ツイッターでは「正義の反対はまた別の正義」「人それぞれに正義がある」「人が正義に立つと最も残酷になるのだ」みたいな言説が本当に氾濫していてゲンナリする。
見たことないですか?ドラえもんの「戦争なんてみんな自分が正しいと思ってる」みたいなコマを他人のツイートに送りつけてる人とか
正義の反対が別の正義なのも人それぞれに正義があるのも当たり前で、問題なのはそれを踏まえて何を主張するか、自分はどのような正義に立つのかだろ。
ちょっと前に防衛副大臣がイスラエルを擁護して大炎上してたときも「イスラエルとパレスチナにはどっちも正義がある」みたいなことを言う人が大量にいたんだけど、それを踏まえたうえで、双方の主張に欺瞞がないか、宗教観の対話は難しいとはいえ何か切っ掛けはないのか。そういうことを話していくべきじゃないのかよ。その点では内容はともかく明確に立場を表明した副防衛大臣はまだマシだった。
「正義の反対はまた別の正義」ってその点便利な言葉なんだよな。詳しく調べるのは面倒くさい問題でも、こう言っておけばそもそも解決不可能な問題のように見せかけられるし、ちゃんと調べて何か発言してる人とコスパよく同列に並べるから。
「なんか偉そうに「正義」を語ってるやつがいるけど、そもそも正義なんて人それぞれなんだからあいつのやってることは無駄なんだ、何もしないオレの方が賢いんだ」みたいなメンタルが透けて見えるんだよ。関心がないこと自体は構わないけど、お手軽に何か言った気になろうとしないで欲しい。雑にマウントだけ取ろうとするな。
ロシアのクリミア併合とか、ミャンマーでの国軍の虐殺とか、中国での少数民族弾圧とか、ああいうのも彼らの「正義」ですよ。それぞれの国内では犯罪でさえない。でもたいていの人は「その「正義」はおかしくて、もっと正しい別の立場があるはず」って思えるんじゃないかな?
そう思えるんなら、その時点であなたは「数ある正義の中でも、公正なものと層ではないものがある」ことに気付いてるんだよ。「正義の反対はまた別の正義」という言葉でストップする無意味さに気付いて欲しい。
こういう言説がここまで流行したのって、大真面目に学校教育の「みんなちがって、みんないい」みたいな思想のせいだと思う。言うまでもなく個々人の嗜好(好物とか性嗜好とか)に関しては人それぞれだが、社会に関わる問題までもが「みんなちがって、みんないい」で済むわけないだろ。
言葉通りの意味より「自分のことを絶対視せず客観視しましょう」って意味合いの方が強いのでは
正義の反対が別の正義なのも人それぞれに正義があるのも当たり前 こんなことすら分からないブクマカみたいな連中がごまんといるからだろ。
わからなくもないけど、トップダウン型の思考で頂上から1歩も降りられてない人が、ボトムアップ型の思考でほんのちょっと登りかけてる人を嘲笑うのもバカバカしいよ。
愚者は「我思う故に我あり」で思考が止まる。 賢者は「我思う故に我あり」から思考が始まる。 「科学も宗教も一緒」というのはある意味で本質をついているのだが、そういう言葉を悪...