はてなキーワード: 文体模写とは
はい。
何人か友達らしきものを作りましたが、結局ぼっちになりました。それも当然のことで、こちらから一切誘わないのだから、相手が飽きたら関係は当然切れるのです。
過去問がないと留年してしまうため、とりあえずサークルに入ろうと思うのですが、気力が出ません。大学生になってからの3ヶ月でもう人間関係にすこし疲れている自分がいます。
自分は友達を作ることを諦めたほうが良いのでしょうか?しかしコミュ力がなければ就活で詰んでしまいます。ぼっちに社会は厳しいものです。友達は作れなくとも、ネットでコミュ力をつけたり、習い事をしたり、何らかの集まりに行ったりしたほうが良いのかもしれません。
やるべきことばかり増えて、やりたいことが見つかりません。死ねばこのやるべきことをしなくて良いと思うと死にたくなります。いや、やっぱ嘘、やりたいことは本当はあるけどやるべきことがノイズになってやれないの方が正しいな、死にたいのは本当。
されとらんから。何が見えてるんや
強いて言えば文体模写は人間よりも得意だから、言葉の感度が低い人・作文のお作法のお勉強(写経?)サボった人でも、
"それっぽい"文は作りやすいよね
https://twitter.com/kurubushi_rm/status/1612430741174091780?s=20
https://gigazine.net/news/20230222-chatgpt-book-amazon/
あと知的障害はまったく無くて、なんならワンチャン普通よりも頭いい可能性すらあるが、
学習障害や発達障害などで知識に異常な偏りがある&ググるが出来ない人の助けになる
勝手に期待しといて勝手にガッカリするのおかしいけどう〜〜ん・・・
語彙力・リズム感・構成力がめちゃ高だが、常識に分類される知識をすべてパージするギャングスタラッパーもといネットラッパーは以前も書いたが、
今回は別の方
語彙力・リズム感・表現力がめちゃ高で随所に本が好きなんだなぁ感があり純文学アピールもするが、
・・・い〜や・・・どうしたって、そ〜はならんやろ、みたいな・・・
おそらく、この方は文体模写もめちゃくちゃ得意なはずで、萌えオタクなら必ず一度は目にする某作家とぶっちゃけ少し似ている
ただ軽快さは遥かにこの方の方が上で、クリアボイスの歌手が唄うようにスムーズに言葉が入ってくる
『え?今なんて言った?』と全くならない
おそらく、相当、幅広い分野の本を読まれていると思うのだが・・・・まぁ殆どのお話には大抵お約束があるよね?
だいたいログラインで興味を引くような展開になっているわけなのだけど・・・何故それを・・・全無視・・・なのか?
これが、読者に好かれる人物にする法則さえもブン投げていれば、逆に、『そうなんだ』って腹落ちするが、何故かそこだけはぶん投げていない
合わない人は合わない川端康成(ワイは好き)みたいな淡々とした話でも、欧州の監督が撮りそうな何も起きないノンフィクション風の体裁の映画みたいな話でも、
プログレみたいな実験的な話では無いのだわ・・・いや・・・強いて言えば、ボカロの曲でありそうか・・・?
でもよくよく考えるまでもなく、ワイくんもそこそこさまざまなコンテンツに触れておきながら、比喩ではないガチうんこばかり捻り出しているので、
罵りではなく文字通りの意味でIQ低いやつでも賢そうな文章を書くやつは書くぞ
ブランド物で身を固めるのと同じような非常に意味のないものだと思うよ
いったい増田は誰に対して虚勢を張りたいのだろう?ってずっと思ってるよ
もちろんプレスリリースとかカスタマーメールとかはハッタリが必要ではあるけど
そういう本買って枠にはめるだけだぞ
お仕事文章じゃなくて、小説やエッセイを書く際にどうしても飾りたいなら文体模写したら?
