶっ壊れ性能で主人公以外のクランが完全終了が確定してるスタンダード(笑)
誰が買うの?誰がやるのこんなん?
中坊でも買わんで。
カードゲームでしかイキれない可哀想な社会の底辺クソイキリオタクくらいだべwww
まぁカードゲーマーという人種自体オタクの中でも特にくっさいイタイ奴しかおらんしなwww
そんなのよりポケカやろうぜ
ヴァンガが流行った頃、いっとき、ほんのいっときだけ、女の子率が少し増えたじゃないですか
ただ、最近FEサイファでもまた少しだけ女性率が上がったんですよ
とはいえ、だいたいがオタサーの中に一人とか、女の子集団(4人〜6人ぐらい)でくるとか、そういうのなんだけども
ところが、今年の頭ぐらいから、女性二人組がよく来るようになって
この二人ってどういう関係なのかなーって、妙に気になってしまっている
みたいな書き出しで、第三者からカードゲーマー百合を眺める的な創作実話を書こうと思ったのですが、
この二人がプレイしているTCGがなんなのか? が決めきれず、ここで筆を置くことにします。
そうやあアンジュってもう終わってたんだね。
ちょっと頭の中の中でこねくり回しすぎて、MTGの銀枠専門プレイヤーで新作でテンション上がってキスしてしまう、という展開を思いついてしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20170220012819
今回起こったのは、10年以上遊戯王の主役で有り続けた「エクストラデッキからの特殊召喚」を根本から揺るがし、取り返しがつかなくなったルール変更である。
遊戯王はモンスターを場に召喚して戦うカードゲームで、様々な召喚方法がある。その中でも主役級の位置を担う融合召喚、シンクロ召喚、エクシーズ召喚、ペンデュラム召喚、これらをまとめて「エクストラデッキからの召喚」と呼ぶ。昔は融合しかなかったのだが、世代が進むにつれて新しい召喚方法が生まれ「エクストラデッキからの召喚」とみられるようになった。
そして今回行われたルール変更とは「新しいカードで新しい召喚方法を使わなければ、エクストラデッキからの召喚を大きく制限するよ」という盛大なちゃぶ台返しである。
なぜデフレさせなければならないのか。それは、現在の遊戯王はインフレがいきすぎてしまっているからである。
トレーディングカードゲームにおいて、カードプールの増大と強さのインフレは不可分だ。カードプールが大きくなる(カードの選択肢が広くなる)ほど、今あるカードだけでも十分なデッキを組むことができてしまう。すると、新しいカードを買う動機が生まれてこない。新しいカードがちゃんと売れるためには、既存のカードよりも強く、でなければ斬新なカードでなければならない。そして遊戯王は「新しいカードは強くなければならない」という構造から逃れられず、インフレを止められない状態となっている。
その結果、アニメと違って、現実の遊戯王は1,2ターンで勝負が大方決まってしまうようになった。最前線級のデッキとそれ以外とでは深い断絶が存在しており、最前線級のデッキとまともに試合をしたければ、最低でも「即死技を出す能力」「即死技を止める能力」のどちらかを備えていなければ話にならない。このような高速環境では新たに斬新さを作る余地もほとんど残っていないので、新規カードはさらに強さに偏るようになる。これが何年も続いているのが今の状況だ。
数年前までは禁止制限リストに最前線級のカードを適宜入れていくことで代謝を促すことがまだ機能していた。しかしこの方式も限界が来ている。なぜなら新作のカードはどれも異常に強いので、特定のカードを禁止するという方式が現実的ではなくなってきているからだ。禁止制限リストは100種類を突破して久しい。
では、ルール変更はインフレを解決し、健全な環境をもたらすだろうか?残念ながらならないだろう。
最前線のデッキのなかには、本変更の影響を受けないグループが存在する。これらのデッキは「エクストラデッキからの召喚」をほとんど使わないので、ルール変更前と強さが変わらない(例: インフェルノイド)。となれば、他のデッキはそれらと互角に渡り合う必要があり、新ルールが高速環境に戻るのに、そう時間はかからないだろう。
既存デッキを環境から強制的に退場させるという点で、このルール変更は事実上のスタン落ち(古いカードをまとめて使用禁止にすることで環境を強制的に代謝させる仕組み)である。しかしこのような場当たり的なやり方では、仕組みとして持続性がない。いずれカードプールは増大し、また現在と同じ即死ムーブが跋扈する状態になる。その度にグレートリセットを行うのだろうか?他のカードゲームの事例を挙げると、マジック:ザ・ギャザリングでは定期的にスタン落ちが行われるのだが、これは計画的に、少なくとも1年前には予定されているので、プレイヤーもショップも適切に備えることができる。
ルール変更は大きな傷跡を残すことになった。
