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6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
ただ、自分の考えとしてはやはり子供が考える「これって無駄でしょ?」に近い。
はっきり言って、それが子供っぽいと言われようが、俺はそっちほうが直感として正しいと思うんだよね。
時代を積み重ねたということに重きを置くのが保守だけど、俺はそこを否定してるわけじゃない。
何というか、もっと現実的な面で、つまり伝統を守るということが現実のこの時代に生きる人間の負荷になるのは困るという感じ。
俺は古代ギリシャの彫刻や文学、その他にも平安の文学やら万葉仮名やら建築や哲学その他多くの歴史を否定してはいない。というより肯定してる。
そういうのが出来るだけ残ってくれるのはありがたいと思うし、記録・保存する人たち(図書館司書など)には敬意を抱いている。
ただし。
それをこれでもかと押し付ける行為が気にくわない。
つまり、「これは時代の試練を経てきた名著だ、だから読め」って言って学校で強制的に読ませたりする行為。これが本当に嫌。
俺が言ってるのはそういうことで、実は祭りや伝統的な街並みそのものを否定してるわけじゃない。
興奮するとそこがごっちゃになることはあるけど、たとえば伝統的な街並みというのであれば、写真などの資料を残し、ミニチュアをつくって博物館に飾るとか、そういうことは大いにやってほしい。
ただ、現実の物理的な世界にそれをどかっと残し続けることは嫌だ。なぜなら、伝統的な街並みは歴史の中でのほんの一部分において「正しい」とされたモデルケースにしか過ぎないのに、まるで未来永劫その正しさが続くかのような雰囲気があるから。
高層ビルだって所詮はこの時代の価値観に基づく正しさにすぎないのだけど、少なくとも合理性や人々の居住というものに関する意識の変化から言ったら理にかなってると思う。
ヨーロッパの伝統的な街並みを見ていると、美しいと思う一方で、そこに住んでる人達は哀れだなと思う。仕事としてその家に住み続けているならまだしも、伝統だとかそういう付加価値を下手につけられてしまったために、壊すことも出来ないんだろうなと。もっと新しい世界を知りたい人達はこんな街に住みたくないだろうなと。
俺が言いたいのは必要のない伝統は記録・保存されるべきで、現実に無意味に干渉してくるなということなんだ。
伝統の多くが必要なくなったのは、それはまさに現代が「変化の時代」だからであって、それ以前の、変化しないように必死で頑張ってきた時代とは全く様相が違うからだと思う。
伝統みたいなものは、科学技術が存在せず、人々はただひたすら自然の脅威・具体的に言えば「風化」から身を守るために作ってきたんじゃないか?現代は、記録する手段や方法はいくらでもあるわけで、さらには科学技術のおかげでどんどん人間にとって都合の良い世界が作り替えられていく。
科学以前はそもそも世界を作り替えるどころか世界を制御する方法すらなかったから、変化を恐れるしかなかった。今はもう違う。なら、今の時代にあっていないものは、資料という形で物理世界からは切り離してほしい。そういう考えなんだよね。
俺が抱くもう一つの嫌悪感は、伝統を守りたい人々っていうのは、それがなぜ守られなければならないのかなんて考えたことなんかなくって、子供の頃から守れって言われてるから仕方なく守ってるっていうところにある。それどころか、守るために守るっていう感じで、もう伝統の意味なんかなくなってるんだよ。祭りみたいなものはものすごい長い歴史があるのかもしれないけど、その元々は雨乞いとかそういう超プリミティブなところから始まったんだと思う。今でも厄除けの祭りとかあるけど、あれだって完全にプリミティブでしょ。あれで厄除け出来るなんて信じてる人間はいないわけで、別に信じてもいいけど、少なくとも祭りがおこなわれるようになった古代というのはほとんど全員が信じていたからああいうのが成り立ったわけで、ほとんどの人が逆に信じていないような状況で厄除け祭りすることに何の意味があるんだと俺は思う。
