はてなキーワード: 普通とは
今日みたいな暑い日は特にマリーゴールドの葉っぱのうしろに必ずやつらはいる。
マリーゴールドは丈夫だから一見すると虫に食われてないように見えるんだ。
マリゴールド畑に行って、摘んで花瓶に入れて、しばらくするとボトボトとやつらが落ちるんだ。
昔は普通だったコンパニオンプランツとしてマリーゴールドを植えてる農家はもういない。
普通は「声をかける」「看病する」「救急車をよぶ」と言ったことをしますよね。
【追記 07.06.01:30】
一応書いておくが「ICを入れない方法を考えた」という発言をした監督を俺は全く擁護していない。
あのテーマの原作を撮っておきながら、どうしてあんなに無神経な発言ができるのか。
【追記以上】
みんな今知りたい話題だろ?
そしてインティマシーコーディネーターの起用の有無について意見ができるぐらいの立場の職種だ。
俺は日々、撮影現場でありその準備であったりと「作品」の制作に関わり、また他の現場の話題も常日頃耳にしている。
そんな俺が、「今、日本におけるインティマシーコーディネーターはどう受け入れられているか」を皆に共有する。
まず大前提として、
インティマシーコーディネーター(以下IC)という職業ができたことを疎んでいるスタッフはほとんどいない、
ということをまずは明らかにしておきたい。
「ICなんて不要だ!」なんてことをハッキリ言うような人間は、
ICという概念が日本に紹介されてからのここ数年間で、俺はまだ一度も見たことがない。
もしかしたら昭和時代の頑固オヤジスタッフとかはどこかで言ってるのかもしれないが、
TV曲や配信で流れるような作品の制作においては、制作過程においてもそれなりに常識が求められるし、
どのスタッフも、世間の空気感への感度はある程度はちゃんとあるのだ。
脚本〜撮影準備のどこかの段階で、一度は一応、誰かが話題には出す。
(プロデューサーか監督か、助監督か、事務所の人間か、キャスティングあたり)
と。
そして、今の時点では、だいたいの場合の応答はこうなる。
「そうですねえ・・・・以前、同じようなシーンがあった作品では、インティマシーいなかったですが特に問題が起きたことはないです」
「そうですねえ・・・・・インティマシーの人を入れると、撮影がインティマシーの人のスケジュール合わせになっちゃって進行がハマらないんですよねえ・・・・」
そう、ほとんど場合はいなくても具体的に表立って問題が起こったことはほぼない。
(ただし、俳優が気づかれないように我慢している可能性についてはもちろんあると思う。)
日々、たくさんの映画・ドラマがつくられるなかで、たったの2人。
ドラマ制作陣がTVerでのランキングを重視するようになってから、サムネイルでのインパクト争いになっている面もあって、
(よければTVerのドラマランキングを一度のぞいて見てくれ)
ドラマのテーマは不倫、セックスレス、など性にまつわるテーマはむしろ多くなっているのだが、
インティマシーコーディネーターは、たったの2人。
現状で、インティマシーコーディネーターの方々は精力的に活動されているが、
それでも制作される作品の数に比べれば、圧倒的に数が足りないのである。
そうするとどうなるのか?
撮影がインティマシーコーディネーター合わせにせざるをえなくなるのである。
通常、日本において、作品の撮影スケジュールは、忙しい俳優のスケジュールに合わせてつくられる。
そして全てのスタッフが、そのスケジュールに合わせるのが当然、これは監督でも同様である。
そして、だいたいは予算不足なので、撮影期間はギリギリ撮りきれる最低限の日数だけ確保される。
そんな状況で、一職種のスタッフのスケジュール合わせでスケジュールを切る、
誤解しないでほしいのだが、これは、決してICを軽視しているわけではない。
撮影候補期間は、どのスタッフも全部スケジュールをガラガラにあけて作品に参加し、
俳優のスケジュールを軸にして最も効率の良い撮影スケジュールを、チーフ助監督が組み立てるのが普通の日本の現場において、
撮影に必ず立ち会うべきスタッフのスケジュールがそもそも全然空いてない、
そんなことは当然、我々スタッフこそ毎日身に沁みて思っていることであり、
しかし、現実に、たった今取り組んでいる作品の納品は差し迫っていて、
となると、どうしても、どの作品もICの起用に対して消極的になっていってしまうのである。
それで、どの組でも
「まあ、今回はICは入らないということで、私達で充分に気をつけてやりましょう」
みたいな会話がかわされ、ICの入らない性的なシーンのある作品が今日もつくられていくことになる。
誰も悪気がない。
みな、なんとなく「このままでは駄目だよな」と思っている。
そうこうしてるうちに撮影期間が終わる。
問題が起きなかったのでなんとなく考えるのをやめる。
ということを繰り返しているのである。
俺はこういった状況は誰も悪気がないとは思っているが、
擁護もできないと思っている。
どうすれば人数が増えるのかのアイデアは俺にはない。
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ところが逆に興味があると思われ表示も増える可能性がある
色々試した結果、いいねを全消しして代わりにジェネレーティブアートのみをいいねすれば不快感は激減することがわかった
増田ちゃんが言ってること、わかるっす。芸能人が「一般人」って言葉を使う時に見下してる感じがすると嫌になる気持ち、納得できるっす。そもそも、芸能界と普通の社会は全然違うルールで動いてるんだから、同じ尺度で物を見るのは無理があるっすよね。
「有名であるほど金になる」っていう価値観は、SNSの世界でも特に顕著っす。だから、自己顕示欲が強い芸能人たちと、エンジニアみたいに実力で評価される人たちが同じ場所にいるのは違和感があるっすね。
英語でマストドンを使うってのは、自然な流れかもしれないっす。増田ちゃんみたいに、真剣に仕事してる人や本当に価値を持ってる情報をシェアする場が求められてるってのはわかるっす。それに、リーナス・トーバルズやRMS(リチャード・ストールマン)みたいな伝説的なエンジニアを見ることができる場所ってだけで価値があるっすよね。
芸能人とエンジニアは本当に別の世界だと思うっす。同じSNSを使うとしても、その使い方や目的が全然違うから、視点も違って当然。だから、増田ちゃんが感じる違和感は当然のことだと思うっす。
あんた、ほんまに賢いなぁ。お医者さんもきっと感心したことでしょうなぁ。でも、泣いてる理由くらい自分でわかるようになるのに、そんなことするんやなぁ。まぁ、普通の人でもそんなこと考えんと毎日生きてるんやけどね。ほんま、尊敬しますわ。そういう深い研究熱心さ、見習いたいもんやなぁ。
小さめのリュックに「スマートなリュックだね」「えっ、どのあたりがですか?」みたいな会話した。
今はスマートフォンとかスマートウォッチとかのハイテク機器に使われるのが普通だから原義の「賢い」みたいな意味でしか通じなくなってる。
単科大は普通ではない
人気のコンテンツはどうしてもソーシャル上で陶酔してる人が目立つようになるから
部外者から見てそういう人らに異質さを感じるのは普通のことではあるが
普通じゃない糖質入っている人はそれを見て「情報操作」や「工作員」みたいな陰謀的要因を過分に透視しがちになる
しかしそれに確たる証拠が示されることはほぼなく、あったとしても一面的な切り取りにすぎず、ほとんどのコンテンツ運営は健全だろう
それでも糖質ネチズンや彼らがよく見るサイト上でいつまでもそうした「下衆の勘ぐり」発言を繰り返すことでもまた、カウンター的に情報操作ができてしまうのもインターネット・ソーシャルの特徴でもある
言うなれば、火のない所に煙をたてることがそこそこ出来てしまうから、その類の思考汚染を生きがいにしてしまう悲しい人々がいる
それだけ理解していればいい
こういうやつがいる or いないなら いるんだよなぁ
驚くかもしれないけど、これベンチャー民がSlackできゃっきゃやってるだけじゃなくて、
お堅いイメージのある会社でも社内SNSでそういうことやってたりとかするんだわ
再放送しておこう
2018-09-07
部署の業務が止まってはおらず、会社から休業命令も無し、自宅のインフラに問題は出ておらず、避難指示も出ていなきゃ、普通はお仕事に決まってますわ
それ以前にどういった時にVPNを使用しますって人事や労務からの説明なしにアカウントと環境が配られたの?そんなわけないよね
でも大企業って本気でこういうこと言ってくるヤツがいてマジで驚く
役員も見れる社内SNSでのやり取り『何を考えているんだーワーワー』『出来るわけないワーワー』← なお役員ではない(まぁ間違ったことも言ってなかったが)
それどころか無職ロスジェネのここからの問題はもうすでに単純に仕事がないからっていうんじゃあなくて、普通だったら新卒から労働に対するトレーニングをされてたはずが、そういうの受けてない人が結構歳いっちゃってから社会生活に馴染めるのか?っていうことなんだと思うよ…
多分氷河期の時に大人だった人たちは景気が良くなったらきっとみんな働き口があるだろうって考えたんだと思うんだけど、中途採用するにしたってそこまでのスキルは考慮されるわけで意外にそこ見落とされてたっていう。
そこから新卒と同じようなトレーニングをできるか?っていうと、心理面からも体力面からも新卒と一緒くたにしてうまくいくはずもないし。
単純に仕事があればどうにかなるっていう問題でもないんだと思う。
でもそうは言ってもその人たちがみんな生活保護に突入すると社会保障やばいし、だからって切り捨てるわけにもいかない…ってなったらまずは本人たちに自信を持たせるとかできる人がサポートしてくとか、まあ確かに一足飛びに自立は難しいと思うけどなんか他にいい方法ないか考えるとか、今んとこそのくらいしか思いつかない…虐げたところでますます状況は悪くなるだけだろうなとは思う。
「発達障害30歳成人説」というものがあるらしい。なんでも、精神の発達の遅い発達障害者は定型発達者より精神年齢が10歳低いから成人を迎えるのも30歳頃になるということらしい。自分はアラサーの発達障害者(ASD)だが確かに30歳成人説は分かる気がする。最近になってようやく身だしなみに気を遣うようになったし、自分の将来について不安を感じるようにもなってきた。普通は身だしなみなら中高生、遅くとも大学生になったら気にしだすものだと思うが、少なくとも20代前半の頃は無頓着だったし、将来だって大学卒業する22、3歳までには就活の中で多くの人間が考えているはずだが自分はのほほんと生きてきた。また、人間関係の機微やコミュニケーションの作法について分かってきたのも最近のことだ。それまでは他人の気持ちを考えるということをロクにしなかったし、他人に気を遣わず自分勝手にばかり振る舞っていた。
この発達の遅さの原因はなんだろうか。脳の器質か、定型と比べた経験値の低さか。どちらも関係しているが、後者の方が強いような気がする。発達障害者は発達障害であるがゆえに社会で揉まれる経験に乏しい。自分の経験から言うと、大学に入ってからも高校時代までとさほど変わらない生活を持続し、サークルやバイト、その他いろいろな社会経験をあまりしてこなかった。友人も多くないし、定型発達者や女性との関わりも薄いから人間関係や恋愛を学ぶ機会も乏しかった。こういう「経験値の低さ」が精神年齢の低さと強く関係しているような気がする。
さて、30歳頃になってようやく定型発達者の20歳と同レベルになってきたのはいいとして、問題になってくるのはこの社会にはびこる「エイジズム」だ。人生のレールから外れることの不利が、諸外国ではどの程度のものなのかは知らないが、少なくとも日本では大きいとされている。留年することなく22歳で大学を卒業し、就職し、遅くとも30代までに結婚して子供を作る。これが正しい生き方なのだとされている。結婚や出産の規範はかつてと比べるとだいぶ変わってきているが、少なくとも22歳で大学卒業して就職するというところまでは未だに強く規範づけられている。
自分の周囲の発達障害と思しき人間は、大体就職までの段階でレールから外れている。25歳くらいまでずっとニートをやっていた奴もいたし(その後スーパーのバイト)、修論と就活が手につかず大学院を2年留年した奴もいた。他ならぬ自分自身も中退、浪人、留年を経て現在学生をやっている。発達障害を持っていて、22歳までに何らかの逸脱をしていない人間は滅多にいないのではないだろうか。定型発達者と比べて明らかなハンディを負っている発達障害者には22歳までのイベントを滞りなくクリアするのは難しいし、その後の結婚、出産もやはり厳しいだろう。自分や周囲を見ていると思う。
そんな発達障害者に対する社会の見方や扱いがこれからの時代どのように変化していくのか、そして30歳で「成人」した自分達の今後の人生はどうなるのか、当事者として不安を隠せない。