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はてなキーワード: 小数点とは

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

Reactで小数点入力できない問題

みんなどうしているのか?いまいちベストプラクティスが見つからない。

例えば、テキストボックスに"1.1"を入力しようとして、"1."まで入力したとする。

数値に変換してstateを保存しようとすると、変換の際に末尾の小数点がそぎ落とされて、表示されるのは"1"になってしまう。

レンダリングが早いので、ユーザーからすると、小数点入力が受け付けられていないように感じる。

仕組みが分っていれば、"11"を入力してから間に小数点を挿入すれば入力可能だが、ユーザーにそれを求めるわけにもいかない。

2023-01-04

anond:20230104123156

俺も昔そう思ってたけど、下3桁を小数点以下だと割り切って100万円を単位にしてると考えたらしっくり来るようになった。

あと100百万=1億。それで123,456千円は1.23億円。

2023-01-02

三流エンジニアがやりがちなミス

タイムゾーン考えずに時間を使う

暗黙的にJSTとして時間を使ったせいでUTCで作った場所で盛大にバグる

応急処置バグったところを+9とかやってしまうと、それ以降に逆に誰も気付かずに更に影響範囲が拡がったりする

海外展開しようとしたときバグに気付くがどうしようもなくなって途方にくれて海外だけは別アプリになったりする

UNIXTIMEを使えば楽なんだけれど、そうすると生データぱっと見で時間判別できないので困ることも多い

素直にUTCでISO8601が良い

文字コードUTF-8だと大丈夫だと思ってしま

とりあえずUTF-8にしとけば大丈夫、ってことで実装を進めた結果、Mac/Winでハマる

他にもBOMでハマったりして、むしろSJISの方が良かったんじゃ無いか、とか言い出す

DB統一的になっている場合はまだ後からどうにかできるが、変なところでキャッシュされてたりすると凄い困ることになる

MySQLなりPostgreSQLなりでUTF-8を正しく扱う方法はいろんな記事があるのでちゃんと読んでおけば問題無い

価格浮動小数にしてしま

「将来的にはグローバル展開が必要

とかよく分からないことを言い出して価格浮動小数にしてしま

かに米国なら$2.43みたいな感じで価格を使ったりするし、むしろ小数点以下が無い通貨の方が珍しいのだけれど

丸め誤差を考えないで作ってしまってバグが見つかりめちゃくちゃ揉める

応急処置として丸め機能とかが追加されて事なきを得るけれど

そもそも最小単位で扱って表示の時に小数化すれば良いだけ

他にある?

2022-12-30

anond:20220328221904

高校とき地学先生消費税計算なんて簡単だよっていって同じようなこと言ってたの思い出したわ

当時まだ5%だったとき

2で割ってそれらしく小数点かませて足すだけでいいじゃんwwみたいにすごく軽く言ってて衝撃だった

ちょっと見方かえれば簡単なんだけど、意外と気づかない人も多いことって、世の中にたくさんあると思う

2022-12-22

anond:20221222092212

そう書いても大して変わらん

ようは【1回目の鐘の音は即時鳴っている】という気付きがあるかどうかなのだから

そうすると、その後2回の鐘の音で3秒掛かったって話になって

鐘一つにかかる時間は1.5秒

9時を知らせるには、追加で8回なる必要があるのだから

立式は「1.5*8」となる

小数点を知らない学年であれば、最初の一回を引いて8回

2回(3秒)のセットを4回とすることがあるかな?あるかも?みたいな

2022-11-28

anond:20221128134649

あぁ

ボクは知ってるからワザと捻くれた答えにしたよ的な感じね

答えの理屈

皿に乗ってるからって皿を単位にこたえなければならないと問題に明示していないのだから自由

そう、勝手林檎カットして、0.5 + 0.5 みたいにしても自由

・・・って小数点は習ってないから✖になっちゃうかww

だけど、間違ってないよね

この✖取り消して

みたいな

にのったリンゴ抽象化になってないから✖じゃね?