アメリカ賛美するわけじゃないが、アメリカが素晴らしいのは歴史を持たないことだ。
だからあれだけアメリカは科学技術国として発展できたし、妙なしがらみからも解放されてる。
日本はアメリカの影響を受けたおかげなのか地震対策なのか、街並みを保存することにはあまり関心がないみたいだけど、良いことだと思う。
ヨーロッパの状況は良くわからないけど、伝統的な街並みは観光のために残しておくとして、そういうところと実際の経済活動が行われる場所は区別すべきだと思う。
ごっちゃにするから良くない。東京はそういう意味では、完全に作り替えてしまうべきだし、今も未来都市なんて言われてるみたいだが、未来どころか超未来都市くらいは目指すべきだ。アメリカがその面ではなんだか停滞してるみたいなので、「俺がお手本だ。良く見ろアメリカ!」と言えるくらい大胆なことはやってもいいと思う。
元々そーゆー対象でマンガ見てたのかよ、キメェ。もっといいマンガいっぱいあるぞ
スポ根なら今ならスピリッツでやってる自転車の奴(タイトル忘れた)
テツ学したいのなら柳沢教授、あるいは同作者の「不思議な少年」も良い
オリジナルで連載中の「岳」もすばらしい
あとはback to the basicsで手塚治虫も
マンガ司書って欲しいよな。俺はどんなマンガが読みたいのか、という話をするとおすすめをいくつか挙げてくれるの。
個人的には、papa told meと有閑倶楽部とbanana fishに出会えなかったら、女の作者に偏見持ったままだったと思う。
正直、図書館司書を夢見た人は夢破れたけど別の正規職につけてよかったね、と思った。
あれは早くあきらめた方がいい。と奨学金と全く関係ないことを考えた。
借りた金返せよに固執する気はないけれども。
言いかた悪いけどさ。番組の構成上とはいえ、図書館司書になりたかった人が生活のために夢破れて別の仕事に就いているってことを言っていたけれどもなんかそこまでして尊い仕事なのかっつーね<図書館司書ごときが。
夢が破れて今は生活と奨学金を返済するためにこの仕事についているんですーしょうがなくなんですーっていうそのスタンスのおこがましさ。
お金借りてまで学ぶんならそれをなしてプラスアルファくらいの勢いで稼げるもんじゃないと意味ないだろーが。
その勢いで借りたしすぐさま返済したし。
馬鹿がてきとーなスキルアップのために何も考えずに借りたりするからこうなる。
高校もこんなバカどこにも就職できはしないからと先送りにするためにお金払って学ぶ意味があるのかないのかわからんよーな専門学校やクソ大学に入れたがる。
http://anond.hatelabo.jp/20100715094622
以前書いたものが2週間ほどしていきなり謎の注目を(ごく一部に)浴びていた。何がおきたし。
ちょっと面白かったので眺めていたら、もっと面白いものを見つけた。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=12260621
まさに「ありもしない魔法のシステム」を信じている人間の言葉である。それを悪いとは言わないが、明らかにすむ世界が違う人間の言うことだなあ、と感じる。
とりあえず「嵐」「雨」といった単語を使ってはいけないのであれば、多分某有名少年漫画雑誌に連載中のマフィアを題材にした某漫画の二次創作は検索結果に表示されてしまうので不可能になる。というどうでもいいことを言ってみる。(漫画やゲームでありがちな「属性」に天候の名称が使われているため。嵐と雨はまさに該当の属性に当てはまる)
……ひょっとしたら、某ジャンルの絵を探していた人間が「変なもの」が見つかって腹いせに書いた記事ではないか、と一瞬ゲスパーをしてしまったりもしたのだが、いい加減自分の気に食わないものを見つけると騒ぎ立てるおかしな人達に毒されすぎている。
(さらにどうでもいいが、天候としての「嵐」以外にグループとしての「嵐」もあるが、ピクペディア?には「嵐(グループ)」というタグではなく「嵐」でアイドルグループ「のみ」登録されているあたり、本来の単語の意味が説明されている悪天候よりよほど「その天候に関する絵を捜している人」に不快で失礼であるはずだが、そんな話は聞いた事がない。
