はてなキーワード: つがいとは
いきなり お疲れさまです だの その日は難しいです だの書かんやろ。
誰宛なのか書いてくれ
わかりました って書く。
分かりました 了解しました 承知しました 承知いたしました どれかにしてくれ。
わかりましたってお前、小学生か?
こっちがお前の直属の先輩に 増夫くんの日程、未だ連絡ないけど、増田の予定はこの日以外埋まってるよ、大丈夫? って言って、2日経ってやっと連絡きたな。
こっちが提案した日程に対して、開口一番に その日は家の用事があります って書いてたな。
まずは 予定空けてくれてありがとう、次に その日は空いてません申し訳ありません でしょうが。
お前が連絡してこないせいで、増田の用事は埋まってしまっていましたが、お前の仕事は見ないといけないので無理矢理空けることになりました。
出ないよ?
今回だけのことならそんなに怒らなかったし、むしろサシで話したことない初対面だから優しくしたと思う。
でも、これまで毎日毎日遅刻遅刻欠勤遅刻、同じグループにそういうやつがいるって聞いてたら、今回のメールは許せないよね。
以上すべてが気になる。
でも癪に触るんだもん
でもなぁ!!!
記憶力がゴミカスで記憶力の低さだけで学習障害者として人生終わってるような奴だって人生楽しめてんだよ!!!!
てめぇの人生こそが最高だって自慢してる時点で!!!!!!!!!!!!
てめぇの人生なんてどうせ最高なんかじゃねえだろ!!!!!!!!!!!!!
ブコメで大坂なおみ擁護してるやつにどれだけ普段テニス見てるやつがいるのか
ATP、WTAのツアーのフォーマットとかゲーム毎のメディア対応とか前提踏まえてなくかつ同じ立場の選手からきちんと論理的な反論もあるのに
ツイッターでは「正義の反対はまた別の正義」「人それぞれに正義がある」「人が正義に立つと最も残酷になるのだ」みたいな言説が本当に氾濫していてゲンナリする。
見たことないですか?ドラえもんの「戦争なんてみんな自分が正しいと思ってる」みたいなコマを他人のツイートに送りつけてる人とか
正義の反対が別の正義なのも人それぞれに正義があるのも当たり前で、問題なのはそれを踏まえて何を主張するか、自分はどのような正義に立つのかだろ。
ちょっと前に防衛副大臣がイスラエルを擁護して大炎上してたときも「イスラエルとパレスチナにはどっちも正義がある」みたいなことを言う人が大量にいたんだけど、それを踏まえたうえで、双方の主張に欺瞞がないか、宗教観の対話は難しいとはいえ何か切っ掛けはないのか。そういうことを話していくべきじゃないのかよ。その点では内容はともかく明確に立場を表明した副防衛大臣はまだマシだった。
「正義の反対はまた別の正義」ってその点便利な言葉なんだよな。詳しく調べるのは面倒くさい問題でも、こう言っておけばそもそも解決不可能な問題のように見せかけられるし、ちゃんと調べて何か発言してる人とコスパよく同列に並べるから。
「なんか偉そうに「正義」を語ってるやつがいるけど、そもそも正義なんて人それぞれなんだからあいつのやってることは無駄なんだ、何もしないオレの方が賢いんだ」みたいなメンタルが透けて見えるんだよ。関心がないこと自体は構わないけど、お手軽に何か言った気になろうとしないで欲しい。雑にマウントだけ取ろうとするな。
ロシアのクリミア併合とか、ミャンマーでの国軍の虐殺とか、中国での少数民族弾圧とか、ああいうのも彼らの「正義」ですよ。それぞれの国内では犯罪でさえない。でもたいていの人は「その「正義」はおかしくて、もっと正しい別の立場があるはず」って思えるんじゃないかな?
そう思えるんなら、その時点であなたは「数ある正義の中でも、公正なものと層ではないものがある」ことに気付いてるんだよ。「正義の反対はまた別の正義」という言葉でストップする無意味さに気付いて欲しい。
こういう言説がここまで流行したのって、大真面目に学校教育の「みんなちがって、みんないい」みたいな思想のせいだと思う。言うまでもなく個々人の嗜好(好物とか性嗜好とか)に関しては人それぞれだが、社会に関わる問題までもが「みんなちがって、みんないい」で済むわけないだろ。
はぁ?勝手に辞めろよって話だと思うよな。
格闘ゲームが流行りだした頃って、不良のたまり場だったゲームセンターからゲーム好きの聖地に変わり始めていた頃でね。
攻略のし甲斐があるゲームが沢山あったおかげで、質の高いゲーマーが売上を支えることで不良たちを追い出して清浄化がちょうど終わった時期だったのよ。
ゲームセンターにはゲーム自慢たちが溢れてて、そいつらがゲームの技術や攻略を全力でぶつけ合える。
ところがバーチャ勢だけは違った。
バーチャっていうくらいだから当然追い求められたのはそのリアリティで、いかにもゲーム然としたドット絵のキャラがどれだけ殴り合っててもアニメシーンの枠を超えなかったけど、バーチャには本当に人が殴り合ってるような変なリアリティがあった。
だからか知らんけど、今で言うマイルドヤンキーみたいな人たちがこぞって飛びついてきやがったのよ。
他の格ゲーで強い人っていうと、言い方が悪いけど絵に書いたようなオタクばっかりだった。
マイク向けられたら黙るかどもるか聞きもしねぇマイ用語をマシンガンみたいに話し続けるようなやつしかいなかったわけ。
でもバーチャ勢は違うのよ。
