はてなキーワード: 風早とは
仕事が終わって帰宅すると「おかえり」と玄関まで来てくれる美人でも無ければブスでもない、いかにも普通の妻を見て自分に本当に釣り合っているなと実感する。
小学校、中学校、高校と男子の好みは多様だった。たまたま隣の席になった女子。電車でいつも同じ時間に乗る女子。家が近所の幼馴染。クラスの男たちで好きな女子の話をしていても様々な名前があがるし、外見や性格も様々だ。
男子が雨夜の品定めのようにたくさんの女子の名前をあげる一方で女子の視線はクラスで一人か二人の男子、つまり主人公に注がれている。小学校ではスポーツ万能な男子、中学校ではイケメンな男子、高校以降は学力などのレベルにもよるが大抵勉強も運動もそこそこでき、爽やかな顔立ちに少し長めの髪、そしてバランスの良いスタイルをもった男子だ。彼らは主人公なので、朝の何気ない挨拶や廊下でのすれ違い、仕草などちょっとした言動行動が全てフラグを立てる。そしてフラグを立てまくった中から容姿も性格も優れたヒロインを選んでカップルが成立する。感動のラブストーリーだ。この構図は以降の大学でも職場でもずっと変わらない。
では雨夜の品定めをしていた光らない男たちと、ヒロインになれなかった女性たちはどうなるのか。理想のラブストーリーを夢見ていた彼らも高校卒業の頃には自分たちが脇役であることを自覚する。そしてそれぞれのコミュニティの中で「好きじゃないけど無理じゃない異性」とうまいことマッチングして失った日々を取り戻すべく必死に恋愛ごっこを楽しむ。「この男性は顔は悪いし年収も低いけどスタイルが良いし面白い」「この男性はスタイルは悪いけど顔も性格も悪くないし仕事が安定してる」「この女性は笑うと歯茎がむき出しだけど、太ってないし優しい」「この女性は寸胴で平安貴族みたいな顔だけど料理もできて気も利く」という風に自分のなかで我慢できるところやメリットをなんとか探し自分を納得させる。やがて結婚し、脇役を再生産していく。こうして世の中は回っている。
現実として小中高と好きな子やヒロインと結ばれず風早くんではなかった僕は、好みではないけどそれなりに小綺麗で愛嬌のある穏やかな性格の妻を選んだ。黒沼爽子になれなかった(大学生や社会人の時に風早くんの気まぐれや暇潰しで遊んでもらったことはあるのかもしれないが)彼女は風早翔太くんではないが清潔感があって常識的で仕事も堅実な僕を選んだ。そして二人は結婚した。
これが不幸なことだとは思わない。なぜなら世の中のほとんどは風早翔太くんではない男と黒沼爽子ではない女でできているからだ。僕も妻も僕の両親も友達もみんなそうだ。
主人公ではない男たちと、ヒロインになれなかった女たちの世界の中ですらマッチングできない男女のことは知らない。きっと前世かご先祖さまが戦国大名で日本中の寺社を破壊して僧侶と女子供を殺し回ったんじゃないだろうか。知らないけど。
すこしだけ、というのは、ううんなんて言えばいいんだろう。にわかオタクだったっていうか。
小学生のころから根っからのオタクだったので創作したり妄想したりするのが好きだったんですけど、高校時代はライトなオタクだったというか。漫画読むしアニメも齧ってたしニコニコ動画とかも見てたけど、そこまでヘビーなオタクじゃなかった。
なぜそうだったかって、勉強と部活に明け暮れていたからなんですけれども。そこそこの進学校に入学した自分は今思うとめっちゃ痛いんだけど高校デビュー(笑)したくてごりっごりの運動部に入ってた。
それまで文化系だったから、その部活では底辺だった。でも個人競技の側面のあるスポーツをしていたので誰かの足を致命的に引っ張ることはなかった。本当に良かった。
そこで同じ競技をしていた同い年の同級生が他にもうひとり居たんですね。男の子なんですけど。
端的に言うと、めちゃくちゃ陽キャだった。もう根暗の自分からすると最初はマジで怖くてびくびくしてた。
同じ種目だから練習も同じなんですけど、まじで同じ部活じゃなかったら関わることがなかった人種。
その子は最初の一年は部活さぼりがちでした。なんか勉強の方に専念したいらしくて。でも練習に顔出さない割にはもともとの運動神経が良くて部活の成績はそこそこ良かった……たぶんもっと練習してれば強くなっていたのではないかとおもう。