電撃的に発表された変更は影響範囲が甚大で、多くのカードを紙屑化し、その価値を破壊するものだった。これは「遊戯王には高価なデッキが明日には無価値になる大きなリスクが存在する」という極めて悪しき前例となった。「業界トップのソシャゲーにおいて、突然既存のSSレアの価値がN相当になった」と例えればわかりやすいだろうか。今後同じことが起きないという保証は全くない。そのリスクはショップとプレイヤーに降りかかる。
遊戯王アニメが世代交代するたびに「エクストラデッキからの召喚」に新しい召喚方法が生まれ、「エクストラデッキからの召喚」は遊戯王の主役であり続けた。それが潰れたということは、これまで活躍したデッキのほとんどが、最前線のデッキのみならず、歴代アニメの主人公のほとんどのデッキまでが機能不全に陥ってしまったことを意味している。アニメ・カードゲームの両方に対して、過去積み上げたアイデンティティが否定されたということでもある。
アニメ面白いですね。彼らのデュエル、かっこいいですね。でも彼らがやってること、これからはルール違反なんですよ。
ルール変更はインフレを解決しない。大した意味もないくせに、失ったものは大きい。
遊戯王にとって、これは本当に取り返しのつかない事だった。
というか、マッタク楽しくない。
合コンだの、友達たくさんだの、週に何回も飲み会だの、バーベキューだの旅行だの。
あれ?と言う感じ。
というのも、俺が持っていた「スクールカースト的?」な劣等感なんてなかった。
スクールカーストはあって、俺はそれが『うらやましいもの』と思い込んでたけど。
俺は多分、「なれない」んじゃなくて、「ならなかった」側だったんだわ。
勉強ばっかりしてたから。将来研究医になることしか興味なかったから、そもそも周りに興味なかった。
よく、ドラマとかで王子キャラが、「セバスチャン」的なノリで出てくるけど、あれがリアルだと思う奴はいない。
少女マンガの白馬の王子なんてのも、流石にリアルでいたらアホ。
なぜ信じてしまったのか。
それは、見た目がクソブサメンのチビデブハゲふけ顔だったから。
でもさ、関係ないんだよ。
女からしても男ってそういう動物園の動物なんだよなあ、リア充世界では。
漫画やドラマで見るような、「ウフフ、オホホ」なことは一切無い。
小学生がカードゲームや家でゲームやってる時のほうがよっぽどリア充。
キモオタがコミケで集団で同人買い占めてるけど、あっちのほうがよっぽどリア充。
カースト上位のリア充集団なんて、女は金持ちのペット、男はパズドラ並のクソゲーをやってる気分。
これは、せいぜいパズドラ程度しか楽しめない層のための、ゴミゲーなんだわ。
一方で、キモオタ集団やカードゲーマー、ラブライバーみたいなのが本当の面白さ。
こっちのほうがよっぽどリア充。
なんで、キモオタが馬鹿にされるって、結局女とやれるやれないの差だけ。
女は、結婚とか恋愛で脳みそが馬鹿になってるってか、カワイイとか雰囲気いいみたいなノリじゃないと楽しめないからパズドラばっかりやってるわけ。
女は、『ワンピース』みたいな、まったく戦略もしっかりしてないのにノリや仲間感で敵を倒せたりみたいな、ドキュンノリのファンタジー的なカワイイ系のりしかわからない。カワイイ系ノリで問題解決するわけがないんだけど、『ワンピース』では、カワイイ系ノリの絵で雰囲気だけで話が成立している。
リア充ってのは、そういうワンピースノリそのもの。馬鹿らしい。
一方で、キモオタはスグ文学に走る。文学なんて、学校の図書館でホコリまみれだったでしょ。誰も読まないけど、クッソ面白い。
結局、この程度のものなんだけど。
キモオタは文学的に考えちゃうから、「キモオタ視点のエロ漫画」とかになると、すぐリア充を『勝者、人生楽しんでる』と設定したがる。
二次元絵でメン球やおっぱいを巨大にかいてしまったり、体重を30キロ台に設定してしまうような、極端な抽象化をしてしまう。
ドストエフスキーが『地下室の手記』で劣等感まみれの男を書いたり、『賭博者』ってので女に貢ぐ男を書いたりと煽られたのもある。
とにかく、文学が言うんだし、エロ漫画も読みまくって刺激受けまくって。
「これぞ真実だろう、死ねよリア充。堕胎やいじめを産んでるクソ文化死ね。他人を犠牲にしてリア充とか本当に人間性ねーなバーカ」
と本気で思ってた。
しかし、当のリア充は、「精神的に貧困」な人達ばかりだ。特に女。こんなクソゲーに女はガチでやんないとだめなんだなとアホらしい。
男はこんなんを降りても余裕でキモオタ文化で楽しめるわけで、むしろキモオタ文化のほうが高度なわけだし。
う~ん。劣等感消えましたなあ。
キモオタ文化の抽象化された「リア充うらみ」をそのままトレースして遊んでいたんだなあ俺は。
好きだったアイドルがAV落ちしたときに泣きながらオナニーしてる奴がうらやましくって、そのアイドルがアイドルしてたときの動画を必死に漁りまくってファンだった設定で泣きながらオナニーしてるようなもの。
そして、その、最初の、「アイドルがAV落ちして悲しんでいるオタク」ってのを抽象化して、二次元キャラみたいに物凄い劣等感を抱かせて神格化して。そういう神格化された非実在キモオタをトレースして気持ちよくなってたんだなあ俺は。