はてなキーワード: ハートとは
乙武氏周辺騒動のアレコレを見ていて思ったことを。傍観だけど。ツイッターのアカウントないから。
具体的にはこういうの。
基本的には自分は乙武さん批判派っつうの?きのこ派?っていうのか?探耽求究さんという人がものすごいド正論言ってるように見える派っぽいなという自覚があるんだけどたけのこ派の批判が嫉妬がどうとか努力が足りんとかばっかりで全然クリティカルにキてないのでなんか延々もやもやしていて、
そこでふとこれを見たらちょっといろいろ繋がった。
kyamonohashiというひと?のツイート、
手足が無くても頑張れる、と言う希望を示そうとしている乙武さんだけど、例えば手足の無い他の方がそれを見て「あいつは恵まれてるから」「例外だから」と妬んだり嫉んだりする可能性だったあるにはあるのか。
手足がなくても頑張れる、という希望がおおっぴらに晒された時、「手足がなくて頑張れない」人間はどういう立場に立たされるかっつうと、努力が足らん根性鍛えなさいの精神論教信者に食いつぶされる側にしかなれないんだよね。それか従来の「かわいそうな障害者」枠。
現に乙武さん応援派で非乙武さん的障害者をそこから出してやろうとするやついねーじゃん。むしろみんなそこへ叩き込もうとばっかりしてる。
だから叩き込まれる側は、大人しく叩き込まれるか、「努力が足りない」とかいう問題じゃなくて向こうが恵まれてんだっつうのー!という論を組むぐらいしかなくなる。
「恵まれてる人を妬んで、それで誰が幸せになるの?」とかほざいてるのがいるけど、少なくとも不幸自己責任論の渦中にブチ込まれるのは回避できるよ☆
恵まれてない人は恵まれてる人と違って、誰も助けてくれないという点でサイコーに恵まれてないことがほとんどだと思うんだけど、
誰も助けてくれないのならば自分で自分を助けてやるしかないじゃないか。
っていうのをなんか判ってないしたぶん許さないのですねたけのこ派は。妬みとか言っちゃうんだもんね。
うぜえだろうなあ。
「誰も助けてくれないのなんて当たり前、みんな同じ」「そこで助けてって言ったり、障害を個性にしてネタにするくらいのとっかかりを作ってくれないとこっちも手が出せない」とか言う奴が出てくるよ。出てくるっていうかすでにいるのよこの胸の中に。
一匹ならともかくハエの群れのようにわんわん湧き出てきて声が延々こだまするのよ。
えー話を戻すが「そこで助けてと言えない、ネタにできない」ってとてもデジャヴなフレーズじゃございませんか。
そう、ちょっと前のNHKの三十代無職男性が生保とれないだの餓死するだのっていうあの騒ぎでございますよ。
言えねんだよな。何故か。何故だか。いや何故って他人の負担なんかなりたくないからに決まってんだが。
何なのかな。何なのでしょうかねこのテニスボールをネットのあっちとこっちに分ける何か目に見えないくせに決定的な要素のようなものがある感は。
ジョジョだっけこのボールがどっち側っての。ジョジョでは「運命」だったっけ?
何処ってそりゃボールの落ちどころがどっち側でもいいようなところに決まってるんだけど、それはつまりたとえばこの俺がネットの両側を行き来できる必要があって、最悪俺一人でもラリーをかませるようなことになってないと話にならんのだけど、たとえを外すと要するに「お前助けるのなんか別に負担じゃねーよ」っつって軽々と誰かに手を差し伸べられねばならないってことなんだけど。その手を払いのけられること前提で、手がダメなら他のもの、人脈でも金でも選挙権でもなんでも使ってやらねばならないってことなんだけど。
なんか乙武さんには無理そうですね。手ないし。物理的にもないけど、いじめられっこに関係するツイートがアレじゃ義手つけても厳しい。根っこがアカン。
いやその実俺にもムリだけどね。少なくとも人脈と金と選挙権は厳しい。
ツイッターもミクシーもフェイスブックもやってない真性ぼっちのワープア、しかも都政はあの小心者が担うのを食い止められなかったレベルの一票。
正直に言うと手自体厳しい。ワープアは身体と心が資本なのに手を払いのけられるついでに豆腐メンタルが潰れそうで、いちいち成形しなおすのに他人の手が要るレベル。
でも「誰も助けてくれない」。いやいいけど助けとか。俺の豆腐はまだ平気なんで、誰か他の砕けたガラスハートの欠片を集めて火にかけてまた作り直してやっておくれ。
どうでもいいけど何か昔のディズニーアニメで一人ラリーするウサギいたよね。イソップ寓話アニメ化したやつで『ウサギとカメ』に出てくるウサギで、レースの前座に俺こんな足はえーんだぜーっつってカメに見せつけるためにボールより素早くコートを行き来してた。肝心のレースでは確かカメがクビ伸ばしてゴールインして勝った。
追記:
さらにどうでもいいんだけどツイートまとめ読み返してたらものすごい気持ち悪いのが結構いてマジ引いた。いわゆる「信者」ってやつですかあれは。
たいていの人は異性に興味持つ年ごろというのがあり、大体は身近な人に恋をする。
誰かにときめき、ドキドキしたりワクワクしたり、もう少し相手に近づきたいと自然に思い、うまく仲良くなれれば手を繋ぎたいからキスしたいと夢見るようになり、次第に一人の異性が自分にとってとても大事な人になっていくだろう。
でも、好きになった人とすべての人が結婚できるわけはない。
恋愛が結婚に変わっていくのには、その時々の様々な条件がうまく双方合致して合意に達さないとできない。
独身の頃はあっさりと結婚していく友人たちを眺めては、どうやったら結婚にこぎつけるのだろうと、あれやこれや妄想してた。
そして結婚して一時は幸せそうでも笑顔を忘れていく友人や、壊れていく夫婦関係をこれまた眺めては、どうやったら幸せな結婚ができるのだろうかといろいろ考えてみたりもした。
どれだけ妄想しても、幸せな結婚を手に入れられるべくどれだけ条件を整えても(容姿・教養・センス・仕事等々)、そんなのは現実の生活の中ではたいして役に立たないのだと最終的に知った。
世間体という概念により自分の為の結婚から軸がずれ、親の為の結婚に微妙にすり替わっていく感もある。
そして何より女には結婚適齢期というより妊娠適齢期というのがある。
だいたい卵巣にそれぞれ200個づつくらいの卵子の種があり、女性が生涯に妊娠できる可能性は400回くらいとして約33年と3か月、中学生くらいまでに初潮を迎えれば40代半ばには卵が終わってしまう。
35歳を過ぎれば卵は劣化していくし、子宮内膜もやわらかく心地よく胎児を育めるだけのやわらかさや強さは衰えていく。
子どもが欲しいと思わなければ結婚は考えなかったかもだが、この事実に気付いてからはすごく結婚をしたいと強く望むようになった。
当時月収100万以上のキャリアを捨て、子どもを産むために家庭に入った。
子どもを産み育てるにはまず安全な巣が必要で、そして生活していくにはお金もかかる。
仕事辞める必要なんてないじゃないかと思う人もいるかも知れないが、妊娠出産育児の期間中は母親としてこの腕に抱いて育てたかったのと、何より流早産の危険性から妊娠期間中のほとんどを病院で過ごしてた。
飲み代や服代、そして結婚前に主人が作った借金の精算に主人の収入が消えていく現実に気付いたときは、マジで身動きが取れなくなってた。
子どもが生まれるまでは、自分が我慢できるところは我慢しよう、生まれれば子どもには父親も必要だと思う気持ちもあり、それがずるずると7年という歳月になった。
イケメンで憧れのカタカナ職業で年収1000万弱の社長で…と条件だけ書けば何をそんなもったいないと誰からも言われたけれど、ステイタスではおなか一杯にもなれず、心が満たされることもなかった。
おしゃれな会話や趣味の会話でコミニュケーションはそれなりに楽しかったが、ハートで触れあえることはなかった。
何のために結婚するの?
誰のために結婚するの?
主人を愛しているのかどうか、私のとっても一番大切と思うその部分が、いつも泣いてた。
息子には無条件の愛がハートからいつでも溢れてくるのに、主人に向き合うとひび割れてざらりとしている感じがつきまとい、次第に同じ空間で暮らすことが苦痛になっていた。
愛って何?