これも以前も書いたけど、昔2ch(5ch)で文体模写が流行ってた
商業で小説出してる人が言ってたけど、絵と同じく写経が大事みたいよ
村上春樹 『1973年のカップ焼きそば』
きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。
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勝手に液体ソースとかやくを取り出せばいいし、容器にお湯を入れて五分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるにかかわらず。
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読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分間待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
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ただ、一つだけ確実に言えることがある。
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[ミーティア]『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』が面白い | 菊池良
https://meetia.net/book/moshiyaki/
ネットでは現実での人種性別は何も関係なくただ一人のネットユーザーになれるのも良い所の一つだろうに
僕は周囲に女性っぽく見られたいな…と思っていても多分男だとバレバレなんだと思う
これは「そうよ!実は私は女なのよ!」と吹っ切って演技が出来ないのも問題だと思うけど
ネットで「俺男だけど~」って普通に性別を騙れるネナベ女性は本当に凄いなあって思う、女性は嘘が上手いからだろうけど
お前実は女だろう?って突っ込まれても逆ギレして「いや俺は男なんだが?」って言い切れるあの胆力は本当見習いたいなあ…と思う
腐男子自称する女性や「生物学上は女=精神は男ですが?心にちんこ生えてるしな」とか度胸あるなあ…って本当ただただ憧れるばかりです
利益も害ももたらさない他愛のない世間話ではなく、誰かの価値につながる情報を伝達することにはデメリットがある。
有限な品の入手難易度の増加の他、教師や親に近いレッテルを張られることのデメリットだ。
情報を提供する側と受け取る側の立ち位置の固定は、双方の精神の安定に寄与する。
上位者のレッテルを張られることによる精神の安定は、妥協した生活の中ではメリットだと考えられる。
情報はもう必要がないという態度。人生の充足にやせ我慢がなければ苦痛はない。
しかし、人がもし仮に妥協をしたくないのなら、「教師」の位置取りは失敗だといえる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/339278938/comment/kaionji
どうした、どうした、どういう文脈これ? なにかしらのハイコンテキストな話題を見逃してるの?
古参だよね? 少なくとも、コウモリプロポーズオフ会のときには見かけたIDだぞ
なので、どうして彼がこんなブコメをしたのか考えて見ました
2.常日頃から違法アップロード同人誌に非表示ブコメをつけており、非表示をミスった
うーむ、この二つしか思いつかなかったぜ
この常日頃から非表示ブコメをつけているって想像、もう面白すぎるんだけど
こんな面白いことありえる?
世の中にまだない面白だよ
というわけで、さすがに違法アップロードを拡散するのは気が引けるので、ブコメだけを考えて見ました
なお、各ブコメの文体模写の精度についてのツッコミは不要です、前半は文体模写ではなくブコメあるあるのつもりです
延長料金にも天井があるべきでは?
小学生の「くせに」というのは差別的で教育者としての倫理を疑う
下手投げではないし、四十八手つながりでもっと面白いネタを詰め込めたと思うのだが……?