アイドルグループが良くてヘタリアが駄目なのは、差別ではないのだろうか。国の擬人化なら当然、なのだろうか。不快に思う人数の問題で差別するのは失礼な気がするのだが。)
ネットの世界では、元々は不快なものから身を守るためには自身で対策をするのが基本だったように思っている。
それが私の狭いコミュニティの中限定ではないかと言われるとその可能性は否定できないのだが、ネットが元は技術者の住まう場所だったことを考えたらそう遠くもないと考えているのだが、どうなんだろうか。
実際のところはともかくとしても、今現在の現実としては、人に頼るよりも自分で対策をした方がよっぽど楽であり、健康的でもある。
他人の行動はコントロールできずとも、自分の行動はある程度コントロールできるからだ。手綱をとりやすいものを操作したほうが早い。単純なことだ。
マイナス検索をしろ、というのは驕りでもなんでもない。寧ろ自分が何かを調べるためにその程度の手間すら裂けないような人間は「物を調べる」という行動の意味を分かっていない。ネットを使うとストレスが溜まるだけなのでやめた方がいい。心の平穏の為に。
本来、何かを調べることはもっとずっと手間のかかることなのだ。むしろ今の検索システムの便利さこそ異常である。あれだけ便利なものが使えるのに、多少別の物が出てきたくらいで大騒ぎする奴は一度近所の図書館で司書の手助け無しに目的の本を探しに行けばいい。まあそれでもよっぽど簡単な部類だが。
マイナス検索をすることが相手にそこまで負担であるというなら、タグをいちいち直したり、新たなタグを普及させるのにかかる手間はどれほどかかると思っているのか。
たった数文字検索欄に入力する手間を惜しんで、相手には一月かかっても対処しきれないような手間を押し付けているそちらの方がよほど高慢だろう。
この絵なのか記事なのか分からないものを投稿した人物が探していた「雨」や「嵐」は、いったいどのようなイラストを探してのことだったのか。
もしゲスパー通りの絵を探していたなら、そうでなくとも求めたものが例えばゲームや漫画に関わるものであったなら、一般名詞を使うなという話になりそうで嫌なドキドキ感がある。
ヘタリア以外で、自分が探していないイラストだって検索に少なからず出たはずだ。なぜヘタリアだけなのか。
そもそも、ヘタリアタグを付けることですら本来は自由であるはずである。必ず特定のタグをつけないといけない理由は無い。
ただ、その方がラベリングとして相手にも自分にも有用に働く場合が多いから、個人的にはジャンルタグをつけることは推奨する。お互いを尊重するとは、そういうことだ。
ヘタリアタグだけだとAPHのタグがついているものが出る?ならばとっととAPHも一緒によければいいだけである。まあでもヘタリアジャンルは妙なタグがついて検索の邪魔をしている場合があることは否定しない。
相手が「ヘタリア」だという理由で、過剰な反応をしてはいないだろうか。相手が「厨が多い」と言われるジャンルであれば何をしてもいいわけではない。
マナー違反である絵がごろごろしていたなら別だが、これを書いた人間が言っているのはただ「求めていたものと違う絵が出てきた」だけで、「公共のマナーに反する絵が出てきた」ではない。
公共のマナーに反する絵が出てきたなら思う存分自重を主張すればいい。ただの個人の好みの問題であるなら、それこそそこまで求める必要はないだろう。だが、仮に公共ryであるのなら、そもそも主張するべき内容が間違っている。
「単語を一つ放り込んだだけで都合のいい結果だけが出てくるような魔法のシステムはない」。
何度でも言ってやる。そんなものはない。この先よっぽど文明が進化したらどうにかなるかもしれない。でも、少なくとも今の子の世界には無い。ましてやPIXIVの貧弱な検索機能では不可能だ。
ネットの世界でいきなり不快な物に遭遇することなど当たり前なのだ。サムネがNGと言うならもうそれはPIXIVを使わないほうがいい。