二年生になって、練習によく顔を出すようになった。たぶんなんか、その子のなかで気持ちが変わったんでしょうね。
毎日のように練習で顔を合わせるんですけど、怖いと思ってたのがコミュニケーションするうちにこいつ良いやつじゃん…ってなった。
その子めちゃくちゃイケメン(でも顔がこわい)で、一年生のときからお付き合いしてる彼女が居るんですね。で、よくその子のことを惚気られた。
しかもその惚気かたがめちゃくちゃ可愛くて、下世話な話とかじゃなくて、今度お花見に行く~とか、手作りのお弁当を作ってもらった~とか、なんかもうあまずっぱいんですよ。
ほんとうに好きなんだなあ~と部活の合間とか終わったあとに話を聞きながら、彼のようなひとのことをリアル風早くんと言うんだろうなと思っていた。(風早くんが誰か気になるひとはぐぐってくれ・・・)
なんで急にこんな話するかっていうとツイッターで行きずりのオタクが「マジの陽キャはいいやつ」みたいな呟きしてるのが流れてきて。本当にそうだなあって思ったからなんですよね。
大好きだった「君に届け」の連載が、今月発売の別冊マーガレットで終わった。
申し訳ないんだけどネタバレがあるから、「君に届け」のネタバレをされたくない人は読まないでほしい。
実は、29巻が出る少し前から、5年ぶりくらいに毎号別マを買って本誌で連載を追いかけてきた。
少女マンガに傾ける熱量が異常だった小学生~中学生の頃ぶりに購入し続けたのだが、あの頃と変わらず女の子たちに夢と希望と居場所を与える別マ、そして「君に届け」がうれしかった。
あれをみんなハッピー大団円とみるか、ひとつの青春の終わりとみるかは本当に人によると思うんだけど、私は後者で、ひとつの青春の終わりとして最高の最終回だったと思ってる。だから、騙されたと思って別冊マーガレット12月号買って。
なんでこの青春終わるなって私が感じたっていうと、最終回のちょっと前で爽子と風早くんがセックスしたからなんだよね。
恋愛の段階を丁寧に描いてきたこの作品の中で、初回のセックスが二人の終着点(付近)になるってことは、現実世界で二人の道は分かたれるんじゃないですか?って思ったんだよ。だってセックスを超える恋愛の段階ないよ。
同じことは「ハツカレ」を読んだときにも思った。でも、「君に届け」のふたりの初回セックスは、今まで二人といっしょに大きくなってきた読者の心を思いやって描いてくれたなあと思う。「ハツカレ」も私は好きなんだけど、あの超展開にえっ?!て戸惑ってしまって振り落とされた子たちもいそうなので。
でね、本誌で追って、青春の終わりを感じたからこそ、最終回の絵も台詞もモノローグも全てにグッと来てしまってマンガで泣いた。久しぶりに泣いた。
駅の場面は実にずるい。千鶴の見送り(ひとり見送る者のくせに笑顔で送り出す人格の完成されぶり)・風早くんとの別れ(”あの”2人が駅でキスもするし呼び捨てもし合ってるし君たちはだれ?成長したね?)で泣き、畳みかけるように車内で読む風早くんの手紙がまあステキで泣き(翔太おまえはよくできた奴だな)、そこで襲いかかってきたモノローグ(1ページまるまる電車が走ってるあにページ!!!なにあれ泣くでしょ)で泣きすぎて鼻水出た。
爽子たちはずいぶんとゆっくり、高校生をやってくれた。爽子たちと椎名先生と別マ編集部の人たちに、本当にありがとうございましたという気持ちでいっぱい。
出会ったときは既刊4巻で、まだ私は小学生だった。それから10年経ったけど、友人関係で絶望した時も、家族との関係に悩んだ時も、好きな男の子に振られた時も、いつも「君に届け」のみんなはそこにいてくれた。高校時代に友達と大騒ぎしながら読んだことは今でもいい思い出だ。
みんなの年齢はとうに追い越してしまった。でも、この感謝はずっと変わらないし、この作品はずっと好きなままだと思う。
たぶん自分も受験したり上京したり彼氏と付き合ったりっていろんな経験があったからこそ最終回ボロ泣きしたんだろうなあとも思う。
いくつになっても楽しめてしかも経験が増えるほど楽しみ方の幅が広がるなんて少女漫画は最高だね!!!!