2022-10-19

HUMANAI比較し続けていくうちに今や人間の方が機械に近いことが分かった

正確に言うと「欲望よりも理屈を拠り所にして絵を描く事が多い」って感じかな。

AIの絵は呪文を唱えた人間の「こういう絵が欲しいんです!細部はどうでもいいからそれっぽいのをくれ!」って欲望に忠実なんだよ。

粗悪な材料も含まれてるけどより強くトリップ出来る合成ドラッグみたいな(まあ俺はタバコも吸ったことがない薬物エアプなんだが)。

対して人間はまず技術ありきというか、「自分が描けないような絵は目指さない」がまず前提にある感じ。

というよりも「目指そうとして失敗した絵は破り捨てる」が正しいのかも知れない。

超超初心者場合ものすごい無茶な挑戦をして失敗した結果を「でもやろうとはしたんです><」で堂々とアップするけど、ブクマUSER100人ぐらい出せるレベルになるとそういった失敗作は人に見せないようになる傾向があるっぽい?




あーすまん俺のレス乞食AI暴走したようだ。

人間に戻った俺は理性を取り戻したので、何故俺の脳に潜む自動手記がこういう勘違いをしたのかを解説する。

そもそも最大の違いとして「AI絵師自分に手直しを出来ないレベルの絵をアップするが、人力絵師自分の絵に対して適切に手直しが出来る」という部分がある。

AI絵師場合は多少の粗があったとしてそれを修正するためにもう一度ガチャを引き直すのは割に合わないけど、そこまでを人力で描いていた人間なら手直しの労力が完成品のクオリティに見合うので手直しを実行するんだ。

ただこれは現状のAIが「個別の箇所に対して画風を維持したまま小さく手直しを行う」という指示を出せないことが原因なので今後解決されていく可能性はある。

この話を聞くと「一部を削ってから残りを補わせるガチャを引けば良いのでは?」と考えるかもしれないが、それをやると人間複雑骨折をしていくし風景ドンドンカオスになって所謂AIらしさ」に溢れた絵が誕生する。

「描かれた人間背骨を捻じ曲げないようにして制服の左右で色が違うのを解決しろ」みたいな命令が今のAIだと処理しきれないんだな。

そもそもこの問題が何故起こるかって言うと、やっぱ究極の所「AIってのはパクったものキメラに過ぎないから」なんだよ。

これは初期の頃によくあった勘違いに近い間違いを再び起こしてるように聞こえるかもしれないけど、どうあっても根本的な所でAIってのはキメラしか作れないんだな。

100個のカレーを混ぜて一つのカレーを作るような例えがたまにされるが、その喩えに乗っかるなら「いくつも混ぜたせいで生まれた雑味を取りたい」って願いを解決しきれないんだ。

レシピを把握した上で人間が作るならどの肯定でどういった雑味が生まれるのかを逆算して対処していけるけど、AI特有の「近い物を無数に混ぜあった結果として完全じゃなさ」は無理なんだわ。

分数の割り算を普通電卓でやろうとするといつの間にか小数点がいくつも並んで最終結果がちゃんとした数字にならないだろ?

あい状態がどこかで起こってしまう。

それに対して近似値を把握している人間不要な部分の誤差を取り除けるけど、本当にただ電卓に頼るしかないならどう計算し直せば良いのかも分からいから手の施しようがない。

まあこれが意味してるのは「本当に計算ができる人間が近似値を大雑把に出力させて後から手直しをするのに使うならAIは最強の武器になる」ってことだ。

まさに計算が出来る人間電卓関係なわけだなAI絵師関係もまた。

そしてAI絵師と人力絵師の違いを見抜ける人間は、電卓に無理な計算をさせたときに出る円周率の如き不規則小数点の羅列のようなパターンを把握することで人間AIを見分けているってことになるな。

