はてなキーワード: 24年組とは
http://anond.hatelabo.jp/20160112190750
見て真似したくなりました。
物心ついた頃
【定期講読】りぼん(姉購入)
ときめきトゥナイト(なるみ編)、星の瞳のシルエット、ねこねこ幻想曲
【定期講読】なかよし
なにはなくともセーラームーン。
ミンミン!、ミラクルガールズ
余談だが怪盗セイントテールよりも夢幻伝説タカマガハラのが好きだった
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【定期講読】りぼん
【その他】
らんま1/2(姉購入)、放課後シリーズ(ライトノベル、姉購入)
小学校高学年
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【その他】
スレイヤーズ(ライトノベル)、宇宙皇子(姉購入)、稲中卓球部(借りた)、ぴくぴく仙太郎(経緯は忘れたがはまってた)
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ワンピース、NARUTO、仏ゾーン、HUNTER×HUNTER、マサルさん、ジョジョ5部
【定期講読】マガジン
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【定期講読】amie(なかよしの年上向け)
nervous venus、海野つなみ作品(kissの事情、telescope diary)、CLOVER、…
【その他】
彼氏彼女の事情、赤ちゃんと僕、BASARA(田村由美)、っポイ!、zero(やまざき貴子)
漫画雑誌を買わなくなり、友人間での貸し借りや、部室に先輩がおいてった漫画などが中心
うしおととら、め組の大悟、グラップラー刃牙、蒼天航路、ブラックジャック
ジェリービーンズ、ジェリーインザメリーゴーラウンド(CUTiE買ってた)
【定期講読】モーニング・ツー
不思議な少年、ファンタジウム、聖☆お兄さん、変ゼミ、惑星スタコラ
当時の話題作
ハチミツとクローバー、のだめカンタービレ、ピアノの森、団地ともお、もやしもん、働きマン、おおきく振りかぶって、ぼくらの、皇国の守護者(話題の)、ヒストリエ、BECK、カイジ、黒沢、ドロヘドロ、蟲師、20世紀少年……
岡崎京子(リバーズエッジ、ヘルタースケルター、うたかたの日々…)
真夜中のやじさんきたさん、ディエンビエンフー、ザワールドイズマイン、愛しのアイリーン…
BLに片足突っ込んだ系
雁須磨子(どいつもこいつも、のはらのはらの、じかんはどんどんすぎてゆきます、ご破算で願いましては)
読み逃してた名作系
三原順作品(はみだしっ子、ムーン・ライティング、Sons、ルーとソロモン…)
浦沢直樹作品(マスターキートン、monster、YAWARA…)
bananafish、秘密、漂流教室……
話題作は大体なんとなく一通り。あえて挙げるなら
イムリ、月に吠えらんねえ
野安ゆきおとかいう人は初めて知ったけど、ゲームジャーナリストってバカでも名乗れる職業なのかね。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140402/262188/
日本で「恋愛を中心に据えた、女性をターゲットにゲーム」の市場が確立すれば、それは日本のゲーム業界が持つ大きなアドバンテージになるかもしれません。
なったらいいけど、ならないだろうね。
この野安とかいう人以外はみんな分かってると思うけど、あまりにひどい記事だったんで一つ一つ突っ込ませてもらう。
そもそもアンジェリーク自体がときメモだか同級生のヒットによって作られたんじゃなかったっけ?
書店には恋愛をテーマにした少女漫画がたくさんありますし、DVDショップに女性向けの恋愛映画のコーナーがありますが、家庭用ゲームの売り場には、女性向けゲームのコーナーはほとんど存在しませんでした
全ての女性は恋愛テーマの作品しか楽しまないと決めつけている。
こういう、勝手に「女性向け」の嗜好を区別して押しつけてくる人間は本当に不快。「男性向け」を押しつけるのと同じく差別的。
ゲーム好きだろうとそうじゃなかろうと恋愛テーマが好きな女もいれば嫌いな女もいる。現実の恋愛への態度と架空のそれへの態度も違う。
「アンジェリーク」は、女性向け恋愛シミュレーションゲームは大々的には売れない、という印象を残してしまったのです。
アンジェ等の乙女ゲー愛好者=全女性ゲーマーではない。乙女ゲー嗜好は女性オタク全体で見ても少数派。男×女が好きなオタクでも乙女ゲ一好きとは限らないし、そもそも(女性は特に)ゲームやらないオタクも多い。時代がどうとか関係なく、「ハーレクイン設定で恋愛ゲームしたい女」は元から多くない。
ただしゲーム業界全体で見ればアンジェの売り上げは大きくなかったものの、女性オタクの一部に強烈なファンを獲得したのは事実。ゲームジャーナリストというならアンジェが開拓した市場について書くべきだろうに。
その結果、当時のゲーム業界は女性にターゲットを絞るのではなく、 これまでのゲームに「女性も楽しめるような要素を足す」という形で、 女性ユーザーの取り込みを狙います 。
なんでこの人の中では「女性にターゲットを絞る」=「乙女ゲー」になってんの?