小中学生の頃は少女漫画に熱意を注ぎながらも、いつか大人になったら飽きるのかなあってちょっと不安に思ってたけど、そんなことはないから安心しろと昔の自分に言いたい。飽きない。超楽しい。
なんか集英社の回し者みたいになってきたけど違うからね、これで入社させてくれるなら入社させてほしいよ
てかこれだけ青春の終わりとか言っといて来春の別冊マーガレット5月号(2018年4月13日(金)発売)で爽子と風早くん結婚してたら超恥ずかしいな!
でも買う!!
結論からいくと、「百合作家に『私、女の人とお付き合いするのは生理的に無理なんですよね』って言う人、いるの?」だ。
百合を書く作家は女性が多いと思う。Twitterを見ていても、百合を書く作家は少なくとも過半数が女性だ(異論は大いに認める)
それで、女性が多いといえばやはりBLである。だが、BLと百合とでは作品と作家の関係が大きく異なる点がある。
BLは扱っているキャラの性別は男性、書き手の性別は女性である。
百合は扱っているキャラの性別は女性、書き手の性別も女性である。
お分かりの通り、BLと百合も勿論同性同士の恋愛(に近い関係)を扱ったジャンルである。
話は変わるが、少女マンガを読む少女達が「私もこんなステキな恋愛したい!」「私も風早君みたいな彼氏ほしい!」と思う様子は想像できないだろうか。
ベルセルクに自分の人生を重ねる女子高生がいるかはわからないが、スポーツ漫画を読んで「俺も全国大会に行きてえ!!」とかヒカルの碁を読んで囲碁を始めましたとか、ハイキュー!!読んでバレー始めましたとか、そういうことはありそうだ。
で、話は戻すが、百合作家にもこれと同じ現象が起きてもおかしくない、ということだ。
ましてや創作していれば思い入れは一塩だし、その作品に対して一番考えているのはまぎれもない創作した自分自身である。自分が考える理想的な百合を仕上げた後に「あーあ、私もこんなだったらな……」と考える姿くらいは、あってもおかしくなさそうだ。
さあ、そこでだ。百合作家が純粋な異性愛者はいないのでないかという問題が出てくる。
確かに、ストレートアライと呼ばれる人も存在する。創作物に対して自己投影をしない人ならそのような立場でもありうるだろう。しかし、居たとしてもそれはごく少数ではないだろうか。
現に、百合が好きな人同士の出会いを目的としたオフ会が開かれている(のを見たことがある)。
「コミケッコン」なんていう言葉もあるが、百合作家同士のカップルが居てもおかしくはないと思う。
今回は書き手という括りにしたが、これは重度の百合好きには共通する話題だと考えている。
勿論百合作家の方や百合が好きな方でも異性のパートナーがいらっしゃる方は大勢いるとは思うが、社会的な面はひとまず置いておいて「私、お付き合いする人は男性じゃないと生理的に無理です」と言う人はあまりいないのではないかと考える。
数年前に「女性は誰しもレズかバイ」だという研究結果があるとのことだが、この狭い界隈の中では、首を縦に降らざるを得ないのではないかと思う。
ちなみにこれを書く私はバイセクシャルです。
コンビニたそがれ堂 空の童話を読んだ。大人のためのファンタジーって感じの小説だった。物語が交差しているシリーズが多すぎるのが財布に痛いところ。
このシリーズを始め、村山早紀の小説はちょっと過剰なくらいに優しい雰囲気を醸し出しているのが特徴だと思う。文体が効果を発揮しているせいだと思うし、話の内容も人の優しさや思いやりや願いを中心に据えているからなんだろう。
そのため、その時々のコンディションによって読書感が大きく変わってくることがある。もちろんどんな小説でもそうなんだけど、基本的なスタンスが変わらないのにシリーズがたくさんあるから、内容に対する感想の変化を顕著に感じられるのだと思う。結構前に読んだコンビニたそがれ堂の一作目なんか、過激なところや傷つけたり傷ついたりするギズギズした箇所がなかったから物足りなく感じてしまった。今はその物腰の穏やかさこそが一番の味わいなんだと思うってるけど。