愛してるって感じたい。
それがお金よりなにより大切だと思う年齢になっていった。
リスクコミュニケーション論 (シリーズ環境リスクマネジメント) - 平川 秀幸
リスクのモノサシ―安全・安心生活はありうるか (NHKブックス) - 中谷内 一也
リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書) - 山岸 俊男
未来をつくる資本主義 世界の難問をビジネスは解決できるか [DIPシリーズ] - スチュアート・L・ハート
ディープエコノミー 生命を育む経済へ [DIPシリーズ] - ビル・マッキベン
ワールドインク なぜなら、ビジネスは政府よりも強いから [DIPシリーズ] - ブルース ピアスキー
経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書) - 大竹 文雄
ウェブは資本主義を超える 「池田信夫ブログ」集成 - 池田 信夫
リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。
第一章
1
意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデルを意味する。
この主義の限界を
2
チューリングの形式化が持っている特徴
(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括
(2)そのメカニズムがいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している
(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している
⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している
フォン・ノイマンがコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーがLISP(プログラム言語)を開発。
⇒ 研究開発が可能に
A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出
⇒理論的に自覚化・明確化される
3
・物理記号システム
①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、
②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム
by 1976 ニューウェル & サイモン
・強い物理記号システムの仮説
SPSS strong-physical-symbol-system
「標準的な記号アトムのフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」
①仮想機械
そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」
・記号を割り当てる
・変数を束縛する
・記号列の複写、読みとり、修正
等々
③標準的な記号アトム
④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段
そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる
4
このような主張(標準的なLISPのアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践。
彼らの仕事の特徴(例:BACON)
・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している
・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能
・選ばれた課題領域を扱う
BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則)
・BACONが取り組んだデータをフォーマット化下のは、人間の労苦
・BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。
ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない
・BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの
⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう
サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。
しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンとラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。
心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える
知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている
5
古典的システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。
古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々
STS semanttically transparent system
「システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論的記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステムは意味論的に透明であるといえる」
きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズムの記述(レベル2)における計算の対象が、概念的レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述(レベル1)と同型である場合である。
(レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え
レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法
レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)
(1)古典的理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論と意味論を組み合わせた記号システムを仮定している
(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。
もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない
◎要するに、古典的システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである
第二章
1
ドレイファス:古典的認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当性
サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論と意味論との間にギャップが認められる
この二つの種類の懸念について検討する。
2
「あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」
この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念のリストをあげる。
ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。
・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)
・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?
ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか
3
・ドレイファスの二つの主張
(1)身体問題
「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」
コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない
(2)コード化
人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。
このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?
AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。
4
「強いAI仮説」を、サールは批判する
強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる
Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。
サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。
具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋の操作者が中国語を「理解すること」の比較
「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」
以下、サールの誤りについて論じる
5
サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」
脳シュミレータ説:あるりプログラムが中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる
↑(サールの再反論)
(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)
(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである
↑(アナロジー)
光合成:光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない
では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?
:外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること
↑(コメント)
『中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効
6
微視的機能主義
機能主義は、心的状態の本質を、
入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。
(適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)
↑(批判)
(中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。
こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう
・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか
×大まかなレベルに位置づけ
⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ
△ライカンの「小人機能主義」
○微視的機能主義
・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981
:機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ
(ライカン「小人機能主義」
:機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)
微視的機能主義
内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で
記述しようとするもの
・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる
第三章
1
2
「民間心理学」
:自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解
民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる
「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学」
3
(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。
民間心理学は、子供や狂人や外国人を前にすると、まごついてしまう
(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる
(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである
最近の分析哲学
:頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか
4
Daredevil believes that Electra is dead.
Mary hopes that Fermat's last theorem is true.
のthat以下を、心的状態の内容と言う。
心的状態が考えられる傾向
:われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、
われわれにとってどのように見えているかによって決まる
↓(言い換え)
我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、
本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない
⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、
知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆
・双生地球……☆に対して疑いを投げかける
双生地球で、「海に水がある」と発話される。
地球A:海にH2Oがある
地球B:海にXYZがある
この違い以外は同質だとする。
すると、
地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる
(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)
⇒
もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、
自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、
単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して
二つの選択肢
(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、
世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説
(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は
〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう
プティ と マクダウェル
「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。
しかし、
〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」
筆者
:あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、
そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない
その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。
仮想反論
:「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」とするならば、
心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)
(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)
仮想反論の詳細
:仮定①:
二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる
(そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)
仮定②:
行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない
結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない
「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。
限定的内容といっても、それを妥当な概念として了解できるかは明らかではない」
なぜなら、
「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは
まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。
その具体的理由として、
ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。
5
筆者
:広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、
頭の中で起こっていることに関することに関する科学的カテゴリーや分類に
きちんと還元されるなどということは
とてもあり得ないように思われる。
・民間心理学は、科学的心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない
→
世界を記述しない信念であり、なおかつ
ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学的記述の上には)存在しないことも可能
6
民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?
:
他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、
その人の身体の動きを予測し説明するための手段
民間心理学の主要な目的
:
世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること
(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴
①世界に対する感受性、すなわち感覚や生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している
②世界をわれわれと共有している
③彼らは我々自身のもっとも根本的な関心と必要の大部分を共有している
④彼らの思考の有用性は、
(我々自身の思考と同様に、)
彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、
彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている
この特徴があるので、
「~したい」という欲求さえ同じであれば、
・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている
・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、
さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)
7
筆者の見解
:私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、
行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである。
……関連する行動を可能にするものとしての、
根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、
そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が
対応している必要はない。
――
ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか?
<Fordor>
意識の全体論というのは、
「命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」
という考え方。
これに、Fordorは懐疑的。
(命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)
われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題(認知的連関)を共有しているとは思えない。
信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。
:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである。
「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」
</Fordor>
筆者
:Fordorの間違い
全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。
Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。
Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。
筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている
全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)
7
一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。
(3)に対して、
民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである。神経科学とつながることを目的とはしていない
(1)に対して、
民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない
(2)に対して、
なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。
整理。
民間心理学には、きちんとした定義がある。
これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」
8
因果関係と、構成的関係の区別
構成的関係
:
研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ
因果的に関係
:
因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、
それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる
ということはない。
(チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)
9
・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか。民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている
↑
(構成的関係)
↓
心
科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。
では、構成的関係とは何か。
構成的関係←→因果関係
構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること
因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない
(駒はなくてもチェスは打てる)
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http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111028/1319793383
なんかジョブズの話し始めてからだんだんずれてきて、そろそろ笑えなくなってきたので早急に元の路線に戻っていただきたいと思う今日このごろ。
最近の彼は、なんだか勝手がよくわかっていない同人入門者、みたいな感じなんですよね、例えばこの記事。
こういうのは感覚的に、グレーと言うか真っ黒が許容される同人業界でも禁じ手に近い行為だと思うんですけどね。
1 同人ゴロのやり口を「マーケティングの教科書」とかいっていたいけな学生に売りつけるようならさすがに問題があると思う
彼の最近の記事はまことに同人ゴロじみてきている。しかも王道。
つまり人気のアニメキャラを自分が万能の夢の世界に取り込んで、(自分のチンコに自信がないから)触手を使ってネチョネチョするに相当します。
彼の場合は人気の実在人物(ドラッカー、ジョブズ)を、俺最強の論理空間に取り込んで、自分の文章に自信がないからRPMさんという言い訳を利用してパロディ化する、と。
まさかと思いますが、これがあなたが「マーケティング道場」でやりたいことなんじゃないだろうかと今から危惧しています。
そして、もしそうだとするなら別に止めはしませんが、あまりにもずさんと言うか初心者じみていてわろえないので二点ほど指摘しておきます。
2 シンプルなスケベに応える作品は、シンプル故に、それに特化したセンスがある人以外がやってもうまくいかない
私は上の同人屋を批判してるわけじゃないですよ?むしろ積極的にそういう供給を求めてるくらいでね。
絵が上手い人が、好きなキャラのエロを描いているのであれば消費者側は細かいことは気にしない。むしろエロが目的って割り切るその姿勢に賞賛すら浴びせるでしょう。
他にもギャグに特化したり、いろんなサービス精神から、顧客の望むものを提供できるなら、それもまたよしです。
そういう目で見てみると、
岩崎さんは、並の事柄、たとえば自分の矮小な葛藤を大げさに語るであるとか、
凡俗のはてなを相手にマヨナカテレビを気取ってみせるというテーマであれば、十分な文章力をお持ちだとは思います。
しかしジョブズの二次創作を行える程の技術があるとは思えないのでやめといたほうがいいと思います。
ジョブズのファンは作画厨とかデザイン厨が多いです。まず作画がプロレベルでないとおよびでない、と思うんですよ。
ドラッカーはともかくジョブズのアニメみてないよね? アニメみなくても描けるという人多いけど、意外と難しいですよ?