「危険なもの」がごろごろしている世界に自ら飛び込んだのはあなたなのだ。
文句があるなら、もう運営に検索機能の高性能化を働きかけたほうがいいと思う。
ぐだぐだと俺ルールを広めようとするよりよっぽど前向きだし、検索機能が改善されれば自分以外の多くの人間にメリットがある。
ジャンル外の人間だが、別に関係ないイラストが山ほどでようと不快にはならない。ただ、自分のジャンルよりも盛り上がっている別ジャンルを見ると羨ましくはなる。
だが、このような謎マナーを見るといらいらする。仮に「あなたのそれは私を不快にするので検索避けしてください」などと言ったらどのような反応をされるのだろう。
まあ、私にはそんな我侭なことを言う資格はないのでそんなことは言わない。私が勝手に見に行っていらいらしているだけである。
(まとまっていなかった部分を一部手直し。ただし直したあともまとまってはいない。所詮便所のラクガキである。)
私は図書館関係者でもなくIT関係者でもないのだが普段図書館をよく使うので色々考えさせられた。
図書館は本業の司書の配置もままならず派遣に置き換えるところもある中で技術者を常駐するのは困難で、システムの見直しも5〜8年ごとにならざるを得ない現実。この程度のアクセスでダウンする図書館側にも問題ありという正論も世知辛い世の中の現実を前にするとなんとも。背景には財政問題もありか。
図書館のシステムって払った価格に見合った内容になってるんだろうか?
私のよく使う図書館もいくらで発注したのか知らないが、半角文字を受け付けてくれなかったり、AND検索が尋常じゃなく遅かったり、素人にも分かる手抜き感に満ちあふれている。
(資料ごとのパーマリンクだとかよりよい使い勝手を要求するなんて夢のまた夢。それ以前の問題で頭が痛い……)
どうせ下請け中抜きバンバンやってるんだろうなあと思ってるのだがどうだろうか。
(※追記:件の図書館は三菱だったそうだが、例にあげた私のよく使う図書館はNECである。)
たぶん図書館をよく使ってる人は多かれ少なかれ自分の使う図書館のシステムについて不満を持ってると思うんだが、公共図書館なんて各自治体で縦割りだろうし、自治体によって規模も予算も違うし、
意見を集約してより良い共通のシステムを作るなんて言うのは無理な話なのかなー。
それにしてもあの手のシステムってどう評価して価格を付けるのかしらん。例えば前述のAND検索が異常に遅いとか半角を受け付けないとか、普段あまりコンピューターやインターネットを使わない人は欠陥と思わずに使うんだろうし。
もうすぐ新しいアニメが始まりますね!ということで、気の早い感想ですが、2010冬期アニメ15作品を簡潔にそして恣意的に紹介します。ストーリーなどの詳細は省略しましたので気になった方は各自Google先生に聞いて下さい。
評価は
S 最高!
A もう一度みたい
B まぁ面白い
C 暇つぶし
D 時間の浪費
F 測定不能
オープニング曲やエンディング曲が気にいったものには印をつけました。(だいたい放送曜日順,月→日)
評価B end◯
近景アニメ?『けいおん!』風。軍服萌え。ノエルは俺の嫁。Amazing Grace。
評価?
『化物語』に続く西尾維新作品のアニメ化。なんと月1話の12ヶ月放送。『School Days』の監督。作画は賛否両論。まだ、2話しかない。
評価 F
派手な下着の小学生アニメ。1話で切った。私もまだまだオタクではないなと確信。今期2位のヤバさ。
評価C
短いから見れる。イタリア人に怒られないのか心配。
評価B op◯ end◯
言わずとしれた「風早くん最強神爽やか爽快cool」アニメ。ちなむと爽子は俺の嫁。名文句は「そんなの笑えない」
れでぃ×ばと
評価C op◯
今期3番目にヤバイアニメ。ぱいおつ丸だし乳首あり。もう一度言う。「乳首あり」。ただし、フレイムハートさんのドリルは幼虫みたいで不快。大地薫役はみんなのくぎみーなので、くぎゅぅぅぅぅぅぅってなりたい人は是非見よう。
評価C
評価C
もう「ひぐらし」は飽きたんだよ、おなかいっぱいだよ。って言うそこの貴方!この作品のキャラデザはローゼーメイデンの人だぜ!へい!