上で書いたとおり女性ゲーマーだけに絞っても「恋愛シュミレーション」を好きな層は多くないんだよ。
なぜなら全ての女性が恋愛テーマの作品を好むわけじゃないから。「女性向け」と銘打って恋愛あげぽよ仕様にすれば女が食い付くとかそんなわけねーわ。
1994年のプレイステーションの登場以降、RPGなどの人気ジャンルには格好いい男性キャラクターが登場するようになるのです
ストⅡのケンとかリュウとか女性に大人気でしたが。93年以前の男性ゲームキャラは格好よくないと言ってるも同然。
ゲームを楽しむ女性が大集団であることが可視化されてきたのです。そんな時代の流れを受けて、ゆっくりとではありますが、女性向け恋愛シミュレーションゲームが作られ、宣伝される時代になりつつあるのですね。
なんでこの人の中では「女性にターゲットを絞る」=「恋愛ゲー」に(ry
女性ゲーマーが可視化されたら恋愛シュミレーションが作られるんですか、そうですか。
ネット普及するずっと前からあった言葉だバカ。詳しくないなら調べるくらいしろ。
だからなんで比較先が「恋愛コミック」限定なんだよ。あとBLコミックは「普通」の恋愛コミックじゃないって書き方は記者としてちょっと無防備すぎじゃないのかね。
いきなり何言ってんの感ハンパない。
じゃあ海外の腐女子は全員、自身が同性愛嗜好を持ってるんですか?
なんかこの人、ゲイのほとんどは外国人とかいう偏見持ってない?
自身が同性愛者ではないのに、同性愛的嗜好を持つコンテンツを楽しむ、というのはキリスト教文化圏では発達しにくい趣味嗜好あり
海外=キリスト教文化圏と短絡しているのもあれだが、たとえばスラッシュ(海外の腐向け二次創作)は70年代末に生まれたというのが定説で、24年組や第一回コミケより少し遅いくらい。
それが今じゃスパナチュのディーン/サム萌え腐女子がドラマ本編でネタにされるくらいメジャー。
「発達しにくい」とか海外のスラッシュファンダム見てから言え。
今までもずっと成長してきたし、つーか『好きしょ!』がアニメ化される時代に何ドヤ顔で「女ってこういうの好きらしいですよ、こうすりゃ売れますよ」とかやってんだ。
誰も聞かねえよそんなの、って言いたいけど結構な割合で鵜呑みにする人もいるんだよなあ。
たしかに海外のゲームジャンルでは日本のアニメっぽい美形男性キャラが少ないと言われてるようだが、女向けにイケメンキャラ出しときゃいいだろみたいな主張には心底腹が立つ。
ゲームに限らず女性にも人気が出た作品は、世界観やストーリーがしっかりしていて男女問わず楽しめる質の高い作品だったからこそ売れただけ。
女性をターゲットにしていても手を抜いたら売れないし、むしろ悲しいことに手を抜かなくても女性は男性ほどゲームに金使わないってのはBLゲーで大敗した企業はとっくに分かってるはずだ。
乙女ゲー嗜好はニッチだし、BLゲーはニッチな上に好みが多様すぎて採算取るのが難しい。
だからほとんどのゲーム制作者は「女性向け」ゲームには進出したがらないわけで、その分そこをあえて挑戦してきた制作者には敬意を払いたい。
五大天才漫画家「手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html
1.質が高い作品を複数、残している。
を条件とした場合、
手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。
尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。
鳥山は天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本の漫画の原稿に和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。
水木しげるは天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚を凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋や横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。
そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーローの群像劇、そのキャラクターの性格づけはもとより、マーチャンダイジングの手法においてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析をマンガに持ち込んだのも石ノ森である。
漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組(竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現をいかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面のセリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年が少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現は文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女は自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法の確立は萩尾望都を代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女の存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるかに凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。
と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、
藤子・F・不二雄を挙げる。
[補足]
まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。
「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズの武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス。
レスが挙げているような御大たち、高橋留美子、大友克洋、白土三平、水木しげる、赤塚不二夫、永井豪、いしいひさいち、つげ義春、大島弓子、大和和紀、三原順、梶原一騎、吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。
あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。
[補足の補足]
ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思います。ありがとうね。
KIM625 マンガ, アニメ, 文化 アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。 2010/09/08
はてな表現規制反対派の重鎮KIM625のこの問い、一見素朴なギモンに思えるが違うんだよね。
表現規制反対派の間では、出来合いの答えがある。
「コミックス・コードによる規制のため子供向けのものしか許されなかった」という答えがそれだ。
KIM625の問いはこの答えを念頭においたものだろう。だが、この表現規制批判派史観はどこまで正しいのか?