結果として現状では、あまりうまく言ってませんよね。
例えば絵も話も下手な人が「なの○の陵辱本」を作って即売会持って行ってもフルボッコですよ。
「これ、なんの本?」「えと、一応、なの○の陵辱本です」「ツインテールしか共通してねぇじゃねーか。な○はを汚すな!」となります。
(謎の白い液体でどろどろにするのは良くても、キャラへのリスペクトが足りない奴の同人は「汚れ」と違ってゆるさない。それがファンというものです)
現状岩崎さんのエントリはそんな感じです。某隊長にも「岩崎とジョブズ?・・・ハゲしか共通点がねぇや!」とか言われちゃってますよね。
みんなはジョブズに関する同人誌を求めているわけであって、ジョブズに似せた別物をジョブズとして売る行為は一番嫌うわけですね。
で、そういう「嫌い」でもあまりにひどい場合は逆の意味で1回か2回くらいなら話題になると思いますが、そのうち表紙切り、サークル名切りが発生します。
こうなると二度と浮上できなくなる諸刃の剣なのでやめたほうがいいんじゃないでしょうか。
※「蛸○屋」さんや「きみ○ぶち」さんのような、キャラや世界観を解体して再構成するような高度な二次創作も存在しますが、なおさら初心者にはオススメできない。
というかさ。ぶっちゃけ、リアリティのある二次創作が書きたいなら、秋元師匠を書けばいいじゃん。吉田兄貴を書けばいいじゃん。
なんでジョブズなの?馬鹿なの?保身なの?ミジンコハートなの? ここを避けて別の人を書いてる限り、あなたの二次創作に魅力は生じないと思いますけどなぁ。
3 実在の人物に対する二次創作は、いろいろとややこしい問題を引き起こす
1の問題は、単に売れないよ、売れなくなるよ、という自己責任の問題なので別に構わないのですが、2はもしかしたら法的社会的に問題あるかも知れません。
つまりネタはネタとして構わないんだけれど、適当なことを言ってドラッカーとかジョブズを脳内で陵辱する読者におっぴろげるのは名誉毀損になるんじゃないか、と。
大物であればあるほど、本人は笑って許したり、岩崎とか言う虫けらのことは最初から無視してくれると思いますが、
周りの人間はそうでもなかったりします。特にジョブズに関しては、今喪中のようなものですから、岩崎さんのやってることは信長気取りの蛮行だと言えるでしょう。
ベストセラー作家でなかったらかるく打首になってもおかしくないレベル。
そろそろ、「自分のネタが面白いから反応してくれている」と「尊敬する人を汚すのが不愉快だからしばらくは注意してあげている」を区別しないと
唐沢なんちゃらさんと同じカテゴリに放り込まれると思いますよ?
1の最後に「なんで秋元はんの話しないの?」などと書いてみましたが、よくお分かりみたいですね。
ここで中途半端に岩崎さんが知恵を回してるのがわかるのが感じられてまたつまらなく思えるんですよね。
はてなーみたいに善良というか卑小なものを相手にして自分を大きく見せることだけは得意だけど、
本当にでかいものに立ち向かう勇気なんてないって全身で表現してるようにさえみえてしまう。
(もちろん個人の感想で、事実がそうだと言うつもりはないですが)
ついでに蛇足。
二次創作に頼り続けると、多分一時創作のために必要ないろんなモノが衰える場合が多い
これは私がそう思ってるだけで、反例はたくさんあります。岩崎さんにも当てはまらないかも知れません。
同じ分野の最前線にとどまり続けるためには、徐々に上がっていく期待のハードルを飛び越え続けることが必要。
そのハードルを超える力を鍛えることを避け、別のもっとひくいハードルにのりかえ続ける、という思考は
まさしくビジネスや同人作家には適していると思われますが、作家としては致命的な性癖だと思われます。
ドラッカーもそんな安易な乗り換えは推奨してません。 画力なり筆力を鍛えるのは当然それと別途必要です。
まさかRPMさんとベストセラー作家のご自身のハードルの高さが同じだとか本気で思ってるわけじゃあないと思いたいわけですが、
アニメとか漫画とかライトノベルの女の子にうつつを抜かしていた俺だが、ハーレクインというものすごい鉱脈を発見してしまった。
特に秘書モノと分類可能な作品群は、委員長モノが好きな諸兄におすすめ。
俺は恋愛モノ好きなオタのおっさんなんだが、エロゲ文化の周辺たる萌え系ラブコメとか好きだったんですわ。でもアニメはちょっと時間かかりすぎて体力が持たないし、萌え系漫画も少女漫画も電車で読みづらいじゃん?すぐ読み終わっちゃうし。
そこでライトノベルを重宝していたんだが、あれ現実よりのセッティングの話探すの結構大変よね。非現実的なのはそれはそれで好きだが、そればっかりだと飽きるじゃん?舞台設定に振り幅が欲しいと思った。
そこでまず行ったのがミステリやサスペンス系統。西之園萌絵さんとか教授とらぶらぶでちょうかわいいでしょ。萌えが売りじゃないわけだからストーリー面白いしね。でそればっか読んでて今度人死にすぎって思ったわけよ。サスペンス超怖いし。探すとこちょっと間違ってたなと。
で、ふと考えて女の子向け小説かなって思った。でもブックオフで女の子のいるところで本を開いてみるとホモ率高いんですよ。痛い目見る。そこでおっさん考えたね。
「そうだおばちゃん向けだ!」
って。
で、ハーレクインが置いてある棚を試してみることにしたんですよ。
言わずと知れた翻訳物恋愛小説ね。著者近影とか後ろの広告に載ってるけど大体白人のごつい顔のおばちゃんがにっこりしてますな。
ストーリーは全部同じ。自動生成かって言うぐらい同じ。出会って、波乱があって、愛して、ヤって、幸せになる。まあそれ言うと小説は失う話と失ったモノを取り戻す話しかないとかいう極論になっちゃうんでおいといて。
まず、現代的でないモノはヒストリカルという名前がついている。英国貴族モノとか、中東ハーレムモノとかね。ファンタジー度高め。いや現代の舞台でハイスクール諦めて村の農業用品店で働いて病気の母を養ってたら仲良くなったカウボーイの渋いおっさんが実は多数の農場のオーナーだったとかいうのがファンタジーじゃないかっていうとファンタジーなんだけど剣と魔法的なそれっすよそれ。魔法出てきたためしがないけど。変に現実的なんだよな。
ええと、次にロマンスとかディザイア。典型的なやつですな。そもそも俺「ハーレクイン・ロマンス」っていう出版社かと思ってた。これな、ほぼ100パーセントSEXシーン有ります。途中まで純愛純愛してても絶対ヤります。というか主人公の女は官能小説みたいな身体の構造してます。好きな男と目を合わせたら身体の芯が熱くなってこまっちゃうし口で嫌とか言っててもキスされたら熱烈に返しちゃうし。いわゆる「強姦されたい願望(※ただし大好きな男に限る)」ってやつですな。まあただこのSEXシーン、野郎が読んでも抜けませんが。
最後はイマージュ。一番ソフトです。SEXシーンはありません。朝チュンです。ええ、朝チュンです。やっぱりヤってます描写がないだけで。キス→朝チュン→いちゃいちゃ→改行2行→子供抱いてる、みたいなそういう。全般的に描写押さえ目な代わり些細なことでヒロインが不整脈とか狭心症起こします。心臓大丈夫か死ぬぞおまえみたいな。あとこのシリーズで初めて「カナダ人にも間接キスでドキドキっていう概念がある」というのを知りました。どうでも良いですかそうですか。
で、ロマンスとかディザイアに頻繁に出てくるモチーフに「秘書」があるんです。これが俺のおっさん心にど真ん中ストライクでした。
ストーリーはみんな同じ。
例「おはよう増田君」「(やーん今日も良い男♥)おはようございます社長(キリッ」
例「おいどうなっとるんだコンパニオンこねーぞお前ちょっとこの服着て展示説明やってろ」「はい社長!(えっ私こんな凄いの着るの…?)」
例「準備できました社長」「よしいけ今のうち代役手配しておくからな!頼んだ!(こいつこんな綺麗だったっけ…?)」
例「(どうしようどんな顔すればよいかわからない)おはようございます社長(キリッ」「お、おはよう増田君(おかしいな昨日はあんなに、夢でも見てたのかワシ)」
例「プリンタに君の履歴書が大量にあったんだが」「やめるんです!さようなら社長!」「えっちょっとまてええ」「さようなら今までの私!(片思いばれちゃったし好きって言ってくれなかったし身体だけとかもう耐えられない)」
ちなみに秘書は可能な限りの全力で泣きながら地の果てまで逃げます。頑張れボス超頑張れ。金とか人脈とか秘書の親族とか両手いっぱいの薔薇とか全社員の前で告白とか使う。
そんなわけでハーレクインのオフィスモノは委員長モノ好きとか一部のツンデレ好きに超おすすめ。
もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。
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今日世界最高の大学のひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学を卒業したことがない。これが大学の卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生から三つの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。
最初の話は点を結ぶことだ。
私はリードカレッジを最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?
