はてなキーワード: かわいい彼とは
毎日家に帰ると、習慣のようにアダルト動画サイトにアクセスしてしまう。
(2,3日空くときもある)
外出中や仕事中などに見てしまうということまでは今のところないし、そのような衝動に駆られるということも今のところはない。
ググってみると依存症っぽい気もするが、日常生活に支障があるかというとそうとも思えない。
ただ、自覚としては、彼女とデートやセックスを楽しみたいけど彼女いないからそれができない寂しさを埋め合わせるためにやっている行為だから、やっぱり依存しているような気がする。
何かに、誰かにすぐ依存してしまうこの弱く未熟で魅力も価値もない私を改善し、自分好みのかわいい彼女を手に入れるためには何から始めたらいいだろうか。
そう思う理由は
結論から言うと自分より幸せそうな人間を見ているとかなりイライラする。
他人にマウント取りたいようにしか見えないという偏見を抱いてしまうし、かわいい彼女と一緒なことが羨ましい。
あとはインディーズのバンドマンも絶滅して欲しいと思っている。
女をとっかえひっかえしているのが羨ましいし、
インディーズのライブでよくある内輪ネタと少数のバンギャ女性ファンが気持ち悪すぎる。
親のすねかじりも羨ましい。
社会人にもなって生活費を工面してもらえる環境って本当に羨ましい。
羨ましく思う人種と関わりを避けたりすることである程度どうにかできるのは理解しているけど、
羨ましく思う人種に当てはまる同期や友人が多くて辛い。
無理じゃない依頼であれば何でもイエスと答えてしまうイエスマンで、後になって後悔したりする。
他人に厳しく、自分に甘い。その上プライベートでは行動力もない自分にうんざりする。
自分の親は片親で、実家で祖父母の面倒(介護というレベルではない)を見ている。
そしていつか自分も母を介護したりする日が来るのかと思うと悲しい気持ちになる。
仕事を頑張ったところで地元の友達や周囲の人間には何のマウンティングにもならないし、女の人も寄ってこない。
かといって何かするわけでもないのだ。
若くてかわいい彼女つくったらいいよ。
仮に知性軸とモテ軸の2軸で評価した場合、元増田は、知性軸では上位16%以内(偏差値でいうと概ね60以上)、モテ軸では上位16%以下84%以内(偏差値でいうと概ね40~60)という自己評価なのだと思います。学校とか職場は知性軸で切り分けられる傾向が強いから、周りにいる男性は上位15%程度の知性を持った男性が大多数であったことでしょう。あなたは、モテ軸においても上位50%以内であると自己評価し、それを証明したいと願っています。しかしながら、あなたの属するコミュニティにおいてモテ軸上位50%以内の男性は、知性軸16%以内を兼ね備えることになり、競争率が高くなります。これがあなたの悩みの根源であるといえます。ならばどうするか。
戦略1=ダメンズを狙う。経済的にも自立できているとのことなので、モテるけれども知性がイマイチという男性と結ばれれば、あなたもモテ軸で上位16%以内のコミュニティに入ることができます。いわゆる下方婚というやつですね。
戦略2=フェミニストになる。あなたが優れた知性を持っているにもかかわらず、恋愛市場における地位が低いのは男性優位社会であるからです。あなたと同程度かむしろ劣る程度の知性の男性がモテ度の高い女性と多く結ばれている実態はジェンダー差別の結果です。あなたは幸せになれないかもしれないけれど、あとに続く女性のための礎になれるのであれば、プライドは満たされることでしょう。