さておき空の童話の感想について。空の童話という架空(たぶん)の本を共通項として取り扱った小説集だった。キーワードは他にもあって、クリスマスとタイトルにもなっているコンビニ。
神様が出てくる小説なんだけど、その活躍っぷりが控えめで、あくまでも生きている人々の意思を尊重しているところが好意的に感じられた。キャラクターの個性もいい感じに出ているていいと思う。二つ目の話に出てくる隣人の獣医さんとか、三編目の空の童話に出てくる店長と奥さんとか、脇役がちゃんと立ち位置を定めているのが素敵だった。
他にも悪の秘密結社の重役とか宇宙人とか植木鉢から生えてくるおやゆび姫とか、イロモノもちょくちょく登場してくるんだけど、街の溶け込んでいるのが面白いところだと思う。いかにもなキャラクターが普通に生活している様を、取り立てて際立たせようとしていない、むしろ意識してなだらかに表現しているところがこの作品の丸みに繋がっているんだろうな。
ただエピローグにはやられてしまった。桜並木に現れた子どもたちの姿が描かれた時、少しうるっと来てしまった。くやしい。狙いすました内容だったのに。
面白く読めたし胸が暖かくなる小説なんだけど、冒頭にも書いたように様々なシリーズを横断して人物が登場しているところが個人的に少し困る。
今シリーズを始め村山早紀は風早という架空の街を舞台にした小説をいくつも執筆しているのだけれど、ところどころクロスオーバーしているようなので気になって仕方がない。海馬亭通信とか読んだはずなのに内容を覚えてないし、天空のミラクルってシリーズがまた始まってるし、竜宮ホテルもカフェかもめ亭もコンビニたそがれ堂も読めて無いシリーズがあるし、花咲家の人々に至っては買ってもない。すごく気になる。
なんかまんまと踊らされているような感じがしなくもないけど、ここまで集めてるんなら全部網羅してやる。
最近はあんまり少女漫画読んでないけど、よく読んでるほうだと思うのでマジレスしてみる。
少女漫画のヒーロー役っていうのは他の漫画でもそうなように、パターン化されている。かなり大雑把に分類すると、
A:正統派ヒーロータイプ 優しくて礼儀正しい、真面目な人。君に届けの風早くんみたいなやつ。
B:ぶっきらぼうな男子っぽいor昔の俺様タイプ:新條まゆのヒーローとか、花より男子の道明寺とか。
C:クールでツン気味なタイプ(ヒロインにだけデレる):ぱっと思いつかないけど、昨今の別マあたりでよく見る気がする。
みたいなかんじだと思うんだけど(異論は認める)、Aは多分「きみ、あなた」あたりを使い、Bは「おまえ」、Cは「あんた」かなと思われる。今、Cタイプのヒーローが一番多く見られる気がする。人気があるのだと思う。そういうわけで、単純に露出の多さから「あんた」というヒーローが多く感じられるんじゃないだろうか。
補足として、一説追加。女性のなかでは、親しくない男性に「おまえ」と言われるとかなり不愉快に感じる人が多いと思う。かといって「きみ」とか「あなた」とか言うのはちょっとかしこまっているとか古いというか、違和感を感じる(相手がすごく年配の男性だったら別かもしれない)。その点で「あんた」というのは、年頃らしいぶっきらぼうな感じがありつつ、でも一応気を使っている感じがしてちょうどいいのではないかと思う。
そのキャラの視線に立ってみると、「あんた」を使っている理由としては、先にも上がっている「照れ隠し」も多いにはありうる。「萌え」というのならそのあたりに萌えを見出すのだと思う。例えるなら、年下の男の子がかわいい兄の彼女なんかを「おまえ」とも言えずに、かといって名前を呼ぶことなんて絶対できずに「あんた」って呼ぶ感じの萌えかな。かわいい~みたいな。