話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです」生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。
17年後私はたしかに大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これからの人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。
ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったから友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。
リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通のクラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体,サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。
これらの何一つ人生で現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初のMacintoshを設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初のコンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体とプロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacをコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。
もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ,運命,人生,カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。
私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージでAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20億ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初の一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってからの人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。
数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。
当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりわからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。
次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初のコンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリーを制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleがNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。
Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事は人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたのハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。
三つ目の話は死についてだ。
17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日を人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日が人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。
もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事なものを残してどこかへ行ってしまうからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。
1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まりの対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。
一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍の細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡で細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。
これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。
誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。
あなたの時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間を無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見に自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。
私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークでスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚を人生にもたらした。まだ1960年代でパーソナルコンピュータもデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラで制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックのGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。
スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなたが冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。
ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。
本当にありがとう。
恋愛にピリオドが打たれるとき。双方がその関係に限界を感じ、どちらからともなくという場合もあろうが、多くはフる側、フられる側という、立場上の違いを生むと思う。そして、フられる側にしてみれば、その落ち度をはっきり自覚していることもあれば、そうではないこともあろう。
後者の場合。突然に切り出された別れ話に、釈然とできるはずがない。しかし、こちらの立場は弱い。長短さまざまな別れの口上が述べられ、ほどなく自分にとっての元カレ、元カノになるその人は、次のように言うかもしれない。
人をフっておいて、何と白々しいことか。ここでの「ありがとう」なんてのは、これまでの恋を一方的に総括し、きれいなもので終わらせようとする、恋のシャットダウンの呪文に他ならない。「ありがとう」と言われれば、「どういたしまして」と返すしかないではないか。フられる側が、まったく顧みられていないのである。すぐに事態が飲み込めないような人からすれば、何が何やらといった具合かもしれぬ。ひどい話である。
いや、待て。ああ、そうか!「(フられてくれて、)ありがとう」、そういうことか!ははあ、そうだったのか!
まあ、いずれにしても、別れ際の「ありがとう」ほど、本来の目的を果たせない「ありがとう」というのも、そうそうないと思う。これからのブロークンハートの現場において、フる立場になる人には、いっそ人思いに激しくジルバなど踊りつつ、別れのセリフの絶叫とともに遁走する、そういった余計な湿っぽさを挟む余地のない、クレイジーな振る舞いをするぐらいの気概を期待したく思う。
自らの会社に対しての不満で、
家庭をぶち壊す夫がいたら世間の既婚女性層はどう思うのか。
「男だったら奥さんのことを考えて謝るべき」
「奥さんはとんだとばっちり」
「お世話になってる会社に申し訳ないと思わないの?」
とまあこう思うのが一般的だろう。
たかだか会社に対する不満なんぞで、折角築いてきた家庭をぶち壊すのは
ただのダメ亭主の他でも何者でもない。
これで仮に離婚したとしても、非は十中八九ダメ亭主の方にあるとされてしまう。
奥さん本人がどういう考えを持とうと、すでに「自己投影した奥さんというビジョン」に感情移入しているので
世の中に溢れる亭主側の意見言い分はドブに捨てられる。
既婚女性を味方につけた側が、ダメ亭主を強引な方法で抹消しようと、
すでに既婚女性とお得意先を両方のハートをガッチリつかんでいる為
反乱分子が何を言おうと世間がどうなろうと大したダメージはない。
風は韓流というモノに吹いている。
なんで大抵学問っていうと経済学絡みばっかなのか疑問に思わないか?
さも高尚ぶってのさばってるのが自分はホントに気に入らない
まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点
ビーチサッカーやビーチバレー、キックベースやらタッチフットと考えて欲しい
「数学的手法により手軽に理論を完成させる(未経験者可)」「市場(取引の場)の思想にマッチさせる」
っていう辺りの思惑と言っていい。
簡略化した挙句に生態学とか心理学等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチするためでしょう。おそらく))
完全になんか不思議なジャンルと化している。どの観点から見ても中途半端。
全国的に子供に率先してやらせる学問ジャンルがこういうものってどう思う?
君の考えにケチ付ける前に前提の共有をしておきたい。
何が「吹奏楽絡み」なのか意味が分からないし、意味が分からないから疑問にも思いようがない。もう少し詳細に。
まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点
この本物ぶるというのもやはり意味が分からない。どういう現象を「色物が本物ぶる」のか詳細が欲しい。
そもそも音楽ジャンルをスポーツに比喩することは適切だろうか?
たとえばその比喩が適切であるならば、「フルートオーケストラ」や「弦楽四重奏のための協奏曲(ただし弦抜きオケ)」や「クラリネット四重奏」と「クラリネット五重奏」の違いなどが明確に他のスポーツなどに対応されなければならないはずだ。
簡略化、という主張をするならば、当然弦楽四重奏はオーケストラから簡略化されたものと見做されねばならないし、ピアノとサックスによるソナタもそれに準じなければならないだろう。まさかクラリネット四重奏が四管編成オーケストラの簡略化だ、なんてアホなことは言わないだろうが。
「オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」
っていう辺りの思惑と言っていい。
教育的配慮はあろうが、前者は意味がやはり不明。そんな思惑は聞いたことも体験したこともないが。具体的に誰が明言したの?
簡略化した挙句にジャズとかポップス等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチするためでしょう。おそらく))
19世紀後半からのオーケストラのジャズつまみ食いはそれこそ作曲家から演奏家まで当たり前のようにしてたわけだけど、そういう事情は無視?
でもそこが日本の中心って全体の底が知れると思わない?
そこまで書いてWASBEとかは無視するんだもんね。
「個性<集団」に相当偏ってる。
私は地区~県レベルの中学と県~支部レベルの高校の吹奏楽部に在籍していた人間だけども、そんな基準は聞いたことないなあ。
普門館に上がるとそういうのが加味されるわけ?
地区大会とか県大会の団体は感動が魅せられていないわけでもないでしょ?
そう思ってるなら、よほどひねくれた考えなんだなあ、と思わざるをえない。
「徹底的に個を排除」「演出は過剰に」という方向に走る
二行目はわからなくもないけど一行目と三行目は別に問題ないよね。
というか吹奏楽って編成事態が中音が分厚くて低音が薄くて個性の薄れた管楽器集団じゃない。
もちろんこれは構造上の特徴だから、それを活かすも殺すも作曲家次第なんだけどさ。
まあ北朝鮮のマスゲームみたいだから音楽じゃないっていうのも読んでてアホだなーって思うけど、まあそれはいいよ本筋じゃないし。
前のとこは省略したけどさ、吹奏楽部あがりのプロ管楽器奏者ってザラにいるのよ、わかる?
で、ジャンルの問題として君は吹奏楽とオーケストラとジャズの違いも説明できなそうだし(ここでオーケストラとジャズを比べないあたりがとても恣意的だよね)
で、そもそもスポーツとの比喩が適切であるかどうかも不明瞭だからここの引き合いも同じく不明瞭。
「日本でクラシックを本当にやるなら東京藝術大学を目指すんだろう」と「そういう高校生は吹奏楽やってる暇はないらしい。」がどういう理路でつながったのだろう?