戦略3=LGBTになる。かわいい彼女を作ってみてはいかがでしょう。
戦略4=数を打つ。当たって砕ける。イケメンでない男性は、多かれ少なかれ高嶺の花にあこがれ失恋した経験を持っています。その経験を踏まえて戦略的にかつ戦術的に彼女を作るために涙ぐましい努力をしているものです。(最近は最初からあきらめてしまう人も多いけど)。それに比べると女性は甘えている人も結構います。いつも異性のことで頭がいっぱいで、24時間ターゲットを探し、あらゆる手を使ってモノにする。このようなナンパ師の行動様式を取り入れてみてはいかがでしょうか。
16年前は真っ白でふわふわで目と鼻が真っ黒だった。今の彼女は耳や背中が茶色になってきて、目や鼻はブラウン化してきて、これはこれでとても愛くるしい。
そんなかわいい彼女を毎日大切にしているが、成犬になって落ち着いてきた頃から、子犬よりも成犬のほうがかわいい、むしろ子犬はやんちゃすぎて嫌だとすら思うようになった。
さて、最初の一文で最近調子が悪いと書いたということは、彼女はもうそろそろという意味だ。
そのことを必死に隠しながら生活をしている。しかし、一番気がかりなのは今の犬が大好きな爺さんだ。
最初は犬を買うことに大反対だった爺さんだ。昔、犬を飼っていて、しかしその最後の別れがあまりにも辛く、自分で作り上げた犬小屋を夜中にいきなりノコギリで解体しだした爺さん。そろそろ別れを感じ取ってるのか日に日に犬に構わなくなっている。もし今の犬とお別れがきたら今度こそ本当に気が触れるんじゃないだろうか。
なので、お別れが来る前に親と相談し、新しい子を飼うことにした。
そのため、土曜日に彼女を頂いた保護活動家の家に行き、新しい子を貰いに行くことにした。
16年前とおんなじ部屋に通されて子犬が何匹か駆け寄ってくる。
子犬はかわいい。16年前、4匹兄弟の中で唯一真っ白だった彼女を引き取ったことを思い出す。
でもそれ以上に気になったのが、成犬だった。
ほとんどの成犬は保護活動家の人曰く、性格が凶暴になったとか、大きくなって飼いづらくなったと保護活動家の人や別の施設や連れてこられたりするらしい。
または犬を飼っていた老人が無くなり、飼い主がいなくなった時に家族から連れてこられたりなど。
そのうちに一匹。すでに9歳になる一匹のコーギーが非常に可愛く思えてしまった。
その時「かわいい子犬は貰い手が見つかりやすいが、成犬どころか老犬になってしまったこの子は飼い主が見つかるのだろうか。」と脳裏に浮かんだと同時に「俺はこの子が良いと思う。」と言っていた。
父は「でも子犬じゃないとまたすぐにお別れが来るぞ」と言った。保護活動家の人も「情で選ぶと大変だよ。」といった。
二人の言うことはご尤もで、この保護活動家の家にいる犬すべてに飼い主ができるわけではない。この保護活動家の人も結局は子犬であっても決まらない子のほうが多いという。
俺はそういうことを思いながら、わかったといって、黒茶のミックス(保護活動家の人は柴犬とポメラニアンではないかといっていた)の6ヶ月の雄を選んだ。
顔合わせをする。彼女はビビリで他の動物をみると怖がるが、彼は小さいからか大丈夫だったみたいだ。
爺さんは大変よろこんで「犬小屋いるな」といって日曜日に早速犬小屋を作ってた。(といっても結局、小屋はお昼に外にだすときしか使わないんだけど。)
その度に「でも彼女は多分ビビるし、9歳だともう老犬だし」と言い聞かせ打ち消した。
偽善なのはわかってる。でもこの増田は嘘松なので偽善でいいのだ。9歳のいきなり天涯孤独になったコーギーなんて存在しない。いいね?