ただAIを使いこなしてる人間ガチャを何度も引いている人間はこの誤差をドンドンマシにしていってるので、絵を見るときに細かい所に気づけない人間、「審美眼有効桁数が小さい人間」を騙し続けているんだな。

2022-09-15

静的な為替取引

普通為替取引と言えば二つの通貨間で金を転がして相場の変動に伴う差額を儲けとして得ることを目的としたものを言うと思う。

これはもし固定相場制だったら成り立たない方法論だ。

相場が変化する中でこそ可能方法という意味で動的な為替取引と言えると思う。

上記のような方法しか為替取引で儲ける方法など存在しないと思われる人たちににとって今ある唯一の方法論を「動的」とまるで別の何かと区別したような呼び方は単なる無駄に映るかもしれない。

しか既存方法論とは志向するところが異なる「静的な為替取引」と呼べそうな方法論を見つけたかもしれないということをこれから説明していこうと思う。

そもそも現在において固定相場制をとっているところはない。

しかし「相場が固定されていたとしても」儲けることができるというのが今回説明したい方法なのだ

しろ相場が固定されていてくれていたほうがありがたいようなやり方なのである

実際一個人市場介入相場を固定することはできないが、相場が大きく動いていく前に一連の取引を済ませてしまうということならできる。

そういう視点で考えれば今自分が行いたい全ての取引を一瞬で終えることが可能ならば大ざっぱに言えばその取引は固定相場制のなかでの取引と同等なものになる(大ざっぱに言えばと断ったのは、自分自身の取引による相場の変動が考慮されるため)。

一瞬のうちに全ての取引を済ませたときに得られる儲けが数学における極限的な意味での、儲け得る金額理想的な値に相当する。

この理想値に近い儲けを手にするためにできるだけ俊敏な取引が望まれるというわけだ。

まり説明していく方法を実行するにあたっては手動ではなくプログラムを組んで行うことが望まれるということには留意してほしい。

またあえてこの時点で両者の為替取引を端的に表現しておくなら、動的な為替取引とは時間経過に伴う相場の変動を利用して儲けを得ること、静的な為替取引とは一時点における相場の「ひずみ」を利用して儲けを得ること、というところになると思う。

具体的に説明するために仮想的な通貨とそのレートを仮定しておこう。

A,B,C,Dの通貨仮定する。

そのレートについての条件は以下の通り。(円に対して100円というように100Aや50Bと表記していく)

1.1C=100A(1.でこれから指し示すための通し番号となっており小数点ではない。以降同様の表記法を用いる)

2.1C=1B

AとBについては以下の2通りのレートを適宜考える(都度どのレートで考えているか示す)

3.1B=1A

4.1B=100A

同様に以下の通り

5.100D=1C

6.90D=100A

7.100D=1B

また取引者として甲、乙、丙、丁を仮定する。

以降、文章だけで伝わるように努めたが、一応解説図のようなもの作成したので適宜imgur投稿した画像へのリンクを貼る(増田では1つの記事に貼れるリンク数には限りがあるためhttps://は省略させていただく)。

核心の部分を説明するまでの準備的な説明が多いので回りくどく思われるかもしれないが、読み飛ばしたりしてはおそらく理解できないはずなので辛抱強くついていってほしい(もちろん直截簡明に説明できない私の文章力不足もある)。

では具体的な説明をしていこう。

3つの通貨場合

まずA,B,Cの三つだけで考える。

甲が100A、乙が100B、丙が100C持っていたとしよう。

まず甲と乙の間での取引が起こる。

レート3(1B=1A)の関係により、100Aと100Bがそのまま交換されることになる。

これにより甲は100B、乙は100A、丙が100C持っていることになる。

次に甲と丙で取引が行われる。

レート2により、今度は100Bと100Cの持主がそっくりそのまま入れ替わるわけだ。

これにより甲は100C、乙は100A、丙が100B持っていることになる。

ここで今甲が持っているお金価値の変化に注目したい。

甲は100C持っているわけだが、これはレート1により10000Aに相当する。

まりお金100倍になったわけだ。

通貨Aに戻してから同様のことをサイクルとして繰り返すことで100倍ずつ資産の増やせるというわけである(厳密には甲と乙が行う取引自体によって取引中にレート3がAの価値が下がる方向に変化していく効果考慮されることになるので、1サイクルにおいて変換させようとする通貨AとBの量の多いほどぴったり100倍にはならずそれを下回る成果となる)。