評価B
来たぜ!僕等のひだまり壮!動物化された僕にはタマラナイ!新入生が2人加わってひだまり壮はさらに賑やか!ちなむと智花役もくぎみーだよ!
評価B op◯
池袋を巡るサスペンスアクション。小野大輔、福山潤、中村悠一という男性声優陣に腐女子は発狂確定。
評価C
吸血鬼アニメ。『ひだまりスケッチ』、『化物語』の新房監督。ネリー役は喜多村英梨。
評価B
ここに来て盛り上がってきた世界と戦う図書館司書のアニメ。27日にはテアトル新宿でオールナイト上映があるそうな。ハミュッツの胸に注目しがちだが、軍服のミレポがかあいいポ!!主要人物かと思われた人がバタバタ死ぬ。
インデックスのスピンオフ作品。私はこっちのが好きですの!御坂美琴も佐天さんもいいけど、木山先生が理想の女性。超電磁砲はレールガンと読みます。
コブラかっこよす!ってなる。
今期最高の変態アニメ。主人公は母乳を飲んで力を得る。女の子がぱいおつを吸わせるシーンは圧巻。声優陣は豊崎愛生、茅原実里、平野綾、日笠陽子、川澄綾子と意外に豪華。
と抜けがあるかもしれませんが、もう終盤なので今期見ているアニメを振り返って見ました。
もちろん他にも色々と作品があるので、みなさんの感想もお待ちしております!
みんな乙かれ、
1999年ことを思い出しながら書いている。
激しい自意識の垂れ流しで、自分語りでウザイとおもうので、できればスルーしてくれればありがたい。
散々オカルト番組であおりまくっていたTV局は、実際に1999年7の月を迎えると
何事もなかったかのようにスルーしていた。
すげぇ落ちこぼれだった僕は、数学の時間の間この予言を信じて集団自殺した教団のこのことを考えながら、北斗の拳を読んで1999年の7月を過ごしていた。
7月1日ぐらいにはまだ少し「このクソみたな現実はおわってしまえばいいのにwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」のどきどきがあったのだが
致命的にヤバイ中間テストが返却されているころには、
そんなことはすっかり忘れてしまい、放課後近所の公民館のPCで2chで見えない敵と戦う現実にすっかり回収されてしまった。PCオタクの友達からは毎日のように海外のPC事情を浴びるほど聞かされた。若干15歳にしてエロゲオタクだった別の友達からはto heartのすばらしさと、leafの次にでる新作エロゲーの話を延々きかされ、「to heartだとマルチが一番かわいいな」と思ったころ、7月の予言のことはすっかり忘れていた。
いや、うちの高校は全教室にクーラーが一台も設置されていないという
昭和丸出しの校舎で、5月ぐらいには最高に居心地のいい図書館も7月にはいると
梅雨時期の蒸し暑さで、手の汗で今読んでいるページが汗でにじんでしまうほどだった。
当時の僕は、名作を読んでいればえらいと思っている馬鹿で、
文芸部員でもないのに司書の先生と仲良くなってしまった関係で、図書の貸し出し業務を行いながらひたすら、せっせと日本文学全集の読破に明け暮れていた。
実に『真面目』な文学少年だった僕は、ライトノベルをよんでいる連中をバカにするといった優越感ゲームを15歳にて展開し、理解できない岩波文庫をひたすらたたえるといった今考えると赤面もののアホだった。
音楽は毎日浴びるほど聞いていた。
PCオタクの友達がMIDIをやっていた。彼は、この曲を自分のHPにアップするんだとうれしそうに語り、毎日放課後にMIDIコントローラをいじっていた。僕にはさして興味がなく、彼のとなりでサイケロックを爆音でききなから、なんでおれは1960年代に生まれなかったのだと、自分の運命を呪った。
つまり、以上の書きなぐった文章からなにがいいたいのかというと
②創作をほとんどしなったという点。
高校時代に結局文芸部に入り新刊の紹介、大学時代に音楽批評みたいなのを少しやったぐらいで、基本的に延々受け手、しかもネタは2chから拾ってきたり、2ch見えない敵と日々戦っていたというのだからたちが悪い。
未経験で入った業界でプログラミングもさくさく出来てテストケースも結果も自分でうまく出せて、
レビューでもOKって感じになってきたところだったんだけど…。
びっくりした。何もやりたいことがない。というか、選択肢に安楽死があるならそれを選ぶ。
せめて自分が興味を持てることを今からでも初めて見ようかなと思う。
ぱっと興味がありそうな仕事はこんな感じで
・Web系の作成(html,css,php,Flash,Javascriptあたりになるのだろうか)
・DTP(インデザ?)
