はてなキーワード: きれい事とは
選挙戦はほぼ一週間だが、それよりもっと前から、候補者の奴隷になった人がいる。
知人の話なので話半分で聞いてほしい。
その人はデザイナーで、今回立候補する候補者の一人のポスターや掲示物、印刷物を制作する仕事を請け負った。
ポスター用の撮影、画像修正、デザイン作成、修正の繰り返し、諸々の仕事を行っていた。
仕事内容は全く問題無いのだが、限りなくブラックな労働環境だったという。
まず、正月も休めなかった。
「どうでもいいだろ」という顔写真の修正などが深夜に直接本人から連絡が来る。
その対応を翌日朝までにやれ、と言われる。
電話に出ないわけにもいかない(このへん断ればいいと思っているのだが、難しい理由があるのだろう)
知人の精神はかなりけずられていて、会社を辞めるかどうかも考えていたようだ。
大前提として、会社自体がブラックだという話ではあるかもしれないが。
俺は、その話を聞いて心底その候補者が嫌いになった。
表では「子育て環境を良くします」「若者に向いた政策を」とか抜かしてんのに、
子育て真っ最中の知人を奴隷のようにこきつかって矛盾にもほどがあると言いたい。
正月まともに家族とも過ごせていない、夜中も仕事でおそらく子育てで大変であろう母親のフォローもできていない。
自分に関係している人の家庭を壊しておいて、何をきれい事を言ってるんだ、と思う。
そりゃ、あんたを応援したい支援者は沢山いるだろうし、その人達なら喜んで時間や労力を差し出すだろう。
ただ、知人は支援者ではない。単なるビジネス上の関係だ。こき使われる権利は無いはず。
その中に、知人の作ったポスターも貼られてあった。
仕事の関係でよく小学校に出入りするんだけど、貼ってある目標とかがあまりにもきれい事すぎて胡散臭い。理想論であることは重々承知のうえでうたい文句としてそう書いてあるならまぁしようがないけど、本気で教育の力でそういうことを実現できると思っているのならその教員の頭の中はお花畑ではないかと思う。
典型的なのが「みんな仲良く」。子どもが幼ければ幼いほど、友達には自分と同質であることを求めるので、結果としては異質な人間を排除していじめる方向に行ってしまうと思うんだが。
教えるべきなのは「人にはそれぞれ個性があり、どうやっても自分と気が合わない人というのが存在する」ということと、「どうしても気が合わない相手と無理に仲良くしようとしても無駄なので、ほどほどに距離をおいた付き合いをする方が上手くいく」ということではないだろうか。
大人だって価値観が違う人間が無理に仲良くしようとするとトラブルを起こすというのに、子どもにそれを求めるのが無理というもんだろう。まず、世の中には自分と違う価値観や環境で育てられた人がいて、自分と価値観が一致する人の方が少ないということを認識するのが重要だろう。
それに「友達100人できるかな🎵」という歌(タイトルは忘れた)が代表するように、小学校で「友達が沢山いる子が偉い」「友達ができないのはダメな子」みたいな価値観を植え付けることによって、個性が強くて(あるいはコミュ力が低くて)仲間がいない子の自己評価を下げることになる。
そういう自己評価は下手をすると大人になっても続く。「コミュ力が高くて友達が多く、プライベートが充実している人が偉い」的価値観は、小学校時代に植え付けられた価値観によるところが大きいと思う。
人間はそもそも人の長所より短所に目が行きやすく、グループになってつるむときは共通の敵を作って悪口を言うのが結束を強めるのに効果的だったりする。そういう人間の性質を無視して「みんな仲良く」を強いるのは無理なのだ。
「個性的で皆と違うものを持っている人の存在価値を認める」「みんなと一緒にいるより一人で過ごす方が楽な人もいる」「人と仲良くしたくてもコミュニケーションスキルが低くてみんなと同じようにできない人がいる」という現実を教えるのが学校の役割ではないのか。
他にもいろいろ突っ込みたいところはあるが、一番小学校時代の教育が大人になっても生き続けるのがこの価値観だと思うので書いてみた。
育ちがいい人を気取っている人ではないかという先入観が私にはあった。
しかし、どうもインターネットを見ていると、底辺を自称する人でも階級社会を肯定している人がいる事に気がついた。
自分自身が底辺だというのであれば、育ちがいい人を気取っているわけではない。
「ファイアーエムブレム 聖戦の系譜」でもプレイして、フィクションだと割り切れず影響を受けてしまった人なのだろうか。
「児童の権利に関する条約」の
国際連合が、世界人権宣言及び人権に関する国際規約において、すべての人は人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしに同宣言及び同規約に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明し及び合意したことを認め、
に抵触するので、世界から階級が無くせなくても、少なくとも肯定は出来ないだろう。
そういう階級社会を肯定する人々は、子どもの頃に夢見た理想郷を持っているピュアな心の持ち主なのではないかと私は思っている。
…うまく説明できないけど。
この世には汚れのない血筋があるんだとか、世の中のものは良いものと悪いものに分けられるんだ、じゃあ分けたら自分の好みの世界が出来るんだという思想。
そういう天国を求めるピュアな心を大人になっても持っている人が、子どもを差別し、階級社会を肯定し、きれい事を吐く理想主義者の大人になっているのではないか。
そんな気がする。
例えば、定時が17時。
生徒が質問があるというのに定時で帰る?