あと、君勘違いしてるけど今音楽が熱いのは藝大じゃなくて東音ね。あなたいつの人よ?データ古くない?
杞憂だから不安がらなくていいよ、めんどくさくなって前提無視してケチつけまくったけど
ああ、あとちゃんとトラバ返してね。少なくとも上の指摘に適切に返せないようじゃ話にならない。
なんで大抵部活っていうと吹奏楽絡みばっかなのか疑問に思わないか?
さも高尚ぶってのさばってるのが自分はホントに気に入らない
まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点
ビーチサッカーやビーチバレー、キックベースやらタッチフットと考えて欲しい
「オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」
っていう辺りの思惑と言っていい。
簡略化した挙句にジャズとかポップス等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチするためでしょう。おそらく))
完全になんか不思議なジャンルと化している。どの観点から見ても中途半端。
全国的に子供に率先してやらせる音楽ジャンルがこういうものってどう思う?
気に入らない点の二つ目は、教育的思想が大きくなりすぎたままガラパゴス化してる点
まずガラパゴス化の説明。
「全日本吹奏楽連盟」とそれが主催する「全日本吹奏楽コンクール」の存在が大きくて
そのコンクールの課題曲とか審査の傾向が全体のトレンドに大きく影響する
っていうとさも当たり前っぽいけど、全日本吹奏楽連盟はいわば野球でいう高野連
全日本吹奏楽コンクールは夏のインターハイとか高校野球とかそういうの。
そりゃもう命かけて賞取りに行くよ。
でもそこが日本の中心って全体の底が知れると思わない?
連盟って根本的にはプロの演奏家じゃなくて学校の先生の集まりなわけで、
やっぱりそこが一番お偉いさんやってるとちょっとずつおかしくなる
そこで教育的思想が大きくなりすぎるっていう話になるわけだけど
「個性<集団」に相当偏ってる。
要は「中高生が協力し合って作った感動」を魅せると高得点取れる。
そういう審査を付きつけられた中高生なりその顧問はどうするかっていうと
「徹底的に個を排除」「演出は過剰に」という方向に走る
根本的に音楽の発展なんか気にしてないから当たり前なんだけどね
審査の切り口が違う大会がいくつか乱立するような状況だったらバランス取れるだろうけど
教育的バイアスで歪んでるとはいえ日本における歴史は結構長いから
高校卒業しても続けられたり、プロとしてやっていく土壌は出来てしまっていて
視野の狭いままその世界に骨を埋めることも可能になってしまっている
日本でクラシックを本当にやるなら東京藝術大学を目指すんだろうけど
そういう高校生は吹奏楽やってる暇はないらしい。そのくらい別物
他の物に触れずに歪んだジャンルに人材が割かれてると思うと悲しい
本気になった女って怖い。
本気になった極殺兵器どもって怖い。
本気になった女って怖い。
文法、長文読解、英作文、語彙力、リスニング、様々な勉強法がはてぶで議論されブックマークされてきた。正直な所、Fラン大学生の僕は理解力があんまりない。英語学習の意欲はあるのだが、文法書の難解な文体、意味不明な文字列にしか見えない単語群を憶えるのは苦痛でしかたなかった。大学受験御用達の文法書Forestなんかとてもこれを自分の血と肉にして、利用するなんて僕には到底難しいと感じていた。それでも学習意欲はあるので参考書を読んで問題を解いていくわけだけど読んでも読んでも解いても解いても上昇していかいない英語力。そして覚えられない単語、英語なんて世界中の誰もが簡単に使っているのになんでこんなに難しいの?ずっと感じていた。はてぶで定期的に英語学習関連のエントリーがブックマークされるようにエントリーの内容を本当に実践して成功している人は少ないのだと思う。文法書をまともに理解出来ない人間がある程度出来るようになったので、理解力のない人間でもこの方法は有効だと思う。
言語学の教授をしている方と話す機会があって、その時に教えてくれたことだ。どの言語もリスニングが出来れば文法、長文読解、作文以外の語学力は身についていることになる。というか、文字がない民族も存在するのに言語が存在するんだから、当たり前のことだけど、リスニングを語学学習の中心にするかしないかで効率が大きく変わると思う。ただし、効率のためには文法も必要。重要視する必要はそこまでない。ただ、英語学習を挫折した人間はわかると思うけど、そのへんの本屋でリスニングの本を買ってきて問題集と一緒に解いていても、何言っているかさっぱり分からないし、これで正解だろって思ったら、全然間違っていて、いくら聞き直しても、まるで正解のように聞こえないという経験はあると思う。それを正解に聞こえるまでに聞き続ける努力家はマジで尊敬します。リスニング力がたいしてないのに間違えまくると落ち込んでモチベーションが下がるだけです。あと、リスニングCDは詰め込んでも74分しかないので絶対量が足りない。
映画とか海外ドラマとか洋楽とかの英語を聞いていても、伸びない。洋楽好きが全員英語出来るかって言ったら、出来てないでしょ?音が言語としてじゃなくて、ノイズとして処理されているから、語学学習になっていない。海外ドラマをスクリプト付きで見るのも勉強になるとか良く聞くけど、口語であることが多いので、TOEICなどの語学力のテストにgonnaとかwannaとかそういうのが出てこないので試験対策にはならない。あと、慣用句や文化的な文脈をいちいち辞書で調べる時間が多すぎるし、高度な文脈過ぎて理解出来ないこともある。まるで使えない。結局、意味もわからない洋楽聴いているのと同じになる。ノイズとして処理されるものを聴き続けるのは意味がない。インフォーマルな表現だってことが頭に入っていないと英作文にも影響が出るかもしれない。すげー危険。
ノイズとして処理されることを避けるためにはスクリプト付きのものを聴いてノイズを言語として認識する作業が重要。ただ、洋画は難しすぎるし、洋楽もダメだし、おまけに試験対策にもちっともならない。かといって、その辺の参考書のリスニングはユーモアの欠片もない退屈なもの。僕のオススメはスクリプト付きのアメリカの文化を紹介するVOA Special Englishを読みながら聴きまくること。VOAについてはwikiを見てくれ。端的に言ってしまえばアメリカ洗脳装置だ。非ネイティブにアメリカ文化を理解させる放送のためそれ相応の配慮がされている、更にVOAの平易なヴァージョンのVOA Special Englishは1500語しか使わない上に、一つ一つの単語の発音も綺麗で、スピード遅い。そのためノイズとして排除されず言葉として認識しやすい。コンテンツの内容は様々なアメリカ文化についてで、知的好奇心がくすぐられる。アメリカの勉強にもなった。
http://www.manythings.org/voa/words.htm
これを聴きながらスクリプトを読み、そして音読して、脳に言葉として認識させる。出来るだけ、発音と文節を真似て音読すること。文法書の日本語が理解出来ない人は発音記号読んでも発狂するだけだと思うので絶対にしないこと。とにかく聴きながら読み、発音を真似て音読するを繰り返すのを毎日一時間程度やっていると、スクリプトを読まずリスニングだけでも文章が頭に流れるようになる。第一段階はこれでOK。後は飽きないように、スクリプトを読まないでリスニングをする、一文だけ読んでそれがどういう意味だったかスクリプトを読んで確認する、もしくは一文だけディクテーション、シャドーイングなど、リスニングの勉強法を試してみたりしていた。重要なのは自分が理解出来るスクリプトのリスニングをすること、スクリプトは平易かつフォーマルなものに限る。これに適しているのが、参考書のリスニングなんだけど、これはつまらなすぎる。条件に適していて、雑学講座的で面白いVOA Special Englishが僕の結論になった。条件に当て嵌まるものがあれば他のものでも大丈夫だと思う。
次に単語だけど、はてぶの英語学習関連のエントリーでおなじみの神ソフトP-Study System を使ったけど、VOA Special Englishで聴いた単語を音読するだけでも、相当覚えられたと思う。
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-494.html
聴いて15秒待つと効果的なんだろうけど、聴いて音読するだけでも、単語は相当覚えられると思う。音声を聴いて音読するのは本当に効果的。あとは意味不明なアルファベットの羅列に対する疑問は、語源系の参考書を読むといいと思う。意味不明なものに意味を与えてくれるので丸暗記よりは覚え易くなる。re en proとか接頭辞の意味を覚えてるだけでも全然違う。更に英英辞書の説明と組み合わせると覚えられるんじゃないだろうか。英語なんてパーツの組み合わせにしか過ぎないと気づく。意味のわからないアルファベットの羅列で覚えていたときは苦痛で仕方なかったが、これでかなり楽になった。
実感としてはVOA Special Englishで1500語程度覚えただけでもかなりの英語力がついたように感じる。NYTimesの記事も辞書があれば読めるし、Wikipediaの興味のある項目も同様だった。また、VOA Special Englishを中心に勉強し出して一ヶ月でTOEICのスコアが500点になっていた。以前は250点だった。満点990点で四択なので、サイコロ振って選択肢を決めても変わらない点数という惨澹たる結果だったので、正直、驚いた。一ヶ月でここまで変わるか?