反面、乙がこの1サイクルで最終的に得たお金通貨Cに換算すると、レート1により、1Cになっていることになる。

最初持っていた100Bはレート2により100Cに相当するのだったから、資産100分の1に目減りしていることになるのだ。

これらのことはレート1とレート2が相場として確かにあることから起こることだ。

レート1とレート2の関係を知っていて、誰がレート3のような100分の1目減りする取引を行うだろうか。

まりこの情報社会ではレート1とレート2が既にあるときレート3のような相場は発生しない。

ここで早速簡易な表を添付しておく。これを見ながらの方が俯瞰的に状況を見ることができ分かりやすいかもしれない。

i.imgur.com/GAPemA3.jpg

結論としてはレート1とレート2であるときはレート4の相場相場全体がこなれることになる。

これらの等式はまとめて1C=100A=1Bとすることができることから明らかなように、これら3つの相場が成り立っているときにはこの3つの通貨の間でいかお金を転がそうとも損も得もしない。

まりAのような一人勝ちできる勝者は発生し得ない。世の中そう上手い話はないというわけだ。

一応レート1,2,4のときの表も添付しておく。

i.imgur.com/R6asCyk.jpg

ここまで分かりにくく感じるところがあったという人は、通貨A,B,Cをそれぞれ円、ビットコインドル、に具体的な通貨に置き換えてみるといいかもしれない。

このときレートも具体化すれば1ドル=100円、1ドル=1ビット、1ビット=1円または1ビット=100円となる。

今まで円をビットコインを経由してドルにしてから円に戻すだけで資本が増やせるなんて話を聞いたことがあるだろうか?仮にそんな話があったとしてそれは確固たる成功例だったろうか?

そういうわけで、1ドル=100円、1ドル=1ビットのようになっているときは1ビット=1円のような誰かに都合のいい相場ではなく、1ビット=100円のようになっているはずだということである

具体化した表も付しておく(レート4の場合)。

i.imgur.com/X936BcL.jpg

これは当然レート1とレート2のような相場に限ってしか言えないものではなく、ドルと円あるいはドルビットのレートがどのようになっていても残りのビットと円のレートについて必ずそうなるということである

ただしこれらの話は3つの通貨間での話である

4つの通貨で考えると「ひずみ」が見えてくる

ここから考える通貨取引者を一つ増える。

ただしAとBの関係についてはレート4が成り立っているものとする。

表を見ればより一目瞭然かと思うが、上に書いたサイクルで甲が通貨Cを通貨Aに戻す直前には甲は持っている。

ここで甲と丁による通貨Aと通貨Dの取引を考える。丁は90D持っているものとする。

このとき甲と丁の取引が行われるとレート5により甲に100D、丁に1Aが渡ることになる。

今甲が持っている100Dを通貨Aに換算するには、レート6により、90:100=100:xという比例式を解く計算をすればよい。

x=10000/90ということで、もともと持っていた100Aより資産が増大しているのだ。

レート7があまりにも恣意的な設定なだけではないかと思われるかもしれない。

しかし肝心なのは、レート6であってはならないという必然性がないということだ。

丁が通貨Aなど念頭になく、通貨B,C,D間での取引しか興味がない(そして多くの人もその傾向である)ならば、少なくともその三者間の相場を表すレート2,5,7は先ほどと同様一つの式にまとめられる関係にあるので、丁はこの取引において損も得もしていない。