業務時間内で終わらせるといっているけど、教材研究はいつやるの?
実際、塾や予備校の教師は、自分の休みを使って過去問を解いたりして傾向を研究しています。
定時内で終わらせるけど質問もあまり受け付けない、入試の傾向もしらないって教師に、子供を見てもらいたいって思う?
定時内に全ての質問もこなせて、教材作成もこなせて、入試研究も完璧にできる!
デパートでも、閉店10分前位から、お金を締めている売り場、増えました。
早く帰れるようにでしょうけど、客からしたら営業時間内は買物できる時間。
ギリギリ来るな!ってこと?
総菜見ていても、全く話しもかけてこない。
店員同士で話していることもある。
きっと「サービズ残業=悪」って人達は、そんなお店を見たら「この店すばらしい!」って思うのでしょう。
そうすると、今度は「残業代を出せばいい!」っていうのかな?
でも、総菜売り場の割引時間になると集る人の多いこと。
「売る物は安くしろ!」
いままで、似ていると言われた芸能人は、
太地喜和子 の色気を無くして顔だけソックリにしたような・・・とか、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%9C%B0%E5%96%9C%E5%92%8C%E5%AD%90
神崎 かおり をちょっと老けさせてブスにしたような・・・と言われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B4%8E%E3%81%8B%E3%81%8A%E3%82%8A
顔を形容すると、私はムーミン(カバ)似のクリーチャー(醜女)ということになるんですよね。
男性 -> 女性の第一選択は美人(男性個人のモノサシでの美人)
この基準で選んでいる人は90%以上の男女と思う。
私に今まで好きと言ってきた(そして私が承諾して数ヶ月でも付き合った)数人は、ニートか無職で実家居住、しかも大概借金持ち。
なんでいつも無職なんだろう?と考えたこともなかったけど、考えてみた。
おまけに、これが就職すると、他の女性に乗り換えられるんですよね、毎回。
言われることが毎回同じ、
私は目標達成能力が高いので、彼を頑張って就職させるのですが、そうすると決まって、
「お前には0円の価値しかない。300万の年収になったからには、可愛い彼女が欲しい。」
「頼むよ。性格はいいし、料理は上手いし、尽くしてくれるし、稼ぎはよい、お前に不満は全く無い。でも、毎日顔を見ているのは苦痛なんだよ・・・解ってくれ。」
この繰り返しに疲れました。
結局、無職をうまい具合に社会復帰させても、好みの女性のほうに走られて捨てられてしまう。
今の俺は無職だから、妥協してこのクリーチャーと付き合うっていう人はもう懲り懲りです。
中身関係なく、石原さとみよりも神崎さんのほうがずっと見た目が好きっていう人ならば、いいと思う。
多くは望みませんが、無職や精神病の方はもう疲れましたので今後はナシにしたいです。
日々暮らしているだけなら、また無職が一時的に寄ってきて、就職したら捨てられるの繰り返しと思うのです。
性格や肩書ではなくて、クリーチャーが見た目だけで選ばれる方法を教えてほしいです。
整形しろとか、顔だけじゃないよ(妥協)と言う男性を探せとかはナシでお願いします。
妥協している人は、顔がどストライクな女性を見つけると、心はそちらに行ってしまいますのでそれはキツいです。
剛力彩芽の目が小さいところが好きとか、ハイヒールモモコがどストライクという人もいて、個々の男性のストライクというのは均一ではないと思っています。
「…わかっています。
騎士kamei_rio
「…すまない。
vndn
「本気かッ?
