2013-12-28

人工知能学会リニューアルする学会誌の表紙が物議をかもしてて興味ぶかい

とりあえず、非難の要点は2つあるようだ。

1.表紙のイラスト女性蔑視っぽい

2.女性蔑視っぽいイラスト学会誌の表紙にしちゃう男のひとってサイテー

非難側はそのイラスト女性蔑視かどうかというよりも、そういうものが人目につくところに使われることにサイテーと言っている。言いかえれば、日本人男性って女性への気配りがぜんぜんないよね! もっと海の向こうの男のひとを見習ってよね、プンプン、というところか。

れでぃーふぁあすと発祥西洋紳士には、そりゃあ勝てない。だってだって、そういう文化で育ってないしー、男は背中でかたれ、みたいな文化日本だし―。

たとえば、

男「ごほごほ」

女「あんた、ほら、薬だよ」(男の背をなでながら)

男「すまんねえ、おれが健康だったら、お前にこんな不憫させないのに」

女「それは言わない約束だよ、それに大好きなあんたと一緒にいるんだ、不満なんて」

男「お前・・・!」

女「あんた・・・!」

そんな時代劇っぽいもののワンシーンも女への幻想でできている! と言われるわけだ。いや、まあそのとおりだけど。貧乏になってまで女が男についていくと思うなよ、と言われたら、まあそっすね、としか答えられない。でも、ついていく女の人がまったくゼロというわけでもないだろう。そこは十人十色、ひとの好みはひとの数だけある。集団でみれば類型化は可能でも、個人でみたらそこに類型的なひとってのはいない。それぞれにそれぞれの理由があって、そうしているものだ。

理性的で金勘定も分かる女が理想であり、みんながみんなそうであるべきなら、貧乏になった男にも尽くそうとする女という幻想唾棄すべきものだし、場合によっては駆逐してやる! な価値観なのだろう・・・

で。

学会誌イラストが物議をかもしているところに戻る。

非難の内容は分かる。それはそうだ、多くのひとの目にふれるところに「女は女らしく家に引っこんでいなさい」と垂れ幕があったら、べつにフェミニストでなくても非難したくなる。そう思うのは自由だけれど、ひとが嫌がるようなことをするのは配慮が足りないと思う。街宣車がうっとうしいのと根の感情はおそらく同じ。

じゃあ、なにが興味ぶかいかって、それはあのイラストから女性蔑視的なところを読みとるにはちょっと労力がいるということだ。男の子で、女性蔑視とかそういうことを考えたことがない人間にとっては、取っかかりを見つけるのも難しいんじゃないだろうか。

「なんかのケーブルに繋がれた女性ロボットが箒で部屋の掃除をしながら本を読んでて、なにかに気づいてこっちに目を向ける」という構図。

繋がれている、掃除している、だから、この目は虚ろだね、ああ、女性に旧来な仕事を押しつけるイラストだ。もっと私たちは自由だ、自分意思で行動する! と華麗に女性ロボットが本を読んでいたかもしれない描きこみをスルーしているわけだ。

ロボット女性、繋がれているというフレーズから人形の家のノラを思いだしたのかもしれない。

なんにせよ。

ぼくにはアンドロイド掃除の途中に読書に目覚めた、という小さな出来事だけれど大きな一歩だ的なイラストしか見えなかった。

同じものを見ているのに、感じることが違う。これはまさに価値観の違いだ、もしかしたら文化の違いかもしれない。そのとき・・・どちらかの価値観で相手を強制的に上書きすることではなく、譲歩するのか何なのか手を取りあえるといいよねえ。物差しの目盛り上に価値観の違うひとたちが並んでいて、どっちかがどっちかよりも優れているとか劣っているとかではない、と信じたい。

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