田中秀臣氏がブログで調べ続けているようにアメリカン・コミックスの不人気の主犯がコミックス・コードだという説は実証的に否定されつつあるという。
それ以前の問題がある。大人向けコミックがないというのは果たして事実なのか?
実際には、MADやアート・スピーゲルマン、映画にもなったロバート・クラム作品やアメリカン・スプレンダーのような先鋭的な大人向け作品の流れが、ほそぼそとながら、六十年代から続いていた。
アンダーグラウンド・コミックスと呼ばれるこれらの流れは、80年代頃からスピーゲルマンが自らの父の体験と緻密な調査を元にアウシュビッツの悲劇を描いた「マウス」などのヒットにより日のあたるところに現れ、スーパーヒーローなどの商業的コミックスに対向するものとして「オルタナティヴ・コミックス」と呼ばれるジャンルが成立する。
一方の商業的コミックスもだんだんと大人向け路線になり八十年代には映画化したウォッチメンなどの大人向け作品がヒット、90年代には大手コミックス社からスーパーヒーローにとらわれないやや文芸路線のmature reader向作品レーベルVertigoが現れるなどの流れが起きる。
この流れとオルタナティヴ・コミックスの二つの流れ、そしてスーパーヒーローなどの旧来型の流れは、未だ別々に流れているが、だんだんと中間的作品も現れ、現在ではかなり曖昧な区別しかなくなっている。
では、"旧来型"のアメコミが子供向けというのは事実なのだろうか?成熟した真っ当な大人向けと見なされていないのはたしかに事実だろう。
だが、それと実際の年齢層は別の問題だ。
なんと”アメコミ”の主要な読者はずっと昔から「男の子」ではなく「キモオタ」なのだ。
むしろコミックス業界は将来の投資のため子供にコミックスを手に取らせる方策を考えているくらいだ。
田中秀臣氏推薦の『戦争はいかにマンガを変えるか』から引用しよう。
この極度にマニア層に依存した構造の市場から、書店での一般読者の獲得から、書店での一般読者の獲得と映画展開などによるライセンスビジネスによって突破口を開いたのが現在のグラフィックノベルブームに沸くアメリカのコミックス界であるわけだが、以上からわかるようにそれ以前からすでにコミックブックは子供向けのものなどではなくなっていた。
(ながいので中略)
つまり当のアメリカ人にとってすら「コミックブック=子供向け」という神話の影響が強すぎるために、実際に子供に読まれているマンガが「マンガ」としては見えなくなってしまっているのである。(p38-39)
なお、此処でいうマンガと見なされていないが「実際に子供に読まれているマンガ」は日本マンガをさしているのではなく、ディズニーやニコロデオンなどのアニメや名作文学のコミカライズなどを指している。小田切氏の意見によると、ジャンプなどのマンガとアメリカの市場で競合しているのはスーパーヒーローなどではなくこちらだろうと述べている。
小田切氏に従うなら、「アメリカにはなぜ大人向けコミックが無いのか、なぜ日本にはあるのか。」ではなく「アメリカにはなぜ子供向けコミックが衰退したのか、なぜ日本にでは盛況なのか。」と問うべきだ。
なぜこうも転倒した問いになるか。
それは何でも規制反対に結び付けたいという心性があるんではあにか?