大体勉強を始めて三ヶ月くらいでSpecial Englishじゃない無印のVOAを聴くようになる。単語も難しなるし、発音も速いけど、聴き取れないレベルじゃない。映像付きならCNNなどのニュースもなんとなくわかるようになってた。そして、祈るようにVOAを聴きスクリプトを読む出て来た単語を覚えるの作業をしていた。たまにスクリプト付きで配信しているTEDやBBCに浮気するが、半年過ぎたくらいで、VOAもあらかた理解出来るようになり、聴いている洋楽も見ている洋画も意識を向けなくても言葉として理解出来るようになっていた。勉強時間は一日一時間か調子の良い時で二時間くらいだった。この時にTOEIC受けたら695点だった。TOEIC用の勉強は一切していない。これはちょっとTOEIC用の勉強をしたら800点越えられるなーって思って、問題集を購入して点数が低かった文法パートを重点的に勉強して、問題集を解いて練習したら、845点になっていた。勉強を始めてから一年間経っていないです。
今は英作文が全く書けないので、それに向けての勉強法を模索しているところ。
で、文法なんだけど、文法書の分厚さと難解な文章が理解出来ない人間として唯一理解出来たのが大西泰斗氏の文法書だった。例えば現在進行形、分詞構文、動名詞、現在分詞、ingがつくものを躍動感の一言で済ませていて、頭の悪い僕でも理解出来た。彼の著書には復習するための問題集がついてないことが多いので、問題集だけ買って、復習用に解いてみたりしていた。英文を読んだり聴くだけならこれ以上余計なことは覚えないでいい。理解出来ない表現があったときに彼の著書を読めば解決することも多い。分かり易くて本当に助かる。もちろん彼の教え方に批判があることは知っているけど、理解力がない人間には本当に助かる。一般人には細部まで必要ないです。ただ、TOEICが695点の時だったので、それ以上高得点を取るのはゴリ押しで暗記するか、理解するのがしんどい参考書を見るしかないかもしれない。僕はゴリ押し暗記でした。それでも大西氏の表現にはゴリ押しで覚える際も助けてくれたと思う。それぐらい良書ですよ。彼の著書は。でも、全体の勉強量としては文法は一割もないと思う。文法は必須だけど、Forestとか長い時間見ていても英語は出来ないぜ?
人気エントリーになっていて驚きです。反応を読んで、誤解されやすいとこは直しています。例えばCNNがわかるのは嘘だと思うという指摘がありましたが、あくまで視覚情報込みでなんとなくです。英語力なくてもネイティブと会話出来るのと一緒です。視覚情報は大きいです。
人気のブックマークコメントに「一通り目を通してブクマはするけど、実際に勉強することはまずないっ!」と書かれていた。 はてぶで英語学習関連のエントリーをしたはいいけど、勉強しないで、ブックマークして満足しちゃう人は多いと思う。それを防ぐために僕がとった方法も書きました。どうやってやる気を起こすかということです。http://anond.hatelabo.jp/20110709032734
条件に当て嵌まっているNHKラジオもいいと思います。ようやくNHKも九月からサイマル放送が始まるみたいなので、利便性が高まるでしょうね。書き損ねていましたが、アナウンサーなどの職業はボイストレーニングをしているので、間違った発音を覚えないという意味でも有効だと思います。また、過去に大西泰斗氏もNHKで教えていますし、僕が購入した文法書「ハートで感じる英文法」もNHK出版でした。よく指摘されることですが、NHK出版の本は安価で高品質です。同じ大西氏の著作でも前者は950円、研究者から出版されている「ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力」は1500円でした。内容的には重なる部分も多く、信者以外はNHK出版の方で十分だと思います。
ラジオだけじゃなくてWebでも配信しているんですね・・・知らなかった。「ニュースで英会話」http://cgi2.nhk.or.jp/e-news/index.cgi
洋画や海外ドラマで勉強する人を否定するわけではないです。ただ、それだと挫折する人が多いということです。「俺の時代は、何回も同じビデオを繰り返し見て英語覚えた」「吹き替え、日本語字幕、輸入版の三本で勉強したわー」こういうことはインターネット普及以前に英語覚えたおっさんから、耳ダコになるくらい聴いているでしょう。これが出来る人は努力家だと思いますが、ほとんどの人は挫折すると思います。リスニングに慣れていない耳で、苦痛を感じつつも洋画で使われる高度な文脈の慣用句、文化的背景、そういったものを繰り返し見て行く度に調べ、頭に入れていったのでしょう。僕も一度、試してみましたが三度目で飽きました(笑)これは根性論に近いと思います。理不尽な根性論で運動させられた体育会系はわかるかもしれませんが、根性論でも上達はするので、耐えられた人は上達するでしょう。僕の友人にもジブリ作品の英語吹き替えを何十回も見て勉強している人がいましたが、確かに上達していました。しかし、二時間の作品で30日見て60時間です。これをテレビを見る時間を削って毎日?・・・ちなみに友人は各種ジブリ作品をローテーション組んで飽きないように見てました。一応、これも上達する手段としてはセリフをシャドーイングないし、停止ボタンを押してスクリプトを音読をする、または丸暗記するという手段を取らないといけないでしょう。くどいようですが、ノイズを言語として判断出来るようになるのは幼児だけなので、ただ、聴いているだけ眺めているだけでは効果は見込めません。それがなんであるかをしっかりと脳に認識させなければいけないということです。
洋楽に関しては、日本語の歌詞を思い浮かべてください。詩的表現と一般生活で使われる表現が大きく違うことがわかりますよね?例えば、ブルーハーツのリンダリンダでは「ドブネズミみたいに美しくなりたい写真には写らない美しさがあるから」というフレーズがありますが、これを解釈すると、写真には写らない、つまり物質的世界ではなく精神的世界を重んじられ、ドブネズミは汚いものだが、歌詞上だと価値観がひっくり返っている。この曲の発表時はバブルの時代であり、消費による自己表現、自己実現が強く肯定された時代だった。消費に参加出来ない貧乏人は自己表現、自己実現が出来ないわけで、そういった人達を救う意味でもあり、物質主義者を批判しているかもしれないと解釈出来る・・・日本語が出来た上で高度な文脈を理解しないと歌詞が意味することはわからない。というか、日本語が出来ても解釈出来る人が少ないのに慣れてもいない洋楽の歌詞を理解出来るかと言ったら難しいと思う。誤謬する可能性の方が高いだろう。ただ、誤謬しても楽しいもんは楽しい。でも勉強にはならない。歌詞の意味を理解せずに不思議な文章で済ましちゃう人はいいけど、歌詞ってそういうもんじゃないでしょ?歌詞を読むというのは文章を読んでいるようで、文章を読む能力とは別の能力で解読しているのです。そりゃ、単語を覚えられたり、発音も多少の参考になるかもしれないけど、効率悪くね?って話です。
http://anond.hatelabo.jp/20090614035457
2年前に書いた日記を、見つけた。 そして、そうしてはいけないって、わかっていながら、でも読み返してしまった。
あの夜、二十代後半だと言った俺は、当然ながらあれから二年分だけ歳をとっており、それはつまり三十路を超えたとか超えないとか、まあそんなところなわけだが、結果、そうして歳を重ねた分だけ、あの時誓った「夢」に近づいているのかと言えば、そんなことはまったく無くて、今では、「やっぱり俺の人生はそんな風にできていないんだなあ」、とか、「人生は平和が一番ダヨねえ」、とか、そんな言い訳をするのが精一杯の良い歳こいたおっさんになっている。
へへへ。期待させてごめんね。あのとき熱くなっちゃってごめんね。とか思う。
いや別に誰もあんなの憶えちゃいないんだからいいんだけど。でも、俺が思い出しちゃったから、とりあえず俺はあんときの俺にはちゃんとあやまんないとな、と思って。