丁(あるいはその他多数)にとっては安心して支払いなどと用として通貨を替えることができる環境にあるわけだ。

自分がした取引によってその取引相手である甲という一個人が得しているかどうかなどあずかり知らぬこである、ということだ。

同様に乙や丙にとっても通貨Dなど念頭になく、またそのような人々が多数派なのであれば、レート4を含む今のレート状態で乙や丙のようなA,B,Cの三通貨間の取引を期する人々にとって損も得もないことは表も交えて先述した通りだ。

レート6がどのようであっても先ほどの甲が100倍得したときに乙の資産100分の1に目減りするような状況にはならないので、乙やその他通貨Bを持っている人たちの投資家心理はレート6には干渉しない・独立しているということなのだ。

概念図では念頭埒外蚊帳の外という様子を破線で示している(図中の数字はレートの通し番号に対応)。

i.imgur.com/tp78LuJ.png

為替取引に「キルヒホッフの法則」は成り立つの

私はレート6のような状態相場のひずみとでも呼ぶことにしたい。

相場が固定するなかでは二通貨間の取引は言うまでもなく、一つのサイクルの間にどれだけ多くの通貨を噛ませても損も得も起こらないと考えるのが普通だろう。

いわば電気回路で一周すると電圧が元に戻るというキルヒホッフの法則のようなもの為替においても(手数料を抜きにすれば)成り立つはずだというのが素朴な考えとして多くの人に支持されるはずだ。

次々と自国貨幣よりもより価値の高い通貨に替えていっても最終的に自国通貨に戻したときには最初と全く同じ価値に戻ってしまうということである

しかし大半の投資家心理とは独立した通貨ペアがあれば、そのレートも投資家心理の束縛を受けず、場合によっては誰かが得できる状況もあり得るのではないかという説を上では具体的に例示したわけだ。

ここでそのような通貨ペア=ひずみを生じる根源が成立条件について自信は無いが挙げておこうと思う。

さら

条件として挙げたのはどれもAとDの為替を含む取引になっている。

逆に条件に挙げた取引がある程度存在するとAとDの相場であるレート6にも投資家心理が影響していくので誰も損得しない方向にレート6のひずみも解消されていくのではないかということだ。

また余計な条件があるのではないかという懸念もある。

たとえば1番目と2番目の条件はようするに金の流れが逆なだけなので、いずれか一つを挙げれば事足りる同値な重複した条件なのではないかということだ。

また別の条件として、この方法論は3通貨では不可能に思える。

4通貨でひずみが生じる例を示したわけだがこの場合のひずみも解消され得るものである

しかしそれ以上のある数以上の通貨間の関係のなかではそれらに内包されるそれぞれの二者間の相場いかなるものであろうとも、どこかしらにひずみが生じてしまものなのかもしれないと直感的に感じられる。

まりある数以上の通貨を介せば必ず儲けを生み出す為替の経路が存在しているのではないかという主張であるわけだが、その通貨数がいくつであるのか、私にはそれを数学的に証明する技量はないのは悔やまれる。

話を戻せばこうしたひずみがあると、一見成り立ちそうな為替版のキルヒホッフの法則でも相殺しきれない差額が生まれ、それを儲けとして得ることができるかもしれないということだ。

これらの概念図を示しておく。

i.imgur.com/DB22Ef7.png

今までの話はこのようなごく単純な話に置き換えられるかもしれない(ただし以下は知人が見出したたとえ話なので語弊もある恐れがあり正しさは保証しない)。

プレステ3の卸値が日本で3万円、アメリカで280ドルだとする。このとき100円=1ドル相場である

手持ちが29000円しかないなら日本プレステを買うことは不可能だが、この相場ならドルでなら買える。

それどころかこのプレステ3日本で売れば売ればお釣りが来るかもしれない。

ただし日本で売るにはアメリカで買ったそのプレステ3日本まで運搬してもらう配送料がかかる。

この配送料次第では損かもしれないが、ここが先ほどまで説明してきた方法論の手数料負けするというおそれに相当するわけだ。

実践するには

効率よく上記の条件を押さえた通貨ペアを探すなら、通貨ペアの相関係数表をチェックする方法検討される。相関表の例:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000299.000003206.html