こう思うのは邪推だろうか?
lisagasu 日本の名作少女漫画は繊細すぎてウケない予感…トワイライトが売れてるなら、乙女ゲームのコミカライズとかのがいいんじゃ?なんにしても少年漫画以上の市場になるイメージがないんだけど 2010/09/08
24年組が受けてないというかそもそも今まで翻訳が出てなかった(出版予定)のは事実だが、従来のオルタナティヴコミックスのファン層には注目されてるようだ。
先日読売新聞(多分)の記事に、少女漫画の「24年組」にみられた少年の同性愛が脈々と受け継がれて現在BLという大きな流れになってるみたいな記事を読んだんですが、俺はすごく違和感がありました。
俺が読んだことのあるBLは所謂パロディ同人アンソロとよしながふみとフジミ交響楽団くらいで、24年組は萩尾、大島、山岸、木原、竹宮、池田、それからポスト24の水樹、坂田、佐藤史生、花郁です。
なので情報ソースが偏っているかもしれませんがそれもご了承下さい。
24年組にみられる同性愛は、男女間の恋愛からの逃避、女性が性愛の対象として見られることからの忌避的な要素が強いように思います。
この前、「BLの世界はすごく良く出来ている」というテーマで友人と討論になったんですが、
・読切や短期連載中心=質の向上、購入しやすい
・購入層の財布の紐がゆるい=作家が生活出来る
・購入層の心が広い=多少問題のある作家も生活出来る、トンデモ展開?面白くない?絵が汚い?古い?なんでもいいよ萌えられれば。
という非常に安定した輪の中で完結しているのですね。
でもそれにも問題があって、
・力量のある作家さんがBLファンのみの中で消費される=人気の頭打ち
・男同士の恋愛を主軸にするため話のワンパターン化=人気の頭打ち
・購入者の心が広いのでアレな内容でもそれなりに売れる=質の低下
といった面もあります。
中でも特に私が思うのは、この人は天才作家だと思う人がきちんと評価されてない感です。もちろん男同士の恋愛という時点で、ものすごく読者が限定されるのは分かっているつもりですが、24年組の少年愛作品を平気で読んでおいて、BLレーベルだからという理由で名作が読まれないのはなんでなの。腐女子の中ですらBL読まない人の方が多いし。お前ら男同士が大好きなんだろ!読めよ!
リブレ出版とか言う聞いたこともない出版社名なのがいけないのですか。それなら白泉社花丸文庫とか読めばいいじゃない(花丸の質はあまり保証できないけど)。集英社コバルト文庫のゆるいBLとか講談社ホワイトハートの長いBL読めばいいじゃない。角川書店だって徳間書店だって芳文社だって竹書房だって新書館だって頑張ってますよ。あ、初めて触れる人には新書館をオススメする。
BLはひっそりこっそりやればいいと思っている人もいるだろうし、私もあまり大々的に喧伝することは良くはないとは思うけど、よしながふみやオノ・ナツメを挙げるまでもなく、数百人も作家がいたらいつ天才作家が現れてもおかしくないんだよ。そんな作家さんをBL好きの間だけで独り占めしていていいのかなぁと思うんだ。
まさにこれ。
http://anond.hatelabo.jp/20080513132239
木原音瀬のような類まれな才能と作家性を併せ持った作家を、私たちは天井のある籠の中で飼い殺している。そのことに対して罪悪感を持つ程に、私は彼女の作品を愛している。
そんな思考回路だから、「○○を読まないなんて人生を損している!」なんてことを臆面もなく言っちゃうわけですよ。山田ユギと京山あつきを読まないなんて人生を損しているよね!ねぇ頼むよ、せめて腐女子の人。BL読もうぜ。
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本より
まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない少女マンガの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、花とゆめコミックスのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に少女マンガを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う40巻、80巻越えのマンガは避けたい。
できれば文庫版10巻、長くても単行本20巻にとどめたい。
あと、いくら白泉社的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
24年組好きが『綿の国星』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
少女マンガ知識はいわゆる「児童向けまんが」的なものを除けば、ちびまる子ちゃん程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ぼく地球以前」を濃縮しきっていて、「ぼく地球以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも21巻だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな少女マンガ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「白泉男子としてはこの二つは“マンガ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史マンガオタが持ってる平安への憧憬と、氷室冴子原作のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも氷室冴子な
「童貞的なださカッコよさ」を体現する高彬
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「あ〜るだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが文化系サークルでは大人気になったこと、
サンデーならOVAになって、それが飯田線を舞台にしてもおかしくはなさそうなのに、