あとは「他人行儀」さを演出しているうえでの「あんた」も良く見られる。多分親しくなると「おまえ」と言い出すのだと思う。こちらは演出上の問題で、距離感の描写に萌えを見出すのかもしれない。
どっかで必ず女性側の願望や欲望(漫画家の場合は腐趣味も含む)に走る。
そういう願望や欲望が悪いって言うんじゃないよ。
大いにやるといい。
でもそれなら最初から女性向けの媒体で女性向けの漫画描いてればいいじゃん。
なんで少年・男性向け漫画誌で一旦男性読者集めてからそれをやるの?
どういう心理状態なの?と聞きたい。
それとも「それを好まないだろうクラスタに見せ付けたい」みたいな露出的興奮なの?
もちろん、男女を問わずに愛される作品とかそういうのはあるよ?
でもここで言ってるのは、明らかに少年・男性向けだったはずの作品の話ね。
男向けも女向けも、ベタな願望や欲望って言うのはすごい身勝手で、
はっきり言って対立してるんだよ立場が。
男向けの萌え漫画で可愛い子がわんさと一人のつまんない主人公男に群がって、n股かけられてるのに文句も言わないとかさ。
女向けの恋愛漫画で、だらしなくふらふらする主人公女を超凄いイケメンが奪い合って全肯定してくれるとかさ。
対象性別じゃない方の人間が真面目に読んだら違和感や不快感だらけになって当然。
そこは異性のドリームに目くじら立てたりマジレスしたりせず流すことで仁義が成り立ってるはず。
しかるに、なんで異性のテリトリーに侵食した上で自分の性のドリームをおっぱじめるんだ?
どういう動機でやってんのかしりたい。
風早君の人格が変わって爽子以外の同級生にもいいよられるままニタニタするような男になったら嫌だろう。
何がしたい!
アニメでは、冴えなくてオタクっぽい主人公に、なぜかよく接してくれる女の子が出てきて、そのうち成長していき、その成長した姿を見た他の女の子にもモテるようになり、多少の軋轢や葛藤が生じ、ラストを迎えるというものが結構多い。それが相当こじれたのがSchooldaysなどだろう。こういうアニメの特徴は、主人公に都合のよい女の子が出てきて、都合の良い展開になるということ。こういう点は、一般の女の子受けがとても悪く、これらのアニメを見ている人は、たいてい「気持ち悪く」扱われる。
君に届け、では暗くて友達のいない爽子が、なぜか自分に対して感じのよい風早くんに惹かれて、そしてなぜか風早くんも爽子が好きで付き合ってしまうというストーリー。最近よく女の子に、どういう人が好きなのっていうのを聞くと、「君に届けの風早くんみたいな人」っていう人は多い。自分は今のままで、なぜかそのままを好きになってくれる人がいる。これは見方を変えれば、「オタク向け都合いい気持ち悪い」アニメと同じだと思う。なので、風早くんが好きと言う女の人はもっとdisられていい。
みんな、ダメな自分をそのままにうけていれてくれる都合のいい話が好きなだけなんだ。それから一緒に成長すればよいと思ってるのかな。ダメな自分をうけていれてくれる人がいい、っていうのはある意味そこで思考停止していて、そんなのは夢物語なんだともっと思ったらいいと思う。そうしたら明日何をしなきゃいけないかみえてくるよきっと。
http://anond.hatelabo.jp/20100816074122
長すぎて導入と結論しか読んでないけど主旨は捉えた(つもり)
その上であなたに言いたいのは、
「「処女厨」趣味ってのは現実の相手を選ぶときの基準ではない」
と言うこと。
あなたが言ってるのはネットで観測される「処女厨」趣味についてだろうと決め付けた上で、
著名な炎上でいう「ナギ様」も「綾たん?(平野綾のオタ間の愛称が何か知らん)」も