・編集
・職人(靴、鞄)
身に着けたほうがいいかなと思うスキルはこちら
・速読
・泳げるようになる
・文章力
さて、どれをどうはじめたものか
これって躁鬱なんじゃないかという疑問が頭の中で渦巻いていたりする。
本当にどうしよう。
いまや図書館というのは出版社の得意先の一つとして成立してしまうほどに「規模が縮小された」市場であるとともに、しかし図書館の利用者は出版業の縮小とは反比例して拡大されているという現状から顧みるに、
司書らの図書物品に対する管理がおざなりになっているというよりは、「そういった利用者がいたとしても、看過せざるを得ない」状況なのだ、という認識がまず一つ。
そして、マナーの徹底素晴らしき事哉、だがそれを徹底されると困るのが「出版社」な訳で、本一冊に対する利用者の数を無限に出来ないような施策はこれまで何べんも行われてきたわけだ。
デジタルな書籍であればコピー制限、物理的な書籍であれば…新古書店を会社ごと買い取ったりとかあったね?
つまり、だ。マナーとして本を汚さないのは当たり前だが、本は「消費」されないと出版社側としても困るわけで、市民が本に金を使うことが図書文化を維持する方法でしかないのなら、増田が怒るよりも現状放置した方が効果的ってこった。
U40の参加条件にからんで何か言ってる。図書館で正規職員として働いていた私から見ると、非常に見苦しいし、かわいそうだと思う。
図書館の非正規職員なんて、
2.正規職員を目指すが、無理だったので、あきらめて図書館と関われる職場として働いている
3.なんとなく。楽だから働いている(一番だめなやつ)。
のどちらか。なので、正規職員がうらやましくて仕方ないんだろう。だからといって正規職員に噛み付くのは筋違い(上記の2に該当する人がそういう事をする)。まだ自分の中で折り合いがついていないんだろうね。でも正規職員に噛み付いたところで、非正規の待遇は向上しないし、司書を安売りする事で、いいことなんておきっこない事に気づけばいいのに。
それから、まず「専門性のある非正規職員」なんてほとんど居ない。専門性なんて、じっくりと働ける場で、研鑽に励むことで初めて生まれてくるものだと思う。そりゃダメな正規職員というのもよくよく探せばいるだろうが、きちんとした競争試験を潜り抜けてきた職員は、非正規に劣るなんて事はそうそう無い。ダメな非正規はゴロゴロいる(というかほとんどがダメなやつらばかりだと思う)。
今回の件では「非正規職員もっと謙虚になれよ」と思った。今回のイベントは「非正規職員でも参加できる」という点ですごくラッキーな事だと思えばいいのに、とも思う。
いちゃもんに対し、フォローしたり、説明したりと、まじめに相手をしてあげている正規職員の方々もいるようだが、そういうところに時間とエネルギーを割くのは無駄な事なんじゃないかと思う。
いろいろ書いたけど最後に、冒頭の2に属する人たちに対しては「なにも図書館で働くだけが人生じゃないよ」って言ってあげたい。みんながみんな成りたいものになれるわけじゃないんだから。
私も図書館で働いていた頃には「図書館で働く事」にとらわれてしまっている非正規の人たちを結構見てきた。正規のポストを求めて挑戦を重ね、年を取ってしまった人たち。せめてやり直しの効く年代で方向転換するのも彼らの人生にとってはいいことなんじゃないかな、と思う。