まず日本円の列か行の中で相関係数絶対値が0に近いものを探す。

0に近いものを見つけたら、今度は前の時点で列の中で眺めていたなら行を、行を眺めていたなら列を探して、同様にその通貨にとって相関がほとんどない通貨を見つけ出す。

こうして行から列、列から行と渡っていくことを繰り返し、最終的に日本円に戻ってくるループを見出す。

ただしこのループの中に同じ種類の通貨が二度以上あってはいけない。

もし同じ通貨があればそこで一つの完結したループができてしまっていると思われる(もちろん始点と終点として円だけは必ず二度登場しているはずである)。

そのようなループが今回の方法論を適用するのに優先的に試すべき候補であるが、実際にそのうちに手数料込みで儲けを生み出すひずみが生じているのかどれかといった計算や、このようなループを探し出す作業自体プログラムで行なったほうが良いと思われる。

計算から取引完了までの間に人力でもたもたしていると、その間にひずみの状況が変わり、行なっていた計算適用できなくなるはずだからだ。

そもそも通貨の組み合わせも膨大であり、為替で利用できる通貨10個だったとしても、順列の概念うろ覚えで自信がないのだが、ひずみが発生し得る通貨数が4つ以上だと仮定してもその組み合わせ10P4+10P5+・・・+10P10のようになり、その中から候補ループを探すというのは人間が人力で行うべきことではないように思われる。

ともすれば量子コンピュータ実用化を待った方がいいぐらいかもしれない(なんとなくNP問題匂いがする)。

ただしそれだけの組み合わせ数があるというのは良いことでもある。

プレステ3のような規格化された工業品はさておき具体的な物においてはひずみが生じやすい、しか原油貨幣統一されたものなのでそのようなひずみは起こらないだろうというようなことを知人は言っていた。

しかしこれだけの数の組合せがあるなら、やはりそのなかにはまだ見出されていない、得できるような通貨ペア、ループが眠っていてもおかしくないと思うのだ。

終わりに

頭の中で考えても俺の脳内スタックでは何か行ったり来たりするような状態を繰り返すばかりになっていたので埒が明かないと感じたし、また自分の中でも判然としないところが多いので、批判を乞う目的も兼ねて今回言語化を試みた。

そういう経緯ゆえに直観に頼ってごまかして書いたところもある。

ただし増田で間違ってると言われてもそれを鵜呑みにするようなことはしないつもりだ。

それを参考にはしながらも、今後金融や経済学の専門的なことを学び、もっと理詰めで考えられるような頭になった後で、この方法論が理屈として間違っているかどうか、また机上の空論ではなく有用あるいは実効性があるといえるかどうか確かな理解のもとで判定させていきたい。

2022-08-24

壁にタックルすると小数点以下の確率で壁抜け出来るっていう話あるじゃん

あれってよく考えるとジャンプでも起こるよな

どうするよ、ある日縄跳びしてて突然地面に埋まったら

怖くね?

2022-08-16

anond:20220813201159

少数も入るよ。

ただ結果は小数点二桁で丸めてるので、小数点以下の誤差はあまり数字に現れないかもね〜

2022-08-13

anond:20220813151623

整数しか受け付けないのかよ

0.5%とか1.5%とか入力しても小数点以下を無視しやがる

2022-08-01

anond:20220801213758

高温期 低温期 差 でGoogle検索した一番上のサイトによると

低温期と高温期では、基礎体温に約0.3~0.5℃くらいの差があります

とのこと

しか女性用体温計は小数点第2位まで測れるけど

もちろん高温期・低温期に差がない・あるいはガタガタの体温グラフになる人もいるけど

2022-07-28

小数点以下を含む数値の計算結果が狂ったのを見て、特定言語問題だと思ってしまうのか、コンピュータ浮動小数形式表現問題だと思うのかというあたりに計算機科学を履修してない人と履修してる人の差が感じられる。