本気で言っているのかッ!!」
「きれい事ばかりで延びることはできない。
ホッテントリを見ればわかることだ。」
vndn
「どうしたんだッ! それじゃ、
騎士kamei_rio
「vndnくん、きみは反対するんだね。
vndn
「当たり前だろ!罪もない人々を騙して
真の部活なんかおこせるもんかッ!」
騎士kamei_rio
愚かな人の心をつかむためのなッ!」
vndn
こんなやつらをブクマするのかッ!」
sabacurry
増田と一緒よ!」
vndn
ダマサレタン兵
生かしてここから出すなッ!!」
騎士kamei_rio
ここは頼むッ。3uesrs目は私が踏むッ!」
vndn
「おまえは俺がこの手で〆てやるッ!
…そのときまで腐るなよッ!」
雨宮まみが死んだことについて
最近の訃報の中で誰よりも悲しくて、ファンでもないし著作もそんなに買ってないし、どちらかというとインターネットで彼女のコラムや人生相談を読んでいただけなのだけど。
彼女の文章を読んで救われた気持ちになったり、寄り添われすぎて胸やけしそうになったり、けれど誰よりも他人の痛みをわかろうとする人、という印象だった。
それはきれい事なんかじゃなくて、彼女が本当に自分の痛みをすべて晒せる人で、だからこそみんなこの人にわかってもらいたい、この人ならわかってくれると思っていたのだと思う。
それだけの痛みを抱いていて、なお生きることに努力をしている彼女に私たちは勇気付けられていたし、だから彼女がどう年を重ねるか見ていたかった。
決してファンではなかったけれど(好きではあったけど)、あーこの人今こんなことやってんだ、こういう40代50代を生きているのかと思いたかった。
私は20代中盤で、生まれてこのかた恋人なんていたことがなく、毎日仕事しかしていないのだが、彼女が死んでしまうことは将来に対する希望がひとつ潰されることと同義なのだ。
私が将来孤独で、くるしくて、さみしくて、死んでしまいたいと思ったときに、それでもこんなに生きる努力をした人というお手本があることを希望に、
将来何も報われなくたって、ちゃんと生きていようって覚悟をもらっていたのに、なんで死ぬかなあ。死ぬなんてありえないでしょ。
事故です、とニュースサイトで言っていて、でも自殺では?と言っている人もいて、自殺だったら本当に本当に本当に許せない。
私は自殺は一つの選択肢としてアリだと思っていて、それしかないのなら本人が望んでいるのなら、しょうがないじゃないと思っているのだが、
彼女の文章や、商売は、彼女が生き続けることによって力が発揮されるのではないの?
死んでしまったらあなたによって励まされてきた人に嘘をついたことにならないの?
私は彼女が書いた文章の中での彼女しか知らないけど。プライベートで何かあったのかもしれないけど。
でも、彼女は死ぬべきじゃなかった。死んでほしくなんてなかった。
彼女に救われた心を返してほしい。
将来に希望を持たせてくれたことを謝ってほしい。
追記
誰も許容してくれないことだけど、書き捨てるのは自由だろうから書き捨てる。
別に身バレして困るようなことでもないので、自分の感じたことをそのまま書く。
昨年末、友人が亡くなった。20歳代前半ならば、若くしてなくなったという枕詞をつけてもおかしくはないんだろう。
状況説明をしだすと冗長になるので省くが、私はその3年間、友人の病気を知って知らない立場を貫かなければならなかった。
そのことが苦しく、憎かった。勿論、友人がその何万倍も苦しみ、もしかしたら五体満足で生きる人たちを憎んだのかもしれない。
友人のことを思えばこそ、自分の感情など些細なものだから胸に押し込め、いかに友人が心安らかに過ごせるように心を砕くべきだったのだろう。
私は私の立場で出来ることをしたと思う。それは、友人が病にかかっているという事実を、友人本人にも他人にも漏らさず、ただ黙っていることだった。
友人は病気のことを、最低限の人々にしか教えていなかった。それは病気を完治させるという決意があったからだ。余計な心配を掛けまいと周囲を気遣ったからだ。
そして「最低限の人々」の中に私は入っていなかった。しかし、全くの偶然で、私は友人の病気のことを詳細に知ってしまった。
本人は知らない。私は知っている。そんな状態では何もしようがなかった。