個人的には、図書館の仕事だけが他と比べてやりがいがあったり、楽しい仕事だとは思わない。それに冒頭の2に属する人って、それだけ何かに夢中になれる人なんだから、それを大いに発揮できる仕事はいくらでもあると思う。
ほんと、マニフェストというかINDEX2009はきちんと読まないと駄目ぷりが出てこないね。
思わず図書館員の私が絶句したところをあげときます。
学校図書館の整備
等子どもの読書活動は、子どもが言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かにするうえで欠かせないものです。子どもの読書活動推進法や、2010年を国民読書年とすることを定めた衆参本会議での「国民読書年に関する決議」を足がかりとしながら、全国の学校図書館の整備・充実を進めるなど、子どもの読書環境を改善します。
また、文字・活字文化の振興を図るとともに、司書教諭が不足している現状にかんがみ、その充実に取り組みます。
はい、ここ。試験に出るよ
司書教諭が不足している現状にかんがみ
司書資格保有者は腐敗するほど余ってます。余っている教諭資格者と違って、コンビニ店員並みの時給でパートタイムとして働く司書が多いのが昨今の現状です。
マニフェストの段階から無駄使い宣言するつもりですか。きちんと現状を把握してから書きましょうね。
もっと、問題になりそうなところ
今日の日本の平和と繁栄の陰には、先の大戦において内外に多くの犠牲が存在したことを忘れてはなりません。そのことを念頭に、戦後諸課題の解決に取り組みます。
北方領土問題を解決して日露平和条約を締結することや、拉致問題を含む諸懸案を解決したうえで日朝国交正常化に取り組むことが重要です。
また、国会図書館に恒久平和調査局を設置する国立国会図書館法の改正、シベリア抑留者への未払い賃金問題、慰安婦問題等に引き続き取り組みます。
はい、ここ。こいつはもっと重要。必ず出るからきちんと覚えようね。
また、国会図書館に恒久平和調査局を設置する国立国会図書館法の改正、シベリア抑留者への未払い賃金問題、慰安婦問題等に引き続き取り組みます。
図書館てのは国民の知る権利を保障する大事な機関。資料が無ければ存在しなかったという事も大いにアリ。歴史てのはそうやって存続してきているからね。
こういった観点から、「特定の思想・信条・イデオロギーに属さずに、資料を収集・提供する」てのが図書館の当然の常識中の常識。これ、理解していない図書館員が居たら、シューキョー化してる図書館員です。頭いかれてます。でも、たまに居ます。フィクション大好きな人間が集まりやすいから。
そもそも
なぜ平和調査を「政治的に中立でなければならない図書館」に設置する必要がある?それぞれ独立して置き、それぞれ独立した立場で利用してもらえばいいでしょう。
それとも、平和のためには資料として存続してはならない資料を廃棄するつもり? と、勘ぐられても致し方ないよね。
マニフェストはちゃんと読まなくちゃね
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/img/INDEX2009.pdf
それでは、また来週~
とりあえず、タイトルの「司書資格」を「司書」に直すか、タイトルに合わせて司書科目とかの話にすればいいんじゃないでしょうか。
果たして必要なんだろうか?