萌えアニメやギャルゲーのメインヒロインの非処女設定というのは
風早君が爽子に愛想尽かし「イライラするんだよ!」と毒づいて他の女の子に行くようなもので
フィクションの理想像を踏み越えたからフィクションの消費者に拒絶される。
せっかくの超長文の前提を崩すのは心苦しいが
それこそ増田での不毛な「処女厨」論争の大半はこの前提を踏まえてないことに端を発すると思うので
いい加減みんなここを弁えて欲しい。
そういうのとは別レイヤーに、リアルに結婚相手を選ぶ上での処女志向というのは確かにある。
例えば宮○真司氏のように、援交少女や家出少女を長年賛美しておきながら
http://ameblo.jp/aquariangospel/entry-10207545885.html
という「処女性」の高い物件を選ぶような人物・戦略と言うのは普遍的に存在するけど、
重要なのはまずこの二つが方向性やレイヤーの違うものだと言う区別をキッチリつけること。
そもそも後者、「現実の結婚相手選びの基準としての処女志向者」は
むしろ隠し持っている。
処女厨ってのはね
ちょっと考えりゃわかるんだけどさ
実際に観測されてネタ元になってるいわゆる「処女厨」的な騒動って、
・この間の人気アイドル声優
・1年ぐらい前の美少女アイドル神様が出てくる萌えアニメのヒロイン
とか、
「処女厨」的な欲求や願望が、生身にベクトルの向いた、現実とか生活に属するものなら
「処女厨」がスパークするのはネットの祭なんかじゃなくてもっと実際の交際とかドメスティックな場面の筈だけど
そういうのってないと思うし個人的には身近や交友関係の限りで聞いた事が無い
処女厨が願望する「処女」っていうのは心の中で念願する女神様みたいな物で
自分の彼女や嫁になるような生身の普通の女になんか、そんなの端から期待してないんだよ
だから、
ややこしいところでたまにネットに、
「嫁は処女じゃないと」って熱く語ってる人がいるけど
好きな二次元キャラを「嫁」と呼ぶ文化と同じく、生活の話と見せかけて女神様の話をしてるだけ
ほんとうの結婚を念頭に置かない話で敢えて「嫁」っていう語り方をしてるのは、
その語り手が実際の結婚に対して持つリアリティや期待感が薄いだけ
もうすぐ新しいアニメが始まりますね!ということで、気の早い感想ですが、2010冬期アニメ15作品を簡潔にそして恣意的に紹介します。ストーリーなどの詳細は省略しましたので気になった方は各自Google先生に聞いて下さい。
評価は
S 最高!
A もう一度みたい
B まぁ面白い
C 暇つぶし
D 時間の浪費
F 測定不能
オープニング曲やエンディング曲が気にいったものには印をつけました。(だいたい放送曜日順,月→日)
評価B end◯
近景アニメ?『けいおん!』風。軍服萌え。ノエルは俺の嫁。Amazing Grace。
評価?
『化物語』に続く西尾維新作品のアニメ化。なんと月1話の12ヶ月放送。『School Days』の監督。作画は賛否両論。まだ、2話しかない。
評価 F
派手な下着の小学生アニメ。1話で切った。私もまだまだオタクではないなと確信。今期2位のヤバさ。
評価C
短いから見れる。イタリア人に怒られないのか心配。
評価B op◯ end◯
言わずとしれた「風早くん最強神爽やか爽快cool」アニメ。ちなむと爽子は俺の嫁。名文句は「そんなの笑えない」
れでぃ×ばと
評価C op◯
今期3番目にヤバイアニメ。ぱいおつ丸だし乳首あり。もう一度言う。「乳首あり」。ただし、フレイムハートさんのドリルは幼虫みたいで不快。大地薫役はみんなのくぎみーなので、くぎゅぅぅぅぅぅぅってなりたい人は是非見よう。
評価C
評価C
もう「ひぐらし」は飽きたんだよ、おなかいっぱいだよ。って言うそこの貴方!この作品のキャラデザはローゼーメイデンの人だぜ!へい!