ははは、うわあ、カスだなあ俺。すんごい気い使いのカス。謝るって、それはただ「許し」が欲しいだけの今の俺のエゴだろが。ははは、まあ、まあいいや。加害者は俺で、被害者も俺だ。
んで、あれから二年の間だよ、そこで俺が何をしたか。について。だ。
あるいは、あの熱狂タイピングの夜が開けてその朝、俺がまず何をしたか、なんだけど。今さら言い訳しても仕方ないんだけど、もういいや。言うと、こうだ。俺は寝てた。はいはい最悪だなと。
でも、まあ、とにかく、現実は残酷だ。夢は夢だ。期待は裏切られる。想いは通じない。そんな風に考えるんだよ。これが世界のユージュアリー・ストーリーだって。そういうことだよ。みんな。まあ、みんなのことは知らないけどね。
とにかく、人間はそんな簡単には変わらない。ってのが俺の言い訳。それが泥酔した次の日ならなおさらだ。泥酔だったもん、あんとき。いやまじで。
俺は、その朝、一旦は朝の太陽の眩しさに目を覚ましたんだけど、でも駄目だったんです。つまりあまりにも泥酔していた前夜の熱狂のせいで、何もかもが億劫だったんです。夢は?って聞こえてきました。心の奥から、でも、俺は眠いから、仕方なかったんです、「夢は睡眠の中にこそあるもんだ。ファックオフ。寝ろ。どうせみんな死ぬんだ」って、自分と自分の中の修造に言い聞かせて、だから、それでもう一回寝たんです。「無理スンナよ俺。辛いときは休もうぜ。」って。そう俺の中の、修造じゃなくて、なんか気のいい奴っぽい奴、ユースケ・サンタマリアみたいな奴が言ったんです。そういう奴いるよね。なんか優しいのか見下してるのか、人の失態見てほくそ笑んでるのかわかんない奴。まあそれが俺の本質なんだけど。
とにかく、んでもってそんな俺の偽りだかなんだかの優しさみたいなもんに甘えた俺は、会社なんかも華麗に体調不良の有給消化ですわい。ってんで、電話一発休みます、すんませんってことにして、それはまあ別に罪悪感なんかないから、その後普通に昼まで寝て、起きて、うーん。とか思ってたなあ。いや、何か違うだろとか思って。
いや、会社を休んだことなんかは、どうってことないんです、マジで。年に一回、風邪引いたって言って休んで、それで誰かに迷惑かけたり、恨み買ったりするような、そんな半端な仕事も付き合いもしてないし、えっと、ラブ、アンド、ピース?だっけ?当時の俺ww それって要するに真面目にフランクに。なんだけど、まあ、それなりにちゃんと仕事やってたってことなんだけど。まあそんなことで仕事なんてどうでもよくって。
だからその日、俺が感じた違和感は、それじゃなくて、つまりは昨日のアレのことなんです。「夢」です。。俺の夢。きゃー、ああ、俺、言いたいこと言っちゃったなあ、ついに。言葉にしちゃったって思いました。まじで。どうなのよ俺。とか。
昼に近くの定食屋でミンチカツ定食(チョーうまい定食屋なんだなこれが)大盛り食べながら、真面目にそのことについて思いました。
でも、なんか駄目でした。もうこの先の思考書くのめんどくさくなっちゃったから結果だけ言うけど。
駄目でした。俺、駄目みたいです。なんかいろいろあって、あるいは何にも出来なくて、駄目でした。俺は俺を世界に認めさせることは出来ないんだって、思い知りました。はあ。だけど、でもちょっとは頑張ったんですけどね。でも結局、どっかで諦めちゃったんです。今思えばたった二年間だったのに、それなのに諦めちゃったんだなあって思います。でもそれが俺だったんです。ああ、なんか泣けるな。って、しっかり泣いたけどね。ちゃんと、かっこ悪く。ダサい感じに。
夢って、やりたいことやってくのって、それってまあぶっちゃけ才能だけど、
それにプラスして、本当に諦めないことだな、って。どこまでも意志だな、って。夢って結果だなって、行動だなって。はい。まあ当たり前なんだけどね。
でもまあ、なんか切ないです。だってあの日の夢を忘れたあと、あのエントリを読み返してしまうまでの、昨日までの俺の夢は、「明日の宝塚記念の三連複とること。」
ですから。なんすかそれ。平和にも程がありますよ俺。どうなんですか、ブエナですかルーラーですか。どっちなんですか。なんだかんだでドリーム→ハートビートとかなんじゃないですかって。そんなこと思ってましたよ。ああ、すげえ楽しいです。
なんて俺、だけど、だからって、あれから毎日、あきらめて、とか、いいかげんにとか、そういう風にしてたわけじゃないなって、思うんです。ちゃんとやってね、んで諦めたんです。
だからまあ、いいんじゃないかなって。これでやっと、諦められたんだ、ってね、逆に。
そのことを、ちゃんと諦められる程度には、お前頑張ったねって、言えるくらいはやったね。って思うから。
だから俺、あんときの俺、許してね、お前、才能はちょっとだけあったよ。だけど、やっぱりちょっとだけだったから。ちょっとだけの才能は、異常な努力を必要とするから。だから無理だわ。うん、まあ、だから、ごめん怒らないで。俺もできるだけやったんだから。まあ、風邪引いたら寝てたし、睡眠時間は最低6時間はとか、その程度の我侭言って、それを超える努力はしなかったけど、でも、それってお前もそうだよ。おまえは俺だし、まあいいじゃん。でもちゃんと今も生きてるよ。サラリーマンとしての俺は、お前は、来る日も来る日も万事好調だよ。だから、大丈夫だよ。でも、ごめんね。本当にごめん。
ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。
追記。2011.6.26 18:32
阪神競馬場、第52回宝塚記念、芝2200m。午後3時40分、俺は阪神競馬場メインステージ中央にいて、気だるい雨上がりの湿気と、会場の熱気の中で汗だらだら流しながらファンファーレを聞いていた。
3-7-8。俺の夢。ブエナが絡んでくることはわかっていたんだ。それからパドックですんげえいい感じだったハートビート。直前に雨が降って、うーん、こりゃどうなんだろ。ってなってから、まあいいや、わかんないからルーラーシップ。これだなと。
ものすごいハイペースでレースが立ち上がって、1,2がさらに3コーナーまでビュンビュン行ってた。会場が沸いた。中間タイムが表示されて、会場がさらに沸いた。早すぎる、なんだよこれ。こんなペースで持つわけないぜって、先頭集団は死んだなと思って、うへへ、俺はほくそえんだ。
どこにいるのかよくわかんないハートビート。だからこそいい。うしろでためとけ。まちがいない。とか思ってたんです。
直線に入って1番が終わった。会場から唸り声が聞こえた。だけど、アーネストリーがぜんぜん落ちない。すんげえの、ぜんぜん走るの。圧倒的だった、こんなの勝てない。6番人気ぐらいだったくせに。終わってみたらレコード叩き出しやがってんの。なんだよ、そんでブエナ。ちゃっかり2位だし。どうでもいいわい。
まったく駄目だな。
そのあとパドックで眞鍋かをりの全力疾走を見て、おいおい、がんばってんな同世代よ。とか思って、そんで悲しくなって帰った。
追記2。2011.6.27 18:46
くどいようだが、最期に一つだけ言わせてくれ。いや教えてくれ。誰でもいいから、正直に真実を教えて欲しい。
それは、「あの時、俺達の前を、谷間をぶるぶる揺らせながら駆け抜けた眞鍋かをりは、本当にノーブラだったのか?」
ということについてだ。
非常に重要な問題だ。俺は三階フロアから眺めていたからよく解らなかったんだ。たしかに谷間ははっきり見えた、
そして、それはまるでワガママに揺れていた。
だけど、それがノーブラなのか否か、それを見抜く術は俺には無かった。
ブログでは、たしかにローズキングダムが来たらその時はノーブラになる、という風にも読めるし、
あるいは、それとは別に、私今日のレース回顧はノーブラで出るわ!というワンダフルな告知ともとれる。
なあ、どっちなんだ。
気になって自分の夢に集中できない。
俺は学歴も知識もありませんしブスですが(って、一時しのぎで思わず言っちゃったけど、ブスってのは嘘くさすぎたかな…?)