2022-06-12

anond:20220611104653

「/」を小数点「.」と見立てれば

1と1.1の間だから1.01つまり1/01みたいに挿入すればいいんじゃね

01が気持ち悪いならブコメにもあるけど1/0/1にする

2022-05-24

隣の人間が怖い

隣の若い女の子、足し算がわからないらしい。

最初Excel比率計算式がわからないと言っていた、わかるよ~難しいよね~と相槌を打って流した。

次に小数点計算で分からないといった、Excelを使わないタイミングで、普通に電卓が手元にあって、紙にはご丁寧に筆算の形で書いてあって。

怖。

様々なバックボーンがある可能性について考えを巡らせ、それとなく聞いたけど特になにかあるわけではないらしい。得手不得手は誰しもあるからと思っても全体的に、なにもかも、分からないらしい。

いか距離を置こうと思った、だって彼女パフォーマンスで私の賃金が上がる立場ではないし。

最適解だと思ってる、近寄らない選択は私の権利だとも思う、でも隣なんだよな~~~

独り言もすごい、誰の話も聞かずに落書きしててすごい、みんなで雑談してるとき発言もズレててすごい。服装もすごい。私に話しかけるときテンションもすごい。ヤバい。エグい。怖すぎる。

人は理解できないものに恐怖を覚えるって本当なんだね。早く席替えしたい。

2022-04-17

anond:20220417165225

割り算すると小数点以下が激痛をもたらして草

2022-03-30

境界知能

境界知能35名のクラスに約5人発生。

1/7の確率やばいのが生まれてくるとかさ、確率高すぎるよね。

0.0001%確率に怯えてんとちゃうぞ。14%小数点以下じゃなくて実数

産んでみたらどうにかなるよ。って言われた人の7人に1人はどうにもなってないわけで。

2022-03-28

14×15=210

暗算だとちょい面倒に感じるが、14×1.5だとすぐ21と分かる。

2つの計算小数点位置が違うだけだ。

しか普段15倍するより1.5倍する頻度の方が多いので最適化されているのだろうか。

ちょっと見方を変えれば計算が楽になることがあるように思う。

2022-03-12

早く核戦争起きろーーーッ!!!

全然起きねえじゃねえか!!!腑抜け!!!カス!!!!!ミミズ野郎ーーーーッ

マジで今がこれまでの人生いちばん核戦争に近い時期だと思っていて、興奮しています

俺は人生が嫌いだから自分が死んでも構わない

とか言ってじっさい核バンバン状態になって食うや食わずやの暮らしになったらすげえ泣き言言いまくって、平和が一番だった、俺はバカだった、みたいなことを言い出すことは目に見えてるんだが、それにしたって核戦争勃発の瞬間は人生で最高クラスに嬉しいし興奮するに違いない