評価B
来たぜ!僕等のひだまり壮!動物化された僕にはタマラナイ!新入生が2人加わってひだまり壮はさらに賑やか!ちなむと智花役もくぎみーだよ!
評価B op◯
池袋を巡るサスペンスアクション。小野大輔、福山潤、中村悠一という男性声優陣に腐女子は発狂確定。
評価C
吸血鬼アニメ。『ひだまりスケッチ』、『化物語』の新房監督。ネリー役は喜多村英梨。
評価B
ここに来て盛り上がってきた世界と戦う図書館司書のアニメ。27日にはテアトル新宿でオールナイト上映があるそうな。ハミュッツの胸に注目しがちだが、軍服のミレポがかあいいポ!!主要人物かと思われた人がバタバタ死ぬ。
インデックスのスピンオフ作品。私はこっちのが好きですの!御坂美琴も佐天さんもいいけど、木山先生が理想の女性。超電磁砲はレールガンと読みます。
コブラかっこよす!ってなる。
今期最高の変態アニメ。主人公は母乳を飲んで力を得る。女の子がぱいおつを吸わせるシーンは圧巻。声優陣は豊崎愛生、茅原実里、平野綾、日笠陽子、川澄綾子と意外に豪華。
と抜けがあるかもしれませんが、もう終盤なので今期見ているアニメを振り返って見ました。
もちろん他にも色々と作品があるので、みなさんの感想もお待ちしております!
http://anond.hatelabo.jp/20091015223717を書いた増田なんだけど、
質問に答えてくれてありがとう。
放送地域のお知らせに「読売テレビ」と書いてあるだけで関西だとは
よくわからなかったので不安だったのです。一度見逃すと終わりだし。
http://www.ntv.co.jp/kiminitodoke/
これは別冊マーガレットで連載中の少女漫画をアニメ化したものだが、その内容が素晴らしいので少し紹介したい。
この物語の主人公の黒沼爽子は明るく純粋で感動屋だが、見た目が超陰気なためクラスメイトから『貞子』の名で恐れられていた。だが、風早翔太に恋をしたことがキッカケで、自分が思っていることを周囲に発言するようになり、クラスに次第に馴染んでいく。この漫画では、その爽子を中心にクラスメイトとの友情、及び風早との恋物語が丁寧に綴ってある。
思えば少女漫画は少年漫画と違って、昔から『読者との等身大感』が非常に重要視されてきたように思う。
例えば、私が小中学生の頃読んでいた『りぼん』では、『天使なんかじゃない』、『ママレード・ボーイ』なんかが流行っていて、読者が感情移入するのはもちろん主人公である女の子。男性のサブキャラクターが一部に人気を誇ることはあっても、物語はあくまですんなりと読者が感情移入できるようにと配慮され、『キャラ重視』されない漫画が多かった。また、当時はまだ少女漫画がアニメ化、ドラマ化すること自体が稀であったため、それらの作品は映像化しないで終わったものが圧倒的多数であった。
それが最近の『イケメン』ブームにより、アニメ化するのもドラマ化するのも、製作側に『とりあえずイケメンいっぱい出るやつがうけるんでしょ』と安易に片付けられ、結果、視聴者が非日常感を楽しめるように、という視点での製作が進んでいったように思う。
確かに『NANA』、『桜蘭高校ホスト部』、『花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス~』などは素晴らしい出来だったと思うが、何故これらの映像化が受けたのかというのを製作側は深く考えたのだろうか。少なくとも私は、フジテレビが映像化した『メイちゃんの執事』、『有閑倶楽部』は『イケパラ』の二番煎じを狙ったもののように感じられて仕方が無かった。原作者の方には非常に申し訳ないが。
もういい加減『イケメン』路線が飽きられているのも製作側は分かっていると思う。なので、なおさらこの『君に届け』がアニメ化されたこと、またその出来栄えが素晴らしいことが嬉しく感じるのである。