はぁ? NG無しと言いながら食糞シーンがないのはナンノブマイスカトロ。自慰は不可避。ビッチは迷宮に閉じ込めておけという話だよ。
育児そっちのけで熱中できる集中力、明らかにFXの才能が有ると思われる。各位、<<http://nekoraafi>>より全種十冊ずつの購入を。
関係ない話。このあいだのマチアソビで竹達彩奈さんを初めてご拝見したが、明らかに他と違って輝いていた。(なにがなにやら)
おああーーーっ。あーっ。いけない。いけないやつだこれ。あーいけない。すごい幸せオーラ。光属性。弱点突かれてる。んんっ。死ぬ。死ぬわこれ。ああーっ。もうあかんか。あかんな。
なお、これらすべてが違法アップロードされているか否かはしりません。
っていうか、手コキ先輩に関してはそういう同人誌が実在するか否かも調べていません。
多分有るでしょ。
たしかにこれは似てる。
じゃあ俺もひとつ書いてみるかとエディタを引っ張り出してきた。どれだけ似せて書けるもんかな。これをご覧の方もやったらいいんじゃないんですかね。んで、最終的には全世界の人間が「仰向けに寝転んだところに幼女のおしっこを浴びたい」などと発言するネット空間を目指すのはどうでしょうかね。だめか。
といっても元の文章がうまくて書くことがない。「おすそわけ」の部分はまさにそのとおりだなと思う。あと「原初的な感動」のとこ。俺自身、人生がクソみたいな状況にあっても誰が読むわけでもない言葉をエディタにたたき続けてきた。今も紙とペンがあればなにかしら書いている。それは呪いだ。ずっと昔、今から見ればゴミでしかない俺の文章をたまたま何人かが見て奇跡かなにか知らないが、面白いなと笑ってくれた。そんな呪いだ。そのときの胸にこみあげたなにかが、たぶん元の文章で言う「原初的な感動」なんだろう。まあ俺にはこれ、感動であり呪いとも思えるんですけどね。
でも、「読んでもらえる」ということだけですばらしいのは紛れもない事実。ただこれは「読む」だけじゃない。俺にとっては文章だが、ブログにのっけるのは絵でも写真でも動画でもいろんな形がある。内容だって万人に役立つライフハックネタだとかでも、アニメの画面からかぎ取った幼女パンツの香りの考察だとかでもなんでもいい。読んでもらう、見てもらう、聞いてもらう、それでなにかをおもしろがったりしてもらう。中身に巧拙の差はあるだろうが、それが俺の理解できるブログの形だ。
だから、炎上とかを狙って人目をひくことが理解できない。良い悪い、でなく俺個人が理解できないだけだ。イケダなんとかさんは名前をよく聞くし、文章も何度か読んだことはあるはずだが覚えていない。なので、イケダさんのことでなく炎上だとかのこと、元の文章で言うなら「付加価値」を利用して人目をひくこと全体に言及する。しかし元の文章のこの言葉選びはうまいな。
で、俺はそういう付加価値による集客で文を読ませることが理解できない。いったいその文章でなにをどう楽しませたいのか、それが俺には見えないからだ。
というわけで元の文章と俺は同意見で、「んじゃあ俺が書く意味ねーな」となった。だけど、それでもなにかしらをひねり出してでも書かなければならない。でないと、あれを書いた人に対してなぜか申し訳ない気分になってしまうのだ。これは私情であり、今読んでいる人たちには関係ないわけだが、可能なかぎりには超うまいカレーを作るつもりであるので、楽しんでいただけるとうれしい。俺がうれしい。
さて、上に書いたように理解できないわけなんだが「分からない」で終わるのも面白みがない。
で、無理にでも考えてはみたのだが、「ブログというものの意味が今と昔では違う」という、手垢がつきすぎて誰も口にしないレベルの結論しか浮かばなかった。そりゃそうだ。俺の「ブログ=文章をのせる場所」なんて認識がもはや少数派の思考でしかないのだから。
現代で求められるブロガーは、ブログに書いた文章を介して多くの人間に影響を与えられる書き手だ。もちろんその中身が面白ければそれに越したことはないが熱心な読み手との交流といった付加価値で影響を与えてもいい。twitterで仲間を広げる、セミナーで弟子を集める、オフ会で友達を増やす、そうして輪を作ってその中に文章を投げる。
