はてなキーワード: ドラゴンボールとは
呪術廻戦、鬼滅の刃、推しの子はアニメの画が原作の再現度が高く、場面によっては原作の絵を上回る
漫画だと平面の動きのない表現だから、やっぱり動画じゃないと表現できないことがあるよね
しかし、家庭教師ヒットマンREBORN!とか鋼の錬金術師とか文豪ストレイドッグスとかのアニメは原作漫画の画の再現度がひっくいなーと思う
リボーンの天野明の絵はサイコパスのアニメではけっこう再現度高かったのでリボーンのアニメスタッフが「作画はこれでいっか!」と思った基準がものすごく低かったんだろう。技術が低かったんだよな。だから五話寺みたいな作画事故が起きた
最近作られるアニメは原作の絵を再現しようぜ!みたいな気概が強く感じられる
原作者が監修した映画のスラムダンクみたいな、原作の画がそのまま動画になったアニメはおもしろいし、漫画の原作者が製作に加わってSLAM DUNKの映画みたいなアニメがもっと増えてほしいなと思う
無理だと思うけど、鬼滅の刃の作者がアニメスタッフに加わって、原作の絵がそのまま動いてるようなアニメが作られたらいいのに
突き詰めれば寂しいからに行き着くと思うよ
俺、麻雀が好きで、麻雀友達が7人くらい居て週末とかによく誘い合って打ってるんだけど、
こいつらと仲良くしてる動機ってのを端的に言えば麻雀を楽しく遊ぶ為って事になる。
だけどさ、今日日麻雀なんか家でパソコン開いてクソ強いAI相手に打つ事だって出来るわけよ。
むしろそっちの方が強い相手にテンポ良く打てるから試行回数重ねられるし家から出なくて良いし牌譜検討もしやすいから、友達と打つよりもよっぽど効率的なんだけど
それでもわざわざ友達誘ってわざわざ時間合わせてわざわざ電車乗って新宿とかまで打つのって、やっぱ一人でAI相手にシコシコやってても寂しいからだと思うんだよね。
こんな風に書くと、小説や漫画がレベルの低いものとして扱われていると思って怒る人がいる。
でも、バカにしているわけではない。
漫画や小説 = 物語 を下のものとして扱っているわけではありません。
と主張する人の意図は
と主張しているわけです。
ひとつは、漫画小説はエンターテイメントすなわち娯楽に特化しているものが多いからです。
読んだからといって、新しい知識を獲得する要素が少ないからです。
もちろんゼロではないです。
知識を伝えるために書かれた本に比べれば、その要素が少なくなりがちです。
ときにはエンターテイメントのために、正しい知識とは逆行したことが書かれていたりするからです。
ふたつめは、漫画や小説は知識ではなく情緒を育てるためのものだからです。
言い換えると「IQ」ではなくて「EQ」を育てるものだからです。
どういうことか?
それは
・素直に文字にして語るのが難しいことや、
・素直に文字するだけでは読んだ人の心に響かないことを
・逆境でも諦めずに戦い抜こう。
・強くなるってパワーだけ極端に上げても駄目なんだ、大事なのはバランスだ。
と文字にして書かれても、ピンとこないけれど
とても「伝わり」ますよね。
もちろん、こういうことを学ぶのはすごく大事なんだけれど、
新卒は昔から男性は体育会系、女性は顔採用という不文律があった。その中に、時々コネが混ざる程度。
弊社の最終面接は役員数人:就活生1人で、それぞれの採点シートの合計点で決まる。
社長の機嫌がわかりやすく、機嫌がいいときは自分から質問をして、機嫌が悪い時は一言も発さない。
周囲の役員もその反応を見ながら、社長の機嫌がいいときは高めの得点をつける。
自然と社長の一存になる。社長は、体育会系の男子と、目がぱっちりしている女子が好きだ。
数年前に、モデルをしていたという美人が入社してきた。彼女をA子とする。
顔採用の弊社の中でも群を抜いて美人で、入社したときはどよめいた。
あからさまなセクハラももちろんあったが、純粋に好意を寄せられて告白をされた社員や、デートに誘われた社員もリストアップしてセクハラだと訴えた。
その社員たちはすぐに異動となり、ドラゴンボールのように全国の支店に飛ばされて行った。
A子は転職した。
新卒は昔から男性は体育会系、女性は顔採用という不文律があった。その中に、時々コネが混ざる程度。
弊社の最終面接は役員数人:就活生1人で、それぞれの採点シートの合計点で決まる。
社長の機嫌がわかりやすく、機嫌がいいときは自分から質問をして、機嫌が悪い時は一言も発さない。
周囲の役員もその反応を見ながら、社長の機嫌がいいときは高めの得点をつける。
自然と社長の一存になる。社長は、体育会系の男子と、目がぱっちりしている女子が好きだ。
数年前に、モデルをしていたという美人が入社してきた。彼女をA子とする。
顔採用の弊社の中でも群を抜いて美人で、入社したときはどよめいた。