ただ昔と違うのは、『腐女子』や『リア充』に代表されるネットスラングともいえる言葉が、視聴対象となる若者に浸透しすぎているという点だ。言い換えると、このアニメは爽子がいかにリア充としてクラスに打ち解けていくかというものを描いているため、視聴者がこのアニメの話題で、実際の学校生活で盛り上がれるか盛り上がれないかで、その視聴者の取り巻く環境を推察できるように思う。だって実際にあなたがクラスのいわゆる暗いグループに所属しているとして、「超感動した~」と盛り上がっているところを他のグループに聞かれたいだろうか?私だったら駄目だ。『こいつも爽子みたいに本当は打ち解けたいんじゃないか』なんて思われるくらいなら死んだ方がマシだ、と思ってしまうに違いない。中高の頃ってやたらとプライドだけは高かったりするし。
こういう風に書くと、『なんだ結局オタクは見るなって言いたいだけかよ』と思われるかもしれないが、それは違う。むしろオタクこそ見るべきと言いたい。このアニメに登場する人物が、たとえ主人公のライバルにせよ、どこか憎めなくて愛せてしまう性格の持ち主ばかりで、リア充だろうがオタクだろうがそんなものは乗り越えて、見ている側が30分間、自分のとりまく環境を忘れさせてくれるような作りになっているからだ。
男だろうが女だろうが、オタクだろうがオタクじゃなかろうが、この『君に届け』の世界観が、ごくありきたりの学生生活を描いているにもかかわらず、ある意味で非日常な空間を体験させてくれる。それも自然に。この点が、このアニメの一番の真骨頂であるように私は思う。
風早に笑われると、まるで自分が爽子であるかのごとくドキッとしてしまうし、クラスメイトが仲良くしてくれると本当に嬉しく感じる。そういう意味では『リア充感』を味わわせてくれるアニメ、ともいえるかもしれない。
かつて、『監督不行届』という本の中で、エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明が、妻、安野モヨコの漫画を評して語った文章の中に、非常に印象深いものがあるので紹介したい。
嫁さんのマンガのすごいところは、マンガを現実からの避難場所にしていないとこなんですよ。今のマンガは、読者を現実から逃避させて、そこで満足させちゃう装置でしかないものが大半なんです。マニアな人ほど、そっちに入り込みすぎて一体化してしまい、それ以外のものを認めなくなってしまう。嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者の中にエネルギーが残るようなマンガなんですね。読んでくれた人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる、そういった力が沸いて来るマンガなんですよ。現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。嫁さん本人がこういう生き方をしているから描けるんでしょうね。『エヴァ』で自分が最後までできなかったことが嫁さんのマンガでは実現されていたんです。ホント、衝撃でした。
この庵野監督の言っていることがそのまま、この『君に届け』には当てはまると私は思う。例えクラスでこの話題に入れなかったとしても、そんな事はどうでもいいのかもしれない。むしろ『その話題に入りたかった自分』を直視させられるキッカケとなるのが、このアニメなのかもしれない。だって爽子は、そういった自分の内側の気持ち、『皆の輪に入りたい』ということを、ちゃんとクラスメイトに勇気を出して伝えているじゃないか。不器用で天然だけど、こちらが恥ずかしくなるくらいに真っ直ぐで、だからこそクラスで受け入れられていくのだ。プライドばかりが高い誰かとは違って…。
私は、あなたがこのアニメを見終わってテレビを消した後に、非常に満ちたりた充実感を味わえることを約束する。現在2話まで終わっているので十分追いつく範囲だ。男も女も、腐女子もオタクも、見て幸せになるといい。