過去、相手の言葉、態度、行動から判断して、周りにも少し相談し、これは明らかに特別な感情を抱いているなと誰もが思わざるを得ない状況下で、実は単にこちらを翻弄し、自分がいかに価値のある女であるかを確認するためだけのダシにされた経験があるためか、人、特に女性を安易には信用できなくなってしまった。
安易に信用しては、またこうやって自分の気持ちと自尊心が踏みにじられるだけだと判断してしまうから。
それでもなお、信頼しあえるかわいい彼女がほしいという欲求は消えず(普通の男ならごく自然な欲求だと思うが)、しかしまた傷つけられるのもおそろしく、悶々としている。
似たような経験をした人は一体どうやって克服したのだろうか。
→恋愛や色恋
誰かと付き合ったことはあるが、気に入った女を落とせたことがない→自分にはそれだけの価値や魅力がない、タイミング等の問題ならそのタイミングを見計らえるだけの能力がない→そんな無価値で無能な自分を肯定できない
かわいい彼女がほしい、そのような女を彼女にできるだけの価値と魅力がある男なのだと実感したい。
以上が自己分析。
実現可否は別にして、かわいくてかわいくてしかたのない彼女を作り、ひたすらに愛情を注ぎこみ、相手からも愛情を返してもらい、相思相愛になって思う存分イチャイチャラブラブしたい。
彼女こそが自分にふさわしく、自分こそが彼女にふさわしい、そんな関係を作りたい。
そしてそんな彼女を持つことができた自分に心から酔いしれ、2人の時間を過ごす他に類を見ないほどの幸福感やリア充感を全身に浴びたい。
これが自分の中での、「恋愛」の定義、つまり自己満足の割合が大きい。
さらにこの彼女を「生涯にわたって自分だけが独占したい」と考え始めたときに、検討する手段が「結婚」、相手あってのことという色合いがさらに濃くなる。
独占といっても、普段はいつでもどこでも誰とでも、好きなときに好きなことを好きなように好きなだけしてればいい。
ただ、最後に帰ってくる場所は自分のところをおいて他にはない、となっていさえすればいい。
要はけじめさえついていればよいのだ。
「結婚」した後も「恋愛」的なことはしたいが、それはどちらかが望んだそのときだけでいい、四六時中してる必要もない。
このような意味合いでは「結婚=恋愛の延長線上」と考えることもできるが、やはり別物なのかな。
我ながらキモイが、周囲の既婚カップルのうち、(感覚的にだが)6割程度はこんな感じで相思相愛ラブラブしてるのでうらやましくてしょうがない。
一方で自分はいまだ独身、付き合った人は過去何人かいたが現在はなし。
今も今までも可能なことはがんばり抜いたつもりなのだが、一度たりともこのようなオイシイ思いをしたことがない。
単に縁がないとか、自分の力だけではどうしようもないことが理由ならばしかたないが、いつか自分も同じオイシイ思いをできることを夢見て日々生きている。
極論すると、この願いがかなわないのならば生きている意味などない。
何言ってるのかわからなくなってきた日曜の昼下がり。
いやードエロかったですね!
「性」と「母」が繋がることをまったく隠すことなく見せつけてくる話でした。
大きな、生命の尊さみたいなものの上に「性」と「母」をどーんと乗せて同列に扱い、なんかイイ感じの素敵なお話にまとめ上げる手腕は流石だなと思いました。
すごいよマリィ。
茅野さんのキャラクターがまあとんでもなくエロいんです。唐突にブチ込まれる寝取られ展開には大興奮しました。
直接的な性表現がないにもかかわらず、妊娠しているお腹を撫でるだけでこんなにエロさが表現できるのかと。
またキャラクターの造形的に身体的な性的アピールが乏しく、服装は露出が少なく、胸部も臀部も特に主張はない分、
やや膨らんだように見えるお腹を愛おしそうに撫でるという行為を引き立てていましたね。
まあこのキャラクターは作中、人生めちゃくちゃになるんですが、望まぬ性行為を受け入れ、望まぬ妊娠を受け入れて母になる強さが描かれていました。
そうして母になったにもかかわらず母らしいことは一切させてもらえず、産んだ子にも会えずでとにかく悲惨でした。
自分を助けに来たかつての彼氏が目の前で殺され(たと思っていた)てからは病みっぷりが進行し、抱くだの抱かないだのでヒスっている姿がかわいそうでとても可愛かったです。
やっぱり天真爛漫でハツラツな女の子が汚され堕ちていく様は魅力的だなと思いました。
このめちゃくちゃな人生の中でどのように望まぬ性行為、妊娠を受け入れていったのか、その過程が見たい。具体的にいうと薄い本で見たい。
そして梶さんのキャラクターが輪をかけて病んでいくんですが、病みすぎて原理主義的なことを言い出すわけですよ。
でもね、それも仕方ないですよ。
自らの手の中にあったあんなにかわいい彼女がさらわれ妊娠させられ、助けに行けば子のため行かないとか言われればそれもやむなしですよ。
それは母として強くなった彼女との対比としてそう描かれているわけですけど哀れでしたね。
後半には生と死の対比みたいなシーンがあるんですが、そこで夜空に響き渡る日笠さんの喘ぎ声とても良かったです。