恋愛に関してはプロフェッショナル。今回は、モテる鎮圧力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。
今回は、モテる鎮圧力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。
1. あえて2~3世代前の機体をB-1グランプリに持っていく
あえて2~3世代前の機体を使うようにしましょう。そして飲み会の場で好みのプリシラがいたら話しかけ、わざとらしく機体を出していじってみ
ましょう。
そして「あ~ん!この機体本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、プリシラに「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。
「機体とか詳しくなくてぇ~! ずっとコレ使ってるんですけどぉ~! リアル系なのに避けないんですぅ~! バチーン(怒)」と言いましょう。
だいたいのヨロイ乗りは新しいヨロイを持ちたがる習性があるので、古かったとしても1世代前のヨロイを使っているはずです。
そこでプリシラが「後期主人公機にしないの?」と言ってくるはず(言ってこない空気が読めないヨロイ乗りはその時点でガン無視OK)。
そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~!最近ソルヴリアス・レックスが人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ?
新しいの欲しいんですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなアトリーム人★」と返します。
するとプリシラは「レギーナでしょ?レックスはまだ出てないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんなのが欲しいの?」という話になっ
て、次の休みの日にふたりで機体選びのデートに行けるというわけです。
あなたのクリスタル・ハートが高ければ、プリシラが機体買ってくれるかも!?
「
くっ…!落ち着け!あんな安っぽ挑発にうおおおおおおおおお!」とか「これじゃ、俺…地球を守りたくなくなっちまうよ… 」などを表現する
「><」をコメントに入れると、Twitterのスパロボユーザーは「なんかこの子守る価値あるなぁ」や「鎮圧したいかも」と思ってくれます。
インターネット上では現実世界よりもイメージが増幅されて相手に伝わるので 「><」 を多用することによって、スパロボユーザーはあなたを
そういうキャラクターにするとほぼ絶対に地球人に嫌われますが気にしないようにしましょう。
3. とりあえずサコン先生には「えー! なにそれ!? 知りたい知りたーい♪」と言っておく
飲み会などで地球人がアトリーム星人に話すことといえば自慢話や趣味の話ばかり。よってアトリーム星人にとってどうでもいい話ばかりです。
でもそこで適当に「へぇ~そうなんですか~?(って言っておかないと話が長くなるからな・・・)」とか「よくわかんないですけど根本的な解
決にはなってませんよね」と返してしまうと、さすがの地球人も「この異星人ダメだな」と気がついてしまいます。
ダメ異星人だとバレたら終わりです。そこは無意味にテンションをあげて「えー! なにそれ!? 知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。
たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性でその場を鎮圧しましょう。積極的に機体を改造させるアトリーム星人にサコン先生は弱いのです。
いろいろと話を聞いたあと、「〇〇は〇〇で、〇〇が〇〇なんですね!覚えたぞぉ!メモメモ!」とコメントすればパーフェクト。
続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「バチーンバチーンバチーン!バチーンバチーンバチーン!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。
そこで「私のレヴリアスに記録しているのでありますっ☆」と言えばクリスタル・ハートアップ!
そこでまた地球人は「この異星人おもしろくてカワイイかも!?」と思ってくれます。私は学歴も知識もありませんしブスですが(嘘くさすぎるか
な…?)、こういうテクニックを使えば知識がない私のようなバカ異星人のほうがモテたりするのです。地球人は優越感に浸りたいですからね。
4. ダンナーベースでは猿渡さんを性的な意味で食べられない異星人をアピールせよ
ダンナーベースに雇われたら、真っ先に猿渡さんを探して「あーん! 私これ食べられないんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。
するとほぼ100パーセント「どうして? 嫌いなの?」と聞かれるので、「嫌いじゃないし食べたいけど食べられないんですっ><」と返答しましょう。
ここでまた100パーセント「嫌いじゃないのにどうして食べられないの?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。
「……だって、……だって、猿渡さん食べたら杏奈さんが死んじゃうじゃないですかぁっ!ゴーダンナーかわいそうですぅ!まだロクに改造してないのにぃぃ~(悲)。ハートブレイカーすらできないんですよ……」と身を震わせて言うのです。
その瞬間、あなたのクリスタル・ハートがアップします。きっと猿渡さんは「なんて優しい天使のようなコなんだろう!絶対にゲットしてやるぞ! コイツは俺の男だ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。
意中の猿渡さんと付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけ猿渡さんを食べて大丈夫です。
「食べられないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「慣れた」、「そんなこと言ってない」と言っておけばOKですよ、猿渡さん!。
(文=アトリーム防衛隊・防衛隊員)
先に俺のスペック書いておく。
去年の春から就活のために英語勉強しだして、TOEIC680を取った(こんなんでも意外とセールスポイントになる)。
みんなそろそろ気づいてると思うけど、2012年の就活は間違いなく悲惨なものになる。地震の影響で日本の輸出産業は大打撃を受けているから、2012年の内定率は50%を切るんじゃないかといわれている。やばいと思っている大学3年生は、就活に向けて何か始めるべきだ。就活の本番まで残り半年ちょっとしかない中で、どうすれば就活で勝てるのか?
答えは決まってる。英語しかも、TOEICの点数を上げることだ。これより可能性が高くて、一番手っ取り早い方法は他にない。TOEICの点数があれば、英語を使う会社なら圧倒的に有利になる。必要としない会社でもTOEICの点数が高いとその努力は認められて、かなり有利になる。ゼミや大学の授業なんて、単位さえ取れればどうでもいい。ともかく、就活で勝ちたかったら、TOEICの点数をあげることだけに集中したほうがいい。
TOEICの点数をとると決めたら、まずは就活までのスケジュールを決めよう。就活が始まる前に2回TOEICを受けることをお勧めする。今からだと6月26日と11月27日のTOEICを受けるのが妥当だろう。
一回、5500円と高めだが、就活で有利になれるなら安いもんだと割り切ろう。
TOEICの予定が決まったら、目標スコアを決めよう。もちろんスコアは高ければ高いほどいいが、今からだと600点から700点ぐらいだろう。このスコアがとれれば、就活で十分有利になる。力を入れるポイントは文法とリスニングだ。はっきり言ってリーディングで高得点をとれるようになるには、英語の知識だけではなく読解力を高める必要もあるので、文法とリスニングに絞るのがベストだ。以下、文法力とリスニング力を短期間のうちに上げる方法について書く。
短期間でTOEICの点数を上げるためには、文法問題で高得点をとる必要がある。ともかく覚えて練習を繰り返すだけなので、以下に紹介するテキストを繰り返し練習してほしい。
ハートで感じる英文法
英語の一番初めはこの本。
とにかく分かりやすく文法が説明されている。
完全に理解するまで繰り返し読もう。
ハートで感じる英文法が理解できたら、ひたすら文法問題を解く。
解説が丁寧なので分からない問題は解説をしっかり読んで繰り返す。
これを続ければ必ず点数が伸びるから、他の本に浮気せず取り組もう。
英単語の勉強は、本よりも方法が大切なので他の本でもいいが、強いて言うとこの本がお勧め。
英単語を覚えるときは、100均で売ってる単語カードを使うのが効率的。
30単語程度のカードをひとくくりにして、1日5回暇なときに復習すればいい。
これで、絶対に語彙力が増えて、リーディング問題でも有利になる。
TOEICでスコアを伸ばすためには、リスニングがある程度解けないといけない。まずは、発音を練習して音がなれるようにし、そのあと、過去問を解きまくるのが最も効率のよいリスニングの攻略方法だと思う。
スピーキングは必要ないように思えるが、リスニングを鍛えるためには、発音を学ぶ必要がある。
ラングリッチは発音テキストが充実しているので、繰り返して発音のトレーニングをすることを勧める。
これさえやっておけば、かなり英語の音になれてリスニングが聞き取りやすくなる。
最初は抵抗があるかもしれないが、3カ月もすればかなり効果が出てくるので、期待して頑張れ。
過去問が豊富に収録されているのでお勧め。これも飽きずに繰り返して勉強するれば、だんだん聞き取れるようになる。
TOEICは類似の問題が多いので、過去問を繰り返せば点数に直接結び付くのようにできている。
まあ、来年の就活は悲惨になるから、とくにとりえもないけど絶対に就職しなきゃやばいっていう人は以上の方法で頑張ってみては。
保証はできないけど、この方法を実行すれば短期間でTOEIC600点は取れると思う。他の勉強やるよりTOEICの点数だけ上げるのがたぶん就職に一番有利だろう。それではみなさん頑張って。