あからさまなセクハラももちろんあったが、純粋に好意を寄せられて告白をされた社員や、デートに誘われた社員もリストアップしてセクハラだと訴えた。
その社員たちはすぐに異動となり、ドラゴンボールのように全国の支店に飛ばされて行った。
A子は転職した。
ヴェルタースオリジナルのCMで英国好々爺はそう言って市販品のキャンディーを孫に渡していた。
このCMに直接感化されたというわけじゃないが、俺はどこかで「こんな凄い商品を与えられる俺はきっと凄い奴なんだ」と感じて生きていた。
ゼルダ・マリオ・ハーゲンダッツ・ドラゴンボール、一般家庭の特に感受性が豊かでもないガキであっても親に強請れば特別な商品に囲まれて過ごすことが出来た。
俺はその環境の中で「俺もきっとこの商品に見合う凄いやつなんだろうな。センスの無いやつならこの凄さがわからないはずだから」と調子に乗っていた。
違った。
全然違った。
センスがあるとかないとかではなく、そもそも商品として売られているものを消費するのに特別もクソもないのだ。
世界一売れているゲームを遊んだからって、ソイツがこの世界で一握りの天才なんてことはなく、むしろこの世界でも屈指の凡人なのだ。
逆に超マイナーなものに触れていたら凄いかと言えば、それも全く関係ない。
消費行為は単に消費するだけであり、誰でも出来るので、何を消費したかはその人間の能力を何も証明しないのである。
俺はこれを本当に勘違いしてたんだよ。
「俺はガンダム全作品見てるからさ、宇宙のことにめっちゃ詳しいし、戦争や政治も分かっちゃうんだぜ?」みたいに勘違いしていた時期がマジであった。
実際には世界情勢のことも機会の仕組みも大学レベルの物理学も全然分からんただのアホなんだが、それでも「まだ知識が足りてないだけで、本質はすでに捉えてるから」と頭の足りないことを心の奥底で本気で信じてた。
市販品のヴェルタースオリジナルを親から買い与えられただけなのに、自分がヴェルタースオリジナルの創業者一族の一人であると勘違いするようなレベルの勘違いをしてた。
この歪みに薄々気づいていたのはかなり前からだけど、完全に毒を抜ききるのにだいぶ時間がかかったよ。
薄々気づいてからも「まだ消費が足りないのか?じゃあ今度はMSVを勉強しよう!そうすれば今度こそ凄い人間になれるのでは?」みたいな勘違いはどこかで残っていたからな。
アイドルやガチャにハマっちゃう人ってきっとこの勘違いをより深刻にズットズット続けてるんだろうな。
「凄いことをする人達の近くで消費活動をしたり、キラキラしたものを集めまくれば、自分も同じような特別ななにかになれる!」といつまでも思い込んでるんだよ。
スーパーヒーローの変身グッズを親から買ってもらってヒーローに近づけたと思い込んだその気持のままで、今度はもっと高い変身グッズを買えばいつか本物のヒーローになって皆から尊敬されるぞって勘違いしてるようなもんだよ。
買い支えることは出来る。
でもそれは腐葉土の下で腐り果てながら大樹を支えているだけで、木そのものにそこに咲いた花や実になることは出来ないんだよ。
勘違いしてしまうと頭がおかしくなって浦和レッズサポーターみたいになってしまう。
俺もそうなる危険性があったんだな。
分不相応な夢を見ながら、その夢に向かってするべき努力を見誤って消費活動ばかりしていた人生の後遺症がまだ人生に深く残ってる。
創作物の「中身」っていうのは、受け取る側が何を読み取るか、何を仮託するかによって変わるんだよ。
たとえばドラゴンボールを見た黒人の少年は、自分が地球人ではなくサイヤ人であることを知り、ルーツを認めてスーパーサイヤ人として覚醒する悟空の姿に、黒人としてのルーツを知りアイデンティティを確立する自分の姿を重ね深く感動したと言うし、肌の色の違いや素行の悪さから恐れられるピッコロが、悟飯を命懸けで守るシーン、徐々に人格者となり周囲に認められていく姿に自分の在り方を重ねたという。
作者はそこまで考えてなかっただろうし、自分もそんな読み方をしてなかったけど、思いもよらない解釈で人が救われるようなことがある。
中身ってなかなか分からない。
太古の昔からある。みんな「いつ終わるねん」と思いながら読んでる。
○
アニメ制作会社がよかったため人気が出た。たいして中身はなく、評価点は絵がよく動くことくらい。
○
極めて独特な世界観・キャラクター同士のかけ合いにより、読者は不条理の淵へといざなわれる。
○
他に代えがたい作家性があり、エンターテインメントとしてだけでなく、藝術として高く評価されている。
○
原作者の趣味を美形のキャラクターにやらせるだけのなんの中身もない作品である。
○
緻密な設定とストーリー、妥協を許さない作風は唯一無二。連載が不定期なところも共通。
○