もっと会って話がしたかったと思う。他の人がしたようにお見舞いに行きたかったと思う。もっと、私なんかより仲のよい親友らに、そのことを伝えたかったと思う。
そんなきれい事を半分は思い、ただ自分は当事者ではないから蚊帳の外で、他の、ちゃんと本人から事情を聞いている友人たちがお見舞いに行ったり、友人を気晴らしに遊びに連れて行ったりなどをしている様子を伝え聞いて、
妬ましく、そして憎らしく思っていた。本当に、ただのエゴイズムだ。
だけど、ずっとずっともどかしくて、自分が何も出来ないのが悔しくて、だけれど何もしないことが最大限の優しさであることもちゃんと分かっていた。
そんなことをぼかして、「私はどうしてガラスの向こう側にいけないんだろう」と呟いたら、「自分で壁を作っちゃ駄目だよ」と、ちゃんと事情を知る人から言われた。正直殴りたかった。
自分の立場に酔っている部分が少なからずあった。今は亡き友人にもっと会って色んな話をしたかったという思いは今でもある。
今だって、ちゃんと友人の傍にいることの出来た人たちが、私の知らない友人の思い出話をするたびに、もやもやとした良くない感情が顔を見せる。
これまでは「あの子は大変そうだね」と言われ、「今どういう状態なの?」と聞けば濁されていた。
これからは「あの子はあの時こんなことをしていたね」と、私の知らない話をされて、蚊帳の外に置かれる。それが堪らなく嫌だ。しばらく会いたくもない。
こういったものを全て呑み込んで、落ち着いた対応が出来るのが大人なのだろう。
こんな感情にかき乱されることももう勘弁したいので、早く大人になりたい。
貴方は将来どうしたいの? このままで良いと思ってるの? 自分自身を変えなきゃいけない状態だと気づいてる?
周囲も自分も傷つけたくない、平穏無事でやっていきたい。ぬるま湯。なあなあ。デモデモダッテ。
幸せとまでは言わないレベルの「安定」であっても、自らの手でし、泥だらけになって、ずぶ濡れになって、掴み取らなきゃならん時もあるんです。人生、きれい事だけじゃ済まないんです。綺麗な世界はTVやファッション雑誌の中にしか無い。
ブランドものの服を着ようと、言葉を幾ら飾ろうと、貴方の人生が変わる事は無い。貴方が自分がやりたいと願う目的に向かって歩き出さなければ何も変わらない。
自分自身と自分自身の心を飾るのをスッパリと辞めましょう。
本当に休職したいと願うなら、行動しましょう。勇気出しましょう。デモデモダッテから卒業しましょう。
さあ、ケツに気合い入れて出かける時だ!
性風俗は女性への性搾取だからやめろ!好きこのんで性風俗産業に従事している女性は存在しない!
なんて言ったところでそもそもの問題である米兵のレイプ問題の方は全然解決してないじゃん。
性風俗産業と性犯罪率の関連性についてはまともなデータがないのは事実だけど、
ガス抜きがあったほうがいいのは自然な考えだし実際そういうものが厳しい国のほうが日本より性犯罪が多いじゃん。
風俗に従事しないと生きていけない女性がいるのも事実だけど、それはもうセーフティネットの議論だし、
そんなことを言いだしたら男性の底辺や障害者はそんな受け皿もなく刑務所へ行ったり死んだりしている。
累犯障害者にもそういう話があったよね。
でも、そういう話は今回の話とは全然違う。
まずは、おめでとう。
ですが、
就活は企業と学生のマッチング問題であり、企業の発展と学生の希望(こんな仕事したいとか、地元に残りたいとか、なんでもいい)の両方を目的関数とする最適化問題のはずだ。フォーカスすべきは、内定の後であるはずだ。
これには全く賛成。
内定をもらって、やっと夢への一歩が踏み出せる状況。
けれども。
これはどうだろう。
自覚があって、なにかが変わるかな?
私は、就職活動というものはいかにしてきれいごとを並べ立てるか、という点が問われるものだと思ったけれど。
むしろ、気分が悪くなるよ。
第一志望でない会社についても、20社くらい、書類や面接の上で、こんなことがやりたいんです!と訴えて。
それはまさに、本音と建前でできていて、なんて大人の世界なのだろうと感じた。
笑顔で建前をすらすらと唱える。
私の性格が悪いだけかもしれないけれど。
だから私は、自覚なんていらないと宣言したい。