勘違いしている人も多いが、その輪に投げられた文章は実に「面白い」のだ。笑いのプロが真剣に時間を掛けて考えたネタ以上に、仲間の間で次々に産まれるバカ話が面白かったりする。炎上なんてものも、身内だと武勇伝として熱く語られる。その「面白さ」には優劣も貴賤もない。プロだろうが素人だろうがだれかを楽しませるのは同じ。むしろ「面白さ」を生み出そうとする情熱も能力も、仲間向けのブロガーの方が高いこともある。外部から見ればなにひとつ面白みの感じない文章であろうと、仲間の嗜好にあわせきった珠玉の文章だったりするわけだ。
俺は、優れたものにはなにかしらの熱意があると信じている。ただむやみやたらに暑苦しいだけでなく心地よい熱意。そうした熱意のこめられた文章はやはり人目を強くひく。
だが、新しいブロガーのその熱意は文章だけに注がれているわけではない。だからダメだとかいいたいわけじゃない。彼らは外部から見えるブログの文章ではなく、彼らとその読み手がつながる世界を面白くすることに熱意を注いでいる。彼らはまぎれもなく誰かを明確に楽しませているのだ。
だとするなら、俺がイケなんとかさんとかのブログを見て、「なんも役に立つもんねーな」と外から言葉を投げたところで、彼らの世界にはなにも届きはしないのだろう。だからまあ、関わるだけムダとも言える。てか、批判している側の人間も意外と中に入ってしまえば楽しめるかもしれない。世の中には交流の力も文章の質も並外れて高く、あふれる熱意でとんでもない規模の「内輪」を形成しているブロガーもいるだろう。そういう人間になら、俺は素直に感心したいと思う。
しかしだ。こんなものは旧世代の人間のつまらない感情でしかないのだろうが、俺はただ寂しい。
文章一つで見ず知らずの誰かの心を強く揺さぶったときの、書き手としての感情。どこの誰とも分からない人間が書いた文章に腹がよじれるほど笑えた、読み手としての感情。それらは本当にかけがえのないものだったと思う。ブログの書き手とブログの読み手、ただそれだけでつながるようなブログはどんどんと消えるのだろう。SNSなんかが広がってこれだけ簡単に人と人がつながれる時代なのだから当然の流れだとは分かっている。
だが俺はそれでも思う。文章が自由に書け、それが誰かに読まれる。ただそれだけでもすばらしいことなのだと。
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とまあ書いてみたけど、私の文章で一瞬でも「もしかしてこっちが店長かな」とか疑ってくれたら幸い。(うーん、読み返してみたけど全然やった…)
私は底辺ブロガーなんで特定される心配はないけど、やっぱ店長はすごいな。元の増田を見返しながら書いたけど、見れば見るほど文体から店長っぽさが伝わってくる。
もしも他の人が文体模写で書いたっていうなら、それもまた超弩級の変態技術の持ち主だわ。
まあ、この文章は店長好きの気持ち悪いファンレターだと思ってくださいな。元増田を見かけて、うっひぃよおぉおおおんん!と喜びまくった勢いで書いた文章です。
今のはてなでは文章で読ませるってブログは少なくなりました。それは時代の流れで仕方ないことなのだと思います。
熱意が不特定多数に向けた文章以外、たとえばPV狙いの炎上や仲間内の交流だとかに注ぎこまれる割合が多くなったってだけで、「楽しませよう」「目をひこう」という気持ちにはたぶん変わらないのだと、私は信じています。
ぺらっぺらの内容の記事がホットエントリー入りしてイラッとくることもありますが、それも今のはてなの一つなんだと思います。
だけど、やっぱり私はまだ見たい。
交流系だろうが、炎上系だろうが、変態アニメペロペロ系だろうが、文書が面白ければなんだっていい。
私自身も微力ながら、でも自由気ままに、文章中心のブログを書きはじめました。(半分休止中ですが)
もっと見たいって言うなら、自分からはじめるしかないですしね。非力であっても。
だから、もしあの増田が店長だったなら言っておきたいことがあります。
そんな言葉なんて、まああればうれしいでしょうけど、本質的に求めていたものじゃないですよね。
批判にしろ肯定にしろ、書いた内容について真剣に言及されたいって思ったりはしないですか。
たぶん、今のままだと、増田に書くたびにそんな反応しか返ってこないと思います。
なので、ブログに腰を据えて、不特定多数に突き刺さるような文章を書いてくれませんか。
じゃないと、いつまで経っても「おかえり」で埋められる反応になるかなって思います。
そんなの寂しいんじゃないかなと勝手ながら思ってしまいました。
この増田を書いたのも、元の記事について、なにかしら踏みこんだ内容の反応を見せたかったからです。