それでペイすると思う

巨大な喜びは長期の苦しみに勝つん

ロシちゃん、行動がドンドン狂った感じになっていってる感あるし、追い詰められていってる感もあるからホントに気が狂って核バンバンマンになる可能性ってあると思うんだ

パーセントで言ったとき小数点以下にならないくらいはあると思っていて、それってすげえよ

実際のところ相互確証破壊がどんな程度のものなのかわかんないけど、でもやっぱ、一発撃ったら取り返しがつかないよなあ そうであってほしい

ウクライナあたりで撃っても盛り上がんない可能性あるし、どうせならおフランスとかおアメリカなんかに撃ってほしい

そのくらいの気概を見せてほしい

俺も応えて、核戦争が起きた瞬間から無断欠勤をし続けるくらいの気概は見せたい 

とにかくまずは核戦争やってくんないと話になんないわけ

やれよ

ここまで煽っといて、いつまでグズついてんじゃ

世界に巨大な光を見せろよお

この際、まずは太平洋あたりに撃ちまくるんでもいいぞ

攻撃されたら嬉しい場所ランキング

第一位:東京 

第二位:ニューヨーク

第三位:パリ

都会って嫌いだし、目にもの見せてほしいよ

でも人が死ぬと悲しいんだよな

嫌いな都会人でも、死んだら悲しいよ

でも核戦争は起きてほしい

人が死なない形で、都会が滅んで、仕事に行かなくてよくなって、俺の人生の全てが好転する←理想核戦争

情報網が破壊されて面白い情報は何も入って来ず、ただ食うものがなくて苦しくてみんなイライラしていて、いつ死ぬか分からなくて恐怖でいっぱいで、とても辛い←ありそうな核戦争

核戦争どうなんだ

どうなんだろうな……

でもやっぱ、人生成功させて楽しく幸せに生きてる金持ちなんかが、謎のオッサン意味わからん戦争に付き合わされて、俺と同じように核戦争下の暮らしを苦しみながら送るってことになったら、下がる溜飲はあると思うんだよな

今のまま生きたってなんのいいこともねえもんな

うっすら苦しみながら、なんのいいこともなく死ぬ

すげー嬉しい!と一瞬感じたあと、メチャクチャ苦しみながら死ぬ

後者のほうがカッコいい感じがするのは確かだ

さあ!殿!!決断めされよ!!!

じっさい、殿の決断で俺の人生がカッコ良くなるかならないかが決まると言っていい

そういう意味では、岸ちゃんよりヤツのほうがよっぽど俺にとって殿なのかもしれん

殿いま何やってんだろうな

ネコ撫でたりしてんのかな

殿くらいの意味不明さになってくるとマジで何考えてるかわからん

頭ん中もロシア語だろうしな そりゃそうだけど

キリル文字思考してんだもんな すげえよな

いや、キリル文字では思考してないか

俺も漢字思考してるかっていうと微妙な気がする 

殿ーーーッ!!!!やれッ!!!!!!

いくじなしーーーーーッ!!!

バカーーーッ!!

実際、ここでやめちゃったらホントにただ悲しいだけだよ

核爆弾5000発撃って伝説残せ

核爆弾5000発撃ったらそもそも伝説が何も残らなくなる説あるが……

2022-02-21

1/13の段(小数点第4位を四捨五入)

0.077

0.154

0.231

0.308

0.385

0.462

0.538

0.615

0.692

0.769

0.846

0.923

1

2022-02-20

anond:20220219095150

購入した商品を、幾ら払って購入したかを知りたい。

言ってる意味がわからない?

でも、私達は多くのケースで正確にその商品の税込価格を知ることが出来ていない。

これは消費税を求める際の端数の切り捨てが、一度の請求で一度しか行えない、という仕様によるものだ。

 

例えば、

135円の卵パックと298円のウィンナーを買った場合

135円+298円=433円に税率8%をプラスした金額

467円(467.64円の端数切捨て)を支払うことになる。

 

しかし、もしも卵パックとウィンナーをそろぞれ別々に買ったとしたなら、

135円→145円(145.8円端数切捨て)

298円→321円(321.84円端数切捨て)

466円を支払うこととなる。

 

そうだね。いくつか???マークが浮かんだね。

でも、とりあえず最初提示した問題に戻ると、

商品を買った際に私はその商品いくら払ったのか?

を知りたいという問題

135円の卵パックと298円ウィンナーを同時に購入したとき

果たしてそれぞれに私はいくらの消費税を払ったことになるのだろうか?

小数点円なんてものは、私は持っていないことに留意してね。)

それを知りたい。

2022-02-16

anond:20220206175624

小数点以下一桁%まで指定しているのがアホっぽかった

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