石原都知事が「司書っていらないんじゃない?」と物議を醸したらしいが。
現在、都内の図書館では「セルフ貸出システム」の整備が進んでいる。
セルフ貸出が普及すれば、貸出事務の部分は「自動化」されることになる。
返却はブックポストでOK。
そうすると後の主要業務は「延滞管理」と
延滞管理は勿論のこと、迷子へのサービスも、司書資格が必要とは思えない。
あと考えられるのが、「蔵書管理」、つまり、限られた予算の中で、
どの本を購入して、どの本を閉架にして、どの本を廃棄するか、という点。
たしかにこの点は、「司書」の腕の見せ所のような気がするが、
「この1年間でどのような本が図書市場に出回った」という情報を有しているのは、
実は国立国会図書館じゃないのか?
「人口100万人の都市であれば、この1万種類の本を選べばいい」
「人口1万人程度の小都市の図書館であれば、この1,000種類の本を選べばいい」と
アドバイスすればどうか?
人口5万人の稚内市図書館の司書と、同じく人口5万人の豊見城市図書館の司書が、
同じようなことに頭を悩ませる必要はない。
というか、国会図書館が蔵書レパートリーを一元管理することによって、
「この本は尼崎の図書館にはないが、西宮の図書館にはあるから、実質的には不自由しない」
というような「全国的蔵書管理」が可能になる。
むしろ全国レベルのアーカイブネットワーク、という観点から考えれば、蔵書政策は
国会図書館が一元管理した方が、蔵書の重複(予算の無駄)、蔵書の漏れ(こっちの方が怖い)を
防止できる。
となると、司書の役割といえば、「起業指南」「ビジネス相談」とかになるが、
仮に公的セクターが行うとしても、市の商工会議所とか商工課が行うべき話だろう。
「新聞折込チラシやミニコミ誌等、国会図書館じゃ収集しきれないアーカイブ収集の現場」
としての役割は、ありうる。
しかし私見だが、この役割は、地方自治体の公文書アーカイブ保管管理作業と
一緒に行った方が効率的になるんじゃないか?
そもそも、一般の利用者で、「司書の資格を持った人が居てもらった方がいい」と
感じている人は、どれだけいるのか?
90%以上の利用者が図書館を「無料貸本屋」程度に考えている現状では、
「司書はいてもいなくてもいい」のではないか?
現場で実際にどんな感じで本を買ったり捨てたりしているかを書いてみます。
ボランティアのお母さんたちが手伝っている所もあります。
それは化学に置いちゃダメ! - 子育て歳時記 - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/honbon/diary/200905110001
小学校から『ぼくらの七日間戦争』が撤去されたそうだ。 - 北沢かえるの働けば自由になる日記
http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20090515#p2
うちの学校にはどちらも入ってません。
水からの伝言は論外、七日間戦争は私が勤めた時に入っていなくて、
今が旬の児童向けの文庫を優先的に入れたいな、と。
うちの学校は本を買う、捨てるの判断は司書教諭の先生と相談の上、
校長・教頭に許可をもらってさらに市の決済を受けます。
・・・そんなわけはありませんW
国語なら掲載されている作者の他の作品や同じ傾向の他の物語など。
そんな学習に関する本と趣味的な本、読書をバランスよく入れるように心がけてます。
捨てる場合はあまりにも壊れたり汚れた本、
内容が古くなって学習に使えない本(市町村合併やら国の独立やらで結構これが多い)など。
でも本の冊数を増やせというお達しがあってそんな本を捨てられず
段ボールに詰めてしまっておくことも。
校長の一言で本が捨てられるか?
これはあるともないともはっきりは言えません。
ただ、幸か不幸かそこまで学校図書館に興味を持っている校長はほとんどいません。
そんなことがあったとしても学校の方針に意見を言う事は難しそうです。
今の小学生は「リアル鬼ごっこ」とかひぐらしとか携帯小説なども
お小遣いで買って友達同士でどんどん回し読みしてます。
昔ほど大きな影響を与えているとは思っていません。
ただ、いろいろな問題があって本に触れる機会が少ない家庭の子も多くいますし
どこの学校にもあればいいのに、と思いながら仕事をしています。