白泉社内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり少女マンガは乙女のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「桜蘭高校ホスト部」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける高屋奈月の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも23巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
フルバの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
日高万里や武藤啓だったらきっちり13巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて23巻を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ高屋奈月がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で銀ロマ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
笑う大天使よりも前の段階で、カーラ教授の哲学とかマンガ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品が隔週誌でこの時代に載っていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく少女マンガ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる黒歴史実写映画でしかカーラ教授を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
那州雪絵の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない寮生活を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『赤ちゃんと僕』最終話は修学旅行以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はグリーンウッドにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうコスプレ風味の恋愛をこういうかたちでマンガ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
ぼく地球から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、打ち切り以降の黒歴史時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの白泉男子は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
このエントリーの書き手がマンガ評論に接しているかどうかは分かりませんが、そういったマンガ評論の傾向がマンガ読みの人たちの中の空気にもある程度反映されるでしょうから、そういった空気を感じ取っていることは確かだと思います。
元増田はそんな背景に一切触れていないし自分が「そういう男が嫌い」って言う背景をそれと別のラインでそれなりに細かく解説してる。
漫画評論が現在の男性の漫画読み(この言葉って何かのギャグだと思ってたんだが素で使われてるのね)に対して影響を与えているとしても、それは今回わざわざ持ち出すことではない。だってあくまでも「モテたさ」を基準に考えてるんだもの、元増田は。
24年組以外が評論家に取り上げられてそれを今の若い男が読んだとしたって、その中でも元増田にとっての「男がモテたいために読む漫画」ってものが発生するだけだろう。
この記事書いた人は少女漫画に詳しい人で何かに詳しい人がその詳しさに振り回されるってのはけっこうありがちな状態に陥っちゃってる。
ついつい語りたくなっちゃって話の主体が逆になっちゃうとかね。
こういう記事があったけれど、これこれこういう視点もあるんだよ、って文脈で書くんだったら面白かったかもしれないね。
とりあえず「42年組」とか書く人には別にドン引きでもいいよ。
↑と同じ30女だけど、普通に24年組好きだし、入江亜季好きですよ。
つか入江亜季は24年組時代の香りがするなぁって思うくらいなんだけど。
「秘密」はある程度知名度はあると思うけど、アニメ化=メジャーではまったくないし、
世間が狭いね。
グサリときました…。
24年組でもとくに大島弓子がだいすきでだいすきでだいすきだー!
とひかえめに公言してはばからない男子です。イライラさせてごめんなさい。
でもおめめがザワザワした時期の大島作品が一番好きで、なおかつ
ぱふのバックナンバーとかあつめて画集もあさって、とかやってると
サバとかまで手が回らなかったりするのです…。
あーみんもすきだしA子たんもすきだし鳩山郁子も西ケイ子もすきだし
ときめきトゥナイトは蘭世が結婚するまでもってるけど、好きな少女漫画は?
ときかれるとおずおずと「大島弓子」と答えてしまうのです。ごめんよう…。
だってNANAとかよんだけどこわいんだもの…。
とかこういうのがうざったくてイライラしたりする原因なんですよね、うわーんなきたい!
「俺、少女漫画好きだよ」と言う男に、好きな作品や作家を聞いて24年組の名前があがってくるとげんなりする。心底がっかりする。24年組は私も大好きだし、素晴らしい作家さんだと思うけども、臆面も無く萩尾望都・大島弓子の名を挙げる人のほとんどが、それ以外の少女漫画を読んでいないんだもの。それどころか、その24年組作家さんの最近の作品も読んでいない。せめて「バルバラ異界」ぐらい読んでから言ってもらえませんかね。
要するに「少女漫画を理解する心の広い俺」を演出するために、いちばんてっとり早くて優等生な回答なんですよね。萩尾望都・大島弓子は。あと、よしながふみもこのカテゴリに入る。
確かに男性に人気の少女漫画家として鉄板なことは間違いないけど、本当に少女漫画が好きならもっとたくさんの名前が挙がってもいいと思う。もっと読めよ!白泉社以外も!最近のも!「君に届け」「フルバ」「のだめ」「ハチクロ」のコンボはもう飽きました。
1度だけくらもちふさこという回答が返ってきて、土下座せんばかりに感動したことがあります。あ…この人、本当に少女漫画を読んでる人だ…と思ったよ。