リア充とかパリピみたいな奴らばっかりで、いつでもどこでもウェイウェイいってるような奴らばっかりなんだよ。
そりゃそうだ。
もともと喧嘩好きみたいな人間が、立ち寄ったゲーセンで楽しそうだからってお金突っ込んで、負けたら熱くなったからって引けなくなったような奴らばっかりが強くなったんだから。
もちろん全員がそうだとは言わないよ。
でも地元ゲーセンでバーチャやってるようなやつらは、他の格ゲーやってるオタクからカツアゲしてバーチャに金突っ込んでるようなやつらしかいなかったんだから。まじで。
当時、ゲーセンはせっかくゲーマーたちが不良から勝ち取った憩いの場だったのに、こんなロクでもないやつらの登場でゲーマーたちは再び隅っこに追いやられてしまったんだよ。
自分もここ数年、色々と縁があってesportsにいっちょ噛みするようになった人間なんだけど、コロナ直前くらいのイベントでバーチャの大会が同時開催されたことがあったんだよ。
新作がずっと出てなかったってこともあって、バーチャなんて珍しいなって思って会場を覗いてみた。
ぞっとしたよ。そこだけ当時のまま時間が止まってる。いや、人間だから年は取ってるけど、空気というか雰囲気とかがあのときのまんま。
うぇいうぇい言ってるようなやつが女と仲間に囲まれてうぇいうぇい対戦してんだよ。
2秒で出たね。ドア閉めて、このまま一生閉じ込めておきたい気分だった。
鉄拳も民度低いって言われてるけど、比較にならない。(もらい事故さーせん)
大げさじゃなくて、床に寝転んでストロングゼロ飲んでるやついたからね。
みんな余裕で40越えてるようなやつらがだよ。
もう誰の手本にもならなくていいし、もう誰も止めるやつがいないんだなって思ったよ。
腐ってもビッグタイトルだけあって未だにプレイヤー人口は多くて、下手なメジャータイトルよりイベントの興行性は高い。
それはつまり、esportsに採用されれば市場ではその存在感を無視できなくなるということ。
要するにいろんなesportsイベントで彼らと同席する機会が増えるってことだよ。
それは流石にごめんだ。なんで20年もたってあいつらとまた顔をつきあわせなきゃならんのか。
身内には言い出しづらいけど、コロナでイベントもろくにできてなかったしちょっと潮時だわ。
発売記念っていうんで当時の上級者同士(あの頃はプロはいなかった)の対戦イベントが行われた動画が回ってきたから見てみたんだけどさ。
やっぱりバーチャすごい。
リアルな動きで殴り合ってるから、優勢劣勢、逆転からなにから状況が手にとるようにわかる。
今のゲーム見たく、技の有利不利がわからないと楽しめないようなゲームじゃないんだよ。
だからその分、いつもひりついてる。プレイヤー同士がひりついてる瞬間がびんびん伝わってくる。
そんなゲームをいつまでも続けてるようなやつらだからそもそも頭おかしいんだろうな。(褒めてない。)
自分はそれが耐えられなかったんだなって改めて思い知らされたよ。
そういう意味も含めてバーチャ復活したからesports辞めます。
皆さんはせいぜい気をつけてください。
本来は、男性優位って文化は「酷使されているやつら(=死ぬ兵士)を褒めたたえる」ためのもの。
故郷のために戦って死んだ兵士は、そりゃ後ろで守られている女子供より偉いし、偉そうにできるよ。
偉そうにさせてあげてるから、つらい仕事をさせていてもよかったところがある。
ところが、現代では兵士のやることは闘争ではなく都市労働になったし、戦争になったとしても銃のおかげで女子供も参加することになった。
だから男が偉そうに見えなくなって、男女平等とかいう発想が生まれてしまった。
すると男は偉そうにできなくなる。
とはいえ辛い仕事がこの世からなくなるはずもなし。兵士は必要だ。
なのでまずは、辛い仕事を女もすればいいんだと思うね。
この話題度々見かけるんだけど、そのたびに原因が選手の内面的なものだけに還元されているのを見てゲンナリする。
選手がただ短気である、思いやりがない、という理由だけでこんなに多くのテニスプレイヤーがラケットを破壊するものか?と疑問を抱かないのは精神論を無意識に高く評価しすぎている。
テニス経験者から言わせてもらうとテニスというのは、端的にそうなってしまうスポーツなのだ。普段温厚で優しい人柄の人間がレシーブのボールをネットにかけてしまったとき
そこには通常考えられないほどのフラストレーションが瞬間的に顔を見せる。これはほとんど生理的なもので抑えが効くやつがいたら本当に尊敬する。
その試合が真面目なものだったとしたらそのフラストレーションは殊更である。3年間隣でテニスをしていた友人が一度だけラケットをたたきつけてハート型にしたとき、周りは震えあがったが
それと同時に納得もした。「テニスはそういうスポーツだから」という共通認識があるからだ。遊びでテニスをしている人やテレビの前で観戦している人との決定的な認識のズレは
試合のために日々練習し真面目にテニスをプレイした経験が有るのか無いのか、というところにあるのだと思う。怒りという感情に対して倫理的な観点から文句を言うのは誰にでもできるが
その観点はあくまでも他者の感覚を共有しない独断的な立場から理想を述べているだけである。その独断的な理想に他者が適わないからと言って「性格が悪い」と悪口を言うのはいかがなものなんだろうか