はてなキーワード: ミュージシャンとは
その音楽的ピークはとうとうあっちの世界に踏み込んじゃいました。
アメリカーナとは関係なく、フォークロアや地域性に根を張った手垢のようなものを感じさせない普遍的、天国的で透徹した音楽。
(などと勝手に感じてしまってるけど勿論、この国の偏った舶来文化の大勢の意識の中で生きている一個人の独りよがりですが)
全ての曲が完璧ですが、とりわけrebecca sylvesterはこのアルバムのハイライトです。
そしてGastr del Solの最高到達点…のひとつでもあると思います。
「why did the sharks watch him drown?(なぜ 鮫たちは彼が溺れるのを見守ったのか)」
という述懐と共に奏でられフェードアウトしていくコーダの、夜空へ飛び立つような心地よさに何度涙したことか。
the sea incertainの複雑な和音を多用した繊細なピアノのつぶやきは、大友良英さんのおっしゃる「恋をしている気分」そのもの。
hello spiralはポストミニマルがロックやノイズと結びついた、明るみに向けてグラデーションを伴いながら上昇していく、
構造的ではあるものの、光の回廊を進んでいくようにみずみずしい喜びにあふれた名曲。
バランスを失うとときに過剰な禁欲性を聴き手に要求しがちなミニマリズムの厭味がありません。
孤独とメランコリーの彼方を遠目に深呼吸するよう甘やかな浮き沈みを繰り返すthe relay、
our exquisite replica of “eternity”の一部分と同様のループの中で(この形態での)最後の爪弾きと独白のような歌を終えるGrubbs…。
そしてエンディングはJohn Faheyの名曲に、天かけるTony Conradの純正律バイオリンと、
わずかに3(4)回ピアノの和音が雨しずくのようにそっと寄り添う雄大なもの。
もちろん冒頭our exquisite replica of “eternity”はコラージュにおけるGastrでのO'Rourke畢生の大作。
そしてアメリカ、スイス、スウェーデンなどから参集した数々の即興・ノイズ畑の実験音楽ミュージシャンとのインタラクションは壮絶です。
これは共同的な創造プロセスの成果としても音楽史に刻まれるものではないでしょうか。
中核となる二人にしろ、誰が強固に支配的であってもこの音楽は生まれなかったのは間違いありません。
聴きすぎて一通りの音が頭に入ってしまった後は(それ俺です)自分の聴く環境・コンディションの変化の中でいつまでも楽しみましょ~!
GrubbsとO'Rourkeの敬愛するLuc Ferrariが言っていました。
「結局、私の最も興味があることは擦ることのようだ」
人にもモノにも、擦り合わせることで新しい何かが生まれる興奮があるっていう事でしょうね。
さまざまな異種の要素たちが無時間的な感覚で摩擦し、それらの反発や調和が要素の単なる総和をはるかに超え、躍動的・神秘的に関わり合っていくGastr del Solの作品群も、その音楽的大成者に違いないと思います。
ここでは最近の若い男性の間では告白は女性からして欲しいという人が増えているとあるけれど。
でもそれって不合理過ぎない?
だって生物の身体の仕組み上、男が勃つもの勃たなければ性交渉はできず、
女性からの告白は男性からの告白に比べて圧倒的に、相手は自分に脈がないリスク、振られるリスクが高い。
男性からの告白の場合には女性は相手を好きでなくともとりあえず受け入れて股を開いてくれる事があるが
しかも運良く付き合えたとしても、一度告白されて自信のついた男性は、自分はイケると考えて他の女性と浮気しやすくなる。
これは売れた作家やミュージシャンが自分はステージが上がったと考え糟糠の妻を捨てる現象からも窺える。
つまり女性からの告白は男性からの告白に比べて、上手くいかないリスクが圧倒的に高いんだよ
相手にされないリスク、浮気されるリスクを覚悟した上でなお女性から告白しろというのはあまりにも酷。
どうしても女性に告白して欲しいのならば、告白された男性には拒否権無し、浮気したら厳罰くらいの措置を設けるのが平等ってものだと思うけれど、
まあ無理だろうね。
一刻も早く事務所を捨ててください。ジャニーズの名前もお捨てなさい。
それが嫌なら、せめてただの一介のアイドルまたはタレント、または俳優、ミュージシャン、アーティスト、社長、個人事業主etc...とでも名乗ってください。
ジャニーズってなんなの?もはやあなたの主でもない、世界すべてでもない。手でもない、足でもない、腕でも顔でも、貴方の身体のどこでもありはしない。
ああ、なにか他の名前にしてください。
名前に何があるというの?薔薇の花はその名をどう変えようと、甘い香りに変わりがあろうはずがない。
女がバカにされるのはこう言うバカ女のせいなんだな、と確信を強めました
ミュージシャンがジャニーズに楽曲提供するのはこうした大量のババアを金蔓にできるからであって、ミュージシャンは誰もジャニーズを目指してるわけではありません
芸術をやるためにみんな金が欲しいだけです
最近では、ミュージシャンが不祥事(薬物など)を起こすと、その作品が配信から消えて無かったことにされてしまう。
近頃は、俳優が不倫をすると、メディアへの出演はキャンセルされ、ドラマは代役が立てられ、CMは契約を打ち切られる。
それまでも公然の秘密であったが、とうとう事務所も観念して、全てを認めた。
そのスタッフ。
すなわちジャニーズ。
ジャニさんがいなければ、
と言っても決して過言ではない。
ジャニさんがいなければ、当然ジャニーズのタレントも存在しない。
我々は選択を迫られている。
もちろん、選択しないこともできる。
が、それは逃げだ。
ジャニさんの性犯罪行為は否定するが、その作品は否定しないのか?
もちろん思い出さなければならない。
彼の作品は、その忌むべき性犯罪に対する情熱とは無縁ではないことを。
彼の少年愛に対する情熱は、優れた才能を持ったタレントを発掘する嗅覚と不可分であることを。
彼はその歪んだ性欲を満たすために、彼は彼のビジネスをより成功に導かなければならなかったことを。
これも100パーセント断言できるが、彼がもし少年愛者でなければ、ジャニーズ事務所はこの世に存在あるいは存続していなかったはずだ。
彼が夜な夜な少年に対して性行為に耽ることと、ジャニーズ事務所、タレント、スタッフが存在していることは不可分であることを。
ジャニーズはある意味、少年たちがジャニさんの口中に放出したスペルマ上に立脚した存在であるとも言える。
我々はジャニさんの、その作品たちと如何に付き合うべきなのか?
もういっそ、全肯定することも出来なくもない。
開き直ってしまってもいいのかもしれない。
そうすれば、いろいろと考えなくても済むし楽だ。
「いや、そんなわけにはいかないだろう。」
と、思うのなら選ばなければならない。
どちらを選ぶのか?
それとも、何も考えないのか。