どっちかっていうと、
取ろうがどうしようが、代官を裁ける人間がいない。権力に守られた悪は、権力しか排除できない。というのの象徴な気がするけどな。
街で起きてる問題なら、町民が解決可能だが、お代官様が悪党となると、町民にはイッキ起こすしか無いけどイッキは死罪だからな。
詰んじゃってる時代の話だろ。
それに、集団生活というか、社会生活をしているなかで判断の結果を自分で責任を取れることばかりかというと、
権力を持てば持つほど、他人に被害が及びやすくなるという意味で、責任をとれることばかりじゃないけどな。
辞任すれば責任取れるというのは、あくまで社内の話で。何がしかの被害者からすれば辞任は責任逃れになるからな